大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

 水曜日。

 朱里は、自分でも驚くほど早く目が覚めていた。

(まだ……六時)

 目覚ましが鳴るまで、あと一時間以上ある。

 二度寝しようと目を閉じても、頭の中に浮かぶのは、嵩の顔ばかりだった。

(昨日のメッセージ、あれでよかったのかな……)

 起き上がってカーテンを開ける。

 曇り空。雨の気配はない。

(金曜、晴れるかな)

 そんなことを考えている自分に、苦笑する。

(ほんと、どうかしてる)

 会社に着くと、嵩はすでに席にいた。

 パソコンに向かう横顔。

 真剣な表情。

(見ない、見ない)

 そう思った瞬間、ふと嵩が顔を上げた。

 視線が、合う。

 ほんの一秒。

 なのに、胸が跳ねる。

 嵩は小さく会釈するように、目元だけで笑った。
(……ずるい)

 何も言っていないのに、あれだけで気持ちが揺れる。

 午前中は、業務連絡以外ほとんど会話をしなかった。

「この資料、確認お願いします」

「了解」

 短い言葉。

 必要最低限。

 それが、逆に意識させる。

(距離、近いのか遠いのか分からない)

 昼休み。

 朱里が席を立とうとした瞬間、嵩が声をかけてきた。

「今日、外行く?」

 一瞬、周囲を確認する。

「……はい」

「じゃあ、一緒に」

 それだけ。

 特別な誘い方じゃないのに、心臓が落ち着かない。

 二人で並んで歩く社外の道。

 平日の昼、人通りはそこそこある。

「……仕事、忙しい?」

 嵩が聞く。

「まあ、いつも通りです」

「無理しそうだからさ」

「してません」

 少し強めに言ってしまい、すぐ後悔する。

「あ、すみません」

 嵩は苦笑した。

「怒られた」

「違います」

 朱里は視線を前に向けたまま、ぽつりと続ける。

「……心配されるの、慣れてなくて」

 嵩は一瞬黙り、それから静かに言った。

「そっか」

 それ以上、踏み込まない。

(それでいいのに)

 なのに、どこか物足りない。
 
 コンビニで昼食を買い、帰り道。

 横を歩く嵩の腕が、ほんの少し朱里の腕に触れた。

 びくっとして、反射的に距離を取る。

「ごめん」

 嵩がすぐに言う。

「……大丈夫です」

 でも、心臓は全然大丈夫じゃなかった。

(触れただけで、こんな……)

 会社に戻る直前、嵩が足を止めた。

「朱里さん」

「はい?」

「金曜さ」

 朱里は、思わず息を止める。

「やっぱり、無理しなくていいから」

 また、その言葉。

(優しさが、重い)

 でも同時に、胸が温かくなる。

「……無理じゃないです」

 はっきり言うと、嵩は少し驚いた顔をした。

「行きたい、です」

 言ってしまった。

 嵩は一瞬固まり、それから、今まで見たことのないくらい柔らかく笑った。

「……よかった」

 その一言で、全部持っていかれる。

 午後。

 仕事に集中しようとしても、頭の中は金曜のことでいっぱいだった。

 視線が合うたびに、

 言葉を交わすたびに、

 少しずつ、距離が縮んでいる気がする。

(大嫌い、って言い続けてきたのに)

 ふと、そんな言葉が頭をよぎる。

(いつから、こんなに)

 退勤後、席を立つとき、嵩が小声で言った。

「あと、二日」

 朱里は、少しだけ笑った。

「……長いですね」

「うん。長い」

 同じ気持ちだと、初めて確信できた。