火曜日の朝。
朱里は、出社した瞬間から妙な疲労感を覚えていた。
(まだ一日も経ってないのに……)
デスクにバッグを置き、パソコンを立ち上げる。
いつもと同じオフィス、同じ空気。なのに、落ち着かない。
「おはようございます」
背後から聞こえた声に、思わず肩が跳ねた。
嵩だった。
「……おはよう」
声が、少しだけ硬くなる。
嵩はそれに気づいたのか気づいていないのか、いつも通りの距離感で席に着いた。
「昨日は、雨上がりだったな」
「……そうだね」
それだけ。
それだけなのに、胸の奥がざわっとする。
(普通の会話、普通のはずなのに)
画面に視線を落としながら、朱里は自分に言い聞かせる。
(仕事中。切り替え、切り替え)
けれど──。
「朱里さん」
今度は別の声。
望月瑠奈が、すぐ横に立っていた。
「昨日、珍しく定時でしたよね」
柔らかい笑顔。
でも、その目は探るように細められている。
「……まあ、たまたま」
「へえ」
瑠奈は、嵩の方をちらりと見た。
「平田さんも、ですよね?」
空気が、一瞬止まる。
嵩は少しだけ間を置いて答えた。
「そうですね。珍しく」
それだけで済ませたのは、きっと配慮だ。
(ありがとう……)
朱里は内心でそう思ったが、同時に胸がちくりと痛む。
“配慮される関係”になってしまったことが、嬉しくもあり、怖くもある。
「そうなんだ」
瑠奈はにこりと笑い、何事もなかったように去っていった。
その背中を見送りながら、朱里は小さく息を吐く。
(やっぱり、気づかれてる)
午前中は、集中しようとすればするほど、時間が進まなかった。
キーボードを打つ音。
電話の呼び出し音。
コピー機の低い唸り。
すべてが、やけに鮮明だ。
(……金曜まで、長い)
昼休み。
朱里は一人で席を立ち、社外のコンビニへ向かった。
人混みを避けるように歩きながら、スマホを取り出す。
(連絡、来てないよね)
分かっているのに、画面を確認してしまう。
──通知なし。
(仕事中に来るわけないのに)
自嘲気味に笑い、ポケットにしまった、その瞬間。
メッセージが表示された。
『無理してない?』
嵩だった。
タイミングが良すぎて、思わず足を止める。
(……見てた?)
いや、そんなわけない。
朱里は一度深呼吸してから、短く返した。
『大丈夫
仕事してます』
すぐに返事は来なかった。
それなのに、心が勝手に待ってしまう。
数分後。
『ならよかった
金曜、無理なら言って』
その一文に、胸が締めつけられた。
(優しすぎるんだよ……)
朱里は、画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
──無理じゃない。
むしろ、行きたい。
でも、その気持ちを素直に認めてしまったら、もう戻れない気がした。
『大丈夫です
行きます』
送信。
それだけで、心拍数が上がる。
午後の仕事は、午前中よりさらに長く感じられた。
嵩と視線が合えば、すぐに逸らす。
逸らしたあとで、少し後悔する。
瑠奈の笑顔が、どこか意味深に見えてしまう。
(私、気にしすぎ)
そう思っても、感情は言うことを聞かない。
退勤時。
エレベーター前で、嵩と二人きりになった。
沈黙。
妙に重い。
「……金曜」
嵩が、ぽつりと言う。
「はい」
「雨、降らないといいな」
それだけ。
でも朱里は、少しだけ笑ってしまった。
「そうですね」
エレベーターが到着し、扉が開く。
(金曜まで、あと二日)
長すぎるはずなのに。
気づけば、指折り数えている自分がいた。
朱里は、出社した瞬間から妙な疲労感を覚えていた。
(まだ一日も経ってないのに……)
デスクにバッグを置き、パソコンを立ち上げる。
いつもと同じオフィス、同じ空気。なのに、落ち着かない。
「おはようございます」
背後から聞こえた声に、思わず肩が跳ねた。
嵩だった。
「……おはよう」
声が、少しだけ硬くなる。
嵩はそれに気づいたのか気づいていないのか、いつも通りの距離感で席に着いた。
「昨日は、雨上がりだったな」
「……そうだね」
それだけ。
それだけなのに、胸の奥がざわっとする。
(普通の会話、普通のはずなのに)
画面に視線を落としながら、朱里は自分に言い聞かせる。
(仕事中。切り替え、切り替え)
けれど──。
「朱里さん」
今度は別の声。
望月瑠奈が、すぐ横に立っていた。
「昨日、珍しく定時でしたよね」
柔らかい笑顔。
でも、その目は探るように細められている。
「……まあ、たまたま」
「へえ」
瑠奈は、嵩の方をちらりと見た。
「平田さんも、ですよね?」
空気が、一瞬止まる。
嵩は少しだけ間を置いて答えた。
「そうですね。珍しく」
それだけで済ませたのは、きっと配慮だ。
(ありがとう……)
朱里は内心でそう思ったが、同時に胸がちくりと痛む。
“配慮される関係”になってしまったことが、嬉しくもあり、怖くもある。
「そうなんだ」
瑠奈はにこりと笑い、何事もなかったように去っていった。
その背中を見送りながら、朱里は小さく息を吐く。
(やっぱり、気づかれてる)
午前中は、集中しようとすればするほど、時間が進まなかった。
キーボードを打つ音。
電話の呼び出し音。
コピー機の低い唸り。
すべてが、やけに鮮明だ。
(……金曜まで、長い)
昼休み。
朱里は一人で席を立ち、社外のコンビニへ向かった。
人混みを避けるように歩きながら、スマホを取り出す。
(連絡、来てないよね)
分かっているのに、画面を確認してしまう。
──通知なし。
(仕事中に来るわけないのに)
自嘲気味に笑い、ポケットにしまった、その瞬間。
メッセージが表示された。
『無理してない?』
嵩だった。
タイミングが良すぎて、思わず足を止める。
(……見てた?)
いや、そんなわけない。
朱里は一度深呼吸してから、短く返した。
『大丈夫
仕事してます』
すぐに返事は来なかった。
それなのに、心が勝手に待ってしまう。
数分後。
『ならよかった
金曜、無理なら言って』
その一文に、胸が締めつけられた。
(優しすぎるんだよ……)
朱里は、画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
──無理じゃない。
むしろ、行きたい。
でも、その気持ちを素直に認めてしまったら、もう戻れない気がした。
『大丈夫です
行きます』
送信。
それだけで、心拍数が上がる。
午後の仕事は、午前中よりさらに長く感じられた。
嵩と視線が合えば、すぐに逸らす。
逸らしたあとで、少し後悔する。
瑠奈の笑顔が、どこか意味深に見えてしまう。
(私、気にしすぎ)
そう思っても、感情は言うことを聞かない。
退勤時。
エレベーター前で、嵩と二人きりになった。
沈黙。
妙に重い。
「……金曜」
嵩が、ぽつりと言う。
「はい」
「雨、降らないといいな」
それだけ。
でも朱里は、少しだけ笑ってしまった。
「そうですね」
エレベーターが到着し、扉が開く。
(金曜まで、あと二日)
長すぎるはずなのに。
気づけば、指折り数えている自分がいた。



