蝶で作られた輿のなかは、鬼の国から乗ってきたものとほとんど変わらない。つん、とつついてみるも、指に伝わってくる感覚は本物そのものだった。どんな原理で出来ているか、緋梅にはさっぱり見当がつかない。
「壮真さまのお屋敷まで、もう少しかかります。混乱を避けるために、お屋敷までは外を覗かぬよう」
鷹が外から緋梅に告げる。
「わかったわ」
緋梅は素直にうなずいた。作りものとはいえ、緋梅の額には角がある。人の国でこの婚姻がどの程度知られているかわからないが、これまでの歴史をふまえると、大人しくしていた方が身のためだということはわかる。
緋梅がうなずいたのと同時に、輿が持ちあがった。するすると簾が下りてきて、輿が動き始める。わずかな揺れを感じながら、緋梅は夫となる人のことを考えていた。
――東雲(しののめ)壮真(そうま)。
術を扱い、鬼を退ける陰陽師の長。歳は、まだ二十そこそこだと聞いた。緋梅は、今年で五十四歳になる。鬼で言うとやっと一人前と言われるようになる頃だ。壮真は緋梅の半分以下しか生きていない。鬼で言えばまだ赤ん坊に毛が生えたほどだが、人間で言うとすでに成人と呼ばれる年齢らしい。
やっていけるのだろうか、とふいに不安が首をもたげた。鬼と人。かつては同じ種族だったと言われているふたつの種族は、分かたれて久しい。姿かたちこそ似ていながら、心も在り方も遠く隔たりがある。
簾越しに声がして、大きな門を通ったことがわかる。門を通り過ぎると、声が間近に聞こえるようになった。人影があちらこちらに見え、人の暮らす領域に入ったのだと実感した。中に緋梅がいるとはわかっていないはずだが、道行く人影が緋梅を見ているような気がして、緋梅は思わず身体を固くした。
母のために、この和平を成功させてみせる。そう決めたのは緋梅だ。そう自分に言い聞かせることで、緋梅は自分を鼓舞させる。そのとき、輿が動きを止めた。簾越しに、鷹がこちらを見た。
「お待たせしました。つきましたよ」
緊張していたからか、あっという間のようにも一晩ほど経ったようにも感じた。ゆっくりと輿が下ろされる。
簾の先に見えたのは、白壁の塀。そしてその向こうには、緋梅の住んでいた屋敷に引けを取らない黒瓦の屋敷がそびえていた。緋梅は自分の足で輿を降りた。背筋を伸ばして、屋敷を正面から見据える。
門の前に、男が立っていた。浅葱色の着物を着た男を一目見ただけで、この男が東雲壮真なのだとわかった。端正な顔立ちに、切れ長の瞳。黒曜石の瞳がじっと緋梅を見つめる。落ち着いた佇まいだが、気を抜くと飲み込まれそうな圧があった。
「私がこの屋敷の当主であり、君の夫となる東雲壮真だ。よろしく」
低い声は、さほど大きくなかったが、よく響いた。
「こちらこそよろしく」
緋梅の言葉にも、壮真は小さくうなずくだけ。ひしひしと歓迎されていないのが伝わってくる。作り笑顔がひくついたが、それでも緋梅は笑顔を絶やさずに壮真を見つめた。これは和平のための婚姻。もとよりそのつもりだったが、こうまで冷たくされるとは思わなかった。
「申し訳ないが、君にはしばらく離れに住んでもらうことになる。食事は運ばせるし、不自由はないようにするつもりだ。何かあったら教えてくれ」
「わかったわ」
「それでは、あとはゆっくりと過ごしてくれ」
そう言って、壮真は踵を返した。
「ちょっ、ちょっと待って――」
まさか挨拶がこれで終わりとは思わず、緋梅は声をかけた。ぴたり、と壮真の足が止まる。
「あぁ、良い忘れていた。君の世話をするために、この二匹を付ける。何かあれば言うように」
壮真が言った途端、ぽんっという音がして目の前に煙が広がる。何があったのかを理解する前に、煙のなかからもふもふの生き物が二匹飛び出してきた。
「な、なんなのっ?!」
緋梅は思わず驚きの声をあげた。もふもふの生き物は、一匹は狐、もう一匹は狸だった。
「あたし、ふう子。よろしくなの」
頭に葉っぱを乗せた、ふかふかのお腹の狸が名乗る。潤んだつぶらな瞳がかわいらしい。
「ふう子……ちゃん」
緋梅がしゃがむと、ふう子はとてとてと近づいてきた。思わず緋梅は手を伸ばす。こてん、とふう子はお腹を見せ、緋梅はそのまん丸もふもふのお腹を撫でた。
「うりゃりゃりゃ」
これは撫でろ、と言っているようなものだ。緋梅はもふもふを存分に堪能することにした。思い切り撫でると、ふう子は嬉しそうに目を細める。撫でられるままに、なっているふう子を見ていると、長旅の疲れが癒されるようだった。
「ふう子、何してんだ! まるで霊獣の威厳がないじゃないか」
そう声をかけてきたのは、狐だった。長い尻尾が警戒するように左右に振られている。細い目が、真っすぐに緋梅を睨みつけていた。こちらには、あまり歓迎されていないらしい。
「だって、撫でてもらえるの嬉しいんだもの」
「だから! 気安く撫でられるもんじゃないだろ、俺たちは霊獣だぞ」
「葉隠も撫でてもらえばいいじゃない~」
「俺は気高い霊獣だぞ! そう易々と気を許すものか!」
ぷりぷりと怒る狐は、葉隠という名前のようだ。緋梅も、もうもう獣がしゃべることに驚かなくなりつつあった。
緋梅が撫でるのを止めると、ぎゃいぎゃいと二匹は言い合いを始める。のんびりとしている狸のふう子に、冷静な狐の葉隠が小言を言っているようだ。
緋梅は壮真が去った方へ視線をやった。すでに壮真の姿はなく、屋敷にも人影はない。
(明らかに、歓迎されてないみたいね……)
緋梅は唇を噛んだ。わかっていたはずだ。それでも、予想以上の隔たりに、思わずため息が漏れそうになる。
――それでも、母のためにこの和平を成功させなければならない。
「おい、そろそろ行くぞ」
狐――葉隠の声に、緋梅は意識を戻す。二匹の言い合いはいったん収まったようだ。
「こっちだ、ついてきな」
そう言って、二匹が緋梅の前を先導していく。今は、この二匹についていく他なさそうだった。
「壮真さまのお屋敷まで、もう少しかかります。混乱を避けるために、お屋敷までは外を覗かぬよう」
鷹が外から緋梅に告げる。
「わかったわ」
緋梅は素直にうなずいた。作りものとはいえ、緋梅の額には角がある。人の国でこの婚姻がどの程度知られているかわからないが、これまでの歴史をふまえると、大人しくしていた方が身のためだということはわかる。
緋梅がうなずいたのと同時に、輿が持ちあがった。するすると簾が下りてきて、輿が動き始める。わずかな揺れを感じながら、緋梅は夫となる人のことを考えていた。
――東雲(しののめ)壮真(そうま)。
術を扱い、鬼を退ける陰陽師の長。歳は、まだ二十そこそこだと聞いた。緋梅は、今年で五十四歳になる。鬼で言うとやっと一人前と言われるようになる頃だ。壮真は緋梅の半分以下しか生きていない。鬼で言えばまだ赤ん坊に毛が生えたほどだが、人間で言うとすでに成人と呼ばれる年齢らしい。
やっていけるのだろうか、とふいに不安が首をもたげた。鬼と人。かつては同じ種族だったと言われているふたつの種族は、分かたれて久しい。姿かたちこそ似ていながら、心も在り方も遠く隔たりがある。
簾越しに声がして、大きな門を通ったことがわかる。門を通り過ぎると、声が間近に聞こえるようになった。人影があちらこちらに見え、人の暮らす領域に入ったのだと実感した。中に緋梅がいるとはわかっていないはずだが、道行く人影が緋梅を見ているような気がして、緋梅は思わず身体を固くした。
母のために、この和平を成功させてみせる。そう決めたのは緋梅だ。そう自分に言い聞かせることで、緋梅は自分を鼓舞させる。そのとき、輿が動きを止めた。簾越しに、鷹がこちらを見た。
「お待たせしました。つきましたよ」
緊張していたからか、あっという間のようにも一晩ほど経ったようにも感じた。ゆっくりと輿が下ろされる。
簾の先に見えたのは、白壁の塀。そしてその向こうには、緋梅の住んでいた屋敷に引けを取らない黒瓦の屋敷がそびえていた。緋梅は自分の足で輿を降りた。背筋を伸ばして、屋敷を正面から見据える。
門の前に、男が立っていた。浅葱色の着物を着た男を一目見ただけで、この男が東雲壮真なのだとわかった。端正な顔立ちに、切れ長の瞳。黒曜石の瞳がじっと緋梅を見つめる。落ち着いた佇まいだが、気を抜くと飲み込まれそうな圧があった。
「私がこの屋敷の当主であり、君の夫となる東雲壮真だ。よろしく」
低い声は、さほど大きくなかったが、よく響いた。
「こちらこそよろしく」
緋梅の言葉にも、壮真は小さくうなずくだけ。ひしひしと歓迎されていないのが伝わってくる。作り笑顔がひくついたが、それでも緋梅は笑顔を絶やさずに壮真を見つめた。これは和平のための婚姻。もとよりそのつもりだったが、こうまで冷たくされるとは思わなかった。
「申し訳ないが、君にはしばらく離れに住んでもらうことになる。食事は運ばせるし、不自由はないようにするつもりだ。何かあったら教えてくれ」
「わかったわ」
「それでは、あとはゆっくりと過ごしてくれ」
そう言って、壮真は踵を返した。
「ちょっ、ちょっと待って――」
まさか挨拶がこれで終わりとは思わず、緋梅は声をかけた。ぴたり、と壮真の足が止まる。
「あぁ、良い忘れていた。君の世話をするために、この二匹を付ける。何かあれば言うように」
壮真が言った途端、ぽんっという音がして目の前に煙が広がる。何があったのかを理解する前に、煙のなかからもふもふの生き物が二匹飛び出してきた。
「な、なんなのっ?!」
緋梅は思わず驚きの声をあげた。もふもふの生き物は、一匹は狐、もう一匹は狸だった。
「あたし、ふう子。よろしくなの」
頭に葉っぱを乗せた、ふかふかのお腹の狸が名乗る。潤んだつぶらな瞳がかわいらしい。
「ふう子……ちゃん」
緋梅がしゃがむと、ふう子はとてとてと近づいてきた。思わず緋梅は手を伸ばす。こてん、とふう子はお腹を見せ、緋梅はそのまん丸もふもふのお腹を撫でた。
「うりゃりゃりゃ」
これは撫でろ、と言っているようなものだ。緋梅はもふもふを存分に堪能することにした。思い切り撫でると、ふう子は嬉しそうに目を細める。撫でられるままに、なっているふう子を見ていると、長旅の疲れが癒されるようだった。
「ふう子、何してんだ! まるで霊獣の威厳がないじゃないか」
そう声をかけてきたのは、狐だった。長い尻尾が警戒するように左右に振られている。細い目が、真っすぐに緋梅を睨みつけていた。こちらには、あまり歓迎されていないらしい。
「だって、撫でてもらえるの嬉しいんだもの」
「だから! 気安く撫でられるもんじゃないだろ、俺たちは霊獣だぞ」
「葉隠も撫でてもらえばいいじゃない~」
「俺は気高い霊獣だぞ! そう易々と気を許すものか!」
ぷりぷりと怒る狐は、葉隠という名前のようだ。緋梅も、もうもう獣がしゃべることに驚かなくなりつつあった。
緋梅が撫でるのを止めると、ぎゃいぎゃいと二匹は言い合いを始める。のんびりとしている狸のふう子に、冷静な狐の葉隠が小言を言っているようだ。
緋梅は壮真が去った方へ視線をやった。すでに壮真の姿はなく、屋敷にも人影はない。
(明らかに、歓迎されてないみたいね……)
緋梅は唇を噛んだ。わかっていたはずだ。それでも、予想以上の隔たりに、思わずため息が漏れそうになる。
――それでも、母のためにこの和平を成功させなければならない。
「おい、そろそろ行くぞ」
狐――葉隠の声に、緋梅は意識を戻す。二匹の言い合いはいったん収まったようだ。
「こっちだ、ついてきな」
そう言って、二匹が緋梅の前を先導していく。今は、この二匹についていく他なさそうだった。
