鬼姫の失せもの探し

 翌朝。
 初秋の朝靄(あさもや)のなか、緋梅は出立の準備をしていた。ここから人の国までは、徒歩で3日かかる。今回は、鬼と人との初めての婚姻であることから、緋梅が乗せられる輿が用意されていた。大人四名がかりで、緋梅を人の国へと運ぶのだ。鬼の国と人の国との国境付近で、緋梅の夫となる人間――東雲(しののめ)壮真(そうま)が迎えを寄越すということであった。
 輿に、数少ない嫁入り道具が運び込まれていくのを見て、緋梅はとうとうこの国を出るのだと実感した。緋梅はとうとうこの国を出るのだと実感した。何度も何度も忘れものがないかを確認する小雨を見ていると、じんわりと寂しさが胸ににじむ。
「姫さま、本当にお元気でいてくださいね。約束ですよ?」
 輿に乗る直前、涙目の小雨が声をかける。
「わかってる。元気だけがあたしの取り得でしょ」
 しんみりした雰囲気にさせたくなくて、緋梅は笑顔をつくった。小雨はぎゅっと唇を噛んで、泣き笑いをつくる。ここが唯一の故郷であることに、変わりはない。だが、ここで終わりだとはこれっぽっちも思っていなかった。
「小雨も、元気にしてるのよ」
 緋梅の言葉に、小雨は大きく頷いた。泣きそうになるのを我慢している様子に、思わず苦笑が漏れる。緋梅はそのまま、輿に乗り込んだ。そして簾が下りて、ぐっと輿が持ち上げられた。やっと出発するのだ、と思った瞬間、もう一度輿が降ろされる。
(どうしたのかしら)
 声をかけようとしたその時。誰かが近づく音がして、簾がもう一度上げられた。
「緋梅。最後の挨拶にきました」
 声をかけたのは、母だった。見送りにくるのは、小雨だけだとばかり思っていた。思いがけない母の登場に、緋梅の胸が高鳴る。
「あなたにこの選択を強いてしまい、ごめんなさい。ですが、あなたであればきっと見事にこの任を果たしてくれると思っています」
 険しい表情で撫子はきっぱりと言った。その表情は、鬼の女王としての決断を下すのにふさわしい、威厳に溢れたものだった。
「はい、もちろんです。立派に母上の思いを果たしてきます」
 緋梅の言葉に、ふっと撫子の表情が緩む。
「……緋梅。その角飾り、とっても似合っているわね」
 そのやわらかな表情は、鬼の女王としてのものではなく、緋梅の母としてのものだった。熱いものがこみ上げてきて、緋梅は咄嗟にうつむいた。母の香りがふっと近づき、緋梅の頬に手が添えられた。
「あなたは父上の子であり、私の大切な子。どうかそれを忘れないで」
 はっとして顔をあげると、撫子の優しい翡翠色の瞳と目が合った。幼い頃は、父親とおなじ真紅の瞳ではなくて、母のような優しい翡翠の瞳に憧れた。なぜか、そんなことを思いだす。
「時間を取らせたわね。ありがとう」
 そう言って、撫子は離れていった。すぐに簾が下ろされ、何事もなかったように輿が上がる。
 そして、輿が出発した。簾越しに見覚えのある景色が遠ざかっていく。旅立ちの期待と寂しさ――複雑な胸中をも抱え、輿は人の国へと進んでいく。
 土臭さをもはらんだ湿った空気が肌にまとわりつき、簾越しに見える景色は淡くかすむ。山道を抜けるたび、見慣れた峰々が少しずつ遠ざかっていった。杉林を越えると、徐々に道は開けて光が差してくる。国境が近いことを知らせていた。
 そうして人の国にたどり着いたのは、夕方になった頃だった。輿が下ろされ、緋梅は簾をあげて外を見る。険しく切り立った崖の下に、集落と田畑が見える。かつて、緋梅がここに来たとき、眼下に見えていたのは焦土だった。あれから、十年が経った。鬼にとってはわずかな時間であっても、人が再生するのには十分な時間だったらしい。
 緋梅が輿から降りると、訪れを待っていたかのように、頭上から鋭い鳥の鳴き声が聞こえた。空を見上げると、大きな鷹が緋梅をめがけて降りてくる。避ける暇もなく、鷹は緋梅の肩に舞い降りた。普段目にする鷹より、ひとまわりは大きいだろうか。重さを覚悟したが、驚くほど軽かった。
「お待ちしておりました、緋梅さま」
「……夢でも見てるのかしら。鷹が喋ってる」
 緋梅は頭を振って、目をこすった。知らないうちに輿のなかで眠りこけていて、夢を見ているだけなのかもしれない。緋梅の言葉を理解しているように、硝子玉のような透明な瞳が緋梅を見つめる。
「夢ではありません。私は壮真さまの命によって、あなたさまを迎えにきました」
 静かに、鷹は緋梅に向けて告げる。心臓がどくどくと脈打っている。あり得ない状況に戸惑いながらも、緋梅は恐る恐る口を開いた。
「あなたは何者なの?」
「私は、壮真さまによって生み出された式神です」
「しきがみ?」
「詳しくは、壮真さまに直接聞いてください。私はあなたを迎える役割しか持ちません」
 淡々と言った鷹に、内心すこしムカついたものの、鷹に怒っても仕方ない。緋梅は深呼吸をした。
「いま、他の式神たちも到着します。お待ちください」
 そう言った途端、風が緋梅たちを包んだ。目を開けていられないぐらいの突風に紛れて、白い紙が緋梅たちを取り囲む。次に目を開けたときには、白い蝶たちが緋梅の周りを飛んでいた。
「こ、これも式神?」
 困惑したままたずねると、鷹は静かにうなずいた。
「あとは我々がお屋敷までお連れします」
 白い蝶はふわふわと緋梅の周りを飛んでいる。緋梅が持ってきた嫁入り道具にもとまっている。
「これでどうやって送るっていうの……?」
「任せてください。すぐにわかります」
 鷹の表情は読めないが、自信満々であることはよくわかった。この鷹は、緋梅の夫となる人間からの命令を遂行することを目的としている。そうであれば、悪いようにはならないだろう。緋梅はそう判断し、輿の近くで様子を見ていた鬼たちに帰って良いと合図した。ここまで乗ってきた輿が遠ざかっていくのを見送ってから、緋梅は鷹と向き合う。
「準備はできたわ」
「はい、では向かいましょう」
 鷹が言った瞬間、蝶が一か所に集まってくる。驚く間もなく、蝶の集まりから四体の人間と、輿が出来上がった。鎧姿の人間は、みな無表情で同じ顔かたちをしている。
「ひゃっ……?!」
 思わず声をあげると、ばさばさと鷹が緋梅の前を飛んだ。
「これもすべて式神です、ご安心を」
 動揺を見られたのか、鷹が緋梅を安心させるように言った。
「こちらにお乗りください」
 先ほどまで蝶だった輿と、人間たちが早く乗れと急かすように緋梅を見ている。緋梅はごくりと唾を飲んだ。
「わかった、わかったわよ。乗りますって!」
 覚悟を決めて、緋梅は式神たちの輿に乗り込んだ。