鬼姫の失せもの探し

 母に人への嫁入りを告げられた翌日から、慌ただしく準備が始まった。日取りはいつにするか。嫁入り道具の準備はどうするか。緋梅の意志とは無関係に、流されるように身の周りだけ準備が整っていく。
「姫さま、角飾りがきましたよ」
 そして、嫁入りを前日に控えた日。小雨が嬉しそうに持ってきたのは、小さな箱だった。
 中に入っているのは、角の上から被せるように装着する、いわゆる儀式用の装飾品。本来は鬼同士の結婚の際、女性が身に付ける。母から娘へ、代々受け継がれていく大切なものだ。
「女王陛下がこれを身に付けているところを見たかったですねぇ」
 いそいそと、緋梅の前に小箱が置かれる。
「さっ、開けてみましょう。姫さま」
 躊躇している緋梅を、小雨が急かした。
「……小雨、これ本当にあたしが貰っていいのかしら」
 思わずたずねると、小雨は目をぱちくりとさせた。
「何を言っているんですか。これは陛下から姫さまにって渡されたものですよ?」
「でも――」
 緋梅は口ごもった。
 母は、緋梅を人の国へ送ると決めた。それはすなわち、後継者から外すという宣告に他ならない。それを聞いた瞬間、胸の奥で意地に支えられていた矜持が、音を立てて崩れ去った。それでもまだ、後継者になりたい。母に認められたいという気持ちはずっと変わらずに胸の奥にある。
「母上は、あたしのことを厄介払いしたいのよ」
 幼稚だとわかっていても、口にせずにはいられなかった。小雨の前だと思わず本心が漏れてしまう。
「まぁ、姫さまはそんなふうに思っていらしたんですか」
 小さな子どもを叱るように、小雨は腰に手を当てて言った。
「だって、小雨もそうは思わない? 人の国に行ってしまったら、簡単には戻ってこれないのよ」
 緋梅は顔を上げて、小雨をじっと見つめる。小雨は緋梅の瞳を受け止めて、ふんわりとほほ笑んだ。
「私は、姫さまだからこそ、陛下は今回の嫁入りを決められたのだと思いますよ」
「あたしだからこそ?」
 小雨はうなずいた。
「紫苑さまにも、桔梗さまにも出来ないことを、姫さまが託されたのです。そうでなければ、自分の大切な角飾りを託すなんてしませんよ」
 そう言って、小雨は緋梅の手を取り、箱に添える。ひんやりとした箱の感覚が伝わってきた。緋梅は困惑しながら、小雨を見つめる。
「この角飾りは、姫さまのもの。陛下から姫さまへの贈り物です」
 ごくり、と緋梅は唾を飲み込んだ。
「さぁ、あけてみてください」
 緋梅は意を決して、蓋を開いた。
 そこには、金色の角飾りがそっと緋梅を待っていた。磨き抜かれた地金の表面には、ゆるやかな水の流れを模した文様が彫られている。埋め込まれているのは緋梅の瞳と同じ、真紅の宝玉。それが角の正面にあたる部分に埋め込まれ、華やかな光を辺りに照らしている。かつて、緋梅が失ったものと良く似た金色の――そしてまやかしの角。
「わぁ……なんて綺麗なんでしょう」
 小雨から漏れたつぶやきに、緋梅はこくりと頷いた。母がこれを付けたときは、どんなに美しかっただろう。金色の角を持った父の隣に並ぶ母。いま目の前に、母が纏った角飾りがある。それはまるで、夢の中の出来事のように思えた。
「あたし、これ付けてみてもいいかな?」
「もちろんです。緋梅さまが付けられるように、飾り紐を付けてもらったんですよ」
 そう言って、小雨は布にくるまれた角飾りをうやうやしく手に取った。そして、緋梅の重い前髪を上げて、額に角飾りを置く。飾り紐を頭の後ろ側できゅっと結ぶと、まるで本物の角のようにさえ見えた。
「さぁ、姫さま。もっと明るいところで見せてください」
 そう言って、小雨が中庭へと緋梅を導く。外に出ると、風が優しく緋梅の頬を撫でた。額に伝わる角の冷たさが心地いい。ふと横を見ると、小雨が嬉しそうに、角を見つめている。
「姫さま、お綺麗です。本当に、お綺麗です」
 感極まった小雨の瞳から、ぽつりと涙が落ちた。
「こ、小雨……! 何も泣くことないじゃない」
 緋梅の涙腺も緩みそうになって、思わず小雨の小さな背中を抱きしめた。
 ずっと緋梅と一緒にいた小雨。緋梅が角を失ってからは、きっとつらい思いもさせてしまった。それでも、小雨はいつも緋梅のことを思い、そして尊重してくれた。
「姫さまと一緒に、人の国へ行けたらよかったのですが……」
 涙声で小雨は言った。
「大丈夫よ。あたしはひとりでも平気」
 小雨を心配させまいと、緋梅はつとめて明るく言った。そうでもしないと、小雨と一緒に泣き出してしまいそうだった。
「姫さま。ご飯はきちんと召し上がってくださいね。それから、鍛錬ばかりせず、ちゃんと休むこと。誰かが止めなければ、姫さまはずっと続けてしまいますから……気を付けてくださいね」
 小雨は身体を離して、緋梅をじっと見つめる。
「わかった、わかったから」
「あぁ! 姫さま、その顔はまったくわかっていませんね?」
 いつまで経ってもうじうじしてられない。気持ちを切り替える意味も込めて、緋梅は笑顔を作った。
「もちろんわかってるわ。今度会うときは、もっと強い鬼になって帰ってくるんだから」
 その時だった。
「――外が騒がしいわね」
 冷たい声が緋梅たちに浴びせられる。後ろを振り向くと、そこには目を吊り上げた桔梗が立っていた。桔梗の視線が緋梅の角に動く。金色の角を見た瞬間、桔梗の顔色がさっと変わった。
「緋梅。それは母上が婚礼の際に使った角飾りよね?」
 淡々と感情を抑えて、桔梗がたずねる。
「はい。母上から婚礼のために譲り受けたものです」
「その角を、あんたが持っていくって言うの?! あり得ないわ」
 声を荒げて、桔梗は否定した。
「それは一族にとって大切な角飾りよ。それを捨てられたあんたが持ってていいはずない」
 緋梅はゆっくりと桔梗に向けて歩き出す。中庭に敷き詰められた白砂が、緋梅が歩くたびに音を立てる。しんと静まった空間に、緋梅の足音が響いた。
「これは、母上からいただきました。母上の意志です」
 緋梅はそっと角飾りに触れて、桔梗に答えた。
 ――捨てられたのではない。託されたのだ。
 そう自分に言い聞かせたとき、胸の奥に光が差しこんだような気がした。一度は失った矜持。しかし、その空白を埋めるように、あらたな光が胸の奥で静かに灯った。
「その角、少しも似合っていないわ。あんたには不釣り合いよ」
 顔を真っ赤にさせた桔梗は、そう吐き捨ててその場から去った。辺りには再び静寂が戻る。
「大丈夫ですか、姫さま」
 後ろから追いついてきた小雨がおずおずとたずねた。
「大丈夫よ。あたしがこの角を引き継いだことが、桔梗姉さまは気にくわないのよ」
「桔梗さまは、焦っているのかもしれないですね」
「え……?」
 小雨の言葉に、緋梅は思わず声をあげた。
「緋梅さまがこうして陛下に認められて、動揺しているのですよ」
「そう、なのかしら」
 緋梅には、いつも通りの姉にしか見えなかった。
「私にはそう見えました。緋梅さまがいなくなってからどうなるのか、気にかけておきます」
 神妙な面持ちで、小雨が言う。
「さぁ、中に入りましょう。なにか忘れものがないか、ちゃんと確認しますよ」
 小雨に背中を押されて、緋梅は屋敷の中に入る。
 そうして、緋梅が鬼の国で過ごす最後の一日は、静かに過ぎていった。