「っぐ」
 避けきれず、緋梅の横腹に雷が突き刺さった。焼けるような痛みが身体を貫く。
「緋梅っ!」
 耳鳴りのなかで、壮真が緋梅を呼ぶ声が聞こえた。
(あたし……かろうじて、生きてるみたい)
 全身が麻痺したように感覚を失い、ただ雷の余韻だけがしびれとなって残っていた。重たい瞳をこじ開けると、そこには泣きそうな壮真の姿がいた。緋梅の身体は、壮真に抱きかかえられていた。
「緋梅! 大丈夫か」
「えぇ……なんとか」
 声は震えていたが、心は折れていなかった。身体は重いが、まだ戦える。鬼の身体は頑丈だと良く言われるが、その意味をやっと理解した。痛みに顔を歪めながらも身を起こす。横腹は火傷のように爛れ、熱を帯びていた。それでも、まだ動けないわけではない。
「桔梗姉さまは?」
 緋梅の問いに、壮真は悲しそうな顔をした。
「堕ち神の霊力が強すぎる。これ以上は、堕ち神に飲み込まれてしまうかもしれない」
「……じゃあ、桔梗姉さまを戻すには、どうしたらいいの」
 緋梅は思わずつぶやいた。そのつぶやきに、壮真がぴくりと反応する。
「緋梅。君は幼い頃、角を失った。その時に、少年に出会ったのではないか?」
「え、えぇ。それがどうしたの?」
 いきなり言われた言葉に、緋梅は眉をひそめる。
「――君の角を奪ったのは、この私だ」
 壮真は厳しい表情で、懐から勾玉を取り出す。その勾玉は、たしかにあの日見た勾玉と似ていた。はっとして、壮真の顔を見る。真っ赤に泣きはらした目をしていた少年。今にも吹かれてしまいそうな、線の細い少年の姿が、いまの壮真と重なる。
「この勾玉は父が作った封印術のひとつだ。鬼に反応して、角の力を封印する。この勾玉を解放すれば、君の角は戻るはずだ。芦名が残した術のなかで、唯一これだけは役に立ったな」
 そう言って、壮真は言葉を切る。
「これで――君の姉を救え」
 壮真の手が、緋梅の額に触れる。ひんやりとした勾玉が当たった瞬間、まばゆい光が視界に爆ぜ、世界を白に塗り潰した。温かさが血のように全身を駆け抜ける。失われた角が、白い光で形を取り戻していく。
(……力が、満ちていく)
 痛みは消え、呼吸の一つひとつが力へと変わる。身体を起こす。
 緋梅はゆっくりと立ち上がった。一歩踏み出すごとに風が唸りを上げ、霊力は奔流となって渦を巻いた。緋梅の放放つ圧力に押され、異形と化した桔梗がこちらを睨み返す。
「姉さまを、返しなさい!」
 緋梅の叫びと同時に、全身から光が放たれた。緋梅は力を足に込めて、そしてもう一度跳躍した。緋梅の動きについてこられず、桔梗の爪は空を切る。その瞬間を狙って、緋梅は桔梗の角をへし折った。巨躯がどしんと地に崩れ落ちる。緋梅は桔梗に駆け寄った。異形の化け物であった身体は、しゅうと音を立ててもとの桔梗に戻っていく。
「桔梗姉さま!」
 桔梗の身体の中で二つの霊力がせめぎ合っていた。堕ち神の闇と桔梗自身の魂。ぶつかり、反発し、姉の身体を焦がしていく。熱が肌を伝わり、桔梗の命が削られていくのがわかる。
 緋梅はへし折られた桔梗の漆黒の角に手を伸ばした。
「あたしを依り代にすればいい、あたしの身体を使いなさい!」
 角に触れた瞬間、激情が緋梅の中に流れ込む。姉の憎しみ、孤独、劣等感。そして堕ち神の無念や悲しみ。それらに押し流されそうになるが、緋梅は必死に心を保つ。母の声、壮真の顔。堕ち神と桔梗の激しい感情のなかで、見失わないように緋梅は強く願う。
(あたしは人でも、鬼でもない。だから――できることがあるはず)
 両の腕を広げ、激情のすべてを抱きとめる。自分という存在が消えても構わない――そう覚悟した瞬間、濁流は鎮まり、堕ち神の力は溶けるように消え去った。
 光が収まる。力なく横たわる桔梗の胸が、かすかに上下していた。
「……よかった」
 緋梅もまた糸が切れたように隣へ倒れ込む。
「緋梅!」
 壮真が駆け寄り、震える手で抱きとめた。
「もう、大丈夫よね」
 緋梅は壮真の手に抱かれながら、小さくほほ笑んだ。