借り物の屋敷を出て、ひまりに道案内をしてもらう。外に出るとき、周りを警護しているはずの陰陽師がいないことに気づいたが、ひまりは軽くほほ笑んで、寝ているのでしょうとだけ言った。
「今日で桔梗さまの警護も終わりですから。気の緩みもあるのだと思いますよ」
違和感はあったものの、これで色々と言われても面倒くさいことになる。確認すべきか迷ったものの、これで陰陽師たちに見つかって、外に出られないのも消化不良だ。屋敷の外に出る頃には、すでに桔梗の腹も決まっていた。
ひまりが案内したのは、屋敷からほど近い神社だった。誰が管理しているというわけでもないようで、草がぼうぼうに生えている。秋の虫たちが大合唱を奏でていた。本当にこんなところに人がいるのだろうか。訝しむ桔梗だったが、ひまりは迷いなく進んでいく。桔梗はもうほとんどやけになりながら、ひまりの後を追った。
草がぼうぼうの境内のなかを半分ほど進んだ頃だろうか。ひまりがふいに足を止めた。ふと前を見ると、崩れかけた建物の前に、ひとりの男が座っていた。
「父さん、連れてきたよ」
ひまりの言葉に、男はふと顔をあげる。長い黒髪に、険しい眼光。目を引かれるのは、顔の半分を覆うようなひどい火傷の跡だった。まだらになった火傷の痕を隠すでもなく、父さんと呼ばれた男はじっと桔梗を見る。目と目が合った瞬間、桔梗の身体に悪寒のようなものが走った。
(……これは、霊力?)
弱弱しいが、霊力の波動を男から感じる。まるで、鬼が持っているような霊力の波動。まさかと思い男を見るも、その額に角があるわけではない。緋梅とおなじような、角を失った鬼なのか。そこまで考えてから、そんなはずはないとその選択肢を消す。もし、もっと前に角を失った鬼がいたのであれば、聞いたことがあるはずだ。
「あぁ、君が鬼の姫か」
しわがれた声で、男は言った。桔梗はこくりと頷いた。
ひまりは、父と話しが合うはずだと言っていたが、そんなはずはない。じっと静かにこちらを見る男の瞳が、気持ち悪くて仕方なかった。早く帰りたい、その一心でひまりに視線を向けるが、ひまりはそっと男の側に寄り沿っている。
「そうよ、父さん。桔梗さまって言うの。ずっと会いたかったでしょう?」
桔梗は眉をひそめた。ここ最近、ひまりはずっと、桔梗と一緒に寝泊まりしていたはずだ。いつ呼んでも、桔梗の側に忠実に仕えていた。男が桔梗のことを知る機会なんて、あるはずがない。
「君は、翡翠の角を持つんだね」
男の視線が、桔梗の角にうつる。
「なぜ、角のことを知っているの」
桔梗は思わずたずねた。
「あんたは、何者?」
「私は芦名と言う。ひまりの育ての親さ」
「そうじゃない。あんたの身体からは霊力を感じるわ。何かを隠しているんでしょ」
桔梗は芦名を睨んだ。芦名はくくく、と喉の奥で笑った。
「さすが、腐っても鬼の王族だね。感じるんだな、霊力を」
「な、なんで笑ってんのよ」
桔梗の声は、情けなくも震えていた。男の視線が絡みつくようで、動けない。いつの間にか、心臓が早鐘のように打っていた。
「悪いようにはしない。私たちに協力してくれないか?」
そう言いながら、男は立ち上がった。
「君は姉や妹に負けない力が欲しい。そうだろ?」
「……なぜそれを」
ひまりにも、誰にも話したことがない桔梗の本音だった。狼狽が表情に出たのか、男は楽しそうに笑った。
「私なら、力を与えることなど造作もない」
男の放つ霊力が膨れ上がった。人間ではあり得ない霊力の量。これは危険だ、と身体中が警告していた。
――逃げなければ。
頭のなかはそう思っているのに、身体が全く動かない。腰が抜けていた。そのまま、崩れ落ちる。
「君の角をそのままにしておくには勿体ない。もっといい方法で、君を強くしてあげよう」
「桔梗さま、よかったわね」
にっこりとほほ笑んだひまりが、桔梗の腕を掴んで立たせた。
「逃げようなんて、思わないことね。せっかく父さんが力を与えてくれるのよ」
ひまりが耳元で囁く。すでに桔梗の心は折れかけていた。
(私の力じゃあ、この男には勝てない)
誇りを重んじる鬼として、戦うべきだ。わかっているが、身体が動かない。敗北を前にして、桔梗の手足は動く気配がなかった。半ば引きずるようにして、ひまりに男の前へと連れていかれる。そこには、術式のようなものが描かれていた。円の中に入れられたと思いきや、男がぶつぶつと何かを唱えるとともに、その円が白い光を放つ。
「こ、これはっ……」
思わず声が漏れた。ひまりは無表情でこちらを見ている。円が光ったのと同時に、身体に重しを括り付けられたように、身体が重たくなる。膝をついた桔梗は、せめて残っている意志でひまりを睨みつけた。
「ひ、ひまりっ。全部嘘だったのね」
桔梗の言葉に、ひまりはこてんと首を傾げる。
「うそ? いえ、あなたと私はよく似ているから、選ばせてもらったのです」
「選んだ? なにに?」
ひまりを問いただしたその時、角に激痛が走った。
「ぐぁっ……!」
これまでにない痛みに、桔梗は自分の頭を抑えた。これで死ぬのだと、ようやく理解した。
母に認められないまま、人の国で、よくわからない男に利用されて。認めて欲しいとずっと思っていた。渇望したそれを手に入れようと努力してきたのに。こんな終わり方をするなんて――。意識が朦朧とする。
その時だった。
「桔梗姉さま!」
この声を知っている。わずかに残った気力でそちらを見る。そこに立っていたのは、紛れもなく緋梅だった。怒りと絶望に表情を歪ませて、緋梅が駆け寄ってくるのが見えた。緋梅の傍らにいたのは、陰陽師の男だった。
(もう、遅い……)
意識が飛ぶ。
(緋梅……あんたは)
あれだけ罵った自分のことを、最後まで姉と呼んでくれるのか。そう思ったきり、桔梗の意識は何かに塗りつぶされた。
「今日で桔梗さまの警護も終わりですから。気の緩みもあるのだと思いますよ」
違和感はあったものの、これで色々と言われても面倒くさいことになる。確認すべきか迷ったものの、これで陰陽師たちに見つかって、外に出られないのも消化不良だ。屋敷の外に出る頃には、すでに桔梗の腹も決まっていた。
ひまりが案内したのは、屋敷からほど近い神社だった。誰が管理しているというわけでもないようで、草がぼうぼうに生えている。秋の虫たちが大合唱を奏でていた。本当にこんなところに人がいるのだろうか。訝しむ桔梗だったが、ひまりは迷いなく進んでいく。桔梗はもうほとんどやけになりながら、ひまりの後を追った。
草がぼうぼうの境内のなかを半分ほど進んだ頃だろうか。ひまりがふいに足を止めた。ふと前を見ると、崩れかけた建物の前に、ひとりの男が座っていた。
「父さん、連れてきたよ」
ひまりの言葉に、男はふと顔をあげる。長い黒髪に、険しい眼光。目を引かれるのは、顔の半分を覆うようなひどい火傷の跡だった。まだらになった火傷の痕を隠すでもなく、父さんと呼ばれた男はじっと桔梗を見る。目と目が合った瞬間、桔梗の身体に悪寒のようなものが走った。
(……これは、霊力?)
弱弱しいが、霊力の波動を男から感じる。まるで、鬼が持っているような霊力の波動。まさかと思い男を見るも、その額に角があるわけではない。緋梅とおなじような、角を失った鬼なのか。そこまで考えてから、そんなはずはないとその選択肢を消す。もし、もっと前に角を失った鬼がいたのであれば、聞いたことがあるはずだ。
「あぁ、君が鬼の姫か」
しわがれた声で、男は言った。桔梗はこくりと頷いた。
ひまりは、父と話しが合うはずだと言っていたが、そんなはずはない。じっと静かにこちらを見る男の瞳が、気持ち悪くて仕方なかった。早く帰りたい、その一心でひまりに視線を向けるが、ひまりはそっと男の側に寄り沿っている。
「そうよ、父さん。桔梗さまって言うの。ずっと会いたかったでしょう?」
桔梗は眉をひそめた。ここ最近、ひまりはずっと、桔梗と一緒に寝泊まりしていたはずだ。いつ呼んでも、桔梗の側に忠実に仕えていた。男が桔梗のことを知る機会なんて、あるはずがない。
「君は、翡翠の角を持つんだね」
男の視線が、桔梗の角にうつる。
「なぜ、角のことを知っているの」
桔梗は思わずたずねた。
「あんたは、何者?」
「私は芦名と言う。ひまりの育ての親さ」
「そうじゃない。あんたの身体からは霊力を感じるわ。何かを隠しているんでしょ」
桔梗は芦名を睨んだ。芦名はくくく、と喉の奥で笑った。
「さすが、腐っても鬼の王族だね。感じるんだな、霊力を」
「な、なんで笑ってんのよ」
桔梗の声は、情けなくも震えていた。男の視線が絡みつくようで、動けない。いつの間にか、心臓が早鐘のように打っていた。
「悪いようにはしない。私たちに協力してくれないか?」
そう言いながら、男は立ち上がった。
「君は姉や妹に負けない力が欲しい。そうだろ?」
「……なぜそれを」
ひまりにも、誰にも話したことがない桔梗の本音だった。狼狽が表情に出たのか、男は楽しそうに笑った。
「私なら、力を与えることなど造作もない」
男の放つ霊力が膨れ上がった。人間ではあり得ない霊力の量。これは危険だ、と身体中が警告していた。
――逃げなければ。
頭のなかはそう思っているのに、身体が全く動かない。腰が抜けていた。そのまま、崩れ落ちる。
「君の角をそのままにしておくには勿体ない。もっといい方法で、君を強くしてあげよう」
「桔梗さま、よかったわね」
にっこりとほほ笑んだひまりが、桔梗の腕を掴んで立たせた。
「逃げようなんて、思わないことね。せっかく父さんが力を与えてくれるのよ」
ひまりが耳元で囁く。すでに桔梗の心は折れかけていた。
(私の力じゃあ、この男には勝てない)
誇りを重んじる鬼として、戦うべきだ。わかっているが、身体が動かない。敗北を前にして、桔梗の手足は動く気配がなかった。半ば引きずるようにして、ひまりに男の前へと連れていかれる。そこには、術式のようなものが描かれていた。円の中に入れられたと思いきや、男がぶつぶつと何かを唱えるとともに、その円が白い光を放つ。
「こ、これはっ……」
思わず声が漏れた。ひまりは無表情でこちらを見ている。円が光ったのと同時に、身体に重しを括り付けられたように、身体が重たくなる。膝をついた桔梗は、せめて残っている意志でひまりを睨みつけた。
「ひ、ひまりっ。全部嘘だったのね」
桔梗の言葉に、ひまりはこてんと首を傾げる。
「うそ? いえ、あなたと私はよく似ているから、選ばせてもらったのです」
「選んだ? なにに?」
ひまりを問いただしたその時、角に激痛が走った。
「ぐぁっ……!」
これまでにない痛みに、桔梗は自分の頭を抑えた。これで死ぬのだと、ようやく理解した。
母に認められないまま、人の国で、よくわからない男に利用されて。認めて欲しいとずっと思っていた。渇望したそれを手に入れようと努力してきたのに。こんな終わり方をするなんて――。意識が朦朧とする。
その時だった。
「桔梗姉さま!」
この声を知っている。わずかに残った気力でそちらを見る。そこに立っていたのは、紛れもなく緋梅だった。怒りと絶望に表情を歪ませて、緋梅が駆け寄ってくるのが見えた。緋梅の傍らにいたのは、陰陽師の男だった。
(もう、遅い……)
意識が飛ぶ。
(緋梅……あんたは)
あれだけ罵った自分のことを、最後まで姉と呼んでくれるのか。そう思ったきり、桔梗の意識は何かに塗りつぶされた。
