鬼姫の失せもの探し

 ――孤独、というものが、桔梗は心底嫌いだった。
 誰も桔梗を見ていない。桔梗などいてもいなくても変わらない。自分のちっぽけさを感じてしまう、ひとりの時間が、桔梗は嫌いだった。
 その自分が単身で人の国に送り込まれることになるとは、桔梗自身も思ってもみなかった。母からこの話を聞かされたとき、行くしかないと思った。ここで自分を見せつけなければ、一生このままだと、自分を追い込んだ。
 優秀な姉後に産まれた桔梗には、これと言った特技がなかった。姉のように角術に優れているわけでも、緋梅のように、金の角を持つわけでもなかった。何をやらせてもつつがなくやれる。それ故に、どこか突出したものがない――それが桔梗だった。
 最初はそれでもよかった。父が生きている頃は、それでも楽しかった。金の角を持つ父は、幼かった桔梗から見ても完璧だった。どんな術でも使えて、体術にも優れる。ひとりで一小隊以上の働きを見せる。桔梗にとって、父は憧れそのものだった。桔梗だけでなく、家族全員がそう思っていたことだろう。
 偉大な父の背中を追いかけていけば、きっといつか少しでも父に近づけると思っていた。その父が死に、そして緋梅が角を失った。何があったのだと、周りは緋梅を問いただしたが、緋梅は口を真横に結んで、何も答えようとはしなかった。緋梅の身に何があったのか、誰も問えぬまま十年の月日が経つ。緋梅は金の角を持つ鬼だった。もし、角を失いさえしなければ、次代の女王として担ぎあげられていたことだろう。
 幸か不幸か、緋梅の角は戻らないまま。母は後継者を誰にするべきかで悩んでいた。正直な話、桔梗は自分が選ばれることはないと思っている。鬼を束ねる器も、力もない。それは自分でもわかっている。
 だからこそ、虚しくてたまらなかった。どう頑張ったとしても、母は自分を見てくれない。最初から桔梗は計算外。期待すらされていない。もしかしたら、桔梗より緋梅のほうが期待されているのかもしれない。もし万が一、角が元通りになれば――。そんな淡い期待があったからこそ、緋梅は屋敷で大事に育てられていた。
 それが気にくわなかった。角がある桔梗よりも劣る緋梅が、期待されている。その事実を信じたくなくて、随分緋梅には強く当たってきた。それが悪いことだとは思わない。今の時点で、緋梅は桔梗より下。その事実は変わらない。
 そんな桔梗に今回回ってきたのが、人の国との親善という役だった。本当は行きたくない。今でも桔梗は、鬼は人と戦って平和を勝ち取るべきだと思っている。だが、母の興味を引くには――これまでにない桔梗を見せる他ない。
 帝との対話はうまくいったはずだ。どこにも綻びはなかった。このまま、しばし人の国に滞在して、帰るだけ。そうすればきっと、母は認めてくれるはずだ。これまでになかった桔梗を見せられるはずだ。そう自分自身を鼓舞してみても、桔梗の胸に湧き上がってくるのは虚しさだけだった。
「……そこの人、飲み物が欲しいのだけど」
 人の国にいるあいだ、桔梗に与えられたのは大きな邸宅だった。がらんとした邸宅は、今は使われていない貴族の別荘らしい。ここに住んでいるのは桔梗だけで、監視役である陰陽師たちが桔梗の簡単な世話もおこなっていた。
「はいっ、かしこまりました!」
 桔梗の命令に、陰陽師は声を震わせていなくなる。人は弱いと聞いていたが、予想以上。鬼である緋梅を見て、驚かないほうが少ない。少なくとも、人の国にいる以上は人を傷つける気はない。それくらい考えればわかりそうなものだと言うのに、陰陽師たちは桔梗を遠巻きに見ていた。おそらく、桔梗の力を封じるためだろう結界が張り巡らされているのも気にくわない。
「はやく帰りたい……」
 周囲に誰もいなくなったのを確認してから、桔梗はつぶやいた。あとほんの数日がとてつもなく長く感じる。この屋敷で、話し相手もなくひとりで過ごしているだけで、気が狂いそうだった。
「桔梗さま、でしたよね? お茶をお持ちしました」
 そのとき、桔梗の背後から声がした。初めて名を呼ばれた。はっとして後ろを振り返ると、女がいた。たれ目がちな瞳に、穏やかな雰囲気をまとった女だった。この屋敷に、こんな女はいただろうか。桔梗は首をかしげる。身の周りを世話するのは、陰陽師だけだったはずだ。
「これまで大変不便をおかけしました。私、帝より桔梗さまのお世話を申し付けられました、ひまりと申します」
 そう言って、ひまりは手を床につき、深々と頭を下げた。
「これから、桔梗さまのお世話をさせていただきます」
「そう。じゃあ、話し相手になってくれる? 退屈なの」
 桔梗の言葉に、ひまりは驚いた表情をした。話しかけるな、とでも言われると思ったのだろうか。普通の桔梗であればそう言っただろうが、もはやそれ以上に退屈にやられていた。この孤独を埋めてくれるなら、誰でもいい。
「では、何の話をいたしましょう」
 ひまりの問いに、桔梗は考えた。
「あなたの身の上を教えて」
 ふいに口から出た言葉。見た目は桔梗と同じぐらいだろう。この女がどうやって生きてきたのか。聞いてみたくなった。
「……桔梗さまにお話ししても、あまり面白くないかもしれません」
 表情を曇らせて、ひまりは言った。
「いいわ。どうせ暇だもの。聞かせてちょうだい」
 そこまで興味がなかった、と言えば失礼だろうか。話の面白さを求めているわけではない。目の前にいるひまりという人物がどうやって形成されたのか。ここに至るまでの物語をただ知りたかった。
「わかりました。何と言えばいいでしょうか。私はとても貧しい家で育ちました」
 こまったように、ひまりは言った。
「私は五人きょうだいの末っ子に生まれました。家は貧しいのに、父は仕事もせず飲んだくれてばかり。母が何とか小銭を稼いで生きていたような状況でした。当然、ご飯も満足に食べさせてもらえなかった。食べ物を盗んだり、ごみの中から何とか食べられるものを探したり。それでもお腹はすきますからね。幼い私は、いつもお腹を空かせて泣いていました。泣いても食べ物は出ないってわかってるんですが、それでも泣くしか私は知らなかった。それで、うるさいって母にぶん殴られるんです。あの時はわからなかったけど、母ももう限界だったんでしょう。……幼い頃の記憶は、ただただひもじかったことと、とにかく母が怖かったこと。父の記憶はあまりありません。毎日苦しかった。だから、ずっと願っていたんです。この世界なんて、滅んでしまえばいいって」
 ひまりは淡々と告げる。
「その願いが叶ってしまったのが、あの大火でした。あたりは真っ赤に燃えていて、あぁこれでよかったんだ。私の願いは聞き入れてくれたんだ、って私は喜びました。その様子を見ていた母は、私は気が狂ったと判断して、私を捨てて逃げました。それでよかった、と思います。……そのおかげで、私は今の育ての親と出会えたのですから」
 そう言って、ひまりは目を伏せた。
「大火のあと、私は育ての親と暮らすことになりました。順風満帆とはいかなかったけれど、育ての親は私のことを心から理解してくれます。だから私も、育ての親のためならなんだってしたいと思ってます」
 はにかむような笑みを浮かべて、ひまりは言った。
「すみません。何にも楽しくない話をしちゃって」
「いや、興味深かったわ」
 桔梗はそれだけ言うので、精一杯だった。桔梗と重なるところもあれば、重ならないところもある。今目の前に座っているひまりという人間を知っただけで、少し虚しさが和らいだ気がした。
 桔梗はそれから、ひまりを側において色々な話をした。人のこと、鬼のこと。ひまりが話すこともあれば、桔梗が話すこともあった。鬼の国で桔梗が背負っていたしがらみを捨てた関係は、心地よささえ覚えるようになった。
「明日、桔梗さまは帰ってしまわれるのですよね?」
 神妙な面持ちでひまりが言ったのは、桔梗が鬼の国へと帰る前日の夜。明日からは鬼の国へ戻るのだと思うと、なんだか憂鬱な気がしていた。帰りたい、と思っていたはずなのに気が進まない。この国へ来たばかりの頃は、早く帰りたいとばかり思っていたはずなのに。
「そうね。長かったような、短かかったような、そんな感じよ」
 桔梗は手持ち無沙汰に、扇をぱちりと鳴らした。
「鬼の国へと帰る前に、私の育て親と会ってくれませんか?」
「え……」
 ひまりの申し出に、桔梗は思わず声を漏らした。
「いきなりこんなことを言って、すみません。でも、こんな機会はもうないと思ったんです。桔梗さまが、どこか私に似ているような気がして。きっと私の父も桔梗さまのことを気に入るはずです」
 正直なところ、ひまりの育ての親に興味はさほどわかなかった。この奇妙な縁も、明日になれば終わりを告げる。今さら馴れあったところで意味はない。頭ではわかっているのに、寂しそうなひまりの顔を見ては、首を横に振ることはできなかった。
「わかったわ。ちょっとだけよ」
「ありがとうございます!」
 ひまりの表情がぱあっと明るくなる。
「で、あんたの父親ってのはどこに行けば会えるの?」
「父は足を悪くしてまして。申し訳ないのですが、ご足労いただけますか」
 面倒くさい、と声に出そうになったが、ぐっと耐えた。もう行くと言ってしまったのだ。ここは面倒くさくても、行くしかない。これですべて終わりなのだ、と桔梗は心に言い聞かせた。