鬼姫の失せもの探し

 部屋のなかに入ってきた撫子は、中央へと足を進め、静かに座った。紫苑、桔梗、緋梅を見渡して、覚悟を決めたように小さく息を吐く。そして、顔をあげた。
「今宵は、大事な話をしに来ました」
 場の空気がさらに引き締まる。
「民に告げる前に、まずはあなたたちに伝えねばならぬと思い、この場を設けました。どうか聞いてくれますか」
 撫子の言葉に、緋梅は小さくうなずいた。
「私は、人間との和平を考えています」
「なっ……!」
 隣にいた桔梗が声をあげた。
「混乱するのももっともです」
 撫子はわかっているとでも言いたげに、重々しくうなずく。
「母上。人間と和平など、考えられません。私たちはずっと戦ってきたのです。今ここで和平の道を取ることは、亡くなった者たちの誇りを踏みにじる行為です」
「そうです。父様がなぜ戦ったのか、お忘れですか」
 紫苑と桔梗が次々に口を開いた。ふたりの瞳には、混乱の色が浮かんでいた。緋梅もまた、なぜ今さらになって母が意見を変えたのか、わからなかった。
 二人の反対に、撫子は大きく息をついた。
「玄晶さまは、あなたたちを守り抜き、立派に戦って命を落とされました。和平を結んだとしても、その事実に代わりはありません。ただ、思ったのです。戦いだけを繰り返しても、何も前には進まないと」
 そう言った撫子の瞳には、たしかに光が灯っていた。その姿が、たくましく誇らしかった父の姿と重なる。
「ですが母上。鬼がこの地をすべて占領すれば、戦いは終わります」
 桔梗の言葉に、撫子は静かに首を横に振った。
「いいえ。戦いは終わりません。あらたな憎しみを生むだけです。鬼と人、ふたつの種族がある限り、戦いが終わることはないでしょう。これまでの歴史こそが、物語っているではありませんか」
「ですが、すべての人間を殺しつくせば……!」
「無理です。人間たちの術をあなたは知っているはずです。人間を殺すために、どれほど私たちは犠牲を払わねばならないか」
 桔梗は口をつぐんだ。
 近年、陰陽師と言われる術を使う者たちが人の間で力を付けていた。
 鬼が霊力を操り、角術と呼ばれる力を発揮するように、人間もまた霊力を操る術を身に付けた。陰陽道と呼ばれるその術を使う人間の部隊が編成され、先の戦では猛威を振るった。撫子が言うとおり、人間を殺し尽くすまでに、鬼が払わねばならない犠牲は大きい。
「玄晶様が亡くなってから、私はずっと考えてきました。何が鬼のためになるのか。何があなたたちのためになるのか。私が考えてきた答えが、今回の和平です」
 撫子は有無を言わせぬ口調で言った。
「和平の証として、鬼と人との間で、婚姻関係を結ぶことにしました。あなたたちのいずれかを人と結婚させます」
「……結婚?」
 茫然と桔梗がつぶやく。
「何をおっしゃっているのですか、母様。人間などと結婚するはずがありません。私たちは誇り高き鬼の一族なのですよ!?」
「誇り高き鬼の一族、だからです。上に立つものが示さねば、民は付いてきません」
 紫苑の詰問に、きっぱりと撫子は答えた。覚悟の強さに触れて、緋梅は息をのむ。
(母上は、本気だ……)
 永遠に続くと思われた戦を、終わらせようとしている。鬼にとっての勝利とは、人の都を武力で制圧し、長の首を刎ねることに他ならない。誇りを重んじる鬼にとって、和平は敗北と同義だった。大きな反発が起こるであろうことは、想像に難くない。それでもやり切るという強い意志。
 父が死んでから、母は滅多に顔を見せなかった。父が死んでから、悲しみに伏せっていたところもあるのでは、と緋梅は思い込んでいた。
(違った。母上は、ずっと刃を研いでいたのだ。母上にしかできない方法で、戦おうとしている)
 再び沈黙が訪れた。紫苑も桔梗も、いきなりのことに気持ちが追いつかないようだった。何かを言おうとしては、口をつぐむ。それを繰り返している。
 誰が選ばれるのか。選ばれた者は、必然的に後継者から外れることになる。これまでずっと、母から認められるために努力してきた。もし、人と結婚しなければならないのなら、その努力は水の泡になってしまう。
(行きたく……ない。あたしは、ここで母上に認めてもらうのよ)
 緋梅は唇を噛んだ。沈黙する姉妹を眺めて、撫子は口を開いた。
「誰を結婚させるか、本当に悩みました。誰を選べば、鬼と人どちらの幸福につながるか。そして、誰を手放すか。私にとって、辛い決断でもありました」
 撫子の表情が悲しげに歪んだ。それでも、撫子はきっぱりと告げる。
「緋梅、あなたにこの役目を任せることにしました」
 雷に打たれたような衝撃が緋梅を襲った。
(あたしが、人の国に……?)
 母の言葉に答えようと口を開くも、言葉が出てこなかった。
「あなたの夫となる人は、名を東雲壮真と言います。私たち鬼を苦しめた陰陽師の頭です。私の知る限り――人間でもっとも強い男」
 何も考えたくない。いきなり頭の中にもやがかかったようだった。どうして自分が呼ばれたのか。うっすらと理解しながらも、理解を拒もうとする自分もいた。
 ここで、後継者になりたかった。母に認められたかったのだ。人の国に行ったら、一生後継者になることはできない。母に認められる日は来ない。
「緋梅、すぐに出立の準備を進めなさい。もちろん、民たちに婚姻のことは伝えなければなりませんが、国のなかで混乱が生じる前に行かせるつもりです」
「……はい」
 緋梅はかろうじて短く答えた。もう話は終わりとでも言うように、撫子は立ち上がった。
「緋梅、あなたの活躍を期待しています」
 緋梅を真っ直ぐに見て、撫子は力強く言った。そして、そのまま部屋を出ていく。礼をして見送る視線の先で、撫子の着物が揺れ、やがて消えていった。母の後を追って、紫苑も無言で出ていく。
「母上に捨てられたのね、緋梅。かわいそうに」
 声をかけたのは、桔梗だった。
「角がないんじゃあ、鬼の国にいても仕方ないわよね」
 いつもは気にならない姉の嘲りが、傷になって胸をえぐる。緋梅は顔を上げることができなかった。悔しさなのか、それとも敗北感なのか。自分でも名のつけられぬ感情が渦を巻いていた。
「せいぜい、人の国でも旦那に捨てられないよう、気を付けなさいよ」
 ふふふ、と笑いながら桔梗の足音が遠ざかっていった。何も聞こえなくなってからも、緋梅はひとり残されたまま、じっと母の言葉を反芻していた。