屋敷へ帰った緋梅は、慌てて準備をして牛車に飛び乗った。
――桔梗が人の国に着いた。
これから、桔梗と帝との親善がおこなわれる。緋梅もまた、その場に呼ばれていたのだった。牛車のなかでは、すでに身支度を整えた壮真が静かに腰を下ろしていた。その姿は落ち着いているようでいて、どこか思案に沈んでいる気配を漂わせている。
「壮真、こっちは良い情報があったわ」
牛車に揺られるなか、緋梅は壮真に得られた情報を伝えた。聞き終えた壮真の顔からは、見る間に血の気が引いていった。強く握られた拳は、動揺を隠しきれていない。
「その、ひまりという人物と会ったのか?」
「……えぇ。あたしに協力して欲しいとか、何とか言ってたわ」
あの時、世界を壊したい、という言葉とは裏腹に、ひまりは穏やかにほほ笑んでいた。大火を経て、きっとひまりは親代わりの人間――先生と呼ばれる人と出会った。
「ひまりの主人、先生と呼ばれる人は、おそらく私の知り合いだ」
淡々と壮真は言った。
「父の親友だった。優秀な陰陽師だったはずだ」
壮真の言葉には、後悔が滲んでいる。
「ひまりの言葉を信じるなら、先生と呼ばれる男は、この世界を憎んでいた。この世界を壊そうとして、大火を起こした。あたしは、その先生って人の気持ちが、わからなくはない」
緋梅はぽつりと言った。
「角をなくした直後、ちょっと自暴自棄になってた時もあったんだ。それから、角がなくたって強くなるんだって自分を奮い立たせてからは、早かったけど」
「――緋梅、その角のことだが」
神妙な顔つきで壮真が言ったとき、がたん、と大きく車体が揺れ、牛車はぴたりと止まった。外からは兵の掛け声や靴音が聞こえ、宮中へと到着したことを告げていた。
宮中についたのだ。そこで話は一度終わりとなり、緋梅たちは急いで親善の場へと向かう。
そこには、すでに幾人かの男たちが座って待っていた。壮真と緋梅の姿を見て、固い表情をする。緋梅の角を見て何かを言っているようにも感じるが、聞かないふりをした。
やがてぽつぽつと人が集まっていき、ざわめきが広間を満たしていった。緋梅と壮真の姿を認めると、好奇と警戒が入り混じった視線が、幾筋も突き刺さる。
そして、桔梗たちの訪れを告げる銅鑼が鳴った。やってきた桔梗は、しずしずと中央に進み出る。側近はなく、たった一人きりだ。翡翠色をした角を見た人々のなかから、ざわざわと声があがった。
帝が座る御帳台の前に、桔梗がすっと背筋を伸ばして座る。それと同時に、御簾の向こうで帝の衣擦れの音がした。ぼんやりと御簾越しに、帝の陰だけが見える。
「よくぞ遠いところからいらっしゃいました。鬼の姫」
「お招き、感謝いたします」
歌うような口調で、桔梗は言った。
「我が国の女王は、人と鬼との友好関係を望んでいます。今日は少しの時間ですが、人のことを学んで帰ることができればと思います」
「我らはこれまで、あまりにお互いのことを知らなかった。これからはどうぞ仲良くしていきたいものだ」
桔梗と帝の会話は淀みなく進む。桔梗は始終、穏やかに返答をし、それを帝もまた楽しそうに聞いていた。人を嫌っているような様子は、まったく見せない。完璧な受け答えだと言ってよかった。
一触即発かと思われた対話は、そうして和やかに終えた。
桔梗は静かに立ち上がり、裾を引きながら退出していった。その一瞬、冷ややかに細められた瞳には、いつものように嘲りの色が潜んでいた。
「壮真、ひとつ頼みがある」
緋梅は壮真にしか聞こえないぐらいの声で囁いた。
「桔梗姉さまに、式神を付けてくれない?」
壮真は緋梅をじっと見つめ、そして頷いた。懐から式神を取り出し、ふっと息を吹きかける。式神がひらひらと舞い、桔梗の着物の裾に張り付いた。姉はそれに気づかずに退出していった。
「ありがとう。何も聞かないでいてくれるのね」
緋梅は壮真に礼を言う。
「何か考えがあってのことだろう?」
「えぇ。桔梗姉さまの身になにかが起きないか、心配なの」
壮真の計らいで、滞在中は陰陽師たちが護衛につくことになっている。桔梗が暴れる心配はないはずだが、それだけでなくひまりや、先生と呼ばれる男の襲撃も気にかかる。ひまりは、緋梅にも近づいたのだ。もしかしたら、桔梗にも近づくかもしれない。
「――お話し中失礼いたします。東雲殿、陛下がお呼びです」
声をかけてきたのは、帝の使用人だった。緋梅は快く壮真を見送った。
* * *
「壮真、頼まれていたものが手に入ったぞ」
帝に呼ばれていった先で、壮真は帝から鍵を手渡された。古びた小さな鍵が、手のなかに収まる。
「芦名家について聞けないか、お前から頼まれていただろ?」
そう言って、帝はどかりと腰を下ろした。
「お前が言っていた芦名頼光――あの男は、実は芦名家に養子として迎えられたそうだ」
壮真は驚きのあまり、ぽかんと口を開いた。
父と肩を並べるような、優秀な陰陽師。芦名家は、東雲家ほどではないが、優秀な陰陽師を輩出している。てっきり、芦名家だから強いのだとばかり、思い込んでいた。
「芦名の口を割らせるのは大変だったぞ。芦名家は東雲家を意識していたようだ。東雲家のように陰陽頭を務めたいとも思っていたそうだ。だが、なかなか東雲家を越える優秀な陰陽師の才能は生まれない。焦った当時の当主が、才能のある子を拾って養子にした。それが、芦名頼光という男らしい」
「……芦名さんは、養子だったのですね」
壮真の言葉に、帝は小さくうなずいた。
「あぁ。優秀な陰陽師だったそうだな。最後まで、お前の父と陰陽頭の地位を争っていたそうだ。だが結局、由緒ある東雲家に軍配があがった。それで、お前の父が陰陽頭になったそうだ」
「そうだったのですか……私は陰陽頭なのに、なにも知らなかった」
壮真は悔しさに唇を噛んだ。
「芦名側もひた隠しにしていたらしいからな。仕方なかっただろう」
帝はあっけらかんと言う。
「それでな、その鍵だが――芦名頼光が研究していた術について、芦名家が巻物を保管していたそうだ」
はっとして、壮真は顔をあげた。芦名についての情報なら、喉から手が出るほど欲しかった。
「我の特権で、お前に鍵を託す。なにか見つかるかもしれないのだろ?」
「さすが陛下は、私のことは何でもお見通しですね」
壮真の言葉に、帝はにやりと唇の端に笑みを作った。
「もちろんだ。お前は我のかわいい従兄弟だからな」
帝に礼を言って、壮真は芦名が術について保管していたという蔵へと急いだ。蔵のなかには大量の巻物が残されており、そのどれもが難解な術式について記載されていた。いまの壮真では、解読するのに時間がかかる。
だが、それが芦名の真実に――そして父の真実につながると信じて、壮真は巻物を読み続けた。
――桔梗が人の国に着いた。
これから、桔梗と帝との親善がおこなわれる。緋梅もまた、その場に呼ばれていたのだった。牛車のなかでは、すでに身支度を整えた壮真が静かに腰を下ろしていた。その姿は落ち着いているようでいて、どこか思案に沈んでいる気配を漂わせている。
「壮真、こっちは良い情報があったわ」
牛車に揺られるなか、緋梅は壮真に得られた情報を伝えた。聞き終えた壮真の顔からは、見る間に血の気が引いていった。強く握られた拳は、動揺を隠しきれていない。
「その、ひまりという人物と会ったのか?」
「……えぇ。あたしに協力して欲しいとか、何とか言ってたわ」
あの時、世界を壊したい、という言葉とは裏腹に、ひまりは穏やかにほほ笑んでいた。大火を経て、きっとひまりは親代わりの人間――先生と呼ばれる人と出会った。
「ひまりの主人、先生と呼ばれる人は、おそらく私の知り合いだ」
淡々と壮真は言った。
「父の親友だった。優秀な陰陽師だったはずだ」
壮真の言葉には、後悔が滲んでいる。
「ひまりの言葉を信じるなら、先生と呼ばれる男は、この世界を憎んでいた。この世界を壊そうとして、大火を起こした。あたしは、その先生って人の気持ちが、わからなくはない」
緋梅はぽつりと言った。
「角をなくした直後、ちょっと自暴自棄になってた時もあったんだ。それから、角がなくたって強くなるんだって自分を奮い立たせてからは、早かったけど」
「――緋梅、その角のことだが」
神妙な顔つきで壮真が言ったとき、がたん、と大きく車体が揺れ、牛車はぴたりと止まった。外からは兵の掛け声や靴音が聞こえ、宮中へと到着したことを告げていた。
宮中についたのだ。そこで話は一度終わりとなり、緋梅たちは急いで親善の場へと向かう。
そこには、すでに幾人かの男たちが座って待っていた。壮真と緋梅の姿を見て、固い表情をする。緋梅の角を見て何かを言っているようにも感じるが、聞かないふりをした。
やがてぽつぽつと人が集まっていき、ざわめきが広間を満たしていった。緋梅と壮真の姿を認めると、好奇と警戒が入り混じった視線が、幾筋も突き刺さる。
そして、桔梗たちの訪れを告げる銅鑼が鳴った。やってきた桔梗は、しずしずと中央に進み出る。側近はなく、たった一人きりだ。翡翠色をした角を見た人々のなかから、ざわざわと声があがった。
帝が座る御帳台の前に、桔梗がすっと背筋を伸ばして座る。それと同時に、御簾の向こうで帝の衣擦れの音がした。ぼんやりと御簾越しに、帝の陰だけが見える。
「よくぞ遠いところからいらっしゃいました。鬼の姫」
「お招き、感謝いたします」
歌うような口調で、桔梗は言った。
「我が国の女王は、人と鬼との友好関係を望んでいます。今日は少しの時間ですが、人のことを学んで帰ることができればと思います」
「我らはこれまで、あまりにお互いのことを知らなかった。これからはどうぞ仲良くしていきたいものだ」
桔梗と帝の会話は淀みなく進む。桔梗は始終、穏やかに返答をし、それを帝もまた楽しそうに聞いていた。人を嫌っているような様子は、まったく見せない。完璧な受け答えだと言ってよかった。
一触即発かと思われた対話は、そうして和やかに終えた。
桔梗は静かに立ち上がり、裾を引きながら退出していった。その一瞬、冷ややかに細められた瞳には、いつものように嘲りの色が潜んでいた。
「壮真、ひとつ頼みがある」
緋梅は壮真にしか聞こえないぐらいの声で囁いた。
「桔梗姉さまに、式神を付けてくれない?」
壮真は緋梅をじっと見つめ、そして頷いた。懐から式神を取り出し、ふっと息を吹きかける。式神がひらひらと舞い、桔梗の着物の裾に張り付いた。姉はそれに気づかずに退出していった。
「ありがとう。何も聞かないでいてくれるのね」
緋梅は壮真に礼を言う。
「何か考えがあってのことだろう?」
「えぇ。桔梗姉さまの身になにかが起きないか、心配なの」
壮真の計らいで、滞在中は陰陽師たちが護衛につくことになっている。桔梗が暴れる心配はないはずだが、それだけでなくひまりや、先生と呼ばれる男の襲撃も気にかかる。ひまりは、緋梅にも近づいたのだ。もしかしたら、桔梗にも近づくかもしれない。
「――お話し中失礼いたします。東雲殿、陛下がお呼びです」
声をかけてきたのは、帝の使用人だった。緋梅は快く壮真を見送った。
* * *
「壮真、頼まれていたものが手に入ったぞ」
帝に呼ばれていった先で、壮真は帝から鍵を手渡された。古びた小さな鍵が、手のなかに収まる。
「芦名家について聞けないか、お前から頼まれていただろ?」
そう言って、帝はどかりと腰を下ろした。
「お前が言っていた芦名頼光――あの男は、実は芦名家に養子として迎えられたそうだ」
壮真は驚きのあまり、ぽかんと口を開いた。
父と肩を並べるような、優秀な陰陽師。芦名家は、東雲家ほどではないが、優秀な陰陽師を輩出している。てっきり、芦名家だから強いのだとばかり、思い込んでいた。
「芦名の口を割らせるのは大変だったぞ。芦名家は東雲家を意識していたようだ。東雲家のように陰陽頭を務めたいとも思っていたそうだ。だが、なかなか東雲家を越える優秀な陰陽師の才能は生まれない。焦った当時の当主が、才能のある子を拾って養子にした。それが、芦名頼光という男らしい」
「……芦名さんは、養子だったのですね」
壮真の言葉に、帝は小さくうなずいた。
「あぁ。優秀な陰陽師だったそうだな。最後まで、お前の父と陰陽頭の地位を争っていたそうだ。だが結局、由緒ある東雲家に軍配があがった。それで、お前の父が陰陽頭になったそうだ」
「そうだったのですか……私は陰陽頭なのに、なにも知らなかった」
壮真は悔しさに唇を噛んだ。
「芦名側もひた隠しにしていたらしいからな。仕方なかっただろう」
帝はあっけらかんと言う。
「それでな、その鍵だが――芦名頼光が研究していた術について、芦名家が巻物を保管していたそうだ」
はっとして、壮真は顔をあげた。芦名についての情報なら、喉から手が出るほど欲しかった。
「我の特権で、お前に鍵を託す。なにか見つかるかもしれないのだろ?」
「さすが陛下は、私のことは何でもお見通しですね」
壮真の言葉に、帝はにやりと唇の端に笑みを作った。
「もちろんだ。お前は我のかわいい従兄弟だからな」
帝に礼を言って、壮真は芦名が術について保管していたという蔵へと急いだ。蔵のなかには大量の巻物が残されており、そのどれもが難解な術式について記載されていた。いまの壮真では、解読するのに時間がかかる。
だが、それが芦名の真実に――そして父の真実につながると信じて、壮真は巻物を読み続けた。
