「そろそろつくぞ」
壮真の言葉に、緋梅は牛車にかかる簾をめくって外を見る。大きな木造の城門が行く手に見える。
「東雲さま、お待ちしておりました」
城門の左右には兵士が立ち、緋梅たちを待っていた。兵士の一人が壮真に気づき、深々と礼をした。壮真がそれに答える。
「ここからは歩いていかねばならない。帝のおわす場所だからな」
壮真に促されるとおりに、緋梅は牛車を降りた。砂利道をざくざくと歩きながら、緋梅は眼前に広がっている宮廷を見つめた。白砂が一面に敷かれた広大な空間に、威容を誇る建物が鎮座していた。霊力がある者はいないはずなのに、そこから何とも言えない圧を感じる。緋梅はごくりと唾をのんだ。あそこに、人の国の頂点に立つ男がいるのだ。
「大丈夫だ、緋梅。私がいる」
普段どおりに振る舞っていたつもりだが、壮真には緋梅の心の動揺がわかったらしい。力強い声で励まされる。
(あたし、なんでこんなに戸惑ってるんだろう)
緋梅は心のうちでつぶやいた。牛車のなかで壮真が言った言葉が、心のどこかに刺さっている。
――自分は、鬼なのか人なのか。
もし、両者で戦いが起きたときに、緋梅はどちらに味方するのか。まだ、緋梅のなかで答えは出ていない。その答えを見つけるためのきっかけが、今日見つかるかもしれない。
建物のなかに入ると、使用人らしき女性たちが緋梅たちを迎えた。女性たちは緋梅を見ても顔色をひとつも変えずに、陛下が待っているという場所へと先導する。しばらく歩いて、やってきたのは庭が見える場所だった。庭園が広がる場所にすでに座っている人影が見える。
「陛下、こんなところで」
慌てたのは、壮真だった。壮真の声に、帝が振り向いた。
がっしりとした体躯に、精悍な顔つき。帝というより、武人というほうが近く見えた。歳の頃は、壮真より少し年上だろうか。すこし巻いた髪の毛がくるくると額に落ちている。
「おう、壮真。久しぶりにゆっくり話せるな」
「あまり私と話し過ぎてもいけませんと、以前に申し上げたではないですか。先日頼んだ件、進んでいるのですか?」
「わかったわかった。芦名の件に関してはこちらも調べさせてる。せっかく久しぶりにしゃべるのだから、難しい話はなしだ。奥方も、そう思うだろ?」
いきなり話を振られ、緋梅はあっけにとられる。
「陛下、どうか緋梅をいじめないでください」
「まぁまぁ、いいじゃないか。ふたりとも、近くにこい」
帝は壮真の小言を気にも留めず、ばんばんと自分の隣を叩いた。ここに来い、ということなのだろう。ちらりと壮真を見ると、壮真は呆れた表情で隣に座った。緋梅もおとなしく壮真の隣に座ることにする。
「壮真から聞いた。十年前、この都を襲った大火。あれは鬼がおこなったのではないと、そなたはそう言うのだな?」
「はい。鬼は何より誇りを重んじます。罪なき人々を巻き込むことはいたしません」
「では、誰が?」
鋭く差しこまれた質問に、緋梅は何も言えずに黙り込んだ。
鬼がそんなことをするはずがない。そう確信している。だが、では人が自ら都を焼くだろうか。火の不始末なのか、それとも――今の緋梅には答えがでなかった。
「わかりません」
唇を噛んで、緋梅は正直に答えるしかなかった。ここで嘘をつくのは悪手だ。帝が面白そうに眉をあげて、こちらを見る。
「私は、鬼の名誉をどうしても晴らしたい。できることはおこなう所存です」
緋梅はまっすぐに帝を見つめて言った。
「心意気は伝わった」
帝は重々しく口を開いた。
「……だが、口でいくら誇りを語ろうと、それだけで我が鬼を信じると思うか?」
その言葉に、緋梅の胸がざわめいた。帝の挑発的な視線に怯むことなく睨み返す。
「陛下にとって、信じるとはいかなる状態を指すのですか?」
緋梅は思わずたずねていた。にやり、と帝の口元が笑みをつくる。
「どういった状態か、とね。何か含みがあるようだが」
「あくまで信じる、信じないというのは対等であってこそ成り立つものではありませんか」
緋梅の言葉に、すっと帝の笑みが消える。楽しそうにしていた瞳が、凪ぐ。
「緋梅、陛下の御前だぞ」
壮真が小さく緋梅を𠮟責した。それでも、緋梅の口は止まらなかった。
「陛下が目指すべき先にあるのは、鬼の従属ですか?」
しんと、辺りが静まりかえった。痛いほどの沈黙に、本来言ってはいけないことを言ったのだと悟る。それでも、聞かずにはいられなかった。鬼と人、どちらが上に立った瞬間、この和平は終わる。表面だけの友好は、すぐに終わる。それこそ、帝が次の世代に変わった瞬間、反故にされたとして、鬼はそれを覚えている。
もう二度と、和平が結ばれることはない。緋梅が死に、次の世代が死ぬほどの未来――この先五百年は、人と鬼とは戦い続ける定めとなってしまう。母が築こうとしている和平の重さを、あらためて緋梅は理解した。
「ははっ、はははははは」
何を言ったら良いかと迷っていたそのとき、突然帝が笑い声をあげた。ひとしきり笑ったところで、帝は壮真の背中を叩いた。
「壮真、面白いなこの奥方は! 我にも物怖じせず話をするやつだ」
「……陛下、緋梅を試したのですか?」
「試すだなんて、言い方が良くないなぁ壮真は。ちょっと本音が聞きたかっただけだ」
そう言って、帝は緋梅を見つめた。
「奥方、そなたの想いはしかと受け取った。我もせっかくのこの機会を逃す気はない。鬼と人と、共存できる世界を作りたいと思っている。そこは安心してくれ」
緋梅はほっと息を吐いた。帝の熱い瞳に嘘はない。そう信じる。
「だが、その一方でやはり気になるのは、大火がなぜ起こったのか、だ。我は鬼が火を付けたところを見た、と聞いた。それを民たちは皆信じたのだ」
「鬼に似た、化け物……」
緋梅はつぶやく。
「当時なにが起こったのか、わかる範囲で良い。調べてくれないか。なぁ、壮真」
「……陛下は最初から、それを私たちに押しつけるつもりだったのでしょう?」
じとり、と壮真は帝を睨みつける。
「押し付ける、なんて人聞きが悪い。ただ、そなたら以上の適任もおらんだろう」
「承知しました。私たちに出来る限りのことをいたしましょう」
「わかりました。鬼の誇りをお見せします」
緋梅の言葉に、帝は嬉しそうにほほ笑んだ。それは人だから、鬼だから。そういった差別のない、屈託のない笑顔だった。壮真が言ったとおり、突拍子もないことを言いだす人。だからこそ、今回の鬼と人との和平が結ばれたのだ。それを強く実感した。
壮真の言葉に、緋梅は牛車にかかる簾をめくって外を見る。大きな木造の城門が行く手に見える。
「東雲さま、お待ちしておりました」
城門の左右には兵士が立ち、緋梅たちを待っていた。兵士の一人が壮真に気づき、深々と礼をした。壮真がそれに答える。
「ここからは歩いていかねばならない。帝のおわす場所だからな」
壮真に促されるとおりに、緋梅は牛車を降りた。砂利道をざくざくと歩きながら、緋梅は眼前に広がっている宮廷を見つめた。白砂が一面に敷かれた広大な空間に、威容を誇る建物が鎮座していた。霊力がある者はいないはずなのに、そこから何とも言えない圧を感じる。緋梅はごくりと唾をのんだ。あそこに、人の国の頂点に立つ男がいるのだ。
「大丈夫だ、緋梅。私がいる」
普段どおりに振る舞っていたつもりだが、壮真には緋梅の心の動揺がわかったらしい。力強い声で励まされる。
(あたし、なんでこんなに戸惑ってるんだろう)
緋梅は心のうちでつぶやいた。牛車のなかで壮真が言った言葉が、心のどこかに刺さっている。
――自分は、鬼なのか人なのか。
もし、両者で戦いが起きたときに、緋梅はどちらに味方するのか。まだ、緋梅のなかで答えは出ていない。その答えを見つけるためのきっかけが、今日見つかるかもしれない。
建物のなかに入ると、使用人らしき女性たちが緋梅たちを迎えた。女性たちは緋梅を見ても顔色をひとつも変えずに、陛下が待っているという場所へと先導する。しばらく歩いて、やってきたのは庭が見える場所だった。庭園が広がる場所にすでに座っている人影が見える。
「陛下、こんなところで」
慌てたのは、壮真だった。壮真の声に、帝が振り向いた。
がっしりとした体躯に、精悍な顔つき。帝というより、武人というほうが近く見えた。歳の頃は、壮真より少し年上だろうか。すこし巻いた髪の毛がくるくると額に落ちている。
「おう、壮真。久しぶりにゆっくり話せるな」
「あまり私と話し過ぎてもいけませんと、以前に申し上げたではないですか。先日頼んだ件、進んでいるのですか?」
「わかったわかった。芦名の件に関してはこちらも調べさせてる。せっかく久しぶりにしゃべるのだから、難しい話はなしだ。奥方も、そう思うだろ?」
いきなり話を振られ、緋梅はあっけにとられる。
「陛下、どうか緋梅をいじめないでください」
「まぁまぁ、いいじゃないか。ふたりとも、近くにこい」
帝は壮真の小言を気にも留めず、ばんばんと自分の隣を叩いた。ここに来い、ということなのだろう。ちらりと壮真を見ると、壮真は呆れた表情で隣に座った。緋梅もおとなしく壮真の隣に座ることにする。
「壮真から聞いた。十年前、この都を襲った大火。あれは鬼がおこなったのではないと、そなたはそう言うのだな?」
「はい。鬼は何より誇りを重んじます。罪なき人々を巻き込むことはいたしません」
「では、誰が?」
鋭く差しこまれた質問に、緋梅は何も言えずに黙り込んだ。
鬼がそんなことをするはずがない。そう確信している。だが、では人が自ら都を焼くだろうか。火の不始末なのか、それとも――今の緋梅には答えがでなかった。
「わかりません」
唇を噛んで、緋梅は正直に答えるしかなかった。ここで嘘をつくのは悪手だ。帝が面白そうに眉をあげて、こちらを見る。
「私は、鬼の名誉をどうしても晴らしたい。できることはおこなう所存です」
緋梅はまっすぐに帝を見つめて言った。
「心意気は伝わった」
帝は重々しく口を開いた。
「……だが、口でいくら誇りを語ろうと、それだけで我が鬼を信じると思うか?」
その言葉に、緋梅の胸がざわめいた。帝の挑発的な視線に怯むことなく睨み返す。
「陛下にとって、信じるとはいかなる状態を指すのですか?」
緋梅は思わずたずねていた。にやり、と帝の口元が笑みをつくる。
「どういった状態か、とね。何か含みがあるようだが」
「あくまで信じる、信じないというのは対等であってこそ成り立つものではありませんか」
緋梅の言葉に、すっと帝の笑みが消える。楽しそうにしていた瞳が、凪ぐ。
「緋梅、陛下の御前だぞ」
壮真が小さく緋梅を𠮟責した。それでも、緋梅の口は止まらなかった。
「陛下が目指すべき先にあるのは、鬼の従属ですか?」
しんと、辺りが静まりかえった。痛いほどの沈黙に、本来言ってはいけないことを言ったのだと悟る。それでも、聞かずにはいられなかった。鬼と人、どちらが上に立った瞬間、この和平は終わる。表面だけの友好は、すぐに終わる。それこそ、帝が次の世代に変わった瞬間、反故にされたとして、鬼はそれを覚えている。
もう二度と、和平が結ばれることはない。緋梅が死に、次の世代が死ぬほどの未来――この先五百年は、人と鬼とは戦い続ける定めとなってしまう。母が築こうとしている和平の重さを、あらためて緋梅は理解した。
「ははっ、はははははは」
何を言ったら良いかと迷っていたそのとき、突然帝が笑い声をあげた。ひとしきり笑ったところで、帝は壮真の背中を叩いた。
「壮真、面白いなこの奥方は! 我にも物怖じせず話をするやつだ」
「……陛下、緋梅を試したのですか?」
「試すだなんて、言い方が良くないなぁ壮真は。ちょっと本音が聞きたかっただけだ」
そう言って、帝は緋梅を見つめた。
「奥方、そなたの想いはしかと受け取った。我もせっかくのこの機会を逃す気はない。鬼と人と、共存できる世界を作りたいと思っている。そこは安心してくれ」
緋梅はほっと息を吐いた。帝の熱い瞳に嘘はない。そう信じる。
「だが、その一方でやはり気になるのは、大火がなぜ起こったのか、だ。我は鬼が火を付けたところを見た、と聞いた。それを民たちは皆信じたのだ」
「鬼に似た、化け物……」
緋梅はつぶやく。
「当時なにが起こったのか、わかる範囲で良い。調べてくれないか。なぁ、壮真」
「……陛下は最初から、それを私たちに押しつけるつもりだったのでしょう?」
じとり、と壮真は帝を睨みつける。
「押し付ける、なんて人聞きが悪い。ただ、そなたら以上の適任もおらんだろう」
「承知しました。私たちに出来る限りのことをいたしましょう」
「わかりました。鬼の誇りをお見せします」
緋梅の言葉に、帝は嬉しそうにほほ笑んだ。それは人だから、鬼だから。そういった差別のない、屈託のない笑顔だった。壮真が言ったとおり、突拍子もないことを言いだす人。だからこそ、今回の鬼と人との和平が結ばれたのだ。それを強く実感した。
