「緋梅さま、どっか行っちゃったと思ったの~」
「ひとりで変なところいくなよ」
むっと唇を突き出して、葉隠は言うものの、その瞳は赤くなっている。ぐすぐすと鼻をすすっているふう子と一緒で、緋梅がいなくなって不安な思いをさせてしまったようだった。
「ごめんね。ふう子、葉隠」
緋梅は素直に謝った。
「ちょっと離れたつもりだったんだけど、いつの間にか迷子になっていたの」
「もう、絶対離れちゃ駄目なんだからね、指切り」
ふう子が緋梅の手を取って、小指と小指を絡ませる。
「ゆーびきりげんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます、ゆーびきった」
そして、ふう子は大声で歌いながら上下に指を振る。
「はり?」
「そうだよ、嘘つかないようにこの歌を歌うの。姫さまはふう子と約束したから、もう嘘つけないの」
そう言って、ふう子はにっこりと緋梅を見上げた。
「よーし、じゃあ灯籠流し見に行こうぜ」
「もうすぐ始まっちゃうの!」
ふう子がぐいと緋梅の手を引っ張った。ふたりに手を引かれて、緋梅は近くの川のほとりに連れて行かれた。ふたりに先ほどの女のことを話そうかと迷ったものの、なにかをされたわけではない。緋梅はいったん心の中にしまっておくことにした。もうすでに日人だかりが出来ていて、川の上流の方をいまかいまかと待っているように見えた。秋の夕陽が山の端に消え、あたりが闇に包まれたころ、ぼうっとした灯りが川の上を滑るように流れてくる。
「あれが、灯籠だ」
そのとき、後ろから聞き覚えのある声がした。後ろを振り向くと、幾分か髪の毛が乱れた壮真の姿があった。
「壮真さま!」
ふう子がはしゃいだ声を出す。
「よくここがわかったな」
「ふう子と葉隠さえいれば、だいたいの場所はわかる」
壮真はふう子と葉隠の頭を撫でた。ふたりはまんざらでもなさそうにしている。ふう子は顔を赤くして、壮真のほうを見られない様子で、葉隠は嬉しそうに胸を張っている。ふたりにとって、壮真はどういう人間なのだろうと緋梅は思った。ふたりは壮真に使役されていると言っていた。使役、というのがどんな関係性にあたるのか。使用人とその主人、という関係性なのか。
鬼の国では、緋梅たち王族に使用人がつき、身の回りの世話をしていた。明確な主従関係がそこには存在しており、緋梅たちと使用人との間には明確な壁があった。
ふう子たちと壮真の間には、そのようなものは見当たらない。晴仁との関係もそうだ。晴仁と壮真はいわゆる師弟関係にあるが、壮真はいばったりしない。晴仁も壮真にこびへつらうことはしない。意見を言い合っているところだって、見たことがある。この関係性が何なのか、緋梅にはよくわからなかった。
「壮真さま、もしかして灯籠見るのって初めてだよね?」
「あぁ、そうだな」
壮真が川岸に腰を下ろしたのを見て、緋梅もまた腰を下ろす。緋梅と壮真の間に、ふう子と葉隠がちょこんと座った。穏やかにさらさらと水が流れていく。その上を、幻想的な灯りたちが瞬いては過ぎていく。見ていると、だんだんと構造がわかってきた。木で作った骨組みに紙を貼り付け、その中に蠟燭を入れているらしい。紙には文字や、絵が描かれている。不格好な形もあれば、綺麗に整えられた灯籠もある。びっしりと文字を書いているのもあれば、真っ白な紙のままの灯籠もある。見ているだけで興味が尽きなかった。
「この灯籠は、誰が作っているの?」
「――これは、この都に住む民たちが作っている」
「こんなに多くの灯籠を、全部人がつくっているの? すごいわね」
緋梅は思わず感嘆の声をあげた。これだけのものをみんなが作れるなんて、鬼の国では考えられない。力の調節を間違えて、壊してしまいそうだ。
「いつか作らせてくれないかしら」
緋梅がたずねたとき、壮真の表情が曇った。
「それは……そうなんだが」
歯切れが悪い。なにか変なことを言っただろうか。緋梅が首を傾げたとき、ふと周りにいる人々の表情に目がいった。
(みんな……悲しそうな顔をしている)
境内にいたときとは違う、悲しみが入り混じった表情。なにかを思い出すように、遠い目をしながら灯籠を眺めている人もいる。涙を流す女性を慰めている男性もいる。ぎゅっと口を引き結び、泣くのを耐えている老人もいる。
(人にとって、この灯籠は意味のあるもの、なのだ)
緋梅はやっとそれに気づいた。能天気に灯りを楽しんでいた自分が、浅はかだった。ぎゅっと手のひらを握る。
「この灯籠流しは、鬼との戦いによって死んだ人々の鎮魂のためにおこなっているんだ」
壮真がつぶやくように言った。壮真の瞳は、流れる灯籠に注がれている。責めるでもない、ただ事実を伝えるだけの言葉だとわかっているが、緋梅はいたたまれずにうつむいた。
鬼という種族にとって、人間は脆い生きものだった。怪我をしにくく、身体の頑丈な鬼と、身体が弱くすぐ死んでしまう人。ふたつの種族で戦が起きれば、もちろん人が多く死ぬ。それは頭ではわかっていた。
(だけど……こんなに多くの人が、泣いている)
鬼にとって、戦によって死ぬのは名誉なことだ。鬼は誇りを何よりも尊ぶ。だから、戦で死んだとしても、残された家族は泣かない。泣く代わりに誇りを語り継ぎ、名を称える。そうして死を悼むのだ。
目の前で泣きながら灯籠を見送る人々の姿は、これまで緋梅が持っていた価値観を揺さぶってくる。
(泣くことは、本当に弱さなのだろうか……)
初めて抱いた問いが、胸に重く沈んだ。
「私はな、これまで灯籠流しを見たことがなかったのだ」
緋梅に聞かせる気があるのか、ないのか。どちらともとれるような声音で、壮真は言葉を紡ぐ。
「灯籠流しを見たら、父が戦で死んだことを受け入れざるを得ないと思ったんだ」
緋梅は壮真の横顔をそっとうかがう。黒曜石のような艶やかな壮真の瞳に、いまはやわらかな橙の灯りが映っている。泣き笑いのような表情は、不思議と穏やかだった。
「今日はやっと、弔う気になれた」
壮真は静かに言った。灯籠がゆらゆらと流れていく。真っすぐにはならず、灯籠同士でぶつかって邪魔し合ったり、くるくる回ったり。
緋梅には何も言えなかった。戦で死んだ人々のことを、緋梅は何も知らない。この場に残るやりきれない悲しみに、共感することはできない。それでも、知らねばならないと思った。覚悟して、口を開く。
「……どれほどの人が、亡くなったの?」
緋梅の問いに、壮真がふとこちらを見た。黒曜石の瞳と視線がぶつかる。
「多くの人が亡くなった。都がひとつ消えたからな」
壮真の言葉に、緋梅は息をのんだ。
「う、嘘よ。鬼は、都を攻め落とすことはできなかったはずだわ」
声が裏返る。壮真が怪訝そうにこちらを見た。
「鬼が都に火を付けたのではなかったのか?」
「そんな……」
目の前が真っ暗になる。鬼は誉れを何よりも大切にする。そんなだまし討ちのようなことはしない。だが、壮真の声色を聞く限り、人の国では鬼が都を焼き討ちしたことは、周知の事実になっている。
――鬼が命よりも大切にしてきた誇りが、踏みにじられている。
緋梅の胸に沸き上がったのは悲しみと、怒りだった。
「緋梅、どうした。顔色が悪いぞ」
壮真の言葉に、緋梅は顔をあげた。頭に血がのぼっている。それがわかるからこそ、唇をきゅっと結び、大きく息を吐く。震えそうになる声を抑え込み、なるべく静かに言葉を選んだ。
「壮真、お願い。私の母――鬼の女王に、文を送らせてくれないかしら」
「ひとりで変なところいくなよ」
むっと唇を突き出して、葉隠は言うものの、その瞳は赤くなっている。ぐすぐすと鼻をすすっているふう子と一緒で、緋梅がいなくなって不安な思いをさせてしまったようだった。
「ごめんね。ふう子、葉隠」
緋梅は素直に謝った。
「ちょっと離れたつもりだったんだけど、いつの間にか迷子になっていたの」
「もう、絶対離れちゃ駄目なんだからね、指切り」
ふう子が緋梅の手を取って、小指と小指を絡ませる。
「ゆーびきりげんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます、ゆーびきった」
そして、ふう子は大声で歌いながら上下に指を振る。
「はり?」
「そうだよ、嘘つかないようにこの歌を歌うの。姫さまはふう子と約束したから、もう嘘つけないの」
そう言って、ふう子はにっこりと緋梅を見上げた。
「よーし、じゃあ灯籠流し見に行こうぜ」
「もうすぐ始まっちゃうの!」
ふう子がぐいと緋梅の手を引っ張った。ふたりに手を引かれて、緋梅は近くの川のほとりに連れて行かれた。ふたりに先ほどの女のことを話そうかと迷ったものの、なにかをされたわけではない。緋梅はいったん心の中にしまっておくことにした。もうすでに日人だかりが出来ていて、川の上流の方をいまかいまかと待っているように見えた。秋の夕陽が山の端に消え、あたりが闇に包まれたころ、ぼうっとした灯りが川の上を滑るように流れてくる。
「あれが、灯籠だ」
そのとき、後ろから聞き覚えのある声がした。後ろを振り向くと、幾分か髪の毛が乱れた壮真の姿があった。
「壮真さま!」
ふう子がはしゃいだ声を出す。
「よくここがわかったな」
「ふう子と葉隠さえいれば、だいたいの場所はわかる」
壮真はふう子と葉隠の頭を撫でた。ふたりはまんざらでもなさそうにしている。ふう子は顔を赤くして、壮真のほうを見られない様子で、葉隠は嬉しそうに胸を張っている。ふたりにとって、壮真はどういう人間なのだろうと緋梅は思った。ふたりは壮真に使役されていると言っていた。使役、というのがどんな関係性にあたるのか。使用人とその主人、という関係性なのか。
鬼の国では、緋梅たち王族に使用人がつき、身の回りの世話をしていた。明確な主従関係がそこには存在しており、緋梅たちと使用人との間には明確な壁があった。
ふう子たちと壮真の間には、そのようなものは見当たらない。晴仁との関係もそうだ。晴仁と壮真はいわゆる師弟関係にあるが、壮真はいばったりしない。晴仁も壮真にこびへつらうことはしない。意見を言い合っているところだって、見たことがある。この関係性が何なのか、緋梅にはよくわからなかった。
「壮真さま、もしかして灯籠見るのって初めてだよね?」
「あぁ、そうだな」
壮真が川岸に腰を下ろしたのを見て、緋梅もまた腰を下ろす。緋梅と壮真の間に、ふう子と葉隠がちょこんと座った。穏やかにさらさらと水が流れていく。その上を、幻想的な灯りたちが瞬いては過ぎていく。見ていると、だんだんと構造がわかってきた。木で作った骨組みに紙を貼り付け、その中に蠟燭を入れているらしい。紙には文字や、絵が描かれている。不格好な形もあれば、綺麗に整えられた灯籠もある。びっしりと文字を書いているのもあれば、真っ白な紙のままの灯籠もある。見ているだけで興味が尽きなかった。
「この灯籠は、誰が作っているの?」
「――これは、この都に住む民たちが作っている」
「こんなに多くの灯籠を、全部人がつくっているの? すごいわね」
緋梅は思わず感嘆の声をあげた。これだけのものをみんなが作れるなんて、鬼の国では考えられない。力の調節を間違えて、壊してしまいそうだ。
「いつか作らせてくれないかしら」
緋梅がたずねたとき、壮真の表情が曇った。
「それは……そうなんだが」
歯切れが悪い。なにか変なことを言っただろうか。緋梅が首を傾げたとき、ふと周りにいる人々の表情に目がいった。
(みんな……悲しそうな顔をしている)
境内にいたときとは違う、悲しみが入り混じった表情。なにかを思い出すように、遠い目をしながら灯籠を眺めている人もいる。涙を流す女性を慰めている男性もいる。ぎゅっと口を引き結び、泣くのを耐えている老人もいる。
(人にとって、この灯籠は意味のあるもの、なのだ)
緋梅はやっとそれに気づいた。能天気に灯りを楽しんでいた自分が、浅はかだった。ぎゅっと手のひらを握る。
「この灯籠流しは、鬼との戦いによって死んだ人々の鎮魂のためにおこなっているんだ」
壮真がつぶやくように言った。壮真の瞳は、流れる灯籠に注がれている。責めるでもない、ただ事実を伝えるだけの言葉だとわかっているが、緋梅はいたたまれずにうつむいた。
鬼という種族にとって、人間は脆い生きものだった。怪我をしにくく、身体の頑丈な鬼と、身体が弱くすぐ死んでしまう人。ふたつの種族で戦が起きれば、もちろん人が多く死ぬ。それは頭ではわかっていた。
(だけど……こんなに多くの人が、泣いている)
鬼にとって、戦によって死ぬのは名誉なことだ。鬼は誇りを何よりも尊ぶ。だから、戦で死んだとしても、残された家族は泣かない。泣く代わりに誇りを語り継ぎ、名を称える。そうして死を悼むのだ。
目の前で泣きながら灯籠を見送る人々の姿は、これまで緋梅が持っていた価値観を揺さぶってくる。
(泣くことは、本当に弱さなのだろうか……)
初めて抱いた問いが、胸に重く沈んだ。
「私はな、これまで灯籠流しを見たことがなかったのだ」
緋梅に聞かせる気があるのか、ないのか。どちらともとれるような声音で、壮真は言葉を紡ぐ。
「灯籠流しを見たら、父が戦で死んだことを受け入れざるを得ないと思ったんだ」
緋梅は壮真の横顔をそっとうかがう。黒曜石のような艶やかな壮真の瞳に、いまはやわらかな橙の灯りが映っている。泣き笑いのような表情は、不思議と穏やかだった。
「今日はやっと、弔う気になれた」
壮真は静かに言った。灯籠がゆらゆらと流れていく。真っすぐにはならず、灯籠同士でぶつかって邪魔し合ったり、くるくる回ったり。
緋梅には何も言えなかった。戦で死んだ人々のことを、緋梅は何も知らない。この場に残るやりきれない悲しみに、共感することはできない。それでも、知らねばならないと思った。覚悟して、口を開く。
「……どれほどの人が、亡くなったの?」
緋梅の問いに、壮真がふとこちらを見た。黒曜石の瞳と視線がぶつかる。
「多くの人が亡くなった。都がひとつ消えたからな」
壮真の言葉に、緋梅は息をのんだ。
「う、嘘よ。鬼は、都を攻め落とすことはできなかったはずだわ」
声が裏返る。壮真が怪訝そうにこちらを見た。
「鬼が都に火を付けたのではなかったのか?」
「そんな……」
目の前が真っ暗になる。鬼は誉れを何よりも大切にする。そんなだまし討ちのようなことはしない。だが、壮真の声色を聞く限り、人の国では鬼が都を焼き討ちしたことは、周知の事実になっている。
――鬼が命よりも大切にしてきた誇りが、踏みにじられている。
緋梅の胸に沸き上がったのは悲しみと、怒りだった。
「緋梅、どうした。顔色が悪いぞ」
壮真の言葉に、緋梅は顔をあげた。頭に血がのぼっている。それがわかるからこそ、唇をきゅっと結び、大きく息を吐く。震えそうになる声を抑え込み、なるべく静かに言葉を選んだ。
「壮真、お願い。私の母――鬼の女王に、文を送らせてくれないかしら」
