右の手をふう子、左の手を葉隠に引かれて、緋梅はお祭りがおこなわれている川の方角へと急ぐ。
引っ張られながら空を見上げると、真っ赤なとんぼが夕焼け空をすいすいと飛んでいた。すすきが風に吹かれて揺れている。川の方角からは、食べものの匂いも漂っていた。
「姫さま、美味しそうな匂いがするね!」
ふう子はにっこりとほほ笑む。葉隠も鼻をすんすんとさせた。
「甘い匂いもするぞ」
からからとふたりの下駄が鳴る。導かれるままに駆けていくと、町のはずれにある神社の境内にたどり着いた。大きな鳥居がそびえ立ち、参道には小さな店が立ち並んでいる。大人も子どももたくさんの人が歩いている様子に、緋梅は圧倒された。鬼だと知られることはないはずだが、こんなに多くの人を目にすると、どきどきしてしまう。緋梅はふいに、道行く人たちが持っている串のようなものに目を留めた。
「あれはなに?」
「あれは林檎飴だ」
緋梅がたずねると、葉隠がえへんと胸を張って答える。
「あっちで作ってるみたいだ」
「姫さま、いってみようなの!」
ふたりに手を引かれ、緋梅はある屋台の前で足をとめる。木の柱と布で拵えられた小さな店先には、簡素な台が置かれ、そこに穴を開けて無数の串が立てられていた。串の先には、大きな艶々の林檎が刺さっている。林檎は食べたことがあるが、こんなに綺麗な色をした林檎は初めてみた。思わず手を伸ばそうとした瞬間、ふう子に腕を引かれる。
「姫さま、駄目なの。これを食べるには、お金が必要なの!」
小さな見た目には似合わず、ふう子はしっかりした口調で言う。懐からちりめんの袋を取り出し、そこからお金を店主に渡す。店主はそれを受け取って、代わりに大きな林檎を緋梅に差し出した。
「こ、こんな大きな林檎、いいの?」
困惑する緋梅に、ふう子と葉隠は嬉しそうにほほ笑んだ。
「緋梅さま、これが林檎飴って言うんだぞ」
「り、りんごあめ……?」
「すっごく固いからな。いきなり噛もうとしても無駄だぞ。歯が欠けるからな」
葉隠はそう言って、にかっと歯をむき出しにする。
「これは飴っていうの。とっても甘いから、舌でぺろって舐めるのよ」
「林檎なのに、固いのか?」
狐の歯でさえ欠ける固さを思い描き、緋梅はおそるおそる林檎を舐めた。
「あ、あまいっ!」
緋梅は思わず大きな声を出した。周りにいた人々が、くすくすとこちらを見て笑っている。
「でしょう? 舐めてるうちに林檎にたどり着くの。そしたらかじるの!」
「この甘いのが、飴ってやつだな。砂糖を甘く煮詰めたもので林檎の周りを固めてるんだぞ」
「へぇ、これが飴……こんなおいしいもの初めて食べたわ。人間はいつも食べているの?」
緋梅はもう一度ぺろりと林檎を舐める。頬が落ちそうな甘さに、胸の奥までじんわりと幸福が満ちていくようだった。鬼の国でもお菓子はあるが、飴というものは初めて見た。
「こういうお祭りのときに食べるみたい。あんまり普段は見ないかもね」
「こんなにおいしいのに。勿体ないわね」
緋梅は言いながらぺろぺろと飴を舐める。
「姫さまは、なにか他にも食べる?」
きょろきょろとあたりを見渡しながら、ふう子はたずねた。
「あたしはこれ食べ終わってからでいいわ」
「じゃあ、神社の方で待ってて。あたしたち、買ってくるから」
「――ふう子、葉隠!」
緋梅が呼び止める前に、ふたりの姿が人混みに隠れて見えなくなる。ふたりとも、自由行動する隙を狙っているようだった。緋梅は苦笑しながら、飴を落とさないように慎重に神社へ向かって歩いた。神社の目の前にある参道には、多くの人が詰めかけている。緋梅は人混みを避けて裏手へと足を伸ばした。ここなら人は少ないだろうと、緋梅は奥へと足を進める。奥へ行けばいくほど、深い竹林に入っていく。すうっと気温が下がり、喧騒も遠のいていった。
(奥まで来すぎたかしら)
無心で飴を舐めていたから気づかなかった。緋梅は竹林の右左を確認した。どちらも同じような道が続いている。
「さて、どうしようかしら」
小さくため息をつき、つぶやいた時だった。
「そこのお姉さん」
後ろから、高い声がかかった。はっとして後ろを振り向くと、そこには黄緑色の着物を着た女が立っている。人間で言うと、晴仁よりは年上で、壮真と同じぐらいの歳だろうか。肩につくかつかないかの黒髪に、たれ目がちな瞳。穏やかな雰囲気を纏った女は、人好きのする笑顔を浮かべながら緋梅に近づいた。
「林檎飴ですか、いいですねぇ」
何と答えるのが正解なのかわからずに、緋梅は無言を貫く。
「美味しいですよね。林檎飴」
もう一度女がつぶやいた。緋梅は遠慮がちにうなずいた。すると、女はからからと笑う。
「怖がってます? 大丈夫ですよ」
そう言って、女は両手を開いた。
「何も武器も持ってませんし。――霊力も感じないでしょう?」
すっと、女の瞳から光が消える。纏う雰囲気が変わったことに、緋梅は肌で気づいた。たしかに武器を持っていなければ、霊力もない。にもかかわらず、女には死線をくぐり抜けてきたような雰囲気があった。
「私、ひまりって言います。とある人からの御遣いで会いに来ました」
女――ひまりはもう一度笑みを浮かべた。
「お姉さん、ほんとうは鬼なんでしょう? 知ってるのよ」
緋梅は答えず、ただじっと相手を射抜くように見据えた。
「あんた、何者なの?」
低く鋭い声に、ひまりは口元をゆるめる。
「ただの庶民よ。私は御遣いで来ただけだから、そんな怖い顔しないで欲しいのだけど――」
「誰の差し金で来たの?」
緋梅は低い声でたずねる。緋梅が外に出ることを待っていたかのようだった。緋梅が鬼であることを知っていて、緋梅のことを日頃から観察していたということになる。警戒心を強めて、緋梅はひまりを睨む。
「お姉さんが私たちに協力してくれるなら、答えますけど?」
「協力? 断るわ」
緋梅は間髪入れずに答えた。
「内容も聞かずに断らないでくださいよ。私はちゃんと説明して来いって言われてるんですよ?」
ただの庶民に、緋梅が鬼だと見破れるはずがない。今の緋梅は、どこからどう見ても人間だ。
それに、ただの庶民が鬼とこうして対等に話しかけるはずがない。鬼と対等に渡り合えるのは、同族の鬼か、あるいは鬼に対抗する術を持つ陰陽師ぐらいだものだ。
「お姉さんはさ、鬼の国からこっちに追いやられたわけでしょう。鬼が憎くないの?」
緋梅はひまりの問いを胸のなかで反芻する。
(……追いやられた、か)
最初はそう思った。母に捨てられたと思い込んでいた。だが、人の国での日々は、想像以上のものだった。鬼の国で常に感じていた劣等感を、いつの間にか忘れていた。
「私と私のご主人様はね、新しい国をつくりたいと思ってるんだ。人も鬼も、何にも関係ない国を」
緋梅の反応を気にせず、ひまりは続けた。
「全部壊して、そこから新しく国をつくれば、もう争いもなくなるでしょ」
ひまりの声色は明るかった。すべてを壊すことの重さを、果たして理解しているのか。それともまるで知らないのか。ひまりは、明日の天気でも告げるように、軽々と口にした。
「断るわ。あなたたちに協力はしない」
もう一度、緋梅はひややかに答えた。ひまりはちらりと緋梅を見た。
「お姉さんは適任だと思うんですけどねぇ……。お姉さんは、鬼でも人でもない絶妙な立ち位置でしょ? お姉さんが味方になってくれたら、凄いことになると思うんです」
ひまりは残念そうに口を結ぶ。それでも緋梅にこれ以上聞く気がないことを悟ると、諦めたように肩を落とした。
「しょうがない……か。駄目だったってご主人様に伝えておきます。でも、また私たちに協力したくなったら来てください。私たち、いつでも待ってますから」
「一生、あり得ないわ」
「うーん。つれないなぁ。ちなみに、ここから左に行くと神社に戻れます。お姉さんと一緒に来ていた霊獣たち、今頃血眼にしてお姉さんを探してるはずですよ」
「なんでもお見通しってことね。一応、礼は言っておくわ。ありがとう」
「どういたしまして!」
そう言って、ひまりは緋梅に向かって手を振った。味方にしたい、という言葉どおり最後まで襲ってくることはなさそうだった。後ろを警戒しながらも、緋梅は竹林を左に進む。そうして竹林を抜けたところで、泣きべそをかいているふう子と葉隠と再会したのだった。
引っ張られながら空を見上げると、真っ赤なとんぼが夕焼け空をすいすいと飛んでいた。すすきが風に吹かれて揺れている。川の方角からは、食べものの匂いも漂っていた。
「姫さま、美味しそうな匂いがするね!」
ふう子はにっこりとほほ笑む。葉隠も鼻をすんすんとさせた。
「甘い匂いもするぞ」
からからとふたりの下駄が鳴る。導かれるままに駆けていくと、町のはずれにある神社の境内にたどり着いた。大きな鳥居がそびえ立ち、参道には小さな店が立ち並んでいる。大人も子どももたくさんの人が歩いている様子に、緋梅は圧倒された。鬼だと知られることはないはずだが、こんなに多くの人を目にすると、どきどきしてしまう。緋梅はふいに、道行く人たちが持っている串のようなものに目を留めた。
「あれはなに?」
「あれは林檎飴だ」
緋梅がたずねると、葉隠がえへんと胸を張って答える。
「あっちで作ってるみたいだ」
「姫さま、いってみようなの!」
ふたりに手を引かれ、緋梅はある屋台の前で足をとめる。木の柱と布で拵えられた小さな店先には、簡素な台が置かれ、そこに穴を開けて無数の串が立てられていた。串の先には、大きな艶々の林檎が刺さっている。林檎は食べたことがあるが、こんなに綺麗な色をした林檎は初めてみた。思わず手を伸ばそうとした瞬間、ふう子に腕を引かれる。
「姫さま、駄目なの。これを食べるには、お金が必要なの!」
小さな見た目には似合わず、ふう子はしっかりした口調で言う。懐からちりめんの袋を取り出し、そこからお金を店主に渡す。店主はそれを受け取って、代わりに大きな林檎を緋梅に差し出した。
「こ、こんな大きな林檎、いいの?」
困惑する緋梅に、ふう子と葉隠は嬉しそうにほほ笑んだ。
「緋梅さま、これが林檎飴って言うんだぞ」
「り、りんごあめ……?」
「すっごく固いからな。いきなり噛もうとしても無駄だぞ。歯が欠けるからな」
葉隠はそう言って、にかっと歯をむき出しにする。
「これは飴っていうの。とっても甘いから、舌でぺろって舐めるのよ」
「林檎なのに、固いのか?」
狐の歯でさえ欠ける固さを思い描き、緋梅はおそるおそる林檎を舐めた。
「あ、あまいっ!」
緋梅は思わず大きな声を出した。周りにいた人々が、くすくすとこちらを見て笑っている。
「でしょう? 舐めてるうちに林檎にたどり着くの。そしたらかじるの!」
「この甘いのが、飴ってやつだな。砂糖を甘く煮詰めたもので林檎の周りを固めてるんだぞ」
「へぇ、これが飴……こんなおいしいもの初めて食べたわ。人間はいつも食べているの?」
緋梅はもう一度ぺろりと林檎を舐める。頬が落ちそうな甘さに、胸の奥までじんわりと幸福が満ちていくようだった。鬼の国でもお菓子はあるが、飴というものは初めて見た。
「こういうお祭りのときに食べるみたい。あんまり普段は見ないかもね」
「こんなにおいしいのに。勿体ないわね」
緋梅は言いながらぺろぺろと飴を舐める。
「姫さまは、なにか他にも食べる?」
きょろきょろとあたりを見渡しながら、ふう子はたずねた。
「あたしはこれ食べ終わってからでいいわ」
「じゃあ、神社の方で待ってて。あたしたち、買ってくるから」
「――ふう子、葉隠!」
緋梅が呼び止める前に、ふたりの姿が人混みに隠れて見えなくなる。ふたりとも、自由行動する隙を狙っているようだった。緋梅は苦笑しながら、飴を落とさないように慎重に神社へ向かって歩いた。神社の目の前にある参道には、多くの人が詰めかけている。緋梅は人混みを避けて裏手へと足を伸ばした。ここなら人は少ないだろうと、緋梅は奥へと足を進める。奥へ行けばいくほど、深い竹林に入っていく。すうっと気温が下がり、喧騒も遠のいていった。
(奥まで来すぎたかしら)
無心で飴を舐めていたから気づかなかった。緋梅は竹林の右左を確認した。どちらも同じような道が続いている。
「さて、どうしようかしら」
小さくため息をつき、つぶやいた時だった。
「そこのお姉さん」
後ろから、高い声がかかった。はっとして後ろを振り向くと、そこには黄緑色の着物を着た女が立っている。人間で言うと、晴仁よりは年上で、壮真と同じぐらいの歳だろうか。肩につくかつかないかの黒髪に、たれ目がちな瞳。穏やかな雰囲気を纏った女は、人好きのする笑顔を浮かべながら緋梅に近づいた。
「林檎飴ですか、いいですねぇ」
何と答えるのが正解なのかわからずに、緋梅は無言を貫く。
「美味しいですよね。林檎飴」
もう一度女がつぶやいた。緋梅は遠慮がちにうなずいた。すると、女はからからと笑う。
「怖がってます? 大丈夫ですよ」
そう言って、女は両手を開いた。
「何も武器も持ってませんし。――霊力も感じないでしょう?」
すっと、女の瞳から光が消える。纏う雰囲気が変わったことに、緋梅は肌で気づいた。たしかに武器を持っていなければ、霊力もない。にもかかわらず、女には死線をくぐり抜けてきたような雰囲気があった。
「私、ひまりって言います。とある人からの御遣いで会いに来ました」
女――ひまりはもう一度笑みを浮かべた。
「お姉さん、ほんとうは鬼なんでしょう? 知ってるのよ」
緋梅は答えず、ただじっと相手を射抜くように見据えた。
「あんた、何者なの?」
低く鋭い声に、ひまりは口元をゆるめる。
「ただの庶民よ。私は御遣いで来ただけだから、そんな怖い顔しないで欲しいのだけど――」
「誰の差し金で来たの?」
緋梅は低い声でたずねる。緋梅が外に出ることを待っていたかのようだった。緋梅が鬼であることを知っていて、緋梅のことを日頃から観察していたということになる。警戒心を強めて、緋梅はひまりを睨む。
「お姉さんが私たちに協力してくれるなら、答えますけど?」
「協力? 断るわ」
緋梅は間髪入れずに答えた。
「内容も聞かずに断らないでくださいよ。私はちゃんと説明して来いって言われてるんですよ?」
ただの庶民に、緋梅が鬼だと見破れるはずがない。今の緋梅は、どこからどう見ても人間だ。
それに、ただの庶民が鬼とこうして対等に話しかけるはずがない。鬼と対等に渡り合えるのは、同族の鬼か、あるいは鬼に対抗する術を持つ陰陽師ぐらいだものだ。
「お姉さんはさ、鬼の国からこっちに追いやられたわけでしょう。鬼が憎くないの?」
緋梅はひまりの問いを胸のなかで反芻する。
(……追いやられた、か)
最初はそう思った。母に捨てられたと思い込んでいた。だが、人の国での日々は、想像以上のものだった。鬼の国で常に感じていた劣等感を、いつの間にか忘れていた。
「私と私のご主人様はね、新しい国をつくりたいと思ってるんだ。人も鬼も、何にも関係ない国を」
緋梅の反応を気にせず、ひまりは続けた。
「全部壊して、そこから新しく国をつくれば、もう争いもなくなるでしょ」
ひまりの声色は明るかった。すべてを壊すことの重さを、果たして理解しているのか。それともまるで知らないのか。ひまりは、明日の天気でも告げるように、軽々と口にした。
「断るわ。あなたたちに協力はしない」
もう一度、緋梅はひややかに答えた。ひまりはちらりと緋梅を見た。
「お姉さんは適任だと思うんですけどねぇ……。お姉さんは、鬼でも人でもない絶妙な立ち位置でしょ? お姉さんが味方になってくれたら、凄いことになると思うんです」
ひまりは残念そうに口を結ぶ。それでも緋梅にこれ以上聞く気がないことを悟ると、諦めたように肩を落とした。
「しょうがない……か。駄目だったってご主人様に伝えておきます。でも、また私たちに協力したくなったら来てください。私たち、いつでも待ってますから」
「一生、あり得ないわ」
「うーん。つれないなぁ。ちなみに、ここから左に行くと神社に戻れます。お姉さんと一緒に来ていた霊獣たち、今頃血眼にしてお姉さんを探してるはずですよ」
「なんでもお見通しってことね。一応、礼は言っておくわ。ありがとう」
「どういたしまして!」
そう言って、ひまりは緋梅に向かって手を振った。味方にしたい、という言葉どおり最後まで襲ってくることはなさそうだった。後ろを警戒しながらも、緋梅は竹林を左に進む。そうして竹林を抜けたところで、泣きべそをかいているふう子と葉隠と再会したのだった。
