壮真の提案で、まずは早瀬姫が祀られているという祠へ向かうことにした。せっかくの親子水入らずなのだからと、葉隠は稲荷山に残していった。緋梅と壮真、ふたりきりの旅だ。
早瀬姫の祠まではそう遠くない。稲荷山の中腹から西側に降りて、そこからまた登ると早瀬川の流れと合流する。
川幅はさほど広くないが、濁流は今にも岸を吞み込みそうに迫っていた。強い雨が降れば、たちまち氾濫してしまうだろう。
「いまは増水している様子だな」
壮真の言葉に、緋梅はうなずいた。ごうごうと音を立てながら、早瀬川は濁流を運んでいく。すべてを飲み込もうとする意志さえ感じられ、緋梅は思わずごくりと唾をのんだ。かすかに、歪んだ霊力のような気配が漂っている。
「陰陽師はどうやって、堕ち神と戦っているの?」
どこか落ち着かない気持ちで、緋梅はふいに壮真にたずねた。
「陰陽師は、自然にあふれる霊力を操ることで、術を使う。それを応用するかたちで、堕ち神の霊力を操って元に戻すのだ」
「それは、あたしにも出来るかしら」
緋梅は早瀬川を見つめながら言った。緋梅は角を失った代わりに、角を使わずとも霊力を操る術を身に付けた。もしかしたら、これまでの鍛錬が堕ち神を救う手立てになるかもしれない。
「私は人間にしか教えたことがないが……やってみるか」
壮真は足を肩幅に開いた。
「私の腹に向けて、霊力をあつめてぶつけてみろ」
「……そんなこと、これまでずっとやってきたわ」
緋梅は集中して、壮真の腹に向けて風の球を思い描いた。両の手のひらに霊力を集めて練り上げる。
「――はぁっ!」
そして解き放った瞬間、空を裂く音を立てて風の球が一直線に飛んでいった。
「あぶないっ!」
緋梅が思わず叫んだ瞬間、壮真の目の前に眩い光の渦が爆ぜた。緋梅に応じるように放った壮真の霊力の塊は、緋梅のものと寸分違わぬ大きさで、轟音を立てて真正面からぶつかり合う。一瞬で足元の落ち葉を巻き上げ、そして静かにふたつの球は空気に溶けて消えていった。霊力の残滓が揺らめいた向こうに、驚いた壮真の表情がある。
「……そなた、霊力操ることもできるのか」
驚きの表情で、壮真が言った。
「自己流で、ずっとやってきたのよ」
緋梅は唇をわずかにあげる。角がなかったから、とは言えなかった。
「これなら、そなたにも手伝ってもらえそうだな」
「それって、あたしを認めてくれるってこと?」
たずねると、壮真は迷いなくうなずいた。
「もちろんだ。これを見せられて、黙って見ていろとは言えない」
「……やった。なんか、ちょっと嬉しいわね」
胸にじんわりと熱が広がる。壮真に認められるだけで、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
ふたりは再び歩き出した。濁流の音が次第に遠ざかり、水音も風のざわめきに溶けていく。開けた田畑のなかに、こんもりと生い茂る樹々が姿を現した。樹々のなかをくぐるように歩くと、緑のなかに鳥居が姿を現す。鳥居の奥には、苔むした小さな祠が静かにたたずんでいた。祠には栗やどんぐりがお供えされている。
玉藻が言っていたように、早瀬姫は人々の信仰を集めているように見えた。
「緋梅、なにか感じるか?」
祠の前に手を合わせた緋梅に、壮真はたずねる。
「いえ、今のところは何も」
緋梅は小さく首を横に振った。
「私もだ。鳥居をくぐった先は、神の領域。本来はそう言われているのだが、ここに神はいないようだ」
緋梅はぐるりと辺りを見渡す。静かな鳥の声と、樹々を揺らす風の音が微かに聞こえるだけだ。
「早瀬姫の居場所を探ってみよう」
壮真は懐から紙を取り出し、地面に投げつける。小さく唱えた声に応じて、紙から無数の蝶が現れた。純白の蝶は飛び上がり、壮真の目の前をひらひらと飛びまわる。
「いけ」
壮真の指先に従い、蝶は一斉に舞い上がり、空へと散っていった。
「早瀬姫の居場所を探るまで、しばらく待とう」
壮真が近くの岩に座った。緋梅も同じく腰を下ろす。
静かな時が流れる。しばらく待っていると、一匹の蝶が戻ってきて、祠の周りをぐるぐると周り始める。
「ここに何かあるのかしら」
緋梅がつぶやくと、壮真は顔色をさっと変えた。祠の前でもう一度なにかを唱えた瞬間、きぃぃんと金物を叩くような音が響いた。
「これは……!」
不快な音に顔をしかめると、壮真が焦った声をあげた。
「何があったの?」
緋梅の問いに、壮真は答えない。ただ険しい表情で祠を睨みつけている。ふっと風が吹き込み、緋梅の髪を撫でた。
「壮真……?」
もう一度呼びかけると、壮真は緋梅を見つめ返す。その表情から、ただならぬ事態が起こったのだと悟った。緋梅は思わず立ち上がった。
「早瀬姫は……おそらく上流にいる」
壮真の言葉に応じるように、蝶が緋梅の周囲をくるくると舞う。
そのとき、晴れ渡っていた空に、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。それはまるで、早瀬姫の涙のようだった。
早瀬姫の祠まではそう遠くない。稲荷山の中腹から西側に降りて、そこからまた登ると早瀬川の流れと合流する。
川幅はさほど広くないが、濁流は今にも岸を吞み込みそうに迫っていた。強い雨が降れば、たちまち氾濫してしまうだろう。
「いまは増水している様子だな」
壮真の言葉に、緋梅はうなずいた。ごうごうと音を立てながら、早瀬川は濁流を運んでいく。すべてを飲み込もうとする意志さえ感じられ、緋梅は思わずごくりと唾をのんだ。かすかに、歪んだ霊力のような気配が漂っている。
「陰陽師はどうやって、堕ち神と戦っているの?」
どこか落ち着かない気持ちで、緋梅はふいに壮真にたずねた。
「陰陽師は、自然にあふれる霊力を操ることで、術を使う。それを応用するかたちで、堕ち神の霊力を操って元に戻すのだ」
「それは、あたしにも出来るかしら」
緋梅は早瀬川を見つめながら言った。緋梅は角を失った代わりに、角を使わずとも霊力を操る術を身に付けた。もしかしたら、これまでの鍛錬が堕ち神を救う手立てになるかもしれない。
「私は人間にしか教えたことがないが……やってみるか」
壮真は足を肩幅に開いた。
「私の腹に向けて、霊力をあつめてぶつけてみろ」
「……そんなこと、これまでずっとやってきたわ」
緋梅は集中して、壮真の腹に向けて風の球を思い描いた。両の手のひらに霊力を集めて練り上げる。
「――はぁっ!」
そして解き放った瞬間、空を裂く音を立てて風の球が一直線に飛んでいった。
「あぶないっ!」
緋梅が思わず叫んだ瞬間、壮真の目の前に眩い光の渦が爆ぜた。緋梅に応じるように放った壮真の霊力の塊は、緋梅のものと寸分違わぬ大きさで、轟音を立てて真正面からぶつかり合う。一瞬で足元の落ち葉を巻き上げ、そして静かにふたつの球は空気に溶けて消えていった。霊力の残滓が揺らめいた向こうに、驚いた壮真の表情がある。
「……そなた、霊力操ることもできるのか」
驚きの表情で、壮真が言った。
「自己流で、ずっとやってきたのよ」
緋梅は唇をわずかにあげる。角がなかったから、とは言えなかった。
「これなら、そなたにも手伝ってもらえそうだな」
「それって、あたしを認めてくれるってこと?」
たずねると、壮真は迷いなくうなずいた。
「もちろんだ。これを見せられて、黙って見ていろとは言えない」
「……やった。なんか、ちょっと嬉しいわね」
胸にじんわりと熱が広がる。壮真に認められるだけで、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
ふたりは再び歩き出した。濁流の音が次第に遠ざかり、水音も風のざわめきに溶けていく。開けた田畑のなかに、こんもりと生い茂る樹々が姿を現した。樹々のなかをくぐるように歩くと、緑のなかに鳥居が姿を現す。鳥居の奥には、苔むした小さな祠が静かにたたずんでいた。祠には栗やどんぐりがお供えされている。
玉藻が言っていたように、早瀬姫は人々の信仰を集めているように見えた。
「緋梅、なにか感じるか?」
祠の前に手を合わせた緋梅に、壮真はたずねる。
「いえ、今のところは何も」
緋梅は小さく首を横に振った。
「私もだ。鳥居をくぐった先は、神の領域。本来はそう言われているのだが、ここに神はいないようだ」
緋梅はぐるりと辺りを見渡す。静かな鳥の声と、樹々を揺らす風の音が微かに聞こえるだけだ。
「早瀬姫の居場所を探ってみよう」
壮真は懐から紙を取り出し、地面に投げつける。小さく唱えた声に応じて、紙から無数の蝶が現れた。純白の蝶は飛び上がり、壮真の目の前をひらひらと飛びまわる。
「いけ」
壮真の指先に従い、蝶は一斉に舞い上がり、空へと散っていった。
「早瀬姫の居場所を探るまで、しばらく待とう」
壮真が近くの岩に座った。緋梅も同じく腰を下ろす。
静かな時が流れる。しばらく待っていると、一匹の蝶が戻ってきて、祠の周りをぐるぐると周り始める。
「ここに何かあるのかしら」
緋梅がつぶやくと、壮真は顔色をさっと変えた。祠の前でもう一度なにかを唱えた瞬間、きぃぃんと金物を叩くような音が響いた。
「これは……!」
不快な音に顔をしかめると、壮真が焦った声をあげた。
「何があったの?」
緋梅の問いに、壮真は答えない。ただ険しい表情で祠を睨みつけている。ふっと風が吹き込み、緋梅の髪を撫でた。
「壮真……?」
もう一度呼びかけると、壮真は緋梅を見つめ返す。その表情から、ただならぬ事態が起こったのだと悟った。緋梅は思わず立ち上がった。
「早瀬姫は……おそらく上流にいる」
壮真の言葉に応じるように、蝶が緋梅の周囲をくるくると舞う。
そのとき、晴れ渡っていた空に、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。それはまるで、早瀬姫の涙のようだった。
