輿を降りた緋梅たちの前には、朱塗りの鳥居が立ち並んでいた。山の頂上に向けて、いくつも連なっていくその参道は、神秘的な雰囲気を醸し出している。
「頂上まではどれくらいかかるの?」
鳥居は並んでいるものの、足元は雑草が踏まれただけの獣道だ。ここから先を登っていくのは、なかなか骨が折れそうだった。
「母ちゃんの社までは、もう少しだ」
そう言って、葉隠が先頭に立った。緋梅は壮真と並んで、葉隠の後を追って、稲荷山に足を踏み入れた。鳥居をくぐって歩いていると、秋の訪れを間近に感じる。紅葉が始まり、赤と緑が溶け合う樹々のあいだから、一足早く真紅に染まった漆が鮮やかに浮かび上がる。落ち葉をさくさくと踏みながら、緋梅は葉隠の母が待つ頂上を目指す。
途中、かさりと音がして顔をあげると、獣道の両脇から大小さまざまな狐たちがこちらを見つめていた。
「おお、みんな! 迎えにきてくれたのか」
嬉しそうに葉隠が声をかけると、それに答えるようにこんこんと鳴き声をあげた。白、赤、金、黒、色も大きさも様々だが、どの狐も艶やかな毛並みをしていた。
「いっぱいいるのね……」
緋梅が思わずつぶやいた。次々と現れた狐たちがわらわらと寄ってきて、緋梅の足元に袖に鼻先を寄せてくる。
「ほう、こんなに好かれているとは」
壮真が驚きの声をあげた。
「私が最初に来たときは、ここまで歓迎されなかったな」
口調はどこか寂しそうで、緋梅は笑い声をあげた。
「壮真はどことなく、近寄り難い雰囲気があるもの。仕方ないわ」
冗談めかして言った緋梅の言葉に、壮真は眉を寄せた。
「そうか……?」
「むしろ、自分では気づいてなかったの」
心なしか、壮真が肩を落としたように見える。緋梅はしまったと口元を抑えた。その様子があまりに不釣り合いで、緋梅の口元は自然と緩んだ。
やがて、参道はどんどんと狭くなっていく。そして、大きな社殿が見えてきた。その前に、きらびやかな唐衣(からぎぬ)をまとった女性が立っている。艶やかな黒髪が肩に流れ、朱で彩られた目元が妖艶さを際立たせていた。背には、大きな白い尻尾がゆったりと揺れている。
「母ちゃん、ただいま!」
葉隠が弾かれるように駆け寄り、その胸に飛び込む。女性は柔らかく抱きとめ、緋梅を見てにこりとほほ笑んだ。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは玉藻と申します。稲荷神として五穀豊穣を司っております」
深々と一礼し、そして壮真を見た。
「いつも葉隠がお世話になっております。なにか粗相はしておりませんか?」
「いや、いつもよくやってくれています」
壮真の言葉に、葉隠は玉藻の腕のなかで胸を張った。
「俺はすごい霊獣だからな! もちろん粗相なんてしてないぞ」
「でも葉隠。あなた、危険な目に遭ったって聞いたけれど?」
「そ、それは……」
葉隠の耳がしょんぼりと下がる。
「それを、あの鬼の姫さまが助けてくれたんだ」
玉藻の視線が緋梅に注がれる。玉藻はすこし不思議そうな顔をしながら、緋梅に近づいた。
「あなたが鬼の姫、ですね。不思議な霊力をしているのね? 鬼、とも言い切れないような」
角がないことはお見通しとでも言うような言葉に、緋梅は思わず身体を強張らせた。だがすぐに気持ちを整え、にこりと笑みを返す。
「あなたのおかげで葉隠が救われたと聞きました。葉隠を救っていただき、感謝いたします」
「いえ……あたしは出来ることをしただけです」
玉藻は金色の瞳をやわらかく細めた。
「狐は恩を忘れません。なにかあったら必ずや力になりましょう」
その言葉を受けて、壮真が一歩前へ進み出た。
「玉藻さま。最近、堕ち神が増えているという噂を耳にしました。なにかご存知ありませんか?」
問いかけに玉藻ははっと瞳を見開いた。尾がかすかに揺れる。
「はい。悲しいことに、わたくしのもとにも届いております。つい最近は早瀬姫の様子が……」
言葉を濁し、玉藻は目を伏せた。
「早瀬姫?」
「早瀬姫は、早瀬川を司る姫神のこと……ですよね?」
緋梅の問いを引き継ぐかたちで、壮真がたずねた。壮真の言葉に、玉藻はうなずく。
「はい。早瀬姫とは古くから交流がありますが……こんなことは初めてです。このところ、早瀬川の水位がおかしいのです。増水したと思えば水位が低くなり、低くなったと思えば増水してを繰り返していて……」
「何か心当たりは?」
玉藻は首を横に振った。
「早瀬姫は優しい神です。人からも愛される神で、信仰も失っていません。早瀬姫が堕ち神になったなんて、わたくしは信じたくありません」
「なるはずのない神たちが、堕ち神になっているということですか?」
壮真の言葉に、玉藻は悲痛な面持ちでうなずいた。
「わたくしが知る限り、ですが」
「堕ち神ってなに?」
緋梅は壮真の袖を引いてたずねた。玉藻が悲しそうにしているところを見ていたくはない。何かできることがあるなら、玉藻の力になりたかった。
「屋敷を襲った化け物がいただろう? 信仰を失い、暴走した神のなれの果て――それが堕ち神だ」
「屋敷を襲ったあの化け物も、もとは人間から崇められてた存在だったってこと?」
緋梅の言葉に、壮真はうなずいた。
あの化け物の身体のなかで見た祠。あの祠は、もとは神さまだったときに祀られていたものだったのかもしれない。緋梅はあの化け物の心臓部分であった勾玉を壊してしまった。
(あたしのせいで、もう戻れなくなってしまったのかもしれない……)
緋梅の胸がきゅっと痛む。壊した勾玉の感触はまだ手のひらに残っている。あの時は守るために必死だった。仕方なかったとはいえ、胸が苦しい。
「堕ち神になってしまった神さまを元に戻すには、どうしたらいいの?」
「暴走する霊力を鎮めることで、もとに戻せる可能性は高まる。……だが、一度人からの信仰を失った神がもとに戻る可能性は低い」
「その早瀬姫って神さまは、もとに戻せるの?」
「早瀬姫に会ってみないと、わからない。早瀬姫がまだ信仰を集めているのなら、まだ間に合うかもしれない」
「じゃあ、いくしかないわね」
緋梅は覚悟を決めて口を開いた。壮真も大きくうなずく。
「もとより、そのつもりだ」
「なんだ。あたしが心配だから来てくれたわけじゃなかったのね」
憎まれ口を叩くと、壮真はにやりと笑った。
「もちろん、それもあったさ」
こんな素直に外出が認められるはずがないと思っていた。それでも、誰かのために動くのは、嫌いではない。
「おふたりとも、どうかお気をつけてくださいね」
玉藻が心配そうに言った。緋梅たちは玉藻に丁寧に礼をして、稲荷山を発った。次の行き先は、早瀬川だ。
「頂上まではどれくらいかかるの?」
鳥居は並んでいるものの、足元は雑草が踏まれただけの獣道だ。ここから先を登っていくのは、なかなか骨が折れそうだった。
「母ちゃんの社までは、もう少しだ」
そう言って、葉隠が先頭に立った。緋梅は壮真と並んで、葉隠の後を追って、稲荷山に足を踏み入れた。鳥居をくぐって歩いていると、秋の訪れを間近に感じる。紅葉が始まり、赤と緑が溶け合う樹々のあいだから、一足早く真紅に染まった漆が鮮やかに浮かび上がる。落ち葉をさくさくと踏みながら、緋梅は葉隠の母が待つ頂上を目指す。
途中、かさりと音がして顔をあげると、獣道の両脇から大小さまざまな狐たちがこちらを見つめていた。
「おお、みんな! 迎えにきてくれたのか」
嬉しそうに葉隠が声をかけると、それに答えるようにこんこんと鳴き声をあげた。白、赤、金、黒、色も大きさも様々だが、どの狐も艶やかな毛並みをしていた。
「いっぱいいるのね……」
緋梅が思わずつぶやいた。次々と現れた狐たちがわらわらと寄ってきて、緋梅の足元に袖に鼻先を寄せてくる。
「ほう、こんなに好かれているとは」
壮真が驚きの声をあげた。
「私が最初に来たときは、ここまで歓迎されなかったな」
口調はどこか寂しそうで、緋梅は笑い声をあげた。
「壮真はどことなく、近寄り難い雰囲気があるもの。仕方ないわ」
冗談めかして言った緋梅の言葉に、壮真は眉を寄せた。
「そうか……?」
「むしろ、自分では気づいてなかったの」
心なしか、壮真が肩を落としたように見える。緋梅はしまったと口元を抑えた。その様子があまりに不釣り合いで、緋梅の口元は自然と緩んだ。
やがて、参道はどんどんと狭くなっていく。そして、大きな社殿が見えてきた。その前に、きらびやかな唐衣(からぎぬ)をまとった女性が立っている。艶やかな黒髪が肩に流れ、朱で彩られた目元が妖艶さを際立たせていた。背には、大きな白い尻尾がゆったりと揺れている。
「母ちゃん、ただいま!」
葉隠が弾かれるように駆け寄り、その胸に飛び込む。女性は柔らかく抱きとめ、緋梅を見てにこりとほほ笑んだ。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは玉藻と申します。稲荷神として五穀豊穣を司っております」
深々と一礼し、そして壮真を見た。
「いつも葉隠がお世話になっております。なにか粗相はしておりませんか?」
「いや、いつもよくやってくれています」
壮真の言葉に、葉隠は玉藻の腕のなかで胸を張った。
「俺はすごい霊獣だからな! もちろん粗相なんてしてないぞ」
「でも葉隠。あなた、危険な目に遭ったって聞いたけれど?」
「そ、それは……」
葉隠の耳がしょんぼりと下がる。
「それを、あの鬼の姫さまが助けてくれたんだ」
玉藻の視線が緋梅に注がれる。玉藻はすこし不思議そうな顔をしながら、緋梅に近づいた。
「あなたが鬼の姫、ですね。不思議な霊力をしているのね? 鬼、とも言い切れないような」
角がないことはお見通しとでも言うような言葉に、緋梅は思わず身体を強張らせた。だがすぐに気持ちを整え、にこりと笑みを返す。
「あなたのおかげで葉隠が救われたと聞きました。葉隠を救っていただき、感謝いたします」
「いえ……あたしは出来ることをしただけです」
玉藻は金色の瞳をやわらかく細めた。
「狐は恩を忘れません。なにかあったら必ずや力になりましょう」
その言葉を受けて、壮真が一歩前へ進み出た。
「玉藻さま。最近、堕ち神が増えているという噂を耳にしました。なにかご存知ありませんか?」
問いかけに玉藻ははっと瞳を見開いた。尾がかすかに揺れる。
「はい。悲しいことに、わたくしのもとにも届いております。つい最近は早瀬姫の様子が……」
言葉を濁し、玉藻は目を伏せた。
「早瀬姫?」
「早瀬姫は、早瀬川を司る姫神のこと……ですよね?」
緋梅の問いを引き継ぐかたちで、壮真がたずねた。壮真の言葉に、玉藻はうなずく。
「はい。早瀬姫とは古くから交流がありますが……こんなことは初めてです。このところ、早瀬川の水位がおかしいのです。増水したと思えば水位が低くなり、低くなったと思えば増水してを繰り返していて……」
「何か心当たりは?」
玉藻は首を横に振った。
「早瀬姫は優しい神です。人からも愛される神で、信仰も失っていません。早瀬姫が堕ち神になったなんて、わたくしは信じたくありません」
「なるはずのない神たちが、堕ち神になっているということですか?」
壮真の言葉に、玉藻は悲痛な面持ちでうなずいた。
「わたくしが知る限り、ですが」
「堕ち神ってなに?」
緋梅は壮真の袖を引いてたずねた。玉藻が悲しそうにしているところを見ていたくはない。何かできることがあるなら、玉藻の力になりたかった。
「屋敷を襲った化け物がいただろう? 信仰を失い、暴走した神のなれの果て――それが堕ち神だ」
「屋敷を襲ったあの化け物も、もとは人間から崇められてた存在だったってこと?」
緋梅の言葉に、壮真はうなずいた。
あの化け物の身体のなかで見た祠。あの祠は、もとは神さまだったときに祀られていたものだったのかもしれない。緋梅はあの化け物の心臓部分であった勾玉を壊してしまった。
(あたしのせいで、もう戻れなくなってしまったのかもしれない……)
緋梅の胸がきゅっと痛む。壊した勾玉の感触はまだ手のひらに残っている。あの時は守るために必死だった。仕方なかったとはいえ、胸が苦しい。
「堕ち神になってしまった神さまを元に戻すには、どうしたらいいの?」
「暴走する霊力を鎮めることで、もとに戻せる可能性は高まる。……だが、一度人からの信仰を失った神がもとに戻る可能性は低い」
「その早瀬姫って神さまは、もとに戻せるの?」
「早瀬姫に会ってみないと、わからない。早瀬姫がまだ信仰を集めているのなら、まだ間に合うかもしれない」
「じゃあ、いくしかないわね」
緋梅は覚悟を決めて口を開いた。壮真も大きくうなずく。
「もとより、そのつもりだ」
「なんだ。あたしが心配だから来てくれたわけじゃなかったのね」
憎まれ口を叩くと、壮真はにやりと笑った。
「もちろん、それもあったさ」
こんな素直に外出が認められるはずがないと思っていた。それでも、誰かのために動くのは、嫌いではない。
「おふたりとも、どうかお気をつけてくださいね」
玉藻が心配そうに言った。緋梅たちは玉藻に丁寧に礼をして、稲荷山を発った。次の行き先は、早瀬川だ。
