鬼姫の失せもの探し

「心臓……ということは、あいつの中心部にあるのね?」
「あぁ。そうだ、最初にあいつが出てくる前に、僕が壊しておけばよかった」
 弟子が唇を噛む。緋梅は腕のなかで震えているふう子を、弟子に渡す。ふう子が縋るような瞳で、緋梅を見上げた。緋梅は笑みを作り、ふう子を安心させるようにその頭をぽんぽんと撫でた。
「ふう子を頼んだわ」
「お、鬼の姫。本当に行くのか」
 弟子は顔をこわばらせて言った。
「あたしが行くしかないでしょ!」
 覚悟を決めて息を吐き、緋梅は化け物めがけて走り出した。恐怖がなかったわけではない。だが、それ以上に――葉隠を、誰ひとり失いたくない気持ちが大きかった。化け物は緋梅を歓迎するかのように、大きく膨らんだ。鼻が曲がるような悪臭が押し寄せたが、緋梅は眉ひとつ動かさず、そのまま化け物の中へ飛び込んだ。
 ぬめりとした闇が、緋梅の全身を吞み込む。そこは、外界とは隔絶された空間だった。水の中にいるような、静謐な場所。緋梅は息を止めながら、手足をばたつかせて泳ぎの姿勢をとった。
 闇は泥のようにまとわりつき、手足を絡め取ろうとする。だがそれを断ち切るように、力強く手足で前へと進む。
 やがて、ぼんやりと浮かぶ影が視界に現れた。枯れ木や、岩、そして古びた祠が闇のなかに浮かんでいた。緋梅はそれらを一瞥して、葉隠と勾玉の姿を探す。
(姫さま、あっちだ――!)
 そのとき、脳内に葉隠の声が届いた気がした。声がした方向を見ると、そこにぽつんと赤黒い光が見えた。緋梅は光の中心をめがけて急いだ。
 前に進むたびに、闇の中から不規則な脈動が伝わってくる。進むほどに、赤黒い光が緋梅を照らす。その光の中心に、鮮烈な光を放つ勾玉の姿があった。まるで鼓動のように脈打ち、周囲の闇を赤黒く染めている。
(見つけた……!)
 緋梅は勾玉に手を伸ばした。触れた瞬間、手が焼けるような感覚に襲われる。緋梅は負けてなるものかと、勾玉をむんずと掴んだ。焼けそうな痛みに涙がにじんだが、決して手を離さない。そのまま渾身の力を込めて、手のひらで握りつぶした。
 ぱぁん、と何かがはじける音がして、闇が壊れる。そして気づいたときには、緋梅は屋敷のなかに転がっていた。身体のなかに新鮮な空気が入ってくる。緋梅はぜぇぜぇと荒い息をついた。緋梅の隣には、同じように転がっている葉隠の姿があった。
「葉隠……!」
 緋梅の呼びかけに、葉隠は薄っすら目を開けた。
「お、お前。俺の声が届いたんだな」
「ありがとう、おかげでわかったわ」
 葉隠の声は弱弱しいながらも、命に別条はないようだ。緋梅はほっと息を吐いた。
 そのとき、ふと、視界の先に動くものが見える。そこには、小さくなった泥が床をはいずっていた。緋梅は立ち上がり、思い切り足で踏んづけた。それと同時に、泥がじゅうと焼けるような音をたてて蒸発する。それと同時に、あたりに立ち込めていた匂いもなくなった。心のざわつきも、いつの間にか気にならなくなっていた。
「鬼の姫!」
「緋梅さま!」
 後ろから声がかかる。振り向くと、泣きそうな顔をしたふう子と弟子が走ってくる様子が見えた。
「本当に無茶なことをして……! 怪我はないか?」
「えぇ、あたしはぴんぴんしてるわ」
 緋梅の答えに、弟子はほっと息を吐いた。
「よかったぁ……。僕のせいで、みんなを危険に晒すとこだった」
 気が抜けたように、弟子はへたりと座り込んだ。
「でも、あんたが勾玉のことを教えてくれなきゃ、あいつを倒せなかった」
 そう言って、緋梅は弟子の隣に座り込んだ。
「……あいつをこの屋敷に入れたのは、僕だ。師匠が帰るまで待っていれば、こんなことにはならなかったのに」
 頭を抱えながら、弟子は言った。緋梅は辺りを見渡す。泥で焼け焦げた床に、黒い染みにまみれた壁と天井。これを綺麗にするのは、骨が折れそうだった。
「あたしも結界壊しちゃったし、一緒に怒られましょうよ」
「あっ! たしかに結界から出てるじゃないか」
「みんな無事でよかったの! 喧嘩しないの!」
 ふう子が小さな身体でふたりの間に飛び込んでくる。必死な姿を見て、ほっとして自然と笑みがこぼれた。
「……それも、そうだな。結界のことは僕も一緒に怒られよう」
 大きなため息をつきながら、弟子は立ち上がる。
「少しでも怒られる要素を少なくしておくか。鬼の姫さまは、掃除できるか?」
「もちろん、それぐらい余裕よ」
 緋梅も立ち上がった。弟子の顔は、どこか吹っ切れた表情をしている。
「僕は、晴仁。あらためてお礼を言うよ。ありがとう」
 そう言って、晴仁は緋梅の前で一礼した。その姿に、緋梅の胸にあたたかいものがこみ上げてくる。ずっとぎこちなかった関係が、ようやく動き出したような気がした。
「緋梅さま。これまでの無礼をお詫び申し上げます」
 かしこまった姿に、緋梅は困惑する。
「これまで通りでいいわ。そんなにかしこまられたら、かえって窮屈よ」
 晴仁はにやりと笑った。
「じゃあ、鬼の姫さま。あんたにはあっちの掃除をお願いできるかい?」
 緋梅は大きくうなずいた。

* * *

「……!」
 異変を感じ取ったのは、帝の御前でのことだった。
 従兄弟であり、旧知の仲でもある帝は、壮真の様子を察知して、ちらりと視線を寄こす。
 屋敷に張り巡らせていた結界の内側に、嫌な気配が走った。何かが、屋敷の中に侵入したのだ。ただの嫌な気配ではない。それよりはるかに強大な――人ならざる霊力。壮真の背に冷や汗がつたった。
(なんだ、この感覚は)
 まるで、壮真自身が、標的にされているかのような感覚だった。弟子の晴仁だけで果たして対処できるだろうか。壮真は思わず腰を浮かせたが、すぐに座り直した。
 ここは朝議の場。大臣たちが集い、今後の政を論じている最中である。陰陽師たちを束ねる陰陽頭として、壮真には国の状態を知る必要がある。ここで席を立てば、また大臣たちに侮られる。
 壮真は唇を噛んだ。鬼との戦がようやく終結したのも陰陽師たちの働きあってこそだというのに、大臣たちはその功績を顧みようともしない。自分の目に見える範囲でしか、大臣たちは判断できないのだ。
「実りの秋が近づいているが、今年の収穫はどうですかな」
「米の出来は問題ないようですが……早瀬川の様子がどうにも――」
 大臣がそう口にしたとき、壮真はついに立ち上がっていた。
(鬼の姫の結界が、破られた……?)
 壮真が離れに張ったはずの結界が――破られた。
 鬼の姫を受け入れてから数日。彼女は大人しくしているようだった。緋梅の監視として付けたふう子や葉隠からも、特に報告はあがっていない。壮真が想定していたよりもずっと、鬼の姫は物分かりが良いようだった。
 鬼の姫が大人しくすればするほど、壮真は警戒を強めていた。なぜなら、聡明だった壮真の父は鬼に討たれたのだ。いまの壮真よりもずっと強い陰陽師であった父を、壮真は尊敬していた。だからこそ思う。父が鬼にただ討たれて死ぬとは思えない。なにか、卑劣な罠を仕掛けられたのだと。
(――鬼の姫も同様だ。信頼させておいて、いずれ裏切るに決まっている)
「陛下。一大事にて、朝議の途中ですがこれにて失礼いたします」
 壮真を理解している帝は、何も聞かずにうなずいた。
「わかった。はやくいってこい」
「陛下。血縁の者だからといって、東雲家を優遇しては――」
「よい。お主らに、壮真と同じことができるのか。都が一大事になっても、責任をとれぬだろう」
 帝の反論を後ろに聞きながら、壮真は朝議を辞し、家路へと急いだ。