――――宴の日がやって来た。
寝室の小卓の上に置かれた二つの紙風船。ひとつは結界の練習に付き合ってくれた白鬼さんの紙風船。もうひとつは……嫁いだ時にてっきりなくしたと思っていたお守り。膨らまないままではあるものの、衣を回収した誰かが捨てないで置いてくれたのだ。

「……お兄ちゃん、行ってくるね」
お守りに触れ、決意を新たにする。

私は柘榴さんたちの元へ向かい支度を手伝ってもらった。今までは晴れ着など着ることを赦されなかった。

「よく似合ってる」
支度を終えて棕櫚と落ち合えばそう声をかけてもらえた。

「その、ありがとう。ええと……棕櫚は……」
今日はさすがにいつもの着崩した装いではないものの、腰には刀がある。

「これか?」
棕櫚が刀の柄に手を寄りかける。

「俺は例外だからな」
どういう意味なのだろう。棕櫚はそう言った任に就いていると言うこと……?

「さて、行こうか」
差し出される手を取る。そこにはもう躊躇いも戸惑いもない。

「うん」
宮中にはほかにも白鬼さんや青霧の術者たちが付いてきてくれる。私と棕櫚以外はみな布面だが。

「雰囲気があるだろ?これが牽制にもなる」
「ただの悪戯好きでもあるわね」
「ええと……っ」
布面の柘榴さんの言葉に棕櫚が口ごもる。

「まあうちをナメてかかる連中への牽制にもなるから安心してね、牡丹ちゃん」
クスクスと笑う柘榴さんもどこか悪戯好きの気質があるように思えてしまう。

馬車が進む。ここはただびとはまず入れない、国の中枢だ。
当主夫妻の両親なら来ることはあっても、役立たずとされていた私たちが連れて来てもらえるはずも無い。

「大丈夫だ、牡丹。堂々としていろ」
「……うん」
棕櫚の妻として、青霧の当主の妻として気を引き締めなくては。門の中へと進む。その最中、高価そうな衣を身に付けた貴人たちの姿が目に入る。

『あれは異能殺しども』
『異能殺しどもの当主め。また宮中に無粋な刀を……』
『しかしあの娘は誰だ?鈴蘭さまは異能殺しに嫁入りした暮無の娘のことを話しておられた』
鈴蘭の話題……っ。早速私のことを言いふらしているのか。

『異能殺しに殺されたのでは』
『あの家では外から嫁ぐ花嫁たちがよく失踪する』
『しかし生きている』
『たいした力もないと言う。だからであろうか。確か……死んだ兄と同じ使えぬ穀潰し』
「……っ」
お兄ちゃんのことを……っ!

「捨て置け、牡丹」
隣から棕櫚の優しい声が怒りを鎮めてくれる。
「あれらこそ、異能殺しに殺される価値すらないものども。青霧の当主の嫁の意味すら分からぬものなど相手にする必要はない」

「その通りだ。放っておいても自滅する」
「白鬼さん?」
そして次の瞬間悲鳴が上がる。

『ひぃっ!?鬼火!?』
え……鬼火?

「物忌みのよい言い訳になるわね。あのようなものども、宮中にいられては空気が淀むわね」
振り返ろうとすれば柘榴が布面の下でにこりと微笑んでいるような気がした。

「でかした、柘榴」
「ふふふっ」
柘榴さんに白鬼が告げると、柘榴が意味深に笑う。何だか悪戯好きなのは青霧一門の性質のように思えてしまったのは気のせいだろうか。

「さて、俺たちの席は向こうだ」
棕櫚が案内した席は随分と手前ではないだろうか。

「春宮はまだ来ていない。俺たちは控えに座る」
つまりは春宮の席の少し後ろに控える臣下の席……って春宮!?

「春宮って……そのっ」
「そうだぞ、牡丹。あとそこの御簾の向こうには帝が座する席がある」
帝まですぐ目と鼻の先に……座する?顔は直接見られないとはいえ、あちらはこちらを見ている。
棕櫚が促すままに座ってしまったが緊張で頭が真っ白になりそうだった。
「緊張せずとも大人しくしていれば何ともない」
「そうは……言っても……」
しかしそんな動揺も束の間、聞きたくなかった声が響く。

「どうしてここに場違いの女がいるのかしら。牡丹」
それは華やかに着飾った鈴蘭であった。その傍らには驚愕する和臣、さらには12、3歳ほどの少女がおり顔立ちはとても整っている。

「帝の次女、茉莉花内親王であらせられる。つい10日ほど前に12歳になられたとか」
柘榴さんが小さな声で教えてくれる。内親王……いわゆる【姫】と呼ばれる御方だ。

「そこはお兄さまの席!お前は鈴蘭お姉さまが悪い女だって言ってた!」
茉莉花があからさまに私に指を指したことで棕櫚の視線が怪訝なものになる。しかし……鈴蘭が【お姉さま】……か。

「そうよ。茉莉花」
現状鈴蘭とは身分が違うはずなのに鈴蘭は茉莉花姫に敬称すら付けない。乳母兄弟などでもない以上、鈴蘭がそうするのは暮無に寄生していようとも結局は自分()お姫さまのつもりでいるからだろう。

「この女は暮無家で私を虐げたとても悪い女なの」
「……っ」
また息をするかのような嘘を……っ。しかしここで反論するのは不味いかもしれない。相手は鈴蘭。さらには内親王までいるのだ。下手したら青霧家が……っ。

「……はっ。バカバカしい」
その時棕櫚があからさまに嘲笑するように漏らす。

「牡丹は青霧当主である俺の妻だ」
「何ですって!?当主の妻だなんて聞いてないっ」
この縁談を差し向けたのはあなたじゃない。それでも暮無家も和臣も奪い取り欲しかったものを私が持っていることへの怨みが渦巻いているようだ。

「帝から来たのは青霧家への縁談だ。相手の指定はなかった」
だから歳の近い未婚男性の棕櫚が夫となってくれた。

「誰の妻とするか、俺が誰を妻とするか。そんなのは当主の俺の自由だ」

「そんなの認めませんわ!その女は本当に悪どく……」
「牡丹が?牡丹はそんな子ではない」
「私の言うことに異を唱える気かしら」

「唱えるが?」
「卑しい異能殺しめが!何様のつもり?」
卑しいって……棕櫚たちが担っている役目は私たちが生きていくために必要なこと。卑しくなんてないのにっ!

「俺は青霧家当主。お前はたかだか暮無の養女だろう」
「わ、私は……っ」
鈴蘭も言えないのだ。だが周囲は鈴蘭がどういう血筋なのかを知っているから、何も言わずとも贔屓する。彼女が黒と言えば白も黒となる。

「それも……結界の異能も持たぬ」
鈴蘭は暮無の家を手に入れたつもりでいるが、そこに異能を受け継ぐ直系は誰ひとり存在しない。自分が贅沢をして女帝であるそのためだけに家を手に入れ、貴族としてのお役目は全て分家に押し付けている。

「こう言うのを何と言ったか……?そうだ……役立たずだ」
棕櫚がニヤリと嗤った瞬間、鈴蘭が顔を真っ赤にして怒りを溜めている。ただ暮無に寄生するだけの……本当の役立たず。

「何だ?文句があるのなら言ってみろ。役立たずの言葉が優先されると思うのならな」
「私が誰の血を引いているか分かっていないつもりかしら」

「どうでもいい。誰の血を引いていようが今のお前はただの貴人の養女にかわりない」
「これは侮辱だわ。『お父さま』に報告してもよろしくてよ」
その『お父さま』攻撃に誰もが怯む。それが誰を示しているのか、誰もが最悪の想像をするから。

「暮無の当主か?ハハハッ。なら青霧の当主に笑われたことを伝えておいてくれ」
まあ、確かに今の鈴蘭の父親は暮無のということになっているのだから。

「違……っ、あなたも貴族なら分かるでしょう?」
それでも鈴蘭は引き下がる素振りを見せない。

「何が?」
棕櫚は余裕たっぷりに惚けて見せる。
「平民でも分かることよ!」
「誰だって家系図を見りゃ分かるだろ?」
「だからその家系図は暮無ではなく……のっ」
本来ならばここまで来れば相手が忖度する。しかし一向に『お父さま』攻撃の効かない棕櫚に鈴蘭は徐々に焦りを見え隠れさせる。

――――しかしながら次の瞬間、勝ち誇ったように笑む。

「そうだ。茉莉花が不敬であると告げているわ」
え……?
「ねえ、茉莉花。お姉さまの言うこと、合っているわよね」
本来ならば『姉』と名乗れない立場であるのに、それを利用して茉莉花内親王に言わせる気!?確かに茉莉花内親王ならば帝の血を引く娘として堂々と名乗れるけど。

「ね、茉莉花。お姉さまの言いたいこと、分かるでしょう?」
「……は、い、お姉さま」
「不敬よね?不敬だわ。そうでしょう?不、敬、よ、ね。ま、つ、り、か」
「ふ……不敬、です」
む……無理矢理言わせた!?

「聞いたかしら?茉莉花も不敬だと告げている。あなたの私への態度が!」
この瞬間、茉莉花内親王まで罪を着せたのだ。鈴蘭はその事に気が付いていないわけがない。
妹として扱って起きながら、自分の保身の方が大切なのだ。

「だから何だ?なあ、お姫さまよ。知っているか」
棕櫚の鋭い双眸が震える茉莉花内親王を捉える。
「嘘をついて他者を貶めようとすれば、その死後地獄門が開かれ地獄の鬼たちに連れていかれる。その覚悟があってやっていることか?」

「……それ、は……っ」
茉莉花内親王が震えている。

「子ども相手に何て恐ろしい話をするのかしら」
しかしその時、棕櫚の問いを中断するように鈴蘭が間に入る。妹を庇ったわけではない。自分の保身が崩れるのを恐れているからだ。

「嘘つきは泥棒の始まり。地獄で閻魔大王に舌を抜かれる。何処の家庭でも親が子に教え込むことだろう?お前は教わらなかったのか」
「そんな恐ろしい話、お父さまがするはずがないわ!」
「では乳母は?」
棕櫚が乳母の名を出した瞬間、鈴蘭の顔色が変わる。

「今は乳母は関係ありませんわ!それに今はあなたの私への不敬について議論しているのではなくて?話をそらさないでくれるかしら」
そらしたのはそちらでは?

「茉莉花もあなたが不敬と決めている。ならば私への不敬であなたも、そして牡丹。あなたも道連れよ!さあ、こやつらを全員捕らえなさい!」
その血筋ゆえに、鈴蘭は周囲が自分に従うものと信じて疑わない。まずい……いくら棕櫚たちが強くとも多勢に無勢。周囲の視線が私たちに注がれる。一部の警備のものたちや異能者たちが鈴蘭に従うべきか身構える。

「なら、お前に従い彼らを捕らえようとしたものは反逆罪で投獄することにしよう」
しかしその時響いた冷静な声に身構えていたものたちは顔を青くして構えを解いた。