――――昨夜の騒動が落ち着き、もう昼過ぎのことである。

「こうして……うさちゃんに」
またひとつできた。

「ふあぁ……よく寝た……」
棕櫚さまが眠たげに瞼を擦りつつ私の手元を見る。

「……林檎か?」
「うん。うさちゃんの形にしてるの。柘榴さんたちに教えてもらって……」
「アイツら手先が器用だからな。教わるのは楽しいか?」
「もちろん……!私も楽しいって思えたのは初めてで……」
実家では生き延びるため、鈴蘭の顔色を窺うので手一杯だった。

「喜んでもらえるのも、初めてで……」
「ふふっ。そうか。顔を見ていれば分かる」
「……っ」
そんなに分かりやすかったろうか?

「牡丹はいい笑顔で笑うな」
笑顔……私、いつの間に……?

「それにようやっとみな布面卒業だ。ようやっと本当の青霧家を見せられたな。青霧家はどうだ?」
「……その、みなさん優しくて……今日も病み上がりだからって座っての作業にしてくれたの」
暮無の家では許されなかったことだ。

「だから……穏やかで、温かいと思う」
「そうそ、うちのいいところ!牡丹も気に入ったか?」
「……もちろん!」
ここで生きたいと思えた。生きていけると思った。

「それじゃぁ歓迎の印に、まずはひとつ」
棕櫚さまがにこりと微笑みウサギ型に切った林檎を差し出した。

「えと……でも」
「林檎ってのは切ってすぐに食べないと酸化すんだろ?だからそのつもりでアイツらも任せたんだろ。これは牡丹と俺のおやつ」
「棕櫚さまと私の……?」
それは思っても見なかった。

「そうそ」
それなら……もぐもぐと咀嚼すればみずみずしくて甘酸っぱい。

「旨いか?」
「うん」
「なら俺も」
棕櫚さまも林檎を摘まむ。

「ん。なかなかいい林檎だ」
「うん……棕櫚さま」
「棕櫚でいい。『さま』はいらねえよ。夫婦だろ?」
「……っ!」
その響きに思わずドキッとくる。

「私でいいの?」
「無論。でなければ結納の儀などしない」
「けど、 私は禁を破ってしまったから……」
「禁など破るものだ。大切なのは破った後どうするか、だ」
「へ?」
その理論に呆けてしまう。

「あむっ」
「ほら、褒美だ」
さらには棕櫚がその隙にウサギ型の林檎を口に入れてくる。ほ、褒美って……?

「牡丹はしっかりと結果を残した。であればそれでいい」
「それって結界のこと……?」
「そうだ。だからこそ牡丹はちゃんと俺の嫁だ」
「棕櫚のお嫁さん」

「ああ」
棕櫚がにこりと頷く。

「そして牡丹にはここで暮らすために覚えてもらわないといけないことがたくさんある」
「う……うん」
それもここで受け入れてもらったからこそ、教えてもらえるってことか……。

「改めて、俺は青霧の当主・青霧棕櫚」
「当主さま!?」
みなの接し方からしてただ者ではないと分かっていたが。つまり私は当主の妻……?私に務まるだろうか。

「そう、そしてこの封印の異能を持つ一門をまとめている。しかしその本来の使命は異形溢れる異界の門を封じることだ」
「異形はそこから溢れてくるの……?」
「そう言うこと。だが都やひとの住む町は外に比べて極端に異形が少ない」
結界を張っていてもゼロではないことは昨夜の一件が証明している。

「それは封印の異能で封をしているからだ。青霧は分家の展開もほかの家に比べて広範囲に至る。傍系も多い。だがあれはひとの手で封じ続けることでは限界が来る」
「確か昨夜も神が開閉するものだって……」

「そう。だからこそ負荷がかかるし、手に終えないものも出てくる。そしてだいたい3ヶ月に1度都の青霧本家に封じきれなかったものを集める」
「それが昨夜の百鬼門……」

「ああ。あれがそのひとつ。幸い都には結界もある。異形どもは出られない」
「都の結界は外から異形を入れないものじゃなかったの……?」
「そうでもある。だからこそ中からも出さない。もしもの時は異能者たちが駆り出されることになる」

「もしかしてそれが異能殺し……?」
「結果的にそうなることもある。だがそれとはまた違う理由だ」
「……?」
どう言うことなのだろうか。

「異能殺しとは……俺たちが異能を封印できるからついた名だ」
「異能を……。それじゃあ私のも?たいした異能じゃないけれど」
「そんなことはない」
え……?

「牡丹の異能を封じるのは少々骨が折れるな。結果の異能を持つ一族の中でも取り分け秀でたものだからだ」

「けど今まではたいした力もない役立たずだって……」
「それなんだけどな。門を結界で閉じられるほどの異能……もしそれを暮無の一族が知っていたとしたらどうなったと思う?」

「え……?」
「牡丹の力は都ごと堅固な結界で覆えるものだ。そんな力だと分かったのなら、今は複数人で行っている結界の儀をひとりで担うことになるとは思わないか」

「……やり、かねない」
異能に固執し、異能でしか価値を見ない。取り分けあの両親ならば。

「だからこそバレぬよう結界で封じていたとしたら?」
「できるの……?」
「封印の異能にも同じようなものがある。ただ封じるのならそれと同等かそれ以上の力がいる」
便利で危険な異能には同時に制約がある。

「さらに厄介なのが封印ならば掛ければ終わり、弱まれば再び重ねがけすればいい。だが結界は……」
「維持しないといけない」
もしも私がひとりで都の結界を維持すればその分ずっと維持のための力を消費する。だからこそ本来は複数人で行うのだ。

「牡丹の異能に結界で蓋をしたものに心当たりはないか」
「お兄ちゃんしかいない。私の結界の異能よりも少しだけ強いから。でももし、そのお兄ちゃんが死んだのなら」

「解けるだろうな。封印は術者が死んでも効力が生きるが結界は消滅するだろう」

「……お兄ちゃんの異能が制限されていたのは私の異能を封じていたから」
そしてそれゆえに私は守られた。しかし制限されていなかったら……?

「お兄ちゃんは死なずに済んだの……?」
恐ろしい仮説が襲い来る。

「牡丹!?何を言っている」
「門を塞ぐことのできる結界よりも強い力。それがあったらお兄ちゃんは自分の身を自分で守れたの!」
「それは……」
「私を守ったからお兄ちゃんは自分の身を守れずに死んでしまった……っ」
あの時見た幻影はもしかしたらお兄ちゃんの本心なのかもしれない。

「お兄ちゃんは……私のせいで死んだの」
「それは違う」
「違わないよ!」
「バカだな、牡丹」
棕櫚の優しい腕に包まれる。

「お前の兄ちゃんは命を懸けて牡丹を守り、生かしたんだ。それは何のためだ?」
「……」
「牡丹を幸せにしたかったからだろ?」
「……っ」
知っていたはずだったのに。お兄ちゃんが何を一番望んでいるのかくらい。

「でも私は……お兄ちゃんを幸せにできなかった」
「その分牡丹が生きて、幸せになればいい。牡丹の幸せを願う兄ちゃんが一番幸せなのは……」
「……私」
私が幸せになること……?

「許されるの?」
「今、生きていることが何よりもの証拠だ」
「……っ」
ボロボロと涙が溢れる。

「私は幸せになってもいい?」
「俺が牡丹を幸せにする」
「……うん」
流したくとも流せなかった涙が溢れてくる。

「牡丹はもう青霧の人間だ。俺の妻なのだから。戦う時は一緒だし、何かあれば俺たちが守る」
「うん」
それは長い時間彷徨い見付けた安住の地のように温かく、優しい場所だった。