――――子の刻

大きくなる。声が、地鳴りが、とてつもなく。

『アあアァぁぁ――――――っ』
「……っ!」
一瞬、棕櫚さまの声のように聴こえた。
やはり寝ていられない。廊下には白鬼さんがいるかもしれない。

「あっちなら……」
窓の外なら行けるだろうか。

花嫁の失踪……掟を破れば私も失踪してしまうのだろうか。もしくは失踪と言うていで異能殺しに殺されてしまうのだろうか。けれど元々は死ぬために鈴蘭が差し向けた縁談。死ねばお兄ちゃんと同じ場所に行ける。

――――いや、ダメだ。私はお兄ちゃんの仇を取らなくてはならない。だからこそ優しくしてくれたこの家のひとたちのために、何が出来る?

もしも棕櫚さまに何かあったのなら。

「……行く、しかない」
お兄ちゃんのために必死で耐えてきた。お兄ちゃんがいるから耐えられた。けどもうお兄ちゃんはいないのだ。耐えるのなら何に耐える?棕櫚さまや何か分からないものの声に耐えるのか。

けれどもしお兄ちゃんが悲鳴を上げているのを聞いたのなら、私は……迷わずお兄ちゃんを助けに行く。お兄ちゃんが私にしてくれたように。

窓を開け、裸足のまま外へと繰り出す。秋の夜は肌寒いが暮無にいた頃の衣よりは温かい。

「どっちから……?こっちだ……っ」
ひたひたと土の上を進む。どこまでいくのだろう?

ガサリと草わらを掻き分ければ、その先に布面を着けたものたちが倒れている。

「あの、大丈夫ですか!?」
布面を上げ、彼らの傷を確認する。血が漏れ出ている。急いで手当てをしないと……けれど私に手当ての知識なんてない。

「なぜ……ここに……はやく、逃げ……っ」
逃げる?何から。彼らが襲われた存在から?一体何が……。
その時、空が紫色に変色する。うそ……巨大な渦みたいなのが空に浮かんでいる!?そしてその中から何かが這い出してくる。都で育ち、都に囚われていた私は直接それらを見たことなどない。しかし分かる。あれは……異形の群れだ。

「……どうすれば」
あんなのと戦うすべなどない。しかしこのまま逃げれば怪我をした彼らが襲われてしまう。

――――あの渦はまるで穴のようだ。
あの穴さえ塞げれば……塞ぐ……そうだ。

「結界……」
私の異能など鼻で笑われる程度のものだ。お兄ちゃんにもかなわない。だけど……。

「お願い……お兄ちゃん。私に力を貸して!」
私に優しくしてくれたこの青霧の家のひとたちを、守る力を貸して。双子の力を合わせてもどれくらいできるかは分からないけど。

「それでも……守りたいの!」
渦に向けて両手を伸ばし、異能の力を込める。

「お願い!!」
結界よ……あの穴を塞いで!

カッ!!!

眩い光が辺りを包む。

「……うそ……だろ?」
倒れていた彼らが驚愕する。異形たちは見えない膜に阻まれたようにこちらに来ることができない。

「成功した!?」
しかし喜びも束の間。
「来るぞ!」
ドサリと押し倒されたのが分かった。異形の咆哮は彼らを襲ったものか。

「ダメ、これ以上!」
どうしてこんなにも力が出たのか。彼らを守るためか、私は形成を逆転し彼らを庇うように向かい合う。

恐ろしい異形と目が合う。ダメだ……これは、殺される。
――――人間の本能がそう告げている。

「させるかああアァぁ――――ッ!!!」
響き渡る声と共に異形が一刀両断される。

「無事か、お前ら!」
振り向いたその深紅の双眸の主はすぐに棕櫚さまであると分かった。今は布面をせず素顔だ。

「白鬼、援護を」
「はい、棕櫚さま」
白鬼さんも駆け付け掌に浮かべたのは炎……鬼火だ。

「柘榴は手当てを!」
「ええ!傷を見せて!」
さらには柘榴さんまで。柘榴さんは素早く負傷者の傷を確認すれば傷に向けて手をかざす。

「【封】!」
そう叫べばみるみるうちに傷が塞がっていく。そうしてあっという間に負傷者たちの治療を終えてしまう。封印の異能ってそんなことまで出来るのか。

「さぁて……結界の異能。ここまでとはな、白鬼」
「……」
白鬼さんは何か言いたげにしながらも鬼火で残党を狩る。

「溢れ出た小物どもは最後か!」
棕櫚さまも刀を振るいながら叫ぶ。

「こちらは問題ありません!」
「周囲も異形が漏れ出ぬよう封じましたので!」
布面の男たちも集まってくる。

「それならアイツらが最後だ」
棕櫚さまが刀の切っ先を渦の向こうに向ける。

「牡丹、結界を解いてくれ」
「……けど、解いたら」
あれらが溢れ出してしまう。

「大丈夫だ。あれらは俺が一気に屠る」
そんなことができるの……?

「入り口に邪魔なもんがなくなれば百鬼門を閉じることができる」
百鬼門……?まるで百鬼夜行のような名称だ。

「あれは神の力で開閉するものだ。いくら膨大な異能があろうとも、ひとの身には負荷がかかりすぎる」
膨大な……って、私には。

「信じろ、あれがお前の力だ。牡丹」
彼が私の名前を呼ぶ。

まるで私の不安を見透かしているような言葉。

「神が開閉できる門を結界で封じる。そんな異能はひとりで都に結界を張る以上の力だ。それが本来のお前の異能だ」
うそ……。

「信じろ。信じたからこそ使えたんだ」
「……信じたから」
「そうだ。だから俺のことも信じろ」
棕櫚さまが私を振り向く。そしてにかりと笑う。緊迫とした場でも全てを任せよと言わんばかりの頼もしい笑み。その存在そのものがまるで神々しいと言わんばかりの光。

「必ず守ってやる、牡丹」
「……しゅろ……さま」
彼の力強い言葉に自然と頷きを返せば、彼が優しく微笑む。

「結界……解きます!」
「よし……ここからは俺に任せな!」
プツンと解けた結界に、渦から異形の百鬼夜行が迫り来る。

「信じるのなら、祈るのならば。その願いを叶えよう。俺は……そう言う存在だ!!!」
棕櫚さまが刀を構えて振り払えば、それは幾重にも折り重なった風となり、竜巻となり渦ごと貫き異形たちを丸ごと呑み込んだ。

――――異形たちの断末魔が轟音のように駆け抜ける。

気が付けば渦ごと異形たちの姿は消え、朝陽が顔を出している。
青霧の異能者たちは布面を上げて朝陽を拝む。

「さて……これで終わりだ」
そう言うと棕櫚さまが膝をつく。

「棕櫚さま!」
どこか怪我を!?慌てて駆け寄れば棕櫚さまが地面の上にごろんと仰向けになる。

「……そのっ」
「疲れた」
「……え?」

「ただの完全燃焼よ。終わるといっつもこうだから。そうね……せっかくのお嫁さんなんだし、膝枕でもしてあげたらいいかも」
「……ざ、柘榴さん!?」
ひ……膝枕でもって。

「ああ……いいかもなあ。牡丹」
棕櫚さまが私を見る。その……やっぱりやってあげた方が……。

「いい」
しかし白鬼さんに阻まれてしまった。

「おいこら、主人に向かってお前は」
「うるさい。土ぼこりが着くだろう」
そう言う問題……?主従と言うよりも何だか友人のように話す2人がちょっと意外だった。