――――異様な静けさの回廊を走る。

「茉莉花!待て!」
「停まって!」
振り返った茉莉花内親王の前に侍女たちが並ぶ。

「ここからは姫さまの宮。男子禁制にございます」
しまった……っ!茉莉花内親王にとって絶対的な場所に逃げ込まれたのだ!

あれ……でも。

「私なら入れるのでは?」
「そうだ、牡丹なら」
「牡丹ちゃんを一緒に連れてきて正解だった」

「許可のないものが姫さまの宮に入れると……!?」
侍女が叫ぶ。

「許可なら私が出そう。帝からもこの件に対処するよう仰せつかっている」

「これは女系皇家に対する横暴です!」
「そうですわ、お兄さま!」

「皇族の信頼を損ねる行為をしたのはお前たちだ。お前たちの浅はかな行動で皇族が滅びては本末転倒。出る杭は打たれる」
「そう言うことだ、抵抗はしまいだ」
棕櫚の言葉と共に私が歩を進める。大切なものだから、取り戻さなきゃ。

「小娘ひとりごとき!」
その瞬間侍女たちが襲い来る。

「姫さまに害を成すならば……っ!」
「これも大義である!」
「そうよ……そうだわ!姫である私に手を出すなんて……大罪人め!」

「……負けない。あなたたちになんて!」
その瞬間茉莉花が目を見開き立ちすくむ。侍女たちはみな周囲に弾き飛ばされたのだ。

「……な……ぁ……来ないで!化け物!」
茉莉花が奥へと逃げようとする。

「待って!」
「化け物!化け物が私を襲うの!誰かぁ!」

「待ちなさい!」
追いかけ茉莉花に手を伸ばそうとした時、茉莉花が誰かとぶつかり尻餅を付く。

「な……何?」
そこには片割れにそっくりな顔がある。

「返してもらおうか」
次の瞬間には髪飾りは彼の手の中にある。

「こ……ここに、男はっ」
「俺に性別などない。ゆえに男でもない」
そう言って意地悪にほくそ笑む。

「そんな人間、いるわけ……」
「……人間?ククッ。先程お前も呼んだろう?」
その瞬間姿を変え巨大な闇の獣の姿を取る。

「化け物おおおぉっ!!!」
茉莉花は悲鳴を上げて奥へと逃げ込むが転倒する。

「やれやれ、その化け物に守ってもらっているからお前たちは生きていると言うのに。なあ、暁」
「ああ、棕櫚。それが化け物が生きていくために導き出した答えだからね」
「俺は鬼だから何とも言えないが」

「みんな入って来てもいいの?」

「誰も見てないし七欲が言っていたじゃないか。化け物なのだから性別など関係ないと」
「茉莉花内親王は自ら招き入れてしまったんだね」
口は災いの元とはまさにこのこと。

「さて、忘れ物だろう?」
再び見慣れた人間の姿に戻った七欲が私に髪飾りを手渡してくる。

「ありがとう。その……七欲でいいの?」
「構わない」
クツクツと七欲は笑うとふわりと身を翻した途端に闇へと消えていく。

「さて、戻ろう。茉莉花のことは……」

「認めない」
その時闇の奥で茉莉花がゆらゆらと立ち上がる。

「そうよ……茉莉花ぁ」
その声に背筋がゾクリと来る。

「それは悪女。お姉さまを苦しみお兄さまを奪う最低最悪な悪女と極悪非道の化け物」
私のことならともかく、極悪非道の……?七欲も棕櫚もそんな存在ではないのに。

「決して許してはならないの」
すがり付く茉莉花を抱き締めながら、毒花が不気味な笑みを作った。

「鈴蘭……お前は牢に拘束されていたはずだ。なのに何故」
春宮が鈴蘭を睨み付ける。
「ふふっ。私の冤罪を信じてくれる信者がいたと言うだけ。私は諸悪の権化などには負けないわ。青霧棕櫚ォッ」
怨嗟の行く先が棕櫚にまで向いた!?

「お前のせいじゃない、牡丹」
「棕櫚?」
「戦う時は一緒だ。化け物と成り果てようとも、どんな敵が現れようとも、信じろ」
「……うん!」
勢いをつけてこちらに向かってくる鈴蘭に、結界を展開する準備を。棕櫚は刀を構える。しかし途中で鈴蘭が歩を止める。どうしたの……?

そして鈴蘭が茉莉花を振り返ると、そのまま腕を掴み外に向かって投げ付けたのだ。

「きゃっ!?お姉……さま?」
鈴蘭がひとつの髪飾りを茉莉花に投げる。あれは……子ども向けの髪飾り?
「これで私がお姫さまになれるの」
何を言っているのだ、鈴蘭は。そして次の瞬間茉莉花の背後に巨大な門が出現し、開く。

「キャアァァァ――――――ッ!!?」
それは茉莉花を飲み込むかのようにバタンと沈黙を残した。

「七欲……?」
茉莉花を飲み込んだの?

「ふふふ……あーはっはっはっ!」
鈴蘭が堰を切ったかのように笑い出す。

「鈴蘭!自分が何をしたか分かっているのか!」
「お兄さま。私は呪いが解けたのです」

「は……?」
「かつて私は異界の門に呪われた」

「七欲は呪いなんてかけない門だが」
「そうだよね……身の丈に合わない欲望を与えるだけのはず」

「おだまり!これは私に相応しいものよ」
「鈴蘭、お前は何を与えられたんだ」
「ふふ、お兄さま。分かるでしょう?この誰もを虜にする美貌。これこそ私に与えられるべきもの」

「そんな愚かなものを与えられて……お前は何故門の外にいる」
棕櫚の声が一段と低くなる。

「愚かですって!?与えられるべきものをもらって何が悪いのよ!」
「答えろ。何故門の外にいる」
そうだよね……七欲門で欲望を望んだら払いきれない対価と共に地獄に落ちるはず。なのに何故鈴蘭は外にいる。

「私は特別だからよ!」
「否」
「……っ、何で」
鈴蘭の顔が真っ青だ。何故ならそこに既に門はなく、鈴蘭が無惨に殺した青年の姿があったのだから。

「お前は手に入れた美貌が本物か確かめたいと門の外の乳母に聞こうとした」
「そ……そほれがなに?」
「その隙にお前は対価を払わずに門の外に出た」

「だって出ちゃったんだもの」
「対価を払えと言ったはずだ」
「……」
「お前は乳母を代わりに門の中に入れた」
「たまたまよ……!」
「故意に手で押したのだろう」
「証拠は?」
「地獄にならば幾らでも。押し込まれた七欲門の中で欲望をたらふく得た乳母も今では地獄の亡者さ」
乳母は被害者だが、同時に欲を望んでしまった。

「愉快だった。あの女は欲望の世界の中で姫から皇后になり栄華を極めた」
「なんですって!?狡いわよ!」
「狡いのは対価も支払わずに逃げたお前。今度こそ5年前のこの場所で対価を払えと要求したはずだ」
鈴蘭が美貌を手に入れたのは、ここ……。思えば彼女も姫君としてここで暮らしていたのだ。

「その答えがアレか」
「ちょうど12歳……あの時の私と同じでしょ?」
だから茉莉花が12歳になってから17歳の中途半端な時期に動き出したのだ。
そして鈴蘭は必要なのはその身を捧げることだと知っていた。自分が姫として返り咲くために妹を生け贄にしたのだ。

「だから私は勝ったのよ!」
「……」
七欲が不気味なほど口角を吊り上げる。
その顔の元の持ち主が決してしない表情だ。

「ひ……っ、何なのよ。まさか本当に璃寒の亡霊とか言わないわよね!?」
「アはハギャハハキャハハッ」
七欲が人間とは明らかに違う不協和音を立てる。

「おい、お前」
棕櫚が鈴蘭に距離を詰める。

「大前提として、七欲門は一度入った人間は二度と入れないんだよ」
「は……?」
「つまり七欲門は逃したお前から二度と対価を得られない」
「じゃぁ……私は」
「踊らされていたんだよ、七欲門に」
5年もの間、宮中からも逃れて。

「私はずっとお姫さまでいられたのにいいいぃっ!!!」
どこまでも身勝手だ。
「尽きることのない欲望だ。ヒヒッ」
七欲が嗤う。

「悠長にしていられるのも今のうちだぞ」
「な……何よ、ソイツが対価を回収できない以上私は自由よ!お姫さまとしてこれから華開くの!」

「七欲が何をさせたかったか、お前には想像もできないのだろうな」
どういうことだろう……?
棕櫚がするりと刀を抜く。

「な、何をする気!?姫である私を殺せばあなたは……っ」
「殺す?んな生ぬるいことするわけねぇだろ。七欲は門の中で吸収できないからこそ、他の方法で応酬をと企んだ。それがこれだ。開け」
棕櫚が天に向けて刀を振り上げる。

「……神判門」
「せぇかい」
七欲がニンマリとほくそ笑んだ。