――――それは昼下がり。
「しまった……調味料が切れてるわね」
柘榴さんがハッとしながら空瓶を掲げる。
「うちは基本卸問屋からの配達なのだけど」
貴族の家には良くあることだが、お得意さまになればその分安定的な収入になるのでみな配達も喜んで請け負うのだ。
「これひとつ配達してもらうのもね」
貴族ならばそれもありなのだが、それひとつのために使いをやるのならと言う考えもある。
それから青霧は一門で暮らしており家事も分担しているので警備や炊事担当も一門の一員なのだ。
「牡丹ちゃん、買い出しに行ってみる?」
「それは街に……?」
「そうそう。ひょっとして買い物は初めて?」
「その……そう言うのは許されなかったから」
鈴蘭は使用人をしょっちゅう使いに行かせたが、私には外に出る自由もなかった。
「それならこの機会に探索してきてもいいかもしれないわ。夕飯の支度までに間に合えばいいから時間はたっぷりあるわ。そうね……せっかくだから棕櫚さまと行ってくるといいわ」
「でも忙しいのでは」
「別にいいぞ」
後ろからかかった声に驚いて振り返れば、そこには棕櫚が立っていた。
「いいの?」
「ちょうど気晴らしでもしたいと思っていたところだ」
今日は書類関係のお仕事だったのか、肩が凝っているようにも思える。
「ならせっかくだし、贈り物のひとつでもしてきたら?時間は余裕があるから」
「……柘榴。そう言えば、まだだったな」
「その……お着物はもらってるよ?」
ろくな着物など持っていなかったし持ち出せてもいないので、身に付けているのはここで用意してもらったものだ。
「それでも贈りたいと思うのが男の性だよ」
そう言うものなのだろうか?
「私はその、棕櫚に何もあげられてないのに」
「なら、牡丹との時間をくれないか?」
「私との……」
「そう、贈り物はその礼だ。だから行こうか」
「う……うん!」
――――早速出掛ければ下町は活気に溢れている。
「問屋での買い物もアリだが、在庫がないとなかなかな。急いでいる時は市場や露店の方がいいし、たまに掘り出し物もある。せっかくだからおやつでも買おうか」
「け……けど」
「いいのいいの。柘榴もああ言ってることだし、当主として一門のものたちに福利厚生も大事」
「ふくり……こうせい?」
「簡単に言えば働いているものたちを労うってことだな」
「そう言うことなら……!」
柘榴さんたちもきっと喜ぶだろう。訪れた露店ではさまざまな菓子が売っている。
「どれがいいんだろう」
飴や花林糖、饅頭。中でも目を引いたのは色とりどりで凹凸のある、まるっこい菓子だ。
「これは……?」
「金平糖だよ。甘くて旨いんだ。牡丹は初めてか?」
「う……うん」
こんなかわいいお菓子があるなんて。
「ならこれにするか」
「いいの?」
「もちろん。みんなで分けても楽しいからな」
それはそれで楽しそうだし、みんなにも喜んでもらえそうだ。
棕櫚が会計を済ませてくれる。
「……慣れてる?」
貴族の当主なのに。思えば街歩きもだ。
「昔よくお忍びに付き合ったからな」
「……お忍びに?」
棕櫚のお忍びではなく……あ、春宮のお忍び!?
「牡丹、隣の露店で調味料が買えそうだな。次はやってみるか?」
「……うん!」
棕櫚に導かれ、今度は私が調味料を購入する。とは言え必要なお金を棕櫚から受け取り、店のひとに渡すだけだが。
「まだまだ知らないことがたくさんある」
「これからはたくさん知れるぞ」
「……うん!これからはひとりでお買い物にも来られるかな」
「……それは心配だから、誰かと行くように。俺でもいいし」
「へ?」
「牡丹も年頃なんだから」
心配してくれているのだろうか。
「道もまだよく覚えてないし……棕櫚たちについてきてもらうね」
「それでいい」
棕櫚が満面の笑みで頷く。
「さて、最後に髪飾りでも買っていくか。雑貨ならあちらにありそうだ」
「たくさんあるみたいだね」
棕櫚が示した方向には色とりどりの雑貨や髪飾りや腕輪などが見える。
「――――――!!!」
「~~っ!」
うーん、何やら騒がしいのは市場の賑わいだけではなさそうだが。
「何だ?喧嘩か?牡丹、念のため後ろに」
「うん!」
優しさを見せつつも、放ってはおけないところはやはり棕櫚のよさである。私もいつでも結界を張れるよう準備しておこう。
「困ります……そんな!」
「姫さまがご所望なのだ。これらを全て献上せよ!」
困り果てる店主に、何やら強気な女性。その様子に人だかりもできている。
「棕櫚、あのひとどっかで見たことがあるような……」
「(……茉莉花内親王のところの侍女だ)」
棕櫚がこっそりと告げてくる。
そっか……私が髪飾りを盗んだと冤罪をかけられた時にもいた!
「でも献上って……?」
「ただで寄越せと言うことだ」
「ただ!?」
そんなことをしたら店のひとたちの生計が立たなくなる!
「ま、気に入られたら売上以上の褒美がもらえるが……気分屋で与えぬものもいるし気分を害したとかで報酬を払わないものもいる。それでも儲けたいものは賭けに出るだろうが……大抵の庶民は献上ではなくしっかりと購入する方を選ぶだろうな」
つまり卸問屋と取引をする庶民やうちに品物を卸してくれる卸問屋はその後者を選んでいる。露店や市場は庶民の方が多そうだからそちらも後者だろう。
「姫さまが気に入れば莫大な褒美を与えると言っている」
さらに侍女は告げるが店主は困惑顔である。
「つまり気に入らなければ代金を踏み倒す可能性もあるんだよね」
「だろうな。そもそもあの暁がこんなことをした予算を決裁下ろすかよ。請求すれば却下の上相応の罰のひとつやふたつくれてやるだろうな」
「だったら……踏み倒す?」
「そうなる。褒美の予算など出さずに踏み倒すのが得策。いや……計画自体は愚策だな」
下手したら皇族への民の支持が下がる。茉莉花内親王のわがままひとつでそんなことになっては世も末である。
「いいから寄越せ!」
侍女が商品に強引に手を伸ばす。
しかし素早く距離を詰めた棕櫚が侍女の手首を掴んでいた。
「そこまでだ」
「な……何者だ!?この私は姫さまの侍女だぞ」
「ほう?そうかい。なら俺の主の名を言ってみろ」
「……お前はっ」
侍女も気が付いたのか顔を青くする。
「こ……これは姫さまが望んでおられる崇高なことだ!」
「店の品物の代金をただで踏み倒すことがか?」
「これは崇高なる献上だ」
「崇高なる?横暴なる献上だろ」
周囲からもやがてそうだそうだと声が上がる。
「お前たち!庶民のくせに、姫さまの……皇族の命に逆らったらどうなるか分かっているのか!」
その言葉に周囲がしんとなる。
「そんなことはさせない」
突如響いた声にハッとする。この声は……!
かずきをはためかせ歩み寄る人物。人々がどよめく中、侍女がわなわなと震え出す。
「……春宮」
「今回はお忍びだったんだがな。皇族の名を語り横暴を働こうとするものがいるのなら、致し方がない」
するりとかずきを取ればその下から赤毛の青年の顔があらわになった。

