――――あの宴の日から数日。鈴蘭は暮無家に戻されたのだそうだ。帝からの厳重注意、暮無家の抜本的な改革案と共に。
帝が鈴蘭を宮中に引き戻すことがなかったのは鈴蘭は宮中に返り咲くことはないと言うことか。当主夫妻と共に裁くと言うことか。どちらかは分からないが。
「あ、牡丹ちゃんいいところに!棕櫚さま帰ってきてる?」
「柘榴さん!いえ……まだだと思います」
帰ってくれば必ず『ただいま』と言いに来てくれるもの。今日は宮廷で貴族同士の会議と言っていたような。
「何かあったんですか?」
「ちょっと厄介な客が来てねえ……。こう言う時に当主がいない場合、出迎えるのは奥方の役目でもあるのだけど」
「それなら、私にできるでしょうか」
出迎え……お茶くらいなら出せるだろうか?
「普通の客なら私たちが付き添って任せてみてもとは思ったのだけど」
「……?」
そう言えば先程厄介と言っていた。対応が難しい方なのだろうか。
「……暮無の当主よ」
「……っ」
それは父親だ。父親と言えるようなことなどされた覚えもないが。
「それも牡丹ちゃんを指名してきてる」
「私を?絶対にろくな要件ではないかと」
「そうよね。当主の態度を見ていれば容易に想像ができるわ」
あのひとたちは柘榴さんたちにまで横柄な態度を取ったのだろうか。
「当主が不在な時に限ってこんな……」
「あれ、でも待ってください。棕櫚は貴族同士の会議と言っていました。それならおかしいです」
「そうなのよ。全ての貴族が集められるわけではないと思うけど、都の結界を担う貴族の当主が呼ばれないと言うのはちょっと奇妙ね」
「物忌みでしょうか」
「それなら結界張ってこいとか言われそうだけど。それとももう交替するからこそ不要とされたのかしら」
「そうですよね。もうじき当主ではなくなるのに。娘にわざわざ会いに来る親でもないです」
「何か良くないことを企んでいるのかもしれないわね」
「そう考えるのが妥当だと思います」
「なら棕櫚さまが帰ってくるまで待たせると言う手も……」
「柘榴、大変だ!」
「客間に通したはいいが、暴れてる」
その時青霧家の術者たちが呼びに来る。
「貴族だと言うのに、他家への態度もなってないのかしら。厳重に封印してやってもいいのだけど」
柘榴さんの目の奥が光る。
「あの、私、行きます!」
「牡丹ちゃん?」
「私はもう暮無の娘じゃありません。青霧の嫁ですから!」
「ならば俺も付き添う」
突如背後から聞こえてきた声に振り向く。
「白鬼さん!?棕櫚と一緒なのでは……」
「会議の場に暮無当主の姿がない。物忌みと言われればそれまでだが、棕櫚はもしもの時のために俺を遣わした」
棕櫚が機転を利かせてくれたのだ。
「牡丹が行きたいと言うのなら共に」
「……っ、ありがとうございます。白鬼さん」
暮無の当主と邂逅するのは恐いけれど。でも白鬼さんが私の手を引いてくれる。
「あの、白鬼さんといると、何だかお兄ちゃんを思い出します」
臆病だった私をいつもこうして導いてくれた。
「ぶはっ」
「……えと」
どうしたのだろうか?
「な……何でもない」
白鬼さんが狼狽えるなんてあまりないことだ。しかしながらすぐに平静を取り戻した白鬼さんと共に客間に足を踏み入れる。
「私は暮無家当主だぞ!いつまで待たせる気だ!放せ、牡丹を出せ!」
中では男衆に対して暴れる当主の姿があった。
「そこまでだ。大人しくしてもらおうか」
白鬼さんの低い声が響く。
「何だ貴様……鬼!?異形が何故ここに!」
当主の血の気が引く。あんなんでもやはり鬼は恐いのだろうか。
「俺は青霧当主の眷属。青霧で暴れるものがあるのなら駆け付けるのは筋と言うもの」
「眷属だと……?青霧の当主などただのガキのくせにっ」
「それでも……あなたにそんな風に言われる筋合いはありません」
私が口を開けば、ギリと睨んでくる。
以前なら恐くて口を開くことすら憚られた。けれど今はみんながいるもの……!
「私を誰だと思っている」
「他家での礼儀も弁えていない傍若無人では?」
「貴様、牡丹!どの口が……っ」
「牡丹はこの青霧家の当主夫人だ。当主夫人への侮辱は青霧への宣戦布告と取るが?」
白鬼さんが毅然と告げる。
「ぐぅ……異形の鬼が」
「それがどうした?お前の今の言動を一言一句、主の前で伝えてもいい。その場に春宮がいたとしてもそれは預かり知らぬところだ」
「ひ……っ、卑怯なっ」
春宮の名にようやっと暴れるのをやめた当主に男衆たちも拘束を緩めるが未だ警戒は解いていない様子だ。
「何の御用ですか」
実家にいた頃はただ耐えるしかなかった。床に額を擦り付け、どんな理不尽にも耐えてきた。けれどもうそんな必要はないのだ。私はもう暮無の役立たずじゃない。
「聞いたぞ!遂に結界の異能を覚醒させたのだと」
正確にはお兄ちゃんが隠してくれていたのだが。
「璃寒は最期まで役立たずのまま死んだがお前はよくぞ覚醒した!」
お兄ちゃんの本当の力すら知らないくせに。お兄ちゃんは私の異能を抑える力はあったのだ。それを家のためではなくただひとり……私のために使ってくれていた。
「暮無にはもう直系の子女がお前しかいない!」
実家にいた頃は散々私たちのような落ちこぼれなどいらないと罵倒してきたくせに。
「結界の異能の家を存続させることは都にとって何よりも重要なこと。だからお前は暮無を
継ぐのだ」
今さら戻れと?でも……。
「私はもう、棕櫚の妻。青霧の嫁です。もう暮無家には戻りません」
「離縁すればいい」
「……は?」
やっと手に入れた幸せがボロボロに崩れ去るような音がした。
「家を存続させるためならば帝も許可するだろう」
何を言ってるの、この男は。
「婿を取り、暮無の家を継げ。そうすれば本家は断絶せず、私はこれからも当主だ」
帝から通達された改革に異を唱える気か。直系の断絶によって改革を余儀なくされこの男はもうじき当主ではなくなる。しかしながら帝が私を嫁がせる許可を出したのはあの家に置いておけないと判断したから。直系はもう戻らない。このひとが当主であり続けることなどない。
「嫌です」
「今……何と言った」
「嫌です、と言ったのです。私は戻ることなんてないし、棕櫚と離縁もいたしません!」
「ば……バカもの!親の言うことが聞けぬのか!」
「……っ」
強くあろうとしようとも、突然の怒鳴り声に畏縮してしまう。しかしその時白鬼さんが私を庇うように立つ。
「それは暮無の娘だ!どけ、鬼!それは今ここで連れ帰る!」
「お前になど絶対に渡さない」
白鬼さんが声に怒りを含ませる。
「いいから渡せ!」
迫り来る暮無当主に男衆は何かに弾かれたように倒れる。まさか結界の異能!?それは白鬼さんまでも弾く。
「白鬼さん!させません!」
結界を展開しようとした時だった。
「かかった!」
暮無当主がニヤリと口角を吊り上げる。
「私に従え」
「……ひっ」
覚えのある、何かの匂い。何処かで嗅いだ記憶があるが思い出せない。そして突如異能の力が引き潮のように引いていき、結界が無力化される。
暮無当主の袂から見覚えのある真っ赤な花びらがこぼれる。
「これが当主の力!暮無の異能者は当主に逆らうことなどできぬのだ!かつて役立たずだからと思っていたが、仕込んでおいて正解だったな!」
――――まさか、これは。
おかしいと思っていた。お兄ちゃんは私の異能を封じても少しなら結界を張れた。誰かに襲われたのなら結界を張ればいい。それか私を守っていたから持ちこたえられなかったのか。その正解がこれか。
「大人しくしろよ。璃寒はこれで死んだが、お前は生かしておかないとならないからな」
まさか鈴蘭の企みをこれで手助けしたの!?この男は自分の子どものことすらも物のようにしか扱わない。都合のいい道具としかしない。
「いや……こんなの……」
私はまた、囚われるの……?
逃れることなどできないの……?

