――――この家には女帝がいる。

ここは都、帝のおわす国の中心。この世界には人間と異形がいる。人々は異形から生き延びるため『異能』を持つものたちを『貴族家』として手厚く保護している。この暮無(くれない)家もそのひとつだ。

「なぁに?このお茶。ぬるくて飲めないわ」
湯呑みごと投げつけてきたのは誰がみても完璧と評する美女・鈴蘭。齢17歳。

「……っ」
今日は少し熱めがいいと言うから入れ直してきたお茶は……熱く、肌に猛烈な痛みが走る。

「早く入れ直してきて。この役立たず!」
「……はい、鈴蘭さま」
私は18歳だが、関係性で言えば彼女は『義妹』だ。しかしながら彼女は12歳の時に暮無家に押し付けられた厄介な存在。両親も、私も使用人も、ほかの貴族……許嫁だって彼女にはかなわない。

とぼとぼとお茶のお代わりを入れに向かう。そっと袂から取り出した紙風船を見る。だいぶよれて潰れてしまったが、私の大切な宝物だ。お湯が湧くのを待っていれば、そこにドタドタと足音が近付いてくる。

「牡丹!」
「……お兄ちゃん」
私を呼んだのは双子の兄の璃寒(りかん)であった。
平凡で黒髪黒に近い瞳の私とは違い、鈴蘭好みの整った顔だちは彼をこの家で少しだけ自由にできる。さらに暮無の異能を受け継げなかった私よりも少しだけ受け継いだ。双子揃って出来損ないではあるが、私にとってお兄ちゃんは充分に誇りだ。

「どうしたんだ、その顔。濡れて真っ赤じゃないか」
そして私がいれようとしているものを見て、ふるふると震える。

「あの女……またやったのか!」
「お兄ちゃん、落ち着いて」
いくら【お気に入り】のお兄ちゃんでも、私のために鈴蘭に楯突いたらどんな目に遭うか分からない。

「今はただ、耐えることしかできないけど」
「……牡丹」
「いつか、お兄ちゃんと一緒にこの家を出られたら……なんて、夢のまた夢だよね」
私たちには逃れるすべなどない

「だが……牡丹。生き神さまと言うのを知っているか?」
「……生き神さま?」
「天上の神とは異なり地上に足を下ろす。俺たち地上の人間の祈りを一番近くで聞いてくれる神だ」

「一番近くで……」
「そう。だから信じて祈ればいつかきっと。俺はいつか夢が叶うと信じている」
「うん、私も信じる」
お兄ちゃんと一緒ならいつか届くと信じているから。

「大丈夫……今度はちゃんとやるから」
お茶をいれなおし、お守りを袂にしまえば再び鈴蘭の元に向かう。

「まずい……何かしらこのお茶」
茶葉も同じ高級なもの、温度も適温。まずくないはずがない。

「使えないわね。この役立たず!」
「……っ」
鈴蘭が再び湯呑みを投げ付けてくる。先程の痛みのお陰か、再びの痛みは襲って来なかった。
痛覚が麻痺しているのかもしれない。

「どうしてお前のようなものが私の屋敷にいるのかしら。本当に不愉快だわ」
鈴蘭が立ち上がりただ平伏するしかない私の頬を蹴り飛ばした。

「きゃっ!?」
「きゃ……?醜い声を立てないでちょうだい」
再び鈴蘭の足が身体に食い込む。ここは私の家。あなたの家じゃない。まるで寄生するかのようにやって来て家を支配した。

「やめろ!」
いつまでも続くとみられた暴力に鋭い声がかかる。

「妹に何をするんだ!」
「ぎゃっ」
お兄ちゃんが鈴蘭を突き飛ばしたのだ。いくら女帝のように君臨しているとはいえ、男性の身体にはかなうまい。鈴蘭は簡単に吹き飛び床に転がった。

「牡丹!大丈夫か!」
「お兄ちゃん」
お兄ちゃんが私を抱きしめる。

「この私に……何てことをっ」
鈴蘭が苦しげに身を起こし私たちを睨む。

「それはこっちの台詞だ!妹にこんな暴力を振るいやがって!」
「私だってあなたの妹じゃない」
正確には義妹。
しかし彼女はそのように言われると怒り狂う。

「お前が?お前なんて妹でも何でもない!俺の妹は牡丹だけだ」
「お兄ちゃん……っ」
お兄ちゃんは私を見て優しく微笑む。

「……っ」
しかしその時、鋭い視線が私を穿つ。

「……お前なんかが……っ」
鈴蘭が烈火のごとき怒りの目を向けて、そしてニヤリとほくそ笑んだ瞬間、ゾクリとした。

「今この場で私の前で跪き赦しをこうならば特別に赦して差し上げるわ。璃寒」
鈴蘭はそうまでしてお兄ちゃんが欲しいのか。いや……違う。

「あなたの妹は私だけ。そうでしょう?」
この女は私に成り代わりたいのだ。そしてお兄ちゃんの曖が欲しい。

「ふざけるな!俺の妹は牡丹だけ!誰が赦しをこうと?それはお前のやることだろう!」
「は……っ!?」
自分が一番偉い。そう信じていた鈴蘭が固まる。自分が赦しをこうように言われるなど微塵も思ってなかったのだろう。

「行こう、牡丹」
「……うん、お兄ちゃん」
お兄ちゃんだけが私を守ってくれる。私の味方でいてくれる。しかし鈴蘭に面と向かって逆らってしまった。その事実に漠然とした不安が拭えない。

――――何か、嫌な予感がする。

「大丈夫だ、牡丹。お兄ちゃんが牡丹を守ってやるからな」
その言葉にひどく安堵を覚えるのに、どうしてこんなに恐ろしいのだろう……。

――――私は袂に入れたお守りを無意識にきゅっと握っていた。

※※※

――――翌朝、お兄ちゃんはもう二度と私を守ってはくれないのだと分かった。

ツンと鼻を突く何かの匂い。嗅いだ覚えはないのに、どこか恐ろしく震えが止まらない。

そしてその匂いの先に変わり果てた兄の骸を見、横で崩れ落ちる。

「あらまあ。せっかくのお気に入りのおもちゃが壊れてしまったわ」
鈴蘭が笑う。おもちゃ……私のお兄ちゃんをそんな風に思っていたの……?

「残念ねぇ。私の言うことを聞かないから天の神が罰を与えたのよ!」
そう言って嘲笑う鈴蘭は、あれはひとを殺させても何とも思わない目。いや、ひととも思っていないのだ。

「さぁて、今日は私の許嫁の和臣(かずおみ)さまが来る日。ぼさっとしていないでとっとと準備なさい」
彼女のじゃない。私の許嫁だ。しかし許嫁もまた彼女の虜。彼女は私に成り代わったつもりでいる。それを唯一防いでいたお兄ちゃんが……死んだ。

私は……私はどうすればいい?守ってくれるひとを失って、絶望の中、何にすがればいい。兄の骸に抱き付き、涙を流す。

その時、兄の着物の隙間に見慣れないものを見付ける。

「花びら……?」
毒々しいくらいの真っ赤な花びら。これは……何だ?
何だか奇妙で、急いで兄の着物から取り払う。

「骸にすがるだなんて、何て愚かな」
鈴蘭がせせら笑う。
今はただ彼女に従うしかない。でも……お兄ちゃんは……きっと彼女の命令で殺された。そうして彼女の邪魔になる何人もが消えていったのだ。

もう膨らむことの無い破れた紙風船を袂越しに握りながら歯を噛み締める。

けれど……鈴蘭にこのまま好きにさせたくない。叶うことならばお兄ちゃんの仇を討ちたい。

――――私に、もっと力があれば。