ふと意識が浮上する。
 窓から漏れる朝日に起こされたようだ。
 鴇はぼんやりとしたまま首を傾げ、ふかふかの布団へと目を落とした。

(あれ、ここは……?)

 普段の煎餅布団からは得られない柔らかさに、時はますます首を傾げてしまう。
 そっと辺りを見渡せば、見慣れぬ室内が飛び込んできた。
 寝台のすぐ傍には腰壁の上に意匠を施された格子状の障子が寝室を区切っている。
 障子の向こう側には天井まで伸びる大きな窓。
 洋風と和風が見事に同居をしている室内は、流行だからとおいそれと造れるものではない。
 一気に全身から血の気が引いていく。

(ここはどこ!? え、えっと、なにが……あ、昨日は樹様に運ばれて……もしかして私そのまま寝てしまったの!?)

 一人で百面相していると、広縁(ひろえん)から軽い笑い声が聞こえた。
 鴇が勢いよくそちらを向くと、硝子戸から差し込んだ光が、西洋椅子に腰掛けている樹を照らしていた。

「い、月宮様……?」
「安心してほしい。鴇殿の家が分からず連れてきてしまったが、誓ってなにもしていない。月宮家にも連絡済みだ」
「当家への連絡ありがとうございます。月宮様は無体を働くような方ではないと存じ上げておりますから、その心配はしておりませんよ?」
「……そうか」

 樹は気まずそうな顔をしているが、何か言いたげだ。
 鴇は柔らかな寝台から降り、樹の正面に腰掛ける。
 丸西洋机(テーブル)を挟んだ向かいの樹は、少し驚いたように目を見開いていた。

「なにか事情がおありなのでしょう?」
「あぁ。端的に言えば、今日の祝勝会へともに参加してもらいたい。俺のパートナーは君しかいないと思ったんだ」
「……どうして」

 鴇は言葉を閉じ込めるように口を押さえたが、一歩遅く、疑問の声が漏れ出てしまう。
 恐る恐る樹を見やると、彼は申し訳なさそうに眉を下げていた。
 憂いを帯びた顔に、鴇の胸が締め付けられる。

「月宮家の当主には異能が三つ備わっている。詳細は省くが一つは嘘を見抜くものだ」
「っ」

 突然の暴露に、鴇はこれでもかと目を見開いた。
 驚きのまま浅葱色の瞳を見つめる。

(万葉の妊娠も弥生の言葉も、全部嘘だと分かっていたの……?)
 
 困惑が頭を埋め尽くす。
 鴇が疑問に首を傾げると、樹は力が抜けたように微笑んだ。

「普段はこの能力自体使っていないんだ。だからこの異能を持っていると知る者は片手でこと足りる」
「そ、そんな大切なことをなぜ私に?」
「人の上に立っているとね、能力を使わなくても嘘をついていたり、下心がある奴は分かるようになる。でも君は一切嘘をついていなかった。だから、鴇殿は信用に値すると判断したんだ」
「それは……身に余るお言葉です」

 鴇はそっと視線を落とした。
 説明された事態が飲み込めずにいると、がたりと音がする。
 あっと思った時には、傍に跪いた樹に手を取られていた。
 まるで絵本の中の騎士のような振る舞いに、鴇の頬に羞恥が集まる。
 樹の両手が触れる指先まで熱を持っているようだ。
 鴇を見上げる彼は、まるで痛みを耐えているような、泣き笑いのような表情だった。
 樹の喉仏が上下し、覚悟を決めた強い眼差しで告げる。

「それに、君の胎にいるのは俺との子だろう?」

 樹が言い終わると同時に、二人を光が包んだ。
 握られた手が熱い。全身を何かが巡るように熱くなっていく。
 優しく包まれたかと思うと、瞬く間にキラキラと消えてしまう。
 驚く暇もなく消失したそれを鴇は呆然と見つめていた。

「今のは……?」
「やはりか」
「えっと、月宮様……?」
「樹だ。ちゃんと名を呼べ。鴇」

 握られた手に力が込められる。
 聞き慣れた声色に、鴇は目を丸くして樹を見た。
 先ほどまでは明確に線を引かれていたが、明らかに表情が軟化している。
 むしろ甘さすら感じさせる微笑みを樹は浮かべていた。

「樹、様……?」
「あぁ。辛い思いをさせてすまなかった。すべて思い出した」

 その言葉に、鴇の顔がくしゃりと歪んだ。
 飲み込み、堪えてきたものが、目からあふれ出す。
 鴇は感情のままに樹の胸へと飛び込んだ。
 勢いよく飛び込んだはずだが、樹は見事なバランス感覚で倒れることなく鴇を受け止める。
 えぐえぐと嗚咽を漏らす鴇の髪を、樹がそっと撫でた。

「っ、樹様の、ばか、心配したんですよ……!」
「あぁ」
「忘れられて、どれだけ私がっ……!」
「すまない。許してくれとは言わないが、俺の可愛い許嫁の顔をちゃんと見せてくれないか?」

 髪を撫でていた手が頬に添えられる。
 優しく顔を上に向けられ、鴇の目尻から涙がこぼれ落ちた。
 頬を伝った液体を唇で拭われてしまい、鴇の喉から変な音が漏れる。

「い、樹様、今……舐め……」
「ん。泣き止んだか?」
「泣き止みました、けど、えっと、どうして記憶が戻ったのですか……?」

 鴇の唇へ顔を寄せていた樹がぴたりと止まる。
 口づけを止められた樹からじとりとした目を向けられるが、彼は諦めたように息を吐いた。

「鴇のお陰だ」
「私、なにもしていませんよ?」
「俺の、というよりも月宮家の異能である解呪の才は、子どもができると引き継がれる。まぁ徐々に移っていくものなんだが、少々厄介な異能でな。子を成すと使えなくなる。だがなぜか解呪の才が使えるようになった」
「?」
「鴇の異能だろう。俺と子の橋渡しをし、足りない解呪の才を補ったんだ。そのお陰で解呪ができた」

 樹の言葉に、鴇は面をくらったようにぽかんと口を開けた。
 今までないと思っていたものがあった衝撃は、言葉にもならない。
 理解が追いつかない鴇を樹が抱き上げる。
 浅葱色の瞳が柔らかくなり、形の良い唇が弧を描いた。

「異能を持っていなくとも俺には鴇しかいなかったが、ますます手放したくなくなった」
「えっと、それは、私の持っていた異能に興味があって……?」
「違うな。俺の子を孕んだ許嫁だぞ? 離したくないのが普通だろう?」
「? そうですね……?」
「信じてないな。まぁいい。鴇の異能は、俺とすこぶる相性がよかったことだけ知っておいてくれ」
「は、はい。わかりました」
「いい子だ」

 抱き上げられたまま額に口づけを落とされる。
 鴇が耳の付け根まで真っ赤に染めると、樹の胸を軽く叩いた。
 樹は弱々しい照れ隠しに笑みを深める。

「さて、そろそろ準備をしようか」
「何の準備を?」
「祝勝会だ。鴇を傷つけた挙げ句、俺の伴侶に成り代わろうとした奴らに仕置きをしなければな」