そして、三日後、渡部君に取って試練の日が来た。
 そう、渡部君の対局日だ。
 渡部君はここ最近将棋盤に触れずに生活してきた。
 それは傍目、うまく行っていたように見える。

 だが、渡部君の対局日が近づくたび、彼の顔が絶望に近づいていた。
 私が毎晩隣に寝ているのにも関わらずだ。

 「はあ、行きたくないなあ」

 そう、渡部君はぼやく。
 その顔を見ると、本当に行きたくなさそうだ。
 渡部君は表情が顔に出やすいタイプだ。
 将棋を指している時とか、大富豪をしているときは、決してそんなことは無いのに。
 世界の終りのような顔をしている渡部君。彼は次にこう告げた。

 「僕が対局すると必ず勝ってしまう。対戦相手がどんなに研究していても。しかも勝った時にネットの悪意を受けることになる。それが嫌なんだ。ただ、勝っただけで、将棋界面白くないとか書かれるのが嫌なんだ。僕が将棋界を汚しているみたいで……」

 彼は本当につらそうだ。対局場まで行かなければならないのに、足が動かない、そんな様子だ。
 この前の遊園地の時よりも悪化していると感じた。
 なんでだろう、将棋からは離れさせてたのに、それが逆に行けなかったの? 
 何とかして、楽にさせてあげたい。


 「無理して行くことないよ。仮病とか使って――」
 「いや、それじゃあ、ダメなんだ。スポンサーによって成り立っている将棋界。ここで僕がずる休みしたら信用問題になる、休めないんだ」

 ああ、渡部君は真面目だ。私ならサボるという選択肢を取りたくなりそうなものを。
 確かに、サボりは絶対にいけない事だ。だけど……。
 多分そう言うところも、彼を苦しめている原因の一個だと思う。
 全部を本気でやろうとするところ、周りからの言葉を全部一心に真に受けてしまうところ。
 そこが、渡部君の良いところであり、欠点だ。
 だけど、私はそれが渡部君らしくて良いと思っている。

 「じゃあ、行ってくるよ」
 「でもっ!!」
 「言ってくる」

 そう言って渡部君はドアをパタンと閉めた。
 私はそっと、ドアの向こうを見る。すると、とぼとぼと、重い足取りで、歩いていた。

 大丈夫かなあ……。対局場まで無事につけるのかなあ。
 心配すぎる。
 思えばあの日も行きたくないって思いながらの対局だったのだろうか。
 一応メールっと。

 (羽田さん。渡部君は無事対局場に向かいましたが、その足取りは重そうでした)

 送信っと。羽田さんには渡部君の最新の状態を知ってもらいたい。
 この前も何かあったら頼ってほしいと言っていたし。

 (そうか、分かった)

 羽田さんからは、そう言ったシンプルなメールが返ってきた。

 一時間後、対局が始まり、私は将棋中継を見る。
 その画面の中で渡部君が将棋盤の前に座って考え込んでいる。
 やっぱりかっこいいな。

 ……でも、すごく将棋を指したくなさそうな顔だ。

 その顔は、今すぐ対局場に行って慰めてやりたいと思ってしまうほどだ。
 だけど、私には彼を黙って見てやることしかできない。対局場にはスマホ持ち込み禁止だから、元気づけるメールや電話も出来ないのだ。

 そして私は一言、
 画面越しの彼に頑張れと、呟いた。

 そしてその間にも私にやるべきことがある。主に家事だ。
 渡部君の負担をなくすために頑張らないと。

 彼が帰ってきたのは四時だった。
 彼は返ってくるとすぐに、私に対し「早く葵に会いたくて、急いで将棋を終わらせてきた」と言ってくれた。

 その言葉を聞いて正直嬉しかった。
 私は彼を抱きしめた。

 「え?」
 「嬉しい気持ちを表すためのハグだよ。もしかして嫌だった?」
 「いやではないよ」
 「そ、なら良かった」

 彼も私を抱き返してくれた。