天才棋士との結婚――そして苦悩


 次に皆川が訪れたのは、花方一郎七段だ。彼は渡部と同期で奨励会に入り、奨励会で最後まで争った人だ。彼は奨励会入りが一四歳だった。
 渡部よりも五歳年上だった彼は渡部を弟分にしていたらしい。


「俺は、渡部に人生を狂わされた男だ」

 そう、開口一番に花方はそう告げた。

「俺は、渡部とともに奨励会入りを果たした。奨励会試験の時に、孤独そうなあいつに声をかけたのは俺だ。若くして小学生名人戦を優勝していたことは知っていた。
 そんな天才と友達になったら楽しいだろうなと、思った。

 その日、俺は彼と対局した。奨励会試験の第一次試験では、受験者同士で対局をするんだ。
 そして、渡部との対局で絶望を味わった。あいつには勝てないと思ったんだ。
 だが、俺も渡部との対局以外はぼろ勝ちし、奨励会に入った。
 あいつは俺が奨励会の会日に話しかけても冷たかった。

「あ、そうですか」とでも言いそうな感じだった。だが、俺は迷わずあいつに喋り続け、一緒に将棋の研究をした。

 必死で食らいつこうとした。その結果、奴にはずっと級で負け続けていた。だが、三段リーグで追いついた。あいつは三段リーグで中々昇段できていなかったんだ。

 だが、それは当たり前だろう。高校生で三段まで来たのはいいものの、そこからプロになれずに終わって行った奴を何人も知っているからな。

 それにあいつは当時中学生だったんだからな。

 そして、あいつと戦ったのは一八局目の相手としてだ。そこまであいつは二敗しかしていなくて、メディアからも注目されていた。

 普通なら勝てなくてもいいから、せめていい将棋を指そうと思うだろう。ただ、その時は俺も三敗しかしていなく、昇段の芽があった。

 絶対に勝たなくてはならない対局だった。
 だからこそ、本気を出した。だが、将棋の内容はズタボロだった。中盤相手の駒によって俺の陣が抑えられていた。相手側、つまり渡部側にはいくつもいい手があったのに、俺には有効な手がなかった。
 ああ、もう負けだなと、思った。おそらくAI評価は一四〇〇(優勢)くらいはあっただろう。
 そこからはもうどうやって負けようかくらいしか考えられなくなっていた。


 だが、最終盤、俺の手が冴えてきた。好手を指し続けることが出来たんだ。だが、途中から何やらおかしいなと感じた。なぜあいつに対してこんな手が通じているのか。
 そう思った時にはもう何もかも遅かった。


 あいつの玉に十三手詰めがかかっていたんだ。ある程度の実力者なら絶対に詰まさなくてはならないレベルの詰め将棋だ。俺は王手をかけた。そして互いに一手指した局面で奴は頭を下げた。
 俺はそれが気に食わなかった。俺は手加減されていたのだ。

「お前、あれはどういう事なんだよ!!!」


 そう、人のいない場所で俺はあいつに怒鳴った。あいつの実力なら四段に上がることはたやすい。だが、俺の他に三敗の棋士がいた。その人と、渡部とはまだ対局をしていない。

 最終日に対局したら、渡部が勝つであろうことは分かっている。だが、将棋は実力勝負だと言われてもやはり運要素はしっかりとある。

 例えば、読みが甘くて、変な手を指すとか、相手の戦法が、全く研究していない戦法だったりだ。
 だが、あいつはそんなリスクお構いなしで、俺に勝ちを譲ったのだ。俺はあいつが許せない。

 しかもだ、あいつがそれに対しての返事は「うん。俺は君に勝ちを譲った。俺だったらいつでもプロにはなれると思っていたけど、君は違うでしょ。俺よりも五歳年上だし」

 ふざけんなよと、本当に思ったよ。なんで、他人に譲られての昇段なんてしなきゃならないんだよと、
 確かに俺はあの対局に勝てば、ほぼ昇段は確定的になる。俺が最終局に負けても競争相手が渡部に負けたら昇段なんだから。

 あいつは俺をなめてやがった。そう思った俺はもうあいつとの縁を切ろうと思った。

 翌日、新聞に渡部三段、まさかの逆転負けで、四段昇段確定はお預けと書いてあった。ムカついた。

 幸いなことに、あいつは最終局勝ちきって俺と共に昇段を果たした。俺も注目はされたが、あいつほどではなかった。俺は所謂おまけだった。そのことも俺のイラつきに拍車をかけた。俺はすでに渡部を嫌いになっていたんだからな。

 そこからプロでは負け続けた。気持ちが落ちていたのだ。初年度から好調の渡部とは違って、俺は負け続けた。あらゆる棋戦で負け続けた。もう、どん底まで落ちた。

 ネタにされるのもつらかった。あいつにお情けでプロにさせてもらった俺と、一敗のハンデを持ちながら、プロになったあいつとの差、プロになってから勝ち続けたあいつと、負け続けた俺、その差を直視するのがきつかった。

 C級二組であいつと対局したとき、「手加減するな」と、前もって言っておいた。こうすることで、あいつに情けをかけられることもないだろうという事だ。
 対局はぼろ負けだった。なにもいいところがない対局だ。
 この対局も一部のファンからは注目されていた。でも、俺は何もできなかった。
 一瞬引退という文字が浮かんだ。だが、それでは年齢制限でプロになれなかった人に申し訳が無い。
 そして、俺はもがき続けた。

 だが、あいつは俺より先に引退してしまった。
 俺はその時思ったんだ。やったと。これであいつと対局することもないし、全て万々歳だ。
 まさかそこから自殺するとは思ってはいなかったが。

 俺の話はこれで終わりだ。頼りになったか」

「ああ、ありがとう」
「しかし、皆川からこんな話を訊かれるとは思わなかったな、偉人書でも作るつもりか?」
「いや、そんなつもりはない。ただ、あの人の真実を知りたいだけだ」
「そうか、頑張りな。ただ、大したことなどないと思うけどな」
「俺は、頑張るよ」

 そして皆川はその家から後にした。
 ……偉人書はなんてものは違う。ただ、……俺は知りたいだけだ。