天才棋士との結婚――そして苦悩


 
 そして、翌日。「行ってくる!!」そう、元気に言う勇人君が元気に外に出ようとする。

 「行ってらっしゃい!」

 私は彼を抱きしめる。

 「今日が終わったらもう、いなくなるんだよね」
 「ああ。そうだな」
 「別の世界に行くんだね」

 寂しい。でも、その感情を矢面に出してしまったら、私は勇人君の決意に蓋をしてしまうことになる。

 「行ってらっしゃい!」

 私にできることは笑顔で見送ることだけだ。
 もう、勇人君に会えない。そう考えると辛い。でも、乗り越えるしかない。
 それが、勇人君の事を愛した。私に出来る最後の事だから。

 私の隣ですやすやと眠る愛ちゃん。
 彼女の寝顔を見ると本当に申し訳なくなった。

 そして、私は、その間に、美晴の家に行く。勿論愛ちゃんを連れて。

 家で勇人君が死ぬのを待つのも、寂しいものだ。だからこそ、家にいるのも良くない。
 
 そして、勇人君に最後のメッセージを送った。こういうのは手紙で渡すのがよいとされると思うが、私にはメールの方がよかった。

 「勇人君。今日が最後の日だね。読んだらマスコミに見つかる前に削除してください。私は当然ですけど、今もあなたを愛しています。それは、貴方が棋士だとか、そういうことは一切関係ありません。私は純粋なあなたという個が好きなのです。でも、気にしないで。私はあなたが好きだからこそ、貴方の選択を尊重したいです。そして、私は、貴方を最初に見たときから好きでした。その顔を見たときに、私は一目で、助けたいなと思った。あなたの目が悲しい顔をしてたから。そして、私はそれからあなたと楽しい日々を過ごして、結婚して、いろいろあったね、たったの五年だけど、楽しかったよね。最後に、天国でも、幸せに生きてください。さよなら、勇人君。天国でも元気で。愛してます!!!」

 そう書いて、私は勇人君に送った。死ぬ前に彼が見るだろう。
 返信は期待していない。
 しかし、これを見て笑顔で行けたならそれほど嬉しい事はないだろう。

 「美晴!!」

 私は元気に手を振った。

 「葵! それが子供?」
 「うん。可愛いでしょ?」
 「お母さん、この人誰?」
 「私の友達よ」

 今も、勇人君は死ぬために、買った空き家に行っている。
 練炭自殺をするためだ。

 勇人君の事は考えないようにしている。
 考えたら今すぐに止めに走りたくなってしまうのだから。

 だけど、美晴との会話、その間私は上の空になってしまっていた。

 私はもはや何をしているかわからない。話しているのに、きちんと話せていない。そのような感じだ。
 行動しているのに、頭は真っ白。
 もう、勇人君と喋れないのが辛いのだろうか。
 ああ、私的には死んでほしくなかったな。今はもう、そう深く思う。

 その時に、ニュースが流れた。

 「ニュースです。元棋士の渡部勇人さん(31)の死亡が確認されました。自殺ではないかという見解が示されています。これから詳しい調査が行われるとみられています。では、急ですが渡部勇人特集を始めます」

 そうテレビのニュースで紹介された。これを聞いて、勇人君は死んでしまったんだなと、思った。
 これでもう、勇人君に会うことはできない。
 もう覚悟はしていたが、実際その局面を目の前にしてしまうと、悲しくなる。

 「うぅ、うぅ」

 覚悟していたはずなのに、涙が出てくる。
 ああ、涙が止まらない。

 「うわあああああ」

 愛ちゃんも目の前にいる。だから涙を止めなければならないという事を私は知っている。でも、涙が止まらない。

 「美晴ごめん」

 そう言って、戸惑いを見せる愛ちゃんを美晴に預けて、私は別の部屋に行き思い切り泣いた。

 「葵は知ってたんだね」
 「うん」

 十分後、私は美晴を呼んだ。その頃にはもう愛ちゃんも眠りについていたようだ。

 私は、立ち上がり周りをうろうろと歩く。

 「私は知っていながら彼を見捨ててしまったの。彼に、人生の楽しみを結局教えてあげられなかった。それが悔しいの」
 「悔しいという想いの方がでかかったの?」
 「うん。だって、私は負けたの。彼が背負う運命に」

 そう、私は彼の死ぬ運命を変えられなかった。彼の人生が幸せに終わるなんて言うことは無かったのだ。
 自殺という世間では否よりの賛否両論の死に方をしたのだ。
 これが負けたと言わないでどういうのだ。

 「私は彼を幸せにしてあげたかったよ」

 そう言って泣いた。私は大泣きをした。
 そして、しばらく美晴の家にお邪魔になってから家に帰る。
 もう、勇人君のいない家に。
 そこには、警察がやってきてた。
 私は悲しい気持ちを押し殺して、質問に答えた。あくまでも自殺教唆などの罪に問われないようにして。

 「私は今日、美晴……友達の家に行ったんですけど、そこのテレビで主人の死が報道されて驚きました。確かに前からその前兆はありました。だけど、まさか本当に死んでしまうとは……という感じです」

 そしてある程度のことを説明した。そしてマスメディアに私のことを報道しないようにも言った。
 そして、当たり前の話だが、数日間警察の方にいろいろと聞かれ続け、疲れた。

 大丈夫だよ。子供を必死で育てて見せる。そして大人になったら、あの渡部勇人の娘だって、教えてあげるんだ。もう、私は大丈夫だよ。一人でも生きていけるから安心して。
 私は、私たちは大丈夫だ。

 それからあっという間にいつもの生活に戻った。幸いあれからも渡部勇人の自殺の原因に女の影アリとか、謎にYOUTUBEで言われたりしたくらいで、勇人君の妻が私だとは一切ばれてはいなかった。
 私の家に久しぶりに羽田さんが来た。
 そう、もはや私だけのものになってしまった家に。

 私は羽田さんに感情をぶちまけた。今まで悔しかった感情や、苦しかった感情など、全てを。

 「そうか、葵さん、あなたは渡部君のためにいろいろと尽力したんだね」

 羽田さんにそう言われたとき、うれしい気持ちになった。でも、

 「でも、私は彼を救えなかった」
 「いいんだよ。それは彼の選択なんだから」

 あくまでも私が以前から思っていたことだ。だけど、不思議に少し心の溝が埋まった気がした。

 「それより、もっとご飯は食べた方がいい。その華奢な体では、いつか栄養失調になるからな。悲しい時こそ食べろ」
 「はい、分かりました」

 そして私は家で焼き肉をたくさん食べた。勇人君の遺影の前で。
 私が悲しんでいたり、苦しんでいたら、勇人君を心配させてしまう。そんなことさせるわけにいかない。
 そして私は、悲しさを押し殺して、今日も生きていく。