天才棋士との結婚――そして苦悩

 勇人君の対局場に行く。
 そこには席が沢山あり、前に将棋盤が置いてある。
 そこで、勇人君は将棋を指すのだろう。

 そしてその真ん中に、大きな将棋盤のボードがある。
 あそこで、将棋の解説をするのだろう、
 確かに将棋盤を見るのでは、小さすぎて見れた者じゃないから。

 そして、暫く経ち、会場の時間になった。
 すると、まず、解説?の将棋棋士が来た。そして軽い話をした後、派手な演出が入った。
 そして、勇人君が来た。

 周りがざわざわとする。
 これを見ると、私が勇人君の妻であることに対して少し誇らしくなった。
 いや、それはあくまでも勇人君の功績で会って、私がドヤるのもおかしな話な気がするけど……

 そして、勇人君が、今日の対局に向けた言葉を発した。
 その言葉は、テレビ越しに聞く勇人君の言葉とも、いつも聞く勇人君の言葉とも違う。
 しっかりとした声だった。

 皆、静かに訊いている。
 私はそれを見て、なんだかいいなあと思う。
 勇人君は今も将棋が楽しくないのだろう。
 だけど、見てるこちらは無責任かもしれないけれど、すごいなと思う。

 そして将棋の対局が開始される。
 勇人くん頑張れ、そう心の中で思う。

 対局は、将棋盤で行われるが、解説はその隣の大盤で動かされる。

 正直言って、完璧に将棋を理解しているわけではない。
 プロの人の解説がついてるのはありがたい。

 皆川四段は、矢倉に組んだみたいだ。
 矢倉の対抗系。
 難しい将棋なのだろう。
 皆川四段が攻めて攻めて攻めまくる。

 勇人君がそれをうけていく展開となって行った。
 将棋は、野球やサッカーのように、声を出して応援するようなことはしない。
 それどころか、観客を入れての対局もそこまで多くはない。

 だから心で祈りながら、見るしかない。
 勇人君が負けるとは思っていない。
 だけど、応援したい。

 「勇人くん頑張れ」そう私は小さな声で呟いた。

 そして対局は、段々と過熱していくが、皆川余談の思考時間が少しずつ長くなっていってる感じがする。
 勇人君が優勢なのだろうか。
 解説の人も「渡部八冠の受けがさえわたっており、皆川四段は厳しいですね」と言っている。
 そんな言葉を聞き、私はさらに嬉しくなった。

 その後も、勇人君はペースを落とさずに、受けきった。
 そして、勇人君の攻めのターンだ。
 勇人君が秀逸な手を繰り出していき、皆川さんの玉を寄せに動く。

 そしてそのまま果敢に寄せに入った。
 だが、勇人君の攻めが止まった。
 というよりも、勇人君の手が止まった。
 まだ時間はある。勇人君が、持ち時間をほとんど使わずに指してきたからだ。

 だが、手が止まっている。
 解説の方々も困っている様相を見せている。
 そして、数秒の待機時間ののち、彼は早速指していく。

 私には将棋のことをはっきりと理解してるとは言えない。でも、これは遠回しな寄せだと感じた。
 恐らく勇人君には、はっきりとした勝ちの形が見えてるのだと思う。
 でも、勇人君はその手を指さないのだ。
 理由なんてわかる。

 彼はまだ私に楽しませようとしてるのだ。
 そんなことさせなくてもいいのにと思う。
 でも、勇人君は、一方的な将棋が好きなわけじゃない。
 勇人君は、混沌とした将棋が好きなのだ。
 勝ち負けが最後まで分からない将棋が好きなのだ。

 そんな勇人君だからこそ、決め切らないという事なのだろう。

 私としてはもやもやする。
 私個人としては、勇人君が勝つところを見られたらいいだけなのに。
 そして、案の定、玉は寄せられなかった。
 そして、皆川四段の激しい攻めが始まって行った。

 まだ、皆川さんの玉は寄せられて入るけど、解説の方曰く、まだ寄らない。
 詰めろという、次の手で詰みが狙える局面ではないらしい。
 なるほど、と私は思う。

 でも、勇人君の玉が詰むことはない、そう私は知っている。
 パフォーマンスのためとかではない。
 私がいる前で負けるようなことをするわけがない。
 勇人君は軽く欠伸をした。

 そのまま、皆川さんの攻めを受けきった。
 詰みそうに見えるが、ぎりぎり詰まないらしい。
 そして勇人君は、軽く汗をぬぐい、受けに回った皆川四段の玉を詰ました。
 見事な将棋だ。
 勇人君が圧勝する将棋を、一時、皆川四段の優勢に持って行ったのだ。

 勇人君はため息をつき、そのまま感想戦。将棋の感想を互いに言い合う時間になった。
 そして帰るのだけど、流石に勇人君と待ち合わせするわけにはいかない。
 とりあえずは、私一人で帰る。

 SNSを軽く見る。そこには、勇人君の将棋を絶賛する声が多数あり、ほっとした。
 だが、一部、よく調べてみると、勇人君に対して、「将棋をなめてる」「あんな手を見過ごすなんて彼らしくない、わざとなのではないか?」などという投稿があった。

 私はそれを見て苛々とした。
 そして、リプのところを開き、「渡部さんはそんな人じゃありません」そう、送ろうとした。だけど、それは勇人君は望んでない。そう思い、即座にやめた。

 家に帰って、勇人君と一緒に遊びたいなあ。そう思った。

 家に帰る。まだ勇人君は返ってきていないようだった。
 当然か。

 早く帰ってきて欲しいな、と思いつつ、料理を作る。
 すると勇人君が帰ってきた。

 「勇人君!!」

 そう言って私は勇人君に抱き着いた。

 「どうしたんだ」

 そう、私の頭をなでながら優しく言う。

 「今日の対局のことなんだけど。やっぱり手を抜いてた?」

 勇人君の方がびくっと振れた。
 それを見て、確信した。
 勇人君はやはり、手を抜いてたんだと。

 「僕は、葵を楽しませるために」
 「……それは分かってる。別に私は責めてないよ」
 「そう、ならなぜ」
 「私はただ、今日の勇人君を見てやっぱりしんどそうだなって思ったから」

 勇人君の顔は苦しそうだった。
 彼は、将棋を指していい精神状態じゃないと思う。

 「苦しむくらいなら、あっさりと勝ちに行ったら?」
 「だめなんだ、僕は楽しませなければ」
 「勇人君……」

 やっぱり優しいからこそ、苦しむ。

 「神様は不公平だよ。なんで、勇人君が苦しまなくちゃならないの?」
 「それは……」

 勇人君が上唇を噛む。
 勇人君はただ、将棋の才能を与えられ過ぎただけだ。
 ファンは皆、勇人君の苦しみを分かっていない。
 私が勇人君を助けなきゃと思う。
 勇人君が、苦しむのはもう見たくないのだから。

 ★★★★★

 僕は、今日葵が見に来るから、楽しませようと思って、あえて手を抜いた。
 僕があっさりと買ってしまったら、僕は葵を楽しませることが出来ない。
 ただ、なすすべして奈tぅた将棋を見せるだけになってしまうから。
 だけど、葵に怒られた。
 葵曰く、苦しそうって。

 僕は苦しいよ。
 だって、僕は均等な対等ないい将棋が指したいのに、皆、僕にかなわないんだ。
 もう、僕に負けの恐怖を押し付けられる棋士は数少なくなってきた。
 羽田さんをはじめとした、数少ないトッププロ棋士だけが、僕の将棋への情熱を少しだけ復活させてくれる。
 葵の指摘は鋭すぎて驚くんだ。
 まさに僕が思ってることなんだから。
 皆が僕くらい強くなれば、僕は手を抜かなくて済むのに。
 勝つ前提の将棋はいやなんだ。