授業後。僕は逃げるように教室を後にし、帰路を歩いていた。

 自分の中では、滝森さんは鬼頭にも見放され、授業後は周囲からの嫌味を聞きながら一人机にポツンといるはずだった。だが、彼女はいつものように平然とした様子で鬼頭と話をしていた。教室を出る直前、横目で見た彼女の笑みが今も頭にチラつく。

 他の生徒の誤解は解けていないにもかかわらず、どうしてあんな笑顔を作ることができたのか。鬼頭の信用を受けたことで他の生徒にもきちんと話せば理解してもらえると思ったのだろうか。それとも、鬼頭以外の生徒に関しては誤解が解けなくてもいいと思っているのか。はたまた、一部の生徒には事前に教えていたことなのだろうか。僕の貼り付けた紙に集まらなかった生徒はその可能性が高い。

 彼女の思いが全く見えてこない。何が正しいのか疑心暗鬼になり始めている。

 気を紛らわせるために僕はスマホを手に取ると『マイクレジット』のアプリを開いた。

 ポイントは現時点で『584』となっている。社会クラス6の地位は剥奪されてしまった。だが、滝森さんを失った僕としてはもう必要のない地位だ。

 ここまで減少は三つ考えられる。

 一つは滝森さんについての張り紙に書かれた内容に虚偽が入っていたこと。真実の中に潜んだ虚偽に関しては、AIが自身のデータベースから算出して見抜くことができるだろう。最も、AIのデータベースの中に入っていない真実があった場合、それを虚偽だと判定されていたらかなりの欠陥が浮き彫りになるな。ただ、それを調べる気にはならない。

 もう一つは、加藤たちのいじめによって得ていたポイントが消失したこと。彼らからのいじめがなくなってから約一ヶ月の時が過ぎた。それだけの期間が過ぎ去れば『いじめはなくなった』と判断し、それによって得たポイントが消失しても何もおかしくはないだろう。

 そして最後の一つは……

「おい、新田。何見ているんだ?」

 歩いていると不意に誰かが僕の肩に腕を回した。僕は聞こえた声に思わずため息を漏らしそうになった。

「お、マイクレジットじゃん。へー、600ポイント代から落ちちゃったんだ。可哀想に」

 声の主である加藤 宏大は前のめりになり、僕のスマホの画面を覗く。横を見るとスズキたちも一緒のようだった。

「どうして、加藤が僕の信用スコアを知っているんだ?」

「……まあ、色々あってね」

 僕は答えを濁す加藤の様子を訝しく思う。600ポイント代を知っているのは、鬼頭たちくらいなものだ。それなのに加藤が知っている理由。滝森さんが彼にリークしていたというのが一番濃厚だろう。やはり、彼女と加藤はグルであったのか。

「ほらよっ!」

 すると加藤が僕の握っていたスマホを手に取ると勢いよく引っ張り上げる。スマホは僕の手からするりと抜けると加藤の手に渡った。

「返して欲しかったら、あそこの公園までおいで!」

 加藤は嫌味たらしい笑みを僕へと覗かせると向こうにある公園まで走っていった。いつも僕が暴力を振るわれている公園だ。

 逃げたいところではあるが、スマホを取られたままというのは流石に不都合だ。僕は加藤の誘いに乗り、公園に行くことにした。

 公園にはちらほら子供がいるが、敷地面積が広いため、いつもの遊びをするのならば申し分なかった。

「お、流石は新田くん。付き合いがいいね」

 加藤たちは横一致列に並んで僕と対峙する。いつもなら、緊張するところだが、今日はやけに平常心だった。

「じゃあ、いつものようにプロレスごっこしようよ。俺ら五人でバトルロワイヤル。20秒間立てなかったら退場。最後まで残ったやつが優勝な。それじゃあ、はじめ!」

 そう言って、四人はバッグを下ろすと僕を囲んでいく。一人が後ろから僕の両腕に自身の腕を絡めて動きを止める。それを見てすかさず、加藤が僕の腹部に向けて拳を放ってきた。今まで以上に容赦のない一撃。僕は歯を食いしばり、耐える。

「へー、なかなか根性あるじゃん。じゃあ、もう一発!」

 加藤は逆の方の手でもう一発拳を放つ。さっきの痛みが残っているせいか先ほどの攻撃よりもひどい痛みが僕を襲った。

 さらに、加藤以外の奴らも僕に攻撃をする。脹脛や腿への蹴り、顔面へのパンチ。つま先を踏みつけるなど、今まで以上に暴力を振るっていった。終いには僕の動きを止めていた鈴木が腕から首へと自身の腕をシフトさせ、絞め技を喰らわせてきた。

 全ての攻撃を受け、満身創痍となり倒れた僕に対し、加藤は思いっきり腕を踏みつける。遊びの度を通り越して、それは誰から見ても明らかないじめだった。

「お前ごときが俺に歯向かっているんじゃねえよ。今までみたいにおとなしくしてりゃ、こんなことにはならなかったのにな!」

 加藤は笑みを浮かべながら僕の腕に乗せた足を左右に動かす。僕は痛みに堪えきれず、声を出した。全身の痛みが腕に集中したように今まで経験したことのない痛みが僕を襲う。だが、それはあくまで身体の話。心はそれ以上にボロボロだった。

 どれだけ体を痛めつけても、加藤たちにいじめられても、滝森さんの裏切りによる傷とは程遠かった。やはり、君たちは僕にとってはちっぽけな存在らしい。だからこそ、ここでおさらばだ。

「お前ら、何してやがる……」

 ハードボイルドな低い男の声が聞こえる。彼の声は激しく揺れていた僕たちの調子を一気に鎮めた。加藤たちは僕からの興味はそがれ、声のする方を覗いた。

 僕も同じく顔を向けると私服姿の男たちが五人ほど目に入る。ツーブロックやパンチパーマなどで髪を飾り、首や腕に刺繍をつけている。明らかに僕たち高校生が相手にしてはいけない人たちだった。

「な、なんですか?」

 加藤は怯えながらも彼らに声を掛ける。

「にいちゃん、四対一で戦うなんて卑怯な真似してるんじゃねえよ。男なら黙って一対一で戦え。戦う相手がいないなら、俺たちが相手になってやるよ」

 男たちはそう言うと加藤たちに近づいていく。「どうする?」と鈴木や他の奴らが言うが、加藤は怯えながらもその場に佇む。加藤の指示なしでは動けない他の生徒はたじろぐが、男たちの襲撃に捕まり、各々ボコボコにされた。力の差は歴然であり、対抗しようにもすぐに防がれる。いじめっ子相手に調子に乗っている奴らと強いもの相手に命懸けで戦っている奴らでは実力に天と地ほどの差があるに決まっていた。

「大丈夫か?」

 残った一人の男は僕へと手を差し伸べた。

「ああ、ちょうどいいタイミングで来てくれた」

 僕は痛みに耐えながらも微笑み、彼の手を掴んだ。彼は力強く僕の体を持ち上げる。

 彼らは僕が雇った人物たちだ。昔から貯めていたお金を使用し、彼らに対して懲らしめて欲しい奴らがいると言って金銭を報酬に雇った。おかげで信用スコアは愕然と下がってしまったが、彼らを大いにいたぶることができるのならば安いものだ。

「あそこにいる加藤が僕のスマホを持っているから、とってもらっていい?」

「わかった。おーい、そいつのポケットにあるスマホをこっちにくれ」

 男が命令すると、加藤と対峙していた男は彼を一発殴り、動かなくなったところでポケットからスマホを抜き、僕が指し示す方を投げてくれた。危うくキャッチし損ねそうだったが、なんとか両手に収めることができた。

「じゃあ、あとは頼んでいい?」

「はい、おそらく警察沙汰になるかもしれないので、早めに帰ったほうがいいぜ。ゆっくり体を休めな」

「ありがとう。あとは任せるよ」

 男たちは優しく僕を返してくれた。最初に会った時は僕も怯えていたが、報酬を渡すと優しくしてくれた彼らは義理堅いとは思った。

 今まで散々僕を苦しめた彼らがやられる様子はとても祝福的なものだった。調子に乗っていた彼らが「許してください」と懇願する様はとても醜く、愚かなものだ。これできっと彼らは金輪際、僕に対していじめることはなくなるだろう。

 最初からこうしておいてもよかったと思ったが、この地獄のような構図を作るのに何十万という金を払うのは損だっただろう。何も必要なくなった今の僕だからこそ、できることにすぎない。

 最後に彼らがやられている様を保存しておこうと、10秒くらいの短い動画を撮った後、僕はその場を去っていった。