二人は学校の駐輪場へと足を運んでいった。お昼の時間、生徒たちが屯せず、二人きりとなれる場所としては絶好のところなのだろう。
駐輪場は一つの屋根の下に自転車を二台縦に並べられるようになっており、自転車同士の間には仕切りが作られている。
僕はその仕切りをうまく利用して隠れると二人の話す内容について耳を立てた。
最初に聞こえてきたのは鼻を啜る音。おそらく、滝森さんのものだろう。
「これ使う?」
第一声は鬼頭から。滝森さんに何かを渡そうとしている。ハンカチだろうか。
「ありがとう」
滝森さんは涙ぐみながらお礼を言う。
「その……さ……あれって、本当だったりする?」
鬼頭は躊躇うような口調を見せながらも直接的に滝森さんに疑問を述べた。滝森さんは何も言うことなく、しばらくの間沈黙が続く。唯一聴こえるのは滝森さんの苦しそうに息を吸う音だった。
「そっか」
沈黙は強い肯定を意味する。鬼頭は自分に語りかけるほどの小さな声を漏らした。
鬼頭は滝森さんに失望したのだろうか。きっと失望したに違いない。自身もまた弱いくせに、弱いものから金を巻き上げ、淫らな行為をする彼女を許すはずがない。
足音を一二歩響かせる。もしかして、羽田さんと同様に滝森さんにも一発食らわせるつもりだろうか。もしそうであれば、実際に見てみたいものだった。その姿を想像すると、無意識に頬が緩む。
さあ、どうなる。僕は興奮しながら時を待つ。だが、聞こえたのは打撃の音ではなく、服が擦れるような音だった。
「誰でも秘密の二つ三つはあるからね。それをあんな形でバラされるのは災難だったね」
鬼頭は優しく宥めるような穏和な口調で滝森さんに囁きかける。
「恵は失望してないの? 私、すごい大事なことを恵に隠してたのに?」
「うーん、そうだね。失望したかな。まさか静が『淫らな手法で金銭を巻き上げている』なんて思ってもみなかったから」
「え……えっと……私が言いたかったのは『過去にいじめを受けたことがある』の方だったんだけど」
「ん……」
緊張感の漂っていた雰囲気が一気に緩和されていく。再び、足音が二三歩響くのが耳に入ってきた。
「えっと……じゃあ、『淫らな手法で金銭を巻き上げている』と言うのは?」
「あれは、違うよ。流石にそんなことするわけないから」
「あー……ですよね。よかったー。私、もしかして静のやっているアルバイトってそっち系のやつなのかなと思っちゃった。内容とか教えてくれたことなかったから」
「そんなことしないよ! 私のやっているアルバイトは警察関連であまり他の人に言ってはいけない事項だから言わないようにしているだけ」
「守秘義務ってやつか。はー、良かった。私の中の静のイメージが崩れることだったよ。まあ、私としては静のいやらしい一面が見れて棚ぼた気分かなとか思ってたけど。はははっ」
「なんの間違いがあっても、それは絶対にしないから。でも……」
緩和した空間に再び緊張感が漂う。滝森さんとしては勘違いだったと言うことで終わるわけにはいかないらしい。
「ただ、『小学校、中学校といじめを受けてきた』ことに関しては本当なの。今まで黙っていてごめん。もし、こんなことが知れたら、恵を失望させてしまうかも。仲間から外されてしまうかもと思って言うことができなかった。こんな弱い私でごめんなさい」
本題はここから。いじめを受けてきた滝森さんに対して、鬼頭はどう思っているのだろうか。滝森さんの思った通り失望しているのか。先ほどの言動から僕にとって少し嫌な予感がする。
「……顔あげなよ。私がそんなことで失望するわけないじゃん。むしろ、そんなことで失望すると思われていたことに失望しそうだよ」
「ご、ごめんなさい。でも、恵がハロウィンの時に『本当は弱いくせに、強がりやがって』って言ってたから、私みたいないじめられっ子で弱い人間が強がって恵のような強い人のそばにいていいのかなって……」
「あー、もしかしてハロウィンの時に言おうとしていたのって、それのこと」
「……うん」
「あちゃー、私は何てひどいことを口にしてしまったのだろうか。うーん、静の秘密を知ってしまったのだから、私も秘密にしていたことを話した方が良さそうだね。ごめん、燈!」
秘密にしていたこと。諏訪さんに謝ると言うことは彼女にも関係のあることだろうか。
「実はさ、燈がこの前まで手に包帯巻いてたじゃん。あれ、燈のクラスの奴が負わされた傷なんだ。燈ってさ、お人好しすぎるほど優しい性格の持ち主じゃん。それに可愛い。だから、男子にモテ、女子に嫌われるタイプなわけよ。それで、たまにこういった小さないじめが起きるんだよね。でも、言わずと知れたお人好しの燈は特に気にする様子もなく、過ごそうとするのよ。手を打撲しているのにパンチングマシーンに向けてパンチするとか普通の神経だったらおかしいよね」
「じゃあ、あの時、打撲してたままパンチしてたの」
「そっ。だから点数が伸びなかったんだよね。打つ瞬間もかなり痛そうにしてたから」
「全然、気が付かなかった」
「仕方がないよ。すぐに笑顔を作って何事もなかったかのように振る舞うからね。長年付き合ってきて、燈の性格を知っている私だからこそ、気づけることさ。それで帰りに指摘して、病院に行かせたの。ただ、そこでもシラを切って、転んで怪我したことにしたの。ただ、長年付き合っている私にとっては燈の嘘は目に見えて明らか。そこで事情を聞いて、クラスの生徒に意地悪を受けていたのが分かったわけ。ただ、私以外の人には『転んで怪我した』と言うことにしておいた。燈の性格的に大事にしてみんなに迷惑をかけたくなかったと思うからね」
「燈ちゃんが……ごめんね、気がつくことができなくて」
「全然。むしろ気が付かないことが燈にとってはありがたいのよ。話は戻るけど、それで燈に悪さをした主犯を聞き出して、そいつとメッセージでやりとりしていたの。そしたら、そいつが変に強がって、言い訳ばかりするんだ。だから少し腹が立って、あんなこと言ってしまったわけ。それがまさか静の精神を抉ることだとは思いもしなかったよ」
「そう……だったんじゃ。じゃあ、あの言葉は本心じゃないってこと?」
「まあ、本心ではあるよ。でも、私はいじめられる人間を『弱い』なんて思ったことはないよ。むしろ、それを受け止め続けられるなら『強い』方なんじゃない。身も心も傷つけられて、ボロボロになっても必死で生きるなんて私には到底できないからさ。だから……」
再び、二三歩の足音が響くと服が擦れる音が聞こえる。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ。私はいつだって、静の味方だから」
今までの話し方とは打って変わって、とても朗らかに優しい口調で囁きかけるように鬼頭は滝森さんへと声を掛ける。
「めぐみ……うん。すごく怖かった。毎日毎日辛くて、苦しくて、何回も死のう死のうって思って、人生嫌になって逃げ出して、でも逃げ場所なんてどこにもなくて……」
滝森さんは今まで自分の中に溜まっていた思いをぶつけるように泣きじゃくりながらも言葉を綴った。鬼頭は、滝森さんの言葉に「うん」と繰り返しながら、聴き続ける。
「もう無理かなと思った時に、色々な人が支えてくれた。自分のことを全く知らないのに助けてくれた人がいて、励ましてくれた人がいて、そして愛してくれる人がいた。だからここまで頑張って来れた」
「そっか。良かった。私は静かに会えて嬉しいよ」
「うん。私も。だから、もう少しこのままでいさせて」
「おう! 精一杯泣きなさい。今まで溜めてきたもの全部発散するくらいにさ」
「うん……」
そうして、しばしの沈黙が周りを包み込む。
どうやら、彼女たちの絆はより一層深まったみたいだ。僕はそれがやけに腹立たしく感じた。まあ、僕を利用した鬼頭も同罪である以上、仲良くなるのも無理はないか。
面白くない展開にため息が出る。緩んだ頬は気がつけば元通りになっていた。
彼女たちに気づかれないように静かに歩き出す。もっとも、二人の世界に飛んだ彼女らが僕の存在に気がつくことはないだろう。
寒さ漂う風が吹き荒れる。季節は冬になろうとしていた。冷え切った体は心まで冷酷にする。僕は滝森さんが少し羨ましく思った。
僕も鬼頭のように暗い現実を受け止めてくれる人間が欲しいと切実に願ってしまった。
全てを裏切った僕にそんな人物が現れてくれるはずはないのに。
駐輪場は一つの屋根の下に自転車を二台縦に並べられるようになっており、自転車同士の間には仕切りが作られている。
僕はその仕切りをうまく利用して隠れると二人の話す内容について耳を立てた。
最初に聞こえてきたのは鼻を啜る音。おそらく、滝森さんのものだろう。
「これ使う?」
第一声は鬼頭から。滝森さんに何かを渡そうとしている。ハンカチだろうか。
「ありがとう」
滝森さんは涙ぐみながらお礼を言う。
「その……さ……あれって、本当だったりする?」
鬼頭は躊躇うような口調を見せながらも直接的に滝森さんに疑問を述べた。滝森さんは何も言うことなく、しばらくの間沈黙が続く。唯一聴こえるのは滝森さんの苦しそうに息を吸う音だった。
「そっか」
沈黙は強い肯定を意味する。鬼頭は自分に語りかけるほどの小さな声を漏らした。
鬼頭は滝森さんに失望したのだろうか。きっと失望したに違いない。自身もまた弱いくせに、弱いものから金を巻き上げ、淫らな行為をする彼女を許すはずがない。
足音を一二歩響かせる。もしかして、羽田さんと同様に滝森さんにも一発食らわせるつもりだろうか。もしそうであれば、実際に見てみたいものだった。その姿を想像すると、無意識に頬が緩む。
さあ、どうなる。僕は興奮しながら時を待つ。だが、聞こえたのは打撃の音ではなく、服が擦れるような音だった。
「誰でも秘密の二つ三つはあるからね。それをあんな形でバラされるのは災難だったね」
鬼頭は優しく宥めるような穏和な口調で滝森さんに囁きかける。
「恵は失望してないの? 私、すごい大事なことを恵に隠してたのに?」
「うーん、そうだね。失望したかな。まさか静が『淫らな手法で金銭を巻き上げている』なんて思ってもみなかったから」
「え……えっと……私が言いたかったのは『過去にいじめを受けたことがある』の方だったんだけど」
「ん……」
緊張感の漂っていた雰囲気が一気に緩和されていく。再び、足音が二三歩響くのが耳に入ってきた。
「えっと……じゃあ、『淫らな手法で金銭を巻き上げている』と言うのは?」
「あれは、違うよ。流石にそんなことするわけないから」
「あー……ですよね。よかったー。私、もしかして静のやっているアルバイトってそっち系のやつなのかなと思っちゃった。内容とか教えてくれたことなかったから」
「そんなことしないよ! 私のやっているアルバイトは警察関連であまり他の人に言ってはいけない事項だから言わないようにしているだけ」
「守秘義務ってやつか。はー、良かった。私の中の静のイメージが崩れることだったよ。まあ、私としては静のいやらしい一面が見れて棚ぼた気分かなとか思ってたけど。はははっ」
「なんの間違いがあっても、それは絶対にしないから。でも……」
緩和した空間に再び緊張感が漂う。滝森さんとしては勘違いだったと言うことで終わるわけにはいかないらしい。
「ただ、『小学校、中学校といじめを受けてきた』ことに関しては本当なの。今まで黙っていてごめん。もし、こんなことが知れたら、恵を失望させてしまうかも。仲間から外されてしまうかもと思って言うことができなかった。こんな弱い私でごめんなさい」
本題はここから。いじめを受けてきた滝森さんに対して、鬼頭はどう思っているのだろうか。滝森さんの思った通り失望しているのか。先ほどの言動から僕にとって少し嫌な予感がする。
「……顔あげなよ。私がそんなことで失望するわけないじゃん。むしろ、そんなことで失望すると思われていたことに失望しそうだよ」
「ご、ごめんなさい。でも、恵がハロウィンの時に『本当は弱いくせに、強がりやがって』って言ってたから、私みたいないじめられっ子で弱い人間が強がって恵のような強い人のそばにいていいのかなって……」
「あー、もしかしてハロウィンの時に言おうとしていたのって、それのこと」
「……うん」
「あちゃー、私は何てひどいことを口にしてしまったのだろうか。うーん、静の秘密を知ってしまったのだから、私も秘密にしていたことを話した方が良さそうだね。ごめん、燈!」
秘密にしていたこと。諏訪さんに謝ると言うことは彼女にも関係のあることだろうか。
「実はさ、燈がこの前まで手に包帯巻いてたじゃん。あれ、燈のクラスの奴が負わされた傷なんだ。燈ってさ、お人好しすぎるほど優しい性格の持ち主じゃん。それに可愛い。だから、男子にモテ、女子に嫌われるタイプなわけよ。それで、たまにこういった小さないじめが起きるんだよね。でも、言わずと知れたお人好しの燈は特に気にする様子もなく、過ごそうとするのよ。手を打撲しているのにパンチングマシーンに向けてパンチするとか普通の神経だったらおかしいよね」
「じゃあ、あの時、打撲してたままパンチしてたの」
「そっ。だから点数が伸びなかったんだよね。打つ瞬間もかなり痛そうにしてたから」
「全然、気が付かなかった」
「仕方がないよ。すぐに笑顔を作って何事もなかったかのように振る舞うからね。長年付き合ってきて、燈の性格を知っている私だからこそ、気づけることさ。それで帰りに指摘して、病院に行かせたの。ただ、そこでもシラを切って、転んで怪我したことにしたの。ただ、長年付き合っている私にとっては燈の嘘は目に見えて明らか。そこで事情を聞いて、クラスの生徒に意地悪を受けていたのが分かったわけ。ただ、私以外の人には『転んで怪我した』と言うことにしておいた。燈の性格的に大事にしてみんなに迷惑をかけたくなかったと思うからね」
「燈ちゃんが……ごめんね、気がつくことができなくて」
「全然。むしろ気が付かないことが燈にとってはありがたいのよ。話は戻るけど、それで燈に悪さをした主犯を聞き出して、そいつとメッセージでやりとりしていたの。そしたら、そいつが変に強がって、言い訳ばかりするんだ。だから少し腹が立って、あんなこと言ってしまったわけ。それがまさか静の精神を抉ることだとは思いもしなかったよ」
「そう……だったんじゃ。じゃあ、あの言葉は本心じゃないってこと?」
「まあ、本心ではあるよ。でも、私はいじめられる人間を『弱い』なんて思ったことはないよ。むしろ、それを受け止め続けられるなら『強い』方なんじゃない。身も心も傷つけられて、ボロボロになっても必死で生きるなんて私には到底できないからさ。だから……」
再び、二三歩の足音が響くと服が擦れる音が聞こえる。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ。私はいつだって、静の味方だから」
今までの話し方とは打って変わって、とても朗らかに優しい口調で囁きかけるように鬼頭は滝森さんへと声を掛ける。
「めぐみ……うん。すごく怖かった。毎日毎日辛くて、苦しくて、何回も死のう死のうって思って、人生嫌になって逃げ出して、でも逃げ場所なんてどこにもなくて……」
滝森さんは今まで自分の中に溜まっていた思いをぶつけるように泣きじゃくりながらも言葉を綴った。鬼頭は、滝森さんの言葉に「うん」と繰り返しながら、聴き続ける。
「もう無理かなと思った時に、色々な人が支えてくれた。自分のことを全く知らないのに助けてくれた人がいて、励ましてくれた人がいて、そして愛してくれる人がいた。だからここまで頑張って来れた」
「そっか。良かった。私は静かに会えて嬉しいよ」
「うん。私も。だから、もう少しこのままでいさせて」
「おう! 精一杯泣きなさい。今まで溜めてきたもの全部発散するくらいにさ」
「うん……」
そうして、しばしの沈黙が周りを包み込む。
どうやら、彼女たちの絆はより一層深まったみたいだ。僕はそれがやけに腹立たしく感じた。まあ、僕を利用した鬼頭も同罪である以上、仲良くなるのも無理はないか。
面白くない展開にため息が出る。緩んだ頬は気がつけば元通りになっていた。
彼女たちに気づかれないように静かに歩き出す。もっとも、二人の世界に飛んだ彼女らが僕の存在に気がつくことはないだろう。
寒さ漂う風が吹き荒れる。季節は冬になろうとしていた。冷え切った体は心まで冷酷にする。僕は滝森さんが少し羨ましく思った。
僕も鬼頭のように暗い現実を受け止めてくれる人間が欲しいと切実に願ってしまった。
全てを裏切った僕にそんな人物が現れてくれるはずはないのに。



