「まったく! 辞めたと思ったらすーぐ戻ってきて。なんだったのよ!」
「刹那さん、鳥海さんを責めないであげてください。もとはと言えば、自分が血の匂いに負けて、鳥海さんに襲い掛かっちゃったのがきっかけではありますし」
「マイケルさんのせいじゃないですよ。私がうだうだ悩んでたのがいけないんです」
「まあまあ、いいじゃないか。結果として戻ってきたんだから。今夜はとにかく飲もう。飲んですべてを水に流そうじゃないか」
永徳はそう言って、刹那とマイケル、佐和子のコップに日本酒を注ぐ。
編集部に戻って早々、まだ真昼間だというのに、永徳は縁側に面した広間のちゃぶ台に豪勢な料理を広げ、宴会を始めた。昼間から飲む酒は格別だとかなんだとか言いながら、編集長自らあやかしたちに酒を盛って回っている。
「たのもー! 笹野屋殿はおるか!」
玄関からの地鳴りのような叫び声が聞こえ、佐和子は目を剥いた。
永徳の方を見ると、彼は眉尻を下げて苦笑いをしている。
「ああ、うるさいのが来たね。まったく、今回は扉が見えているんだから、インターホンを押してくれればいいのに。視界に入ってないのかね」
やれやれと言いながら玄関に向かった永徳が連れてきたのは、大きな木箱を抱えた黒羽だった。
「佐和子が戻った記念に酒盛りをするとの連絡を、笹野屋殿からいただいたのでな。酒を持って参った」
「わあ、わざわざありがとうございます」
佐和子が恐縮して例を言うと、黒羽は面を取って笑顔を見せた。頬が紅潮しているところを見ると、照れているようだ。
「この間も、勝手にやってきて、佐和子佐和子ってうるさかったからさ。呼んでやったんだよ」
永徳はそう言ったあと、「タダ酒の調達担当としてね」とこっそり佐和子に耳打ちした。
黒羽が酒の輪に加わったあと、井川や米村もやってきた。
宴会の始まりは昼だったはずなのに、いつの間にか夜は更けて。それでもどんちゃん騒ぎはおさまらず。残業続きで疲れ切っていた佐和子は、笑い転げているうちに眠りについていた。
◇◇◇
「ねえ、お嬢さん」
「ん……」
「よかった。声が届いたかしら」
「誰……?」
ゆっくりと目を開けた先で視界に入ってきた風景を見て、佐和子は息を呑んだ。
吹雪のように舞い散る純白の花びらが、暖かな光の中で踊っている。
豊満な大島桜の群生地が、目の前には広がっていた。
しかし視界はどこかぼんやりとしていて、なんだか現実感がない。桜の季節もとうに終わっているはずだ。
「鳥海佐和子さんというのね、あなた。名前も知らないあなたに、急にお見合いなんて持ちかけてごめんなさい」
「もしかして……富士子さん?」
そう口にすると、まるでカメラのレンズの焦点が合ったときのように、目の前の人物の姿がくっきりと現れた。
藤色の着物に、ロマンスグレーのパーマヘア。間違いなく、あの日バスで見た笹野屋富士子の姿だった。
——これは、夢?
「驚いたわよね。バスでお会いしたあと、事情を説明しようと何度かあなたの前に姿を現そうと頑張ってみたのだけど。うまくいかないのよ。死人って不便ね」
困った顔でそう言った彼女を見て、佐和子は戸惑いながらも苦笑を漏らす。
現実だか夢だかわからないが、この人ともう一度話ができるならいい機会かもしれない。
「驚きはしましたが。でも、富士子さんに誘われて、ここへきて。……本当によかったです。ありがとうございました」
「そう、それならよかった」
満足げに微笑んだ富士子は、佐和子の隣に座る。気付かぬうちに佐和子は、白木のベンチに腰掛けていたようだった。
「永徳はねえ、強がりでねえ。飄々としているように見えて、実は心配性だったり、優しいが故に傷つきやすいところもあって。親としては独り身のまま残して逝くのが心配だったのよ」
「でも、笹……永徳さんなら、すごくできた方ですし。おひとりでも楽しく生きていけそうな気もします。永徳さんを慕ってくれるあやかしの皆さんもいらっしゃいますし」
富士子は佐和子の言葉に苦笑し、「そう見える?」と言いつつ、頬に手を添えてため息をつく。
「あやかし瓦版を継いだばかりのときはね、いろいろあったの。あやかしと人間の気質の違いとか、働く上での常識の違いとかで衝突して。力も暴走しがちでねえ。今はあんな感じだけど、いっときはあの子も相当悩んでいたのよ」
昔を思い出すように、遠くを見ながら。富士子は佐和子に向かって言葉を紡ぐ。
「そもそも主人が事業を永徳に譲渡したのは、引きこもっていたあの子を外に引っ張り出すためでね。永徳は乗り気じゃなかったのよね。編集部員からの信頼も得られなくて、行き詰まって。さらに塞ぎ込んでしまった永徳に、あるとき主人が言ったの。『過去を見るな、前を向け。お前の手で不幸せにした人間のことでクヨクヨしているなら、より多くのものたちを幸せにする道を探せばいい』ってね。私は知らなかったのだけど、あの人には視えていたのね。永徳が引きこもってしまった理由が」
永徳には千里眼の能力がある。ということはつまり、山本五郎左衛門にも似たような能力があったのだろう。墓を見舞う永徳を見て、なにがあったのかを調べたのだろうか。
「その言葉を聞いてからかしら。息子が変わったのは。『時代の変化に淘汰され、困っているあやかしの幸せに貢献する』っていうあやかし瓦版の事業目標に、生きる意義を見出したのね」
繰り返し聞いたその言葉。自分が心を奪われたその言葉に、彼も救われていたのか。
「だからね。人間であるあなたが、自分と視点を共有できる仲間になってくれたこと。きっとあの子は心強かったはずよ」
「そう……ですか……」
佐和子が富士子の言葉を反芻していると、視界がチカチカと明滅するのを感じ、空を見上げた。すると富士子はハッとした顔をして、残念そうな顔を佐和子に向ける。
「あら、そろそろ時間みたい。ごめんなさいね、いつも一方的で」
「えっ、富士子さん? あの」
慌てて富士子を引き止めようとする佐和子を見て、彼女はふっと表情を緩め、顔に刻まれた皺を深めた。
「ふふ。その慌てた顔。あの人にそっくりだわ」
「あの人……?」
「佐和子さんて、お祖父さん似だって言われない?」
「はい、祖父を知る人には、よく言われました……けど……」
「私があなたを婚約者に選んだ理由。それはね、あなたが私の初恋の人に似ていたから。真面目一徹なあの人の孫なら、きっとうちの息子と、足りない部分を補えるんじゃないかと思ったの」
「それって」
まばゆい閃光があたりを包み込み、富士子の輪郭がぼやけていく。佐和子は思わず目を瞑った。
「嫌じゃなかったらこの先も、あの子を、支えてあげて」
「待ってください富士子さん、初恋の人って……」
「刹那さん、鳥海さんを責めないであげてください。もとはと言えば、自分が血の匂いに負けて、鳥海さんに襲い掛かっちゃったのがきっかけではありますし」
「マイケルさんのせいじゃないですよ。私がうだうだ悩んでたのがいけないんです」
「まあまあ、いいじゃないか。結果として戻ってきたんだから。今夜はとにかく飲もう。飲んですべてを水に流そうじゃないか」
永徳はそう言って、刹那とマイケル、佐和子のコップに日本酒を注ぐ。
編集部に戻って早々、まだ真昼間だというのに、永徳は縁側に面した広間のちゃぶ台に豪勢な料理を広げ、宴会を始めた。昼間から飲む酒は格別だとかなんだとか言いながら、編集長自らあやかしたちに酒を盛って回っている。
「たのもー! 笹野屋殿はおるか!」
玄関からの地鳴りのような叫び声が聞こえ、佐和子は目を剥いた。
永徳の方を見ると、彼は眉尻を下げて苦笑いをしている。
「ああ、うるさいのが来たね。まったく、今回は扉が見えているんだから、インターホンを押してくれればいいのに。視界に入ってないのかね」
やれやれと言いながら玄関に向かった永徳が連れてきたのは、大きな木箱を抱えた黒羽だった。
「佐和子が戻った記念に酒盛りをするとの連絡を、笹野屋殿からいただいたのでな。酒を持って参った」
「わあ、わざわざありがとうございます」
佐和子が恐縮して例を言うと、黒羽は面を取って笑顔を見せた。頬が紅潮しているところを見ると、照れているようだ。
「この間も、勝手にやってきて、佐和子佐和子ってうるさかったからさ。呼んでやったんだよ」
永徳はそう言ったあと、「タダ酒の調達担当としてね」とこっそり佐和子に耳打ちした。
黒羽が酒の輪に加わったあと、井川や米村もやってきた。
宴会の始まりは昼だったはずなのに、いつの間にか夜は更けて。それでもどんちゃん騒ぎはおさまらず。残業続きで疲れ切っていた佐和子は、笑い転げているうちに眠りについていた。
◇◇◇
「ねえ、お嬢さん」
「ん……」
「よかった。声が届いたかしら」
「誰……?」
ゆっくりと目を開けた先で視界に入ってきた風景を見て、佐和子は息を呑んだ。
吹雪のように舞い散る純白の花びらが、暖かな光の中で踊っている。
豊満な大島桜の群生地が、目の前には広がっていた。
しかし視界はどこかぼんやりとしていて、なんだか現実感がない。桜の季節もとうに終わっているはずだ。
「鳥海佐和子さんというのね、あなた。名前も知らないあなたに、急にお見合いなんて持ちかけてごめんなさい」
「もしかして……富士子さん?」
そう口にすると、まるでカメラのレンズの焦点が合ったときのように、目の前の人物の姿がくっきりと現れた。
藤色の着物に、ロマンスグレーのパーマヘア。間違いなく、あの日バスで見た笹野屋富士子の姿だった。
——これは、夢?
「驚いたわよね。バスでお会いしたあと、事情を説明しようと何度かあなたの前に姿を現そうと頑張ってみたのだけど。うまくいかないのよ。死人って不便ね」
困った顔でそう言った彼女を見て、佐和子は戸惑いながらも苦笑を漏らす。
現実だか夢だかわからないが、この人ともう一度話ができるならいい機会かもしれない。
「驚きはしましたが。でも、富士子さんに誘われて、ここへきて。……本当によかったです。ありがとうございました」
「そう、それならよかった」
満足げに微笑んだ富士子は、佐和子の隣に座る。気付かぬうちに佐和子は、白木のベンチに腰掛けていたようだった。
「永徳はねえ、強がりでねえ。飄々としているように見えて、実は心配性だったり、優しいが故に傷つきやすいところもあって。親としては独り身のまま残して逝くのが心配だったのよ」
「でも、笹……永徳さんなら、すごくできた方ですし。おひとりでも楽しく生きていけそうな気もします。永徳さんを慕ってくれるあやかしの皆さんもいらっしゃいますし」
富士子は佐和子の言葉に苦笑し、「そう見える?」と言いつつ、頬に手を添えてため息をつく。
「あやかし瓦版を継いだばかりのときはね、いろいろあったの。あやかしと人間の気質の違いとか、働く上での常識の違いとかで衝突して。力も暴走しがちでねえ。今はあんな感じだけど、いっときはあの子も相当悩んでいたのよ」
昔を思い出すように、遠くを見ながら。富士子は佐和子に向かって言葉を紡ぐ。
「そもそも主人が事業を永徳に譲渡したのは、引きこもっていたあの子を外に引っ張り出すためでね。永徳は乗り気じゃなかったのよね。編集部員からの信頼も得られなくて、行き詰まって。さらに塞ぎ込んでしまった永徳に、あるとき主人が言ったの。『過去を見るな、前を向け。お前の手で不幸せにした人間のことでクヨクヨしているなら、より多くのものたちを幸せにする道を探せばいい』ってね。私は知らなかったのだけど、あの人には視えていたのね。永徳が引きこもってしまった理由が」
永徳には千里眼の能力がある。ということはつまり、山本五郎左衛門にも似たような能力があったのだろう。墓を見舞う永徳を見て、なにがあったのかを調べたのだろうか。
「その言葉を聞いてからかしら。息子が変わったのは。『時代の変化に淘汰され、困っているあやかしの幸せに貢献する』っていうあやかし瓦版の事業目標に、生きる意義を見出したのね」
繰り返し聞いたその言葉。自分が心を奪われたその言葉に、彼も救われていたのか。
「だからね。人間であるあなたが、自分と視点を共有できる仲間になってくれたこと。きっとあの子は心強かったはずよ」
「そう……ですか……」
佐和子が富士子の言葉を反芻していると、視界がチカチカと明滅するのを感じ、空を見上げた。すると富士子はハッとした顔をして、残念そうな顔を佐和子に向ける。
「あら、そろそろ時間みたい。ごめんなさいね、いつも一方的で」
「えっ、富士子さん? あの」
慌てて富士子を引き止めようとする佐和子を見て、彼女はふっと表情を緩め、顔に刻まれた皺を深めた。
「ふふ。その慌てた顔。あの人にそっくりだわ」
「あの人……?」
「佐和子さんて、お祖父さん似だって言われない?」
「はい、祖父を知る人には、よく言われました……けど……」
「私があなたを婚約者に選んだ理由。それはね、あなたが私の初恋の人に似ていたから。真面目一徹なあの人の孫なら、きっとうちの息子と、足りない部分を補えるんじゃないかと思ったの」
「それって」
まばゆい閃光があたりを包み込み、富士子の輪郭がぼやけていく。佐和子は思わず目を瞑った。
「嫌じゃなかったらこの先も、あの子を、支えてあげて」
「待ってください富士子さん、初恋の人って……」
