半妖の花嫁〜あやかし瓦版編集部へ転職します

「おはようございます」

 横浜駅近くの大きなオフィスビルの一室。挨拶をされて、スーツを着た女性は腕時計を見た。

 午前八時、就業時間の一時間前。まだ出社してきている社員の姿はまばらだ。

「おはよう。今日も早いわねえ」

 「山田」と名前が記されたカードケースを首からかけた女性は、にこやかに佐和子の挨拶に返答した。

「早く、仕事を覚えたいので」

「真面目ねえ。山吹さんとは大違いだわ。あの子の紹介とは思えないわよね、鳥海さんて」

「え、そうですか?」

 佐和子は目をぱちくりとさせ、意外な顔をした。

 薫の話では、彼女は「マーケティング部期待のホープ」という印象だったので、ネガティブなニュアンスを含む彼女のひと言は思いがけないものだった。

「そういえば、初日以来顔を見てませんけど……山吹さん」

「鳥海さんが入社してすぐから、有給使って休んでたんだけど。昨日の午後、退職代行サービスから連絡が来たのよ」

「……退職代行サービス……って、え、辞めたってことですか?」

 退職代行サービスといえば、その名の通り、お金を払えば退職にかかる連絡や、手続きすべてを代行してもらえるというサービス、、のはず。

——薫ちゃん、なんで? 辞めるつもりなんてひと言も。

「愛想が良くて、人付き合いも上手いから。営業の仕事はうまくハマってたみたいなんだけどね。マーケに異動してからはダメダメで。雑用させるとすぐ上流の仕事がしたい、とか言うんだけど。仕事は粗いしミスが多くてね」

山田から出てくるのは悪口ばかり。
あまりに薫が話していた姿とはかけ離れている。

「バリバリ実績積んで、キャリアアップしたいんですなんて言ってたけど、あれじゃあね」

「そう……だったんですか……」

キャリアを追い求めることは悪いことではないはず。だが実体の伴わぬ高望みは周囲に迷惑をかける。

それは佐和子も体験したことだった。

「うちも万年人手不足な会社だからさ、辞めづらい雰囲気もあって。それであなたを紹介して逃げるように辞めたんじゃないかしら。まったく困ったものよ。しかも退職代行サービスだなんて」


 昔から調子のいいところはあったが、そこまで言われるほどひどい仕事ぶりだったのだろうか。周囲からも認められて、すごく生き生き仕事をしていたように見えたのだが。

——見た目にはわからなかったけど、薫ちゃんも本当はつらかったのかな。

「鳥海さんは真面目だし、きちんと仕事もしてくれるし、ありがたいわ。欲を言えば、もうちょっと積極的に仕事を受けてくれるとありがたいけど」

 少し圧を込めたような目線で山田に見られて、佐和子は身をすくめた。直属のマネージャーである山田は、サバサバとして感じのいいベテラン女性という印象だったが。入社して二週間くらい経ってからだろうか。だんだんと有無を言わさぬ圧迫感を感じるようになってきた。

「今日はお昼に社長が社内の見回りに来るらしいから、机の上、綺麗にしておいてね」

「わかりました」

 薫の紹介で入社した会社は、「綾小路不動産」という、新築・中古物件の売買を主な事業とする地場の大手不動産会社で、社員数は二千人ほど。社長である綾小路士郎は二代目社長で、一年前に先代から家業を継いだらしい。

 自分の机の清掃を終えると、佐和子はパソコンを開けて淡々と作業をし始める。

 無理はしていない。「大丈夫な範囲」で仕事に取り組んで、着実にできることを広げている。

 かつての自分は「認められたい」「失敗を挽回したい」という気持ちが強すぎて、安請け合いをしすぎていた。結果やり切れる以上の仕事を抱え込んで、パニックに陥って潰れてしまったのだ。

 永徳のおかげで、今は自分のペースを守りつつ仕事ができている。

 ——上長も私の働きを好意的にとってくれているし、あやかし瓦版に入る前の自分に比べたら、ずっと思い描いていた働き方ができてる。

 だけど、なにか物足りなかった。憧れだったマーケティングの仕事を、着実にこなせるようになってきているのに。

「社長! お疲れ様です!」

 周りの社員が一斉に立ち上がったのを見て、つられるようにして立ち上がった。どうやら予定よりも早くやってきたらしい。

 ニコニコと上機嫌でオフィスを見渡しながら、秘書を伴った社長が佐和子の席の方に向かって進んでくる。

 ——あれ、なんだろう。こっちを見ている気がするけど。

 脇目も振らず真っ直ぐ目の前までやってきた社長は、佐和子よりも少しだけ背が低い。人の良さそうな顔立ちをした中年の男性なのだが、どことなく胡散臭い雰囲気があって。印象はあまり良くなかった。

「鳥海佐和子くんだね。君と話がしたくてね。ちょっと出れるかい?」

「え、あっ、はい! 出れます!」

 よもや自分に声をかけられるとは思っておらず、佐和子は声を上づらせながらもそう返答した。チラリと山田の方を見れば、怪訝そうな顔を向けられている。

 ——山田さんじゃなくて、なんで入社して間もない下っ端の私なんかに声をかけたの?

 疑問を抱えながらも鞄とコートを引っ掛けて、社長の背後について行く。

 社長と秘書に連れられてやってきたのは、少しお高めのイタリアンレストラン。眼鏡をかけ、ぴっちりとしたオールバックヘアーの初老の秘書が社長のコートを受け取りつつ、店員に予約名を伝える。

 テーブルについてオーダーを終えると、社長は早速と言わんばかりに本題を切り出した。

「鳥海さんは都内の大手企業のマーケにいたんだよね? 山田くんから、なかなか仕事ぶりがいいと聞いているよ。やはり僕の目に間違いはなかった。面接のときからね、君はいいものを持ってると思っていたんだよ」

 社長の褒めっぷりに愛想笑いを浮かべつつ。佐和子は恐縮して肩をすぼめる。

「……ありがとうございます」

 ——面接のとき、ほとんど私の顔なんて見ていなかった気がしたけど。

「新しいプロモーション策を社長室主導でやってるんだが、君にはぜひプロジェクトに関わってほしいんだよ」

「私……がですか」

「やってくれるかい」

「具体的にはどんなお話なのでしょう」

「有名なインフルエンサーと組んで、うちの新築戸建物件を紹介する動画を作りたいんだよね」

「……それは、面白そうですね」

 動画メディアで物件の良いところを紹介すれば、ただウェブで間取りを公開するより、内見前にある程度イメージを膨らませることもできるだろう。動画の視聴は事前登録必須ということにすれば、より購買意欲の高い客層を得る一助になるかもしれない。

 プロジェクト自体は面白いものだと思ったし、興味は惹かれた。

「ほら、うちさあ、若い子が少ないでしょ。君の上長の山田さんも五十手前のおばさんだし。面接のときから、この子は向いてるんじゃないかなあと思ってたんだよ。どうだい、やるかい」

 年齢でできることを区切ってしまうのはどうかと思いつつ、佐和子は遠慮がちに社長の言葉に応える。

「……興味はあります」

「それはよかった。ああ、ちなみに、部署異動するわけじゃないから。今やっている仕事はそのまま続けてもらうからね。じゃ、参加ってことで頼むよ」

「は、えっ」

 有無を言わさぬ社長の口ぶりに、佐和子は慌てた。

「あのっ、この話って山田さんには」

「ああ、言ってないから、君から説明しておいてくれ。社長案件に参加することになったって」

 ようやく日常業務に慣れてきたところで、仕事量を増やされようとしているタイミングだった。そこへ社長室主導の新規プロジェクトなんて受けてしまったら、自分のキャパシティを一気に超えてしまう気がする。

「できるよね」

「一旦持ち帰らせていただくことは可能でしょうか。上長とも相談させていただきたく……。まだ通常業務を始めてひと月も経ちませんので、力を入れられているプロジェクトであれば、安定稼働できるように、現状業務がきちんと回るようになってから取り組みたいので」

「おいおい、頑張ればなんとかなるだろ、若いんだから。無理なことなんて世の中にないんだ。難しいとか無理という言葉は、怠惰な人間の言うセリフだよ。とにかく、頼んだよ」

 それだけ言うと社長はさっさと席を立ってしまった。

「詳細は追って私の方からご連絡しますので」

「あ……わかりました。お待ちしております」

 眼鏡をかけた男性秘書は、一礼すると会計を済ませて出ていった。

 突然こんなふうに社長から仕事を振られるとは思っておらず、現実感のないまま、会社へと戻る。

 エレベーターから降りて、自分の部署のある階へ降りると、部屋にいる社員の視線が一気に自分に集まるのを感じた。

「……おかえり。思ったより早かったわね」

 山田の佐和子に対する視線は、朝の穏やかなものとは一転、刺々しいもので。おどおどしながら隣の自席に座ると、早速詰め寄られた。

「なんの話だったの。もしかして、新規のデジタル施策の話? 例のインフルエンサーの」

「あ、はい……」

「山吹さんが途中で投げ出したやつね。社長ったら、性懲りも無くまた若者を捕まえて。私に任せてくれればいいのに。で、やるの」

「まだ仕事を覚えなければならない段階ですし、ご遠慮させていただこうと思ったんですが、押し切られてしまって」

「安請け合いしちゃって。あ、社長案件受けたからって、通常業務の手は抜かないでよ。仕事の量も減らさないから。じゃ、私これから打ち合わせだから」

 山田は不機嫌そうに立ち上がると、ヒールをツカツカと鳴らしながら、エレベーターホ―ルへ出ていく。

 入社早々、目をつけられてしまった。目立ちたくなかったのに。

 思い返してみると、薫も言っていた。新規のプロジェクトを任されたと。張り切っていた様子だったが、もしかしてこれがきっかけで上長とギクシャクして、会社に居づらくなったのでは。

 この日の帰り。薫にメッセージを打ってみたが、既読がつくことはなかった。