半妖の花嫁〜あやかし瓦版編集部へ転職します

「あら佐和子おかえり。アタシを差し置いて行ってきた鬼灯堂の件はどうだったのよ」

「刹那ちゃん、まだ帰ってなかったんだ」

 空が茜色に染まる頃。佐和子は一人で編集室に帰ってきた。マイケルも永徳も鬼灯堂の打ち合わせのあと直帰している。

 刹那は珍しく「お茶を持ってくるわ」と言い、台所から冷えた麦茶のグラスを二つ持ってきた。打ち合わせ用のテーブルセットにそれを置くと、早く来いと手招きする。席に着けば、期待に胸を膨らませ、前のめりの刹那が急かすように聞いてくる。

「どんな案件か気になって気になって帰れなかったのよ! で、で、どうだったの?」

 ウキウキしている刹那を前に、佐和子は口籠る。楽観的に語れる案件ではなかったものの、わざわざこの話を聞くまで残っていた彼女を前に、詳細を話さないという選択肢はなかった。

「はあああ?!  三週間後に納品完了希望の『人間風メイク』の広告企画? なにその無茶苦茶タイトな案件は!」

 誰もいない編集室に刹那の声が響き渡る。やはり無茶苦茶な案件なのは間違いないらしい。

「誰よそんな依頼してきた馬鹿は!」

「ええと、華山さん……いや、主担当は椿さんっていう、たぶん鬼のあやかし」

「椿い⁈ 鬼の? あの二本角の?」

 椿の名を聞いた瞬間、刹那の眉間には山脈の如く皺がよった。

「そ……そうだけど、知ってるの?」

「編集長のストーカーじゃない!」

「ストーカー?」

「編集長があやかし瓦版を継いだばかりの頃に、いっときここにいたの。仕事もできるし重宝されてたんだけど。他の女子社員に対する嫌がらせがひどくて。私も何度もカバンにしゃれこうべを入れられたわ。あとは他の女子社員の原稿を故意に消したりとか、とにかく編集長に近づく女は全員敵! みたいな感じで」

特大のため息をついた刹那の表情から、彼女自身、かなり嫌な思いをしたのだと察せられた。

「それはなかなかだね……」

「しかも編集長には気づかれないようにやるからタチが悪くてね。結局、椿の悪行に気づいた山本五郎左衛門様に追い出されたのよ」

そんな事件があったのか、と驚きつつ。
女性の悪意に気が付かない、という点は、笹野屋さんぽいな、と思ってしまった。

「この案件、絶対あんたに対する嫌がらせよ。受けたら最後、心労で再起不能になるまで追い詰められるわよ。編集長はなんて?」

「この話はやめておこうって言われた」

「でしょうね。あの人がそんなタイトな案件受けるわけないもの。グータラだし。まあ残念だけど、今回の鬼灯堂案件は諦めるしかないわねえ」

「ううん、受けるよ」

 佐和子の返答に、刹那は眉根を寄せる。

「なに言ってんのよ。先方の希望条件丸ごと飲むなら、ほとんど寝ずに作業することになるわよ?」

「わかってる」

「わかってるって……あのねえ佐和子。メイクのレクチャー系広告記事となれば、モデルのキャスティングやヘアメイクの手配も必要。候補出しするにしても、この短期間で大手企業が納得するクラスのモデルを確保すること自体、めちゃくちゃ無謀なのよ?」

「笹野屋さんからも同じことを言われた。でもどうしてもやってみたいの。最速のスケジュールで企画書を完成させるつもり。向こうが一発オーケーならなんとか進められるから」

 捲し立てるようにそう説明すれば、刹那は心配そうな顔をする。

「……佐和子あんた、どうしたの? いや、前から頑固なところはあったけど。なんか、変に焦ってない?」

 刹那はずい、と首を伸ばし、佐和子の顔を覗き込む。

「焦ってなんかないよ。ただ、せっかく自分の仕事がきっかけでやってきた話を、無駄にしたくないだけ」

「……まあ、あんたがどうしてもやるって言うならもう止めないけど。手伝えることがあるなら言いなさいよ。あと、あんまり遅くならないこと!」

「ありがと、刹那ちゃん」

 あやかし瓦版に勤め始めてもう一ヶ月が経つ。永徳が佐和子に期待しているのは「人間編集部員ならでは記事」だ。しかし、まだ刹那に手伝ってもらって書いた、レジャー記事の連載でしか期待に応えられていない。

 薫の誘いがあってから、いつかまた人間社会へ戻るという選択肢を、佐和子は意識し始めていた。

 ——嫌がらせだろうとなんだろうと、大手の案件なのには違いないもの。早くもっと実績を上げたい。ひとりでなんでもできるようにならなきゃ。人間社会へ戻るかもしれないなら尚更。

 日本庭園の大島桜からは、純白の花びらがすっかり消えて。幼く柔らかな緑の芽は、急に戻ってきた寒波にさらされていた。