「成花様」

 翌朝、その声で目を覚ました。
 目の前には凛だ。

 「おはようございます」

 成花はそう答える。
 未だに様付けは慣れてはいない。
 自分よりも凛の方が立派なものと感じる。

 「今日は前に言った通り、主に会ってもらいます」
 「はい……」

 そう答えるも、緊張はしている。
 自分をここに呼びつけた主。いったいどんな方なのだろう。

 「すみません、その主さんは優しい方ですか?」
 「ええ、とっても。私たちのような使用人の面々にも優しい方です」
 「まるで、清美様とは違いますね」

 あの人は、気に入らない事があれば成花を殴った。
 そのほかにも、彼女に受けた非人道的な行いは両の手で数えきれない。

 そう、彼女から受けた行いは、まるで奴隷が受けるようなものだった。

 その日々を思い出すと今も震えが止まらないのだ。

 「大丈夫です。ここにはあなた様にそのような被害を与える人はいませんから」
 「ありがとうございます」
 「それに今後はその清美様よりも立場が上になりますから」
 「それはいったい――」

 と、口走ろうとしたが、当然の話だった。
 自分は、この国のTOP2の男に選ばれた。
 もしその妻になるようであれば、清美よりも圧倒的に立場は上になるのだ。

 「すぐに分かりますよ」

 そして、扉を開ける、とそこには長い銀の美しい髪を持つ美男子が座っていた。
 肌は透き通るようにきれいで、目元も美しく口元もりりしい。
 噂にたがわぬ美しさだ。

 成花は暫くその姿に目を奪われていた。
 俗にいう開いた口がふさがらないという状態だ。


 しかしこの場合は、ぼんやりとその姿を目にしているからだが。

 「困ったな」

 彼は髪の毛をさすった。
 そのしぐさも中々様になっている。

 「これじゃあ、照れてしまう」

 その顔をよく見ると、軽く紅潮しかかっているようだった。
  これじゃあ、いけない。

 そう、成花は思い――

 「すみません。不躾に見てしまって」

 咄嗟に謝ろうとするが――

 「いや、謝らなくてもいい。僕が呼んだんだから」

 そう言って一歩ずつ歩みを進めていく。
 そして、成花の元に来た瞬間、その肌を優しく撫でた。
 その感触に成花はドキッとした。

 「すまない、いきなり触ってしまって」
 「確かににびっくりはしました」

 でも、

 「心地良かったです」

 その手の感じが気持ちがよかった。
 こんな優しい手で触れられるのは初めてだ。
 ビンタすらされないなんて。

 「それならよかった」

 そこには、甘い空気が漂っていた。

 「それでは失礼します」

 凛は後ろに下がり、その場に二人取り残された。

 (なんだか緊張する)

 美男子と二人きり。
 ここから恐ろしいことが起こる、だなんてことはないと思ってはいる。が、それでも緊張は止まらない。

 「まず僕の身の上話をしよう」

 その空間で、彼は口を開いた。

 「名前は知っているだろう。矢代木 白斗だ」
 「白斗様」

 頷く。
 勿論知らないわけがない。有名人だ。

 「僕はこの家に生まれたが生まれつき病気がちだった。この肌の白さもそこから来たものなんだ」
 「そうだったんですね……」

 その話は聞いたことがない。

 「知ってたのか?」
 「体調がよくなさそうに見えましたから」
 「流石よく見ているな。で、話を戻そう。帝に見てもらったんだ」
 「帝……」


 この国で一番偉い人だ。



 「帝にはあらゆる予知能力がある。帝曰く、片目がつぶれ火傷で肌が焼け焦がれ、あざとなっている少女が僕の運命の人だと。その人と交われば、きっと僕の体調も良くなると」
 「はあ……」

 話が大きく、すぐには飲み込めそうにない。

 「すまない。……いきなり話過ぎたな」
 「いえ、構いません。全部教えてください」

 飲み込むのに時間がかかるだけだ。理解できないわけではない。

 それに知りたいことが多すぎる。
 今成花に優しくしてくれる人の事をもっと知りたいのだ。

 出来る事なら、彼の事がすべて。

 「そうだな。実はお前の事は前まで知らなかったんだがな。しかし、この前狐を助けただろ」
 「あ、そう言えば」

 この前狼に襲われた時に、危険を顧みず狐を助けた。
 

 「あれが、凛だ」
 「は?」

 成花は思わず声を漏らした。
 そして咄嗟に自身の口に手で蓋をする。


 「はは、驚くよな。だけど事実だ。僕には動物を使役する能力がある。その力で狐だったあの子に使ったんだ。その力で人間と狐の両方の力を使ってもらい、色々と探らせていた」
 「なるほど」

 欲は分からない。しかし、あの狐が人間だったと言われれば納得できる。
 あの時に自身の焼けた肌を見られたのだろう。
 あの時は、衣服がはだけていた。

 だから、体の細部まで肌が焼けている事に気が付かれたのだろう。

 「あの子には捜索を任せてたんだ」
 「そのおかげで私に会えたのですね」
 「ああ、彼女には感謝している」

 その後また、沈黙が一瞬流れた後、静かに白斗は呟く。

 「結論は今出さなくてもいい。しかし、俺と結婚して欲しい、それだけ言っておきたい」
 「……はい、考えます」

 そして、成花は部屋へと戻った。

 結論は出せそうにない。だけど、あんな美男子に求められている。
 そう思うと心が騒ぐ。
 今まで誰にも必要とされていなかった。なのに、今の自分は。
 そんな事を思うだけでにやけてしまう。
 こんなの……

 仕方ない。外に出よう。
 そう思い、急いで身支度を整え外へと出た。
 前までと違い、ここでは何もする必要はない。
 だからこそ、気を紛らわせない。
 答えを今すぐ出せとは言われてないが、成花にとっては死活問題であった。

 否、答えなどもう出ている。
 婚約を決めるほかに、手はないだろう。
 いくら温厚そうな白斗とはいえ、婚約を拒否した自分をここに置くはずがない。
 そうなれば元の家に戻される。
 そんなのは絶対にごめんなのだ。

 それに、白斗は優しくかっこいい。
 この人と一緒に一生を過ごすのは、きっと楽しかろう。

 決心が出ないだけで、ほぼ答えは出ているのだ。


 そして、街に出ると、やはりと言ったところか、今までとは全く違う景色に心が震えた。

 だが、少し人が多い。
 軽く人酔いしてしまいそうだ。

 取り合えずお金を持っているわけではないので、市場を抜けて山の方へと向かう。
 山に着くと、そこには自然が広がってていた。

 心が乱れると山の景色が道を教えてくれる。
 これに何度救われたことだろう。

 その景色を楽しみながら、ゆったりと過ごす。

 その景色を楽しむ中で、周りの景色のすばらしさを味わう。

 その時後ろから気配がする。
 成花は咄嗟に後ろを振り返る。

 「こんなところに女一人でいちゃあいけねえよ」

 見ない顔だ。

 「誰ですか?」
 「俺たちは商人だよ。人専門のな」

 そう叫んだあと、首を絞められる。

 「まあ、お前はあまり金にはならないだろうが。なんだよその肌の傷は、人と呼んでいいのかわからねえような化け物がよ。とはいえ、な」

 化け物、その言葉はもう言われ慣れていた。

 「ま、そんな事を言いながら買い取り手はもう既に決まっているんだがな」

 そう言って高笑いする商人。

 まさか、こんな人種がいるとは思わなかった。
 恐怖で唇が震える。

 このまま死んでしまうのではないかという恐怖が身を襲う。
 だめだ、だめだ。このままいいようにされてはだめだ。
 だけど、力を持っていない。

 「やめて」

 声が震える。
 まっすぐな声が出ない。
 
 その瞬間にも、目の前に男が迫る。

 今まで嫌な思いをしたのは、何度もある。
 しかし、ここまで絶望的な気持ちになったのは初めてだ。
 捕われれば、辱めを受けることとなる。
 しかも、それは激しい物だ。


 死んでも嫌だ。

 成花は一気に体勢を翻し、男の顔にパンチを入れる。

 「その程度か?」

 その手はがっちりと捕まれ、三秒ほど時間を稼いだだけとなった。
 だが、結果的にそれだけで良かった。

 背後に影が現れた。

 「おい、お前。何をしている」

 その声が聞こえる。
 成花はとっさに背後を振り向く。



 そこにいたのは、白斗だった。

 「白斗さん……」

 成花は歓喜の涙を流す。

 「心配させて済まない。こいつはすぐに懲らしめてやるから」

 そう言って男の体を軽い力で突き飛ばす。

 「っまさかお前は……」


 「そのまさかだ」
 「矢代木白斗か」
 「ああ、成花に嫌な気持ちにさせるやつらは許すことは出来ない」

 その顔を見た瞬間、男には畏怖の表情が見えた。
 それほどまでに、白斗は相手にしてはならない人物だった。

 「はっ、ここでつかまってたまるかよ」

 だが、即座におびえる心を消し去り、臨戦態勢をとる。

 「無駄だ、お前はもう負けている」

 そう、白斗が言った瞬間、山の中から飛び出してきた狼が腕をかむ。

 「俺が手を下すまでもない」

 その言葉の前に男は気絶していた。

 「やれやれ、最近はこういう輩が多いんだ。黙って出かけられると困る」
 「っごめんなさい」

 白斗の胸の中でひぐっひぐっと涙を流す。
 そんな成花を白斗は静かに抱きしめる。
 成花にはこんな景観などなかった。
 都会が怖いと、初めて知ったのだ。

 「ところで、誰の手先?」


 凛が訊く。
 いつの間にか動物たちの仲に紛れていたらしい。
   人専門の証人と言っていた。

 けど、とある言葉を思い出した。

 「もう買い取り手は決まってるって言ってました」

 「なんだと!!」

 白斗は叫び、男の襟元を掴む。

 「誰だ!!」

 「言う必要あるかよ」

 「成花に手を出した人の事は許さないと決めている」

 そうですよ、と。凛が続ける。

 「言うなら今ですよ。今貴様を殺しても主の権力でつぶすことが出来る」
 「そういう事だ。僕も怒っているんだ。話すなら今だよ」

 そんな光景を白斗の胸の中でじっと見る成花。

 (私のためにこんなに怒ってくれるなんて……)

 感激だった。
 自分のために怒ってくれる存在。それが欲しかったのかもしれない。
 いつしか涙がさらに零れていく。

 「嬉しい……」

 そう誰にも聞こえないような声量で