「はあ、楽しかった」

 お風呂に入りながら一人で呟く。今日体験したことすべてが私にとっては初めてで愛おしい。今までは何だったのだろう。こんなに楽しい一日を送れるとは。
 学校は楽しいけど、それは茂君たちと一緒にいるときだけだ。授業もそこまでは楽しくはないので、一日中ではない。
 ただ、今日は休日でありながらこんなにも楽しい。休日万歳!! と叫びたい気分だ。このままこの家で暮らせたらどんなに幸せなのだろう。

 でも、あの両親がいるからいつかは連れ戻される……現実に。

 そう、あの家に。それが恐ろしく怖い。


 幸せが絶望に変わる。それが一番の地獄だ。変に希望を持ってしまうから、地獄がより苦しくなるのだ。
 これは所詮仮初めの希望。ただの地獄の間の刹那の休憩。

 ただ、それが嬉しいと共に苦しい。

 はあ、もうだめかもしれない。
 はあ、もう茂君の家の養子になりたい。
 茂君の意塩ビ済みたい。


 ……楽しいからこそ苦しいのだ。楽しいからこそ変な気持ちになるのだ。

 だけど、そんな気持ちになるのがつらいので、今は楽しむべきじゃないの? と、内なる私に言い聞かせる。

 そうだ、今を楽しめばいいのだ。

 そう思い、今は家のことは忘れ、お風呂を楽しんだ。
 そして三十分後、流石に体が熱くなってきたので、お風呂から出た。

 「どうだった? うちのお風呂は」
 「最高」
 「良かったー」

 茂君の裏で美智子さんが喜ぶそぶりを見せる。

 「もう……ここで暮らしたい気分です」
 「うれしいこと言うわね」
 「でも本当の事ですから」

 そして、今日は茂君と共に寝ることになった。美智子さんが気を聞かせてくれたのだ。
 ベッドに寝ころび、茂くんに一言、「私帰りたくない」と、言う。
 思い出してしまった。

 迷惑かなと思いつつ、茂君に愚痴を言う。

 「もう明日の心配か? 今を楽しもうぜ」
 「違うの。そうじゃなくて」
 「わかってるって、もうすぐお前を楽にしてやるから今は我慢しとけ。……ただ、俺もお前を返したくはない気分だよ」
 「茂くん!!」

 強く抱きしめた。

 「明日もさ、色々なことしようね」
 「ああ、そうだな」

 そしてあっさりと私たちは眠りについた。

 翌日。

 「おはよう……ん?」

 隣には誰も寝ていなかった。布団がもうすでにたたまれていたのだった。慌ててスマホを見る。

 「嘘……」

 すると今はもう朝十一時……いつもの四時間以上寝てた。

 「やばいやばいやばいやばい」

 慌てて下に降りた。だって八時には必ず起きなきゃいけないんだも……ん?
 そこには茂くんと美智子さんがいた。そう言えばそうだった。今日は茂くんの家にいるんだった。

 「大丈夫かあ?」

 茂君に心の底から心配されている。

 そしてそのまま朝ごはんを食べた。どうやら二人とも私を待っていてくれていたみたいで、茂君が、「愛香が来ないから、餓死してしまうところだったよ」などという冗談を言ってきた。別に私は寝たくて十一時まで寝ていたわけではないのに。

 「それで、うちの朝ごはんはどうだ?」
 「すごくおいしい」
 「だってよ母さん」
 「良かったわー」

 その美味しさと言えば、私の食欲をかき立たせてくれる。雰囲気がいいだけじゃなくて、美智子さんが料理上手いからもあるんだろう。
 本当に私の人生と茂くんの人生は違うなあ。

 「それで今日は何をする?」
 「えーどうしようかな?」
 「もったいぶらずに早く決めろよ」
 「待ってよ。私にとっては少ない時間だから丁寧に決めさせてよ」
 「それを言ったら俺も時間ないんだが」

 そして二人で考えた結果、『だるまさんを転んだ』をやることになった。普通に地味で、高校生ならまず遊ばないような遊びだが、実のところ私にはこのゲームに対する興味があった。
 親に遊んでと頼ることもできず、友達もいない私にはこういう形でしかできないのだ。茂くんに「あいつらも読んでやろうか?」と聞かれたが、「二人がいい!」と断った。人数が多い方が楽しいだろうけど、今は茂くんを占領したいという気持ちが強い。

 ルールはみんな知っているような単純な物だ。「だるまさんが転んだ」と言われる間に動き、鬼にタッチしたら勝ちというものだ。その代わり振り向いた時に動いてしまったら負けになるのだが。

 「じゃあ……だーるーまさーんがーーーー」

 その間にできるだけ近づこうとする。

 「転んだ!!」

 茂くんのその言葉で急ストップする。
 危なかった、あと少しで負けるところだった。

 「惜しいなあ」
 「そう簡単に負けないから」
 「喋ったから負けじゃね?」
 「小学生じゃん!!」

 次は心臓が動いているから負けとか言うんだろうか。まあ。これを含めて面白いゲームなんだろうけど。

 そして次また茂君が「だるまさんがこーろーんだ!」

 と、今度は語尾を速くして勝とうとしたようだが、ギリギリで止まることができた。
 だが、問題はその次。今までの感じでいけばタッチができる。だが、その状況で何も手を打たないわけがない。茂君も色々と考えるはずだ。そうなったら初心者の私にはきつい。だからできるだけ、慎重に近づこう。

 そして慎重に近づいていき、あとほんの少しの距離でタッチできる距離まで来た。後は茂くんをタッチするだけだ。

 「だるまさんが……」
 「はい勝ち!」

 私は優しく茂君の背中を触る。なんか背中を触ること自体あまり無かったから、いけないことをしているみたいだ。茂君の背中はがっちりとしていていい背中だった。

 「悔しいなあ」
 「じゃあ、次頑張って!!」

 そのまま何回かゲームをしたところで、

 「そろそろ帰って来なさい」

 とメールが来た。今の時刻は三時。まだ早いじゃんと思うけど、従わないと怖い。

 「じゃあ、そろそろ帰るね」
 「え? もうか?」
 「うん。怒らせるわけには行かないもん」
 「そうか……これからってところだったんだけどな」
 「うん。私もあと六〇時間くらい茂君と遊びたい」

 まだまだ遊び足りないんだもん。

 「ああ、今度は夜にこっそり抜け出すか?」
 「いいね! それ」
 「ああ、だろ」
 「じゃあまた今度ね」
 「おう」

 そして綿五社家に帰る。嫌だったが、満足感があるので、いつもよりは嫌悪感がなかった。
 これから地獄に送り返されるというのに。