……玲香(れいか)姫妃(きき)も、めちゃくちゃ機嫌が悪くなってしまった。

 わかるよ、わかる。ふたりの苦労は、よくわかる。
 でもさ、だからって……。


 なんで、わたしになっちゃうの……?


陽子(ようこ)以外にいないよ、だから司会よろしく!」
「陽子ちゃん、ファイト〜!」
 美也(みや)ちゃんと夏緑(なつみ)が、マラカスを振って応援してくれるけど。
 どう考えてもこのメンバーで、このままカラオケするなんて。
 絶対に、無謀だよ……。


「それじゃぁ……はじめましょうか? あいさつは五分くらいかしら?」
「えっ……?」
 寺上(てらうえ)先生、長くないですか?
 というかこの状況で、まだ打ち上げをする気とか、あるんだ……。

「なにこの店、校歌ないんだけど?」
「ほんとだ、じゃぁアカペラでやる?」
 佳織(かおり)先生と響子(きょうこ)先生、ふたりともお願い。
 無駄に学校行事化、しないでもらえませんか?

「あ、でも国歌ならあるね!」
「あと県歌もあるけど、つぼみちゃんどうする?」
「そうねぇ……」
 校歌も国歌も、大切なのはわかります。
 正直県歌だけはよくわからないけれど、でも少なくとも。
「……面倒だから、全部歌っておこういかしら?」

 その選択肢だけは、ありえないでしょ……。

 このままでは、わたしまで壊れてしまいそうだから。
「司会者権限で、全部省略して……」
 全身全霊を込めて、わたしは。
「……テーブルの上のパンを、先に食べません?」
 必殺・先延ばし作戦に賭けてみた。


「うわっ、やっぱおいし〜」
「都会のパンは、一味違う・よ・ね!」
「うん、幸せになってきた」
「早く食べたらよかったねぇ」
 思い切って提案した結果、みんなが笑顔になっている。
 よかった、あとは食べたら解散しよう。

 そうそう、世の中無難が一番だ。
 わたしがそう思って、ホッとしかけたところ。
 寺上先生が、わたしに向かって……。

「じゃぁ、誰から歌うのかしら?」


 ……メチャクチャ無邪気な顔で、聞いてきた。


「歌うん、ですか?」
「だってここ、カラオケよ?」
「あの……よかったら校長先生から……」
「校長は普通、歌わないでしょう?」
 あぁ……この状況の、いったいどこに『普通』があるのかなんて。

 ……もうわたしには、わからない。


「えっ、わたしですか? お腹すいてるんで!」
 由衣(ゆい)は、食べるほうに忙しくて無理だし。
「歌うなんて、嫌よ……」
 ま、まぁ。月子(つきこ)のそれは、予想できたことだ。

「新入りですんで〜。先輩たちからどうぞ〜」
「じゅ、受験生だから。喉は大切にしないと……ね」
 とにかく誰ひとりとして、歌う気なんてゼロで。
 じゃぁ……残っているのは……。


「……えっ? わざわざカラオケで、歌うんですか?」
 どう考えても無理そうな、『弟』を前にわたしは。

「あぁもう! それなら(すばる)さぁ!」
 つい……。

「じゃあ、デュエットならどうなの!」
 勢いで、口にしてしまった……。



「えっ?」
「ええっ?」
 すると美也ちゃんと、あと誰かが驚いたのだけれど。
 なんとそれ以上に。

「えっ! 『デュエット』ですかっ!」

 ……ウソっ?

 なぜか昴が、ものすごく反応している。


「も、もしかしてアンタ……知ってるの?」
「あ、あ、あ、当たり前だろ!」
 ど、どうしたの、昴? 落ち着いて!

 カラオケは、はじめてだといっていたのに……。

「あれは、ロマンです……」
「えっ?」
「え?」
「なんですって!」
 なんだか、昴がいま。

「僕の『夢』、いや『憧れの世界』なんですよ……」


 ……とんでもないことを、口にした。



 どうしよう、どうしよう、どうしよう?
 そんな『夢』。
 海原(うなはら)(すばる)の、『憧れ』を。
 わたしが、かなえちゃっていいの?


 ……カラオケにきたのに、まだ一曲も歌っていない。

 記念すべき、一曲目。
 しかもいきなり、『デュエット』を。

 わたしが誰かに『譲った』はずの。

 海原昴と……ふたりで……?





 ……気がつくと、マラカスではなくて。

 わたしはマイクを、握っていた。

「み、美也ちゃん?」

 いや、握る前に誰かに呼ばれて。
 おまけに、何人かと手が触れた。
 最初にわたしを呼んだその子は、思わず譲ってしまって。
 たぶん『三本ある』マイクをどれも、取り損なったみたいだけれど……。


 いまは、みんな。
 マイクを握ったほかの誰かさんたちも、握らなかった人たちも。

 みんなが下を向いて。
 『結果』を、知らないようにしているけれど。


 ……海原君はいったい、誰とデュエットしてくれるの?





 ……さすがに、学習能力が向上してきた僕は。

 多分誰より先に、重大な間違いに気がついた。

 まぁ、口にした張本人だから。
 当たり前のこと、なのだけれど……。

 顔を、みんなのほうに向けるのが怖い。
 そもそも、カラオケボックスなるところにいるはずなのに。
 全員が下を向いて、静まりかえったこの部屋だけは。

 ……とんでもなく異様な、雰囲気だ。


 でも……。
 ここで僕が、勇気を出して『告白』しないと……。
 この場が収まる、わけがない。



「あの……みなさん」
 覚悟がいる、人生最大の試練のときがやってきた。


「じ、実はあの……」



 ……結果を、伝えよう。



 僕は……。



 ……みんなに、嫌われた。





 ……カラオケという娯楽は、わたしたちには似合わない。

「部長が、大変な失礼をいたしました」
「み、三藤(みふじ)さん。お先に失礼するわね……」
 予定より相当早くカラオケ店を出て、放心状態の寺上校長を見送ると。

 わたしたちはいま、夕陽が傾きつつある河川敷に並んでいる。

「あの……」
「なにかしら、海原くん?」
「怒ってるの、月子だけじゃないからね!」
「そうそう、大っ嫌い!」
「どうしようもないよね!」
「だ・い・き・ら・い!」
「さすがにねぇ……」
「ないですよねぇ……」
「なんていうか……」
「うん、ないない!」

 言葉には、いろいろな意味がある。

 その言葉ひとつで、幸せにも不幸にもなる。

 それにしても、海原くんは……。



「あの……。ブルートレインって、ご存知ですか?」
「えっ?」
「かつて全国で走っていた、寝台列車のことなんですけれど……」



 B寝台二人用個室・通称『デュエット』。

 引退した寝台列車に、いつか乗ることができたとしたら……。
 それが海原くんの『夢』、『憧れの世界』だったのね……。



 鉄道好きな海原くんの人生を、否定するつもりはない。
 でも、カラオケボックスと呼ばれる密室の中で。
 マイクを手に『デュエット』といえば。
 さすがのわたしでも……。



「海原昴の、バカっ……」
 わたしは思わず、つぶやいた。

「あっ!」
「な、なによ?」
「それいい!」
「えっ……?」
「いいよ、月子!」
「ばーか!」
「バーカっ!」
「もっと大声で、いいましょう!」
「ええっ!」
「じゃぁ、みんなで!」
「せーの!」

「う・な・は・ら・の、バーーーーーーーカ!」





 ……あらあら、かわいそうに。
 でも、海原君。
 たまには叱られるのも、悪くはないよね!

 ニコニコしている、わたしの横で。
 響子がなぜか、ちょっとだけ心配そうな顔をしている。
「響子? なんでそんな顔してるの?」
「えっ、佳織? べ、別にっ……!」

 まったく。
 響子は彼に、妙にやさしいからねぇ……。

「ねぇ、あの子たち。『生徒会の傷』は、癒《い》えたかな?」
「う〜ん、『デュエット・ショック』で、薄まってくれたらいいんだけどね……」



 ……悲しむだけでは、終わらせない。



「えっ、なにそれ佳織?」
「誰かさんがね、前にそんなこといってたなぁって……」
「そ、そうなんだ……」
 すると響子は、ひと息ついてから。

「恋するだけでは、終わらない……ね」

 随分と感慨深げに、口にした。



 ……河川敷に、ふわりとやさしい風が吹く。

「ねぇ響子。そろそろ、帰しなさいだって」
「あら。つぼみちゃんから、メールでもきたの?」
「違うよ、ほら」
 わたしは、親友の髪に手を伸ばすと。
 頭の上にちょこんとくっついていた、カエデの葉を手に取る。

「かえでってばもう、心配性だなぁ……」
「だって、かえでだもん。だからね……」
 響子は、そう答えてわたしに腕を伸ばすと。
「ほら佳織にも、催促してるよ」
 わたしの肩から、別のカエデの葉を見つけてくれた。



 寺上かえでは、こうしていつまでも。
 わたしたちのそばに、いてくれる。


 過ごしたかった、あのときと。
 過ごしていきたい、この先を。

 悲しむだけでは、終わらせまいと。


 いつまでも、わたしたちと一緒に。



 ……いつも近くに、いてくれるのだ。




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