「ちょっと、聞いてる海原(うなはら)? いきなり中間試験だよ!」
 委員会から、数日後。
 中央廊下で、高嶺(たかね)由衣(ゆい)がなにか吠えている。

「いきなりって……ちゃんと行事予定表に、書いてあっただろ?」
 僕の指摘に、アイツはわざわざ大きなため息をついてから。
「アンタってさ……そういうとこが思いっきりダメだよねー」
 失礼なことを、サラリというと。
「やっぱコイツ、ダメだよねぇ……」
 ブツブツと、同じようなセリフを繰り返している。

「ちょっと、雑念が多いよー。そのポスターは、右側に貼ってもらえない?」
「えっ、さっきと逆じゃないですか?」
「そうだっけ? まぁ、貼ってあればいいんでしょ?」
 ……この、適当さ満載の指示は。
 我らが顧問・藤峰(ふじみね)佳織(かおり)によるもので。

 廊下で捕まった僕は、脚立にのぼらされた上。
「こ、この高さでいいですか?」
「うーん、読みにくいからさぁ。やっぱり、脚立より下に貼ってくれない?」
 ……そうやって、オモチャにされている。

 で、高嶺はその横で。
 ……えっと。
 なにしてんだっけ? 野次馬?

「違うから! 部室いく前に、アンタが捕まったんでしょ!」
 わ、わかったから。
 頼むから……ガシガシ脚立を、蹴飛ばさないでくれ。
「ねぇ、わたしもやっていい?」
「ちょっと、教師ですよ! 自重してくださいよ!」
「なら先生。せっかくだし、同時にやりません?」
「よし。じゃぁ、わたしがカウントするねっ!」
「ダ、ダメですって! ふたりとも危ないですよっ!」


 そうやって、先生の暇つぶしに付き合わされていたところ。
「おっ! 相変わらず放送部は働き者だな」
 元バレー部の長岡(ながおか)先輩が、たまたまとおりがかって。
「あっ、どうもこんにち……」
 僕が挨拶を返そうとしたところ。

「そうだ! 海原、臨時委員会はいつになった?」
「……はい?」
 また、よくわからないことを質問される。
「そうそう、いつになったの?」
 続けて、たまたま横にいた吹奏楽部の元部長も聞いてくるけれど。

 ……いったい、なんの話しですか?


「あっ!」
 藤峰先生が、いきなり。
「わたし職員室で、パン焼いてたの忘れてたぁ〜。じゃ、あとはよろしく!」
 あからさまな嘘と、明らかになにか知っている顔で。
 そのまま逃げ出そうとする。

「佳織先生?」
 高嶺が野生の勘で先生を捕食、じゃなくて捕獲しようとしたところ。
「……えっと、中間試験後に追って連絡しまーすって、月子(つきこ)ちゃんがいってたよ」
 絶妙なタイミングで、藤峰先生の相棒・高尾(たかお)響子(きょうこ)が登場して。
 三藤(みふじ)先輩がいうわけないセリフを、平気で口にする。

「じゃぁ『美也(みや)ちゃん』。なにか知ってません?」
「えっ、わたし?」
「え? 都木(とき)先輩?」
 これまた、ものすごい偶然で。
 アイツが先輩を見つけて、聞くけれど。
 都木先輩、さっきなんだか。
 そっととおり過ぎようと、していませんでした?

 ちなみに、都木先輩からの『引退祝い』とかいう申し出により。
 なんだか、放送部は今後『先輩』とは呼ばずに。
 呼ぶときは『ちゃん』づけに、することになったらしい。
 まぁ、僕だけが例外なのは……いつものことだけど。

「美也ちゃん、知ってます?」
 高嶺が、再度迫って。
「えっ、わ、わたしは……」
 都木先輩が、なぜか返答に困っていると。


「……中間試験後に、お話しするわね」
 なんだか、ふたりの先生よりやや『ご年配』の声がして。
「それまで、待ってもらえないかしら?」
 あぁ、なんだ。校長か。
 ……って、えっ?
 校長先生じゃないですかっ!

海原(うなはら)(すばる)君。先ほどなにか、ひとこと余分だったようですけれど?」
 ゲッ、独り言にもしていないのに。
 なんで聞こえてるの……。
「顔に書いてあるじゃないの。まったく……」

 校長はそういうと、脚立の陰に隠れた藤峰先生と高尾先生をチラリと見る。
「……だってよ、みんな?」
「……そうそう、そういうことで、ね?」

「り、了解しました」
「し、失礼しまーす」
 長岡先輩と吹奏楽の元部長が、校長に一礼して消えていく。

「海原君、高嶺さん。それに都木さんも」
 校長は、笑顔で僕たちを見ると。
「試験が終わったら、またよろしくね」
 そういうと、声色を少し強めにして。
「そこのふたりは、会議があるはずよ。ほらほら、サボらない!」
 まるでふたりを引きずるようにして、消えていった。


「……アンタはわかるけど。なんでわたしの名前も、知ってるわけ?」
「校長だから、そんなもんじゃないのか?」
「そうなの?」
「え、違うの?」
 お互い、よくわからない。
 僕が、そう口にしようとしたとき。
「また、やられちゃったね〜」
 都木先輩が、ある事実に気づかせてくれた。

 あぁ……藤峰先生が。
 ちゃっかり、掲示物の残りを脚立に乗せたままで……。
 おまけに、高尾先生が。
 追加のポスターが入った箱を、その横に放置して逃亡した。

 遠くに消える、ふたりの教師たちが。
 腰のあたりで小さく、手を揺らす。
「もしかして、校長もグルなの?」
 高嶺の疑問、いや野生の勘は。
 ときに、バカにはできない精度があるので。

「……わからん」
 僕は、正直そう答えることしか。
 このときは、できなかった。





 ……中央廊下の角を、曲がろうとしたそのとき。
 向こうからやってきた、三藤さんがわたしに気がついて。
 とてもきれいに、お辞儀をしてくれた。

 隣にいた赤根(あかね)さんと、春香(はるか)さん。
 それに波野(なみの)さんが、慌ててそれに続いて。
 わたしたちが、とおり過ぎたそのあとで。
「ちょ、ちょっと! いきなりとまらないでよ」
「先生たちかと思ったら、校長までいたからビックリした〜」
「月子だけ、優等生ぶっ・て・た・〜」
 なんだか、楽しそうな声で話している。

「……いいから、海原くんを探すわよ」
 なるほど、『あの彼』が遅いから。
 待ちきれなくて、探しにきたのね。
 それからすぐに、いくつもの重なった声が響いてくる。
 きっとあの子たちは、これからみんなで。
 脚立の前の置き土産を、仲良く貼りはじめるのだろう。


「……あの子たちなら、やれそうね」
 わたしは隣のふたりに、思わず感想をもらす。
「はい。ただ……少々、人間関係が複雑で」
「佳織先生、いいじゃないの」
「あなたたちだって。散々色々、あったでしょ?」
「それをいわれると、なにもいえませんよねぇ〜」
「あら。そんなことを響子先生がいうなんて……」
「えっ?」
「少しは『まとも』に、なったのねぇ」
「か、からかわないでくださいっ!」

 思わず、『あの頃』のことを思い出す。
 元顧問として、元部員たちを前に。
 いつもより早口になって、つい諭すように……。

「いいこと? 後輩たちに、無理をさせない」
「はい!!」
「なにかあったら、あなたたちが。必ず、守ってあげてよ?」
「わかりました!!」


 偶然とおりかかった、ベテランの日本史の教師が。
 完璧に揃ったふたりの返事を耳にして。
「ほう……」
 思わず、そんな声をあげている。
「わたしたち、絶対怒られてると勘違いされた!」
「そうそう、あの先生。わたしたちの担任もしてたんだよ!」

 ……そうね。

 わたしも、あなた『たち』の担任でしたし。
 顧問でも、ありましたよ。



「……いい風が、吹きそうですな」
 ふたりを、職員室に送り届けたあとで。
 わたしを新人時代から知る、物理の先生が。
 わざわざ近くまできて、ボソリとつぶやく。

 前が見えにくそうなくらい、曇ったそのメガネの奥にはおそらく。
 取り戻したくても、手の届かない。
 そんな懐かしい光景さえ、はっきりと見えているのだろう。


 この校内に、新しい風が流れはじめた。
 もしこの先、『丘の上』に関わるすべての人たちが。

 ……学校が、変わった。

 そんな想いを、抱いたとしたら。

 その物語のひとコマに。
 きっとこのときの、風景を加えるだろう。


「……中間テストのあとが、楽しみね」

 校長としては、中間テストの『結果』を。
 楽しみにしたほうが、よいのだろうか?



 ただ、わたしは正直なところ。
 中間テストの、『終わったあと』のほうが。


 ……いまはとても、待ち遠しかった。