「……あの、藤峰(ふじみね)先生。席の配置を……『僕が』間違えました」

 まったく……。
 なんでわたしを、ダシに使うかなぁ?


 ……それにしても、海原(うなはら)(すばる)
 君は本当に、不思議な生徒だね。

 扉の前で一瞬うしろを向いて。
 それから教室の中を、チラリと見たあとで。
 わざわざ、そんなことを口にできる君は。
 なんというか……。

 さすが、『わたしの後輩』だ。

 もちろん、君だけじゃなくて。
 それを聞いて立ち上がった、月子(つきこ)玲香(れいか)
 後列ですぐに動き出した、陽子(ようこ)姫妃(きき)由衣(ゆい)だって。
 あなたたちはみんな、立派な『放送部員』だ。


 ほかの生徒たちが、校長がきたからかと。
 慌てて立ち上がったり、バタバタしたりしたそのスキに。
美也(みや)ちゃん、こっち」
「先生たちも、こちらへ」
 そうやって、みんなであっというまに。
 青白い顔で入室したあの子を、自分たちで守るように。
 椅子や机を、見事に組み替えた。

 長机をサッと前に出し、『誰も座らない』最前列の空席を消すと。
 二列だったあの子たちは、あっというまに三列に並び直す。
 最後列に座らせた美也を、陽子と玲香が挟むと。
 その前で響子(きょうこ)と、姫妃と由衣とわたしを、壁にして。
 つぼみちゃんと海原君が、最前列なんだけど……ね。

 月子だけは、そのまま。
 あの彼の隣から、離れなかった。

 いや、そうじゃなくて。
 みんなもあえて、月子を残したんだね。
 だって、美也はもちろんだけど。海原君を支える誰かも必要だと。
 そんなことまで一瞬で、考えたんだから。

 ……実に大したもんだよ、『わたしたちの後輩連中』は。





「……あの、高尾(たかお)先生?」

 社会科教室に向かう途中で。
 わざわざわたしに、なにを聞くのかと思ったら。

寺上(てらうえ)校長にご同席していただいて、本当にいいんでしょうか?」
 ……まったく、海原君。
 なにからなにまでね。
 君がすべて背負う必要なんて、どこにもないんだよ?

「つぼみちゃんとか、わたしもね……」
 この状況で、わたしの笑顔が役立つかはどうでもよくて。
「海原君たちのために、いるんだよ」
 ただ、君の心がほんの少しでも。

 ……軽くなればいいと、願っただけだ。



「……みなさんに、お話しがあります」
 再び静まり返った社会科教室で、校長がゆっくりと語り出す。

 昨日の、放課後。
 バレー部元部長の長岡(ながおか)(じん)と、後輩の一年生。
 元柔道部部長の田京(たきょう)(はじめ)と、二年生の新部長。
 加えて、三年生の男子一名の計五名が。
 駅近くの公園で『暴力事件』を起こした。
 本件が『深刻化』するかは相手次第で、現在状況を確認中だ。

 校長は、この場では触れないけれど。
 原因となった『三年生』は、わたしがまだ別の高校にいたこの春に。
 並木道を見下ろす裏道で、月子に絡んできたという『前科』があるらしい。
「そのときはですね……」
 美也によれば、どうやら長岡君に加えて。
 海原君が、その状況を救ったそうだけれど。
 あなたたち、その頃からもう。
 『仲良し』、だったのね?


 ……その生徒が、今回は。
 他校の女子生徒に、同様のことをしかけたらしく。
 それをとがめた、男子たちともめはじめたところ。
 たまたま、その場をとおりがかった本校の四人が仲裁に入って。
 なんとか落ち着いたと思った、そのあとで。
 その生徒が再度暴れ出した結果、相手の生徒に軽い怪我をさせた。

 先方は、全員が同じ中学出身の知り合いで。
 ただ高校がそれぞれ、女子校、公立高、本校ではない私立高と別々で。
 結果、四校の生徒が関わったことになってしまった。

「……なお、とめに入った彼らの名誉にかけてお伝えしますが」
 そう、それはとても大切なことで。
「とめに入った部長たち四名は、絶対に手を出していないそうです」
 むしろ、その点については。
 相手の生徒たちも、まったく同じ証言をしてくれていると。
 つぼみ先生は再度全員に向かって、強調した。





「……以上が、まず発生した事実です」

 寺上校長が、そこまで話すと。
「本当に。いいのね?」
 そういって隣に立つ海原くんに、顔を向ける。

「はい、ありがとうございます」
 引き続き、落ち着いた声で答えた海原くんは。
「校長、あと三藤(みふじ)先輩も……どうぞお座りください」
 並んで立ったままのわたしたちに、うながしてから。

 一瞬戸惑ったわたしに、気がつくと。
 なにかを悟ったように、少しだけほほえんでから。
 わたしのために。

 ……いや。

 背負うのは自分だけでいいと、いわんばかりに。

 ……そっと椅子を、ひいてくれた。



「……駅前で十名以上が乱闘していたと、面白おかしくネットに書かれています」
 海原くんは、冷静だ。
「加えて、文化祭前の看板事故のことも。蒸し返されました」
 いつも以上にずっと、冷静だ。

「ほかにも、今年度に万引きした生徒がいるとか。いじめがあるとか」
 そして自分とは、関係ないことも含めて。
「ネットでは明らかに、大げさに書かれてはいますが。『プチ炎上』しています」
 心を、痛めている。


「加えて。これから校内で『内乱』が発生するそうです」
 おまけに、そんな虚言に付き合わされても。
「現在みなさんと取り組んでいることは、もちろん『内乱』ではありませんが……」
 海原くんはやっぱり、冷静で……。

 全校生徒が、満場一致することなどないだろうけれど。
 明らかな不満を持った生徒が、既にいるから。
 そんなことを書き込まれたのだろうと話すと。
「結果的に僕は、校内の誰かを非難する発言をしていますので……」
 そんな『誰か』のためにまで、海原くんは。

「……ごめんなさい」
 そういって、みんなに向かって。

 たったひとりで、謝った。





 ……根拠のない書き込みで、尻込みする。

 そんな臆病者だと、僕は笑われても構わない。

 お膳立てしてくれた先輩たちに、怒られても。
 支えてきてくれた、たくさんの人たちに。
 情けないやつだと、思われたって仕方がない。

 それぞれの出来事には、誤解や誇張がたくさんある。
 でも悪意あふれる匿名の書き込みに。
 この状況で、(あらが)いたいとは思えない。


 長岡先輩たちは、暴力なんて振るわない。
 山川(やまかわ)、お前が誰かを殴るやつじゃないことくらい。
 僕はもちろん知っている。
 でも、文化祭前の事故は事実には違いないし。
 万引きした生徒、いじめに関する相談も。
 今年度実際に起こったことだと、校長は僕に教えてくれた。

 僕は単なる、一生徒に過ぎないし。
「あなたに責任なんて、ないのよ」
 確かに、校長のいうとおりでもあるのだけれど。

 ただ、それでも……。

『アノ部活民、内乱ヲコス』

 ……その文字が、頭を離れない。


 僕はなにかを、間違えたのだろう。
 はじまる前から、こんなことになってしまった上。
 もしこの先。
 放送部の誰かの名前が、ひとり歩きしてしまったら……。

 僕は、それだけは。

 ……絶対に、許せなくなってしまう。





 ……頭を下げたままの、海原くんに。
 声をかけていいのか、少し迷った。

 でも、海原くんは。
「僕は……」

 声が出なかったのではなくて。

「僕の大切な人たちが……」

 わたしたちのために。


「見ず知らずの人間のネタにされるのに、耐えられません」


 言葉を、選んでくれていたのだ。



 わたしの隣で、その人は。
 すべての視線を、ひとりで受けとめている。
 わたしの隣で、その彼は。
 すべての想いを、たったひとりで受けとめようとしている。



 ……その顔を見て、わたしは決めた。



 ……『あなた』だけが、すべてを背負う必要はない。



 だからわたしは、心に決めた。

 海原昴。
 わたしは、この先。
 あなたとわたしは、この先、決して。




 ……悲しむだけでは、終わらせない。