誰かの悲鳴、風で宙を舞う花びら。
足元には赤い液体が地面を伝っている。それが何なのか考えるだけでゾッとした。
今目の前に起きているのは何なのか。恐ろしすぎて、動けない。
動かなければいけないのに。動けと頭で命令しても、身体が従ってくれない。
そんなおぞましい光景が、段々ぼやけてくる。それが涙によるものなのか、いつものあれなのか、分からなかった。
どちらでも良かった。どちらでも、この光景を現実にしてはいけない。
そう強く思った瞬間、視界が真っ黒に覆われた。まるで舞台の終焉を知らせるかのようにー。

第1章 希咲の彼氏
時田希咲(ときたきさき)の彼氏·計屋清夜(はかりやせいや)は変わっている。
とにかく時間に厳しくて、なんの知らせもなしに待ち合わせに遅れると、説教を受ける羽目になる。
行き先がどこであっても、デートの待ち合わせは2人の家の最寄り駅にある時計台。今のところ待ち合わせ場所がここではなかったことは1度もない。
学校にいる時はごく普通の物静かな少年なだけに、希咲はそんなことさえも良くも悪くもギャップに思った。
勉強はできるが運動はからっきし。かと言ってガリ勉の生真面目優等生、という訳でもなく、昼休みの後の授業は3回に1回の割合で寝ている。
基本無表情で、動きが緩慢なマイペース屋だが、同時に気性も穏やか。イラついてるところは見たことない。(なお、待ち合わせに遅れた希咲を説教していた時は例外である)
それが計屋清夜という人間だ。

「あ、ちなみに前半は清夜くんの変なところで、後半は普通なところね」
昼休み、希咲は目の前で頬杖をつく親友に、そう言った。
親友こと石川めぐみは、若干顔を歪めている。
「めぐちゃんめちゃくちゃ不細工になってるよ。せっかくの可愛い顔が台無し。惚気られたのが悔しいのはわかるけど、聞いたのはめぐちゃんの方だからね?」
「別に悔しくない。ていうか惚気られてこんな表情(かお)してる訳じゃないし」
「じゃあ何で?」
首を傾げる希咲をじっと見ながら、めぐみはため息をついた。
お弁当を食べていると、唐突に、めぐみの方から「計屋くんってどんな人?」と聞かれたので希咲は正直に答えたに過ぎない。と言っても、めぐみだってクラスメイトなので、清夜のことを全く知らないわけではない。むしろ、彼女である希咲の口から、知ってる情報しか出なかったから呆れたのだろうか。
「希咲はさ、計屋くんが彼氏で良いの?」
「どういう意味?」
「今の希咲の話もそうだけど、計屋くんって、何考えてるか分からなくない?」
「まぁ確かにそういう節はあるね」
希咲は苦笑しながら共感する。
変でも変じゃなくても、清夜の考えてる事は全く分からない。そもそも感情の起伏も乏しいので、顔色を伺うことがないのだ。比例するように表情筋も大袈裟には動かない。
「でも清夜くん優しいよ。それこそ、不機嫌になることとかないし。そういう気を使わずに済むっていうのは、結構気楽だよ」
「まぁ希咲が幸せならいいんだけど」
めぐみが黒髪をいじりながら希咲に言う。めぐみなりに心配してくれているのだろう。
そう感じて希咲はめぐみの頭を撫でた。

第2章 デート
「清夜くん、早く行こー!」
帰りのホームルームの終了後、希咲は秒で帰りの準備を終わらせ、清夜の机の前に来た。
「うん、行こう。店混んでないといいね」
清夜は飛び跳ねんばかりにはしゃいでいる希咲を見て、微笑んだ。
これから2人は放課後デートの予定だ。希咲と清夜、2人の最寄り駅の近くにある「ブラック·ストーン」というお店に行くことになっている。
ブラック·ストーンはめぐみの両親が、めぐみを含む、数人のアルバイトと切り盛りしているオシャレなカフェである。
めぐみが塾でシフトに入っていないのは残念だが、期間限定のスイーツを清夜と食べに行けるのは嬉しい。
「あ、時田」
他愛もない会話をしながら昇降口に向かっていた2人を引き止める声がする。いや、正しくは希咲のみだが。
声の主は中年の教師だった。希咲が所属する風紀委員の顧問を担当している。
「帰り際に悪いが、この前の議事録を見せてくれないか?確かお前が書記だったよな?職員室にいるから」
「はい。わかりました」
よろしくな、と言って中年教師は職員室の方に向かって行った。
希咲は清夜の方をむく。自分でもその表情が残念で決まりの悪いものになっている自覚があった。
「ごめん清夜くん。そんなわけだから先に行ってて」
「わかった。委員会だからしょうがないよ」
清夜は特に気にせずに、そう言った。
議事録を渡すだけなら、そんなに時間もかからないだろう。というかそう願いたい。
「それじゃあ時計台で待ってるね」
清夜はそう言ってそのまま歩いていく。
相変わらず時計台だけはぶれないな、と希咲は苦笑した。

希咲が駅から出ると、時計台のところに清夜がいた。特に何かしている訳でもなく、ぼーっとしている。
毎度の事ながら思うことだが、アンティーク調の大きな時計台と清夜という組み合わせはとても絵になっている。清夜はどちらかと言うとほっそりとしていて、なおかつ色素が薄く、インテリな感じを醸し出しているので、西洋風なあの時計台との相性が抜群なのだ。
眼鏡かけさせて、万年筆持たせたらモデルみたいになるだろうな、なんて希咲はつまらない妄想をしてみる。
しかしその妄想を打ち切るようにププーッというクラクションの音が響いた。反射的に、身体を震わせる。
目の前のロータリーでUターンしようとした車が鳴らしたらしい。特に事故が起きた訳ではなく、希咲はほっとする。
それと同時に、今度は横から走るような足音が聞こえる。
「希咲!」
足音の主は清夜だった。頬には汗が伝っていて、息も荒い。走ってきたようだ。
「あ、清夜くん。ごめんね遅れて」
「いや、全然それより今クラクションの音が鳴ったけど大丈夫?」
「うん。ちょっとびっくりしたけど。清夜くんいきなり走ってきたし」
最後だけ希咲がおどけて言うと、清夜は安心したような表情をする。
どうやら心配してくれたらしい。それにしても焦りすぎだが。
「じゃあ行こっか」と希咲は明るい声で行って、ブラック·ストーンへ向かった。

「いらっしゃいませ」
茶色の木造の扉を開けると、お盆を持った店員が愛想良く対応してくれる。店内は夕方の割に空いていた。
店員が案内してくれた、端にある2人がけのテーブルにつく。
希咲は早速メニュー表を開きながら、何を頼むか考える。対して清夜は水を飲みながら、呑気に辺りを見回している。
「清夜くんもう決まってるの?」
「うん。生クリームプリンにする。SNSここのメニュー載ってたから希咲を待ってる間に決めた」
「私、前に来た時そのプリン食べたけど、美味しかったよ」
カラメルと生クリームがのった、シンプルかつオシャレなプリンだ。カラメルは結構甘かったので、見た目によらず甘党な清夜にはピッタリだろう。
結局ひばりはアップルパイと紅茶のセットにした。デザートの種類が多いのはブラック·ストーンのいいところだ。

プリンとアップルパイはすぐに来た。
清夜は柔らかくて甘いプリンをとても美味しそうに食べている。
「清夜くんめっちゃ美味しそうに食べるね。やっぱりプリンにすればよかったかなー」
希咲が半ば後悔しながらフォークを握ろうとすると、口の中に何かが入れられた。
「ふぇ?」
唐突すぎて、希咲はつい変な声が出てしまう。
視界の先では、清夜が可笑(おか)しそうに笑っている。どうやらすくったプリンを希咲の口の中に入れたようだ。
「どう?美味しい?」
「······」
「希咲?どうした?」
希咲は口を開けたまま固まってしまう。顔も真っ赤で、その姿は酷く滑稽だろう。
しかし平常心を保てるほど冷静ではなかった。まさか、好きな人からアーンされ、その上関節キスになったことが嬉しくて動けないなんて言えるわけが無い。
「ご、ごめん清夜くん。美味しすぎて固まっちゃった······」
「そんなに?」
また清夜は笑って、何事も無かったかのようにそのスプーンで自分もプリンを食べた。
(恥ずかしげもなくできるなんて羨ましい······)
そんなことを思いながら、希咲はアップルパイを頬張った。きっと今の自分の顔は、りんごよりも赤いだろうと思いながら。

希咲の顔の赤みが薄れた頃、追加で頼んだコーヒーのカップをソーサーに置きながら、清夜が口を開く。
「ここ、本当に美味しかったね」
「うん!また来ようね」
希咲の言葉に、清夜は微笑みながら頷く。
「次来た時は何頼もうかな」
「気が早いな」
「清夜くんももう決めちゃえば?」
希咲がメニュー表を眺めながらそう言うと、清夜は考えるように上をむく。そしてしばらくして、あ、っと声を漏らした。
「次は期間限定の商品とか食べたいかも」
「あー確かに。もうすぐ夏だもんね。ひんやりしたスイーツとかいいかも」
「うん。ここの店では来月かき氷フェアをやるらしいから、かき氷食べようかな」
「へぇ、そうなんだ!確かにかき氷いいかも。こういうお店のかき氷って絶対美味しいもんね」
清夜の言葉に、希咲は目を輝かせる。期間限定なら特別な味があるかもしれない。そうでない定番の味でも、絶対に美味しいだろう。
かき氷を想像しつつ、希咲は気になることがあって、清夜の方を向く。
「清夜くん、このお店のこと調べたの?」
「え?」
清夜の顔が真顔になる。
希咲はその表情の変化を不思議に思いつつ、話を続ける。
「今日初めて来た店なのによく来月のフェアのことなんて知ってたね」
「あ、うん」
何故か歯切れの悪い清夜に首を傾げながら、希咲は残った紅茶を飲み干した。

第3章 違和感
昼休みを告げるチャイムがなった瞬間、希咲はめぐみの席に向かう。
希咲にめぐみという友達がいるように、清夜にも仲のいい友人がいる。なので、お昼休みは2人とも友人と食べている。
「そういえば清夜くんもめぐちゃん家のお店、美味しかったって言ってたよ」
「本当?なら良かった」
めぐみは卵焼きを箸で掴んで、口に入れる。
その目が眩しそうに細められていたので、希咲はカーテンを閉める。めぐみの席は窓際なので、とても日が当たるのだ。春や、冬は良いかもしれないが、真夏がじわじわと近づいてきている今の時期には、少し暑い。
その暑さに希咲は先日の清夜との会話を思い出す。
「そういえばブラック·ストーンでもうすぐかき氷フェアがあるんでしょ?清夜くんと行こうね、って話してたんだ」
「え?」
めぐみがおかずを口に運ぶ手を止める。その表情は、何故か訝しげだ。
希咲はこの前の清夜のデジャブみたいだな、と思いながら、呑気にプチトマトを口の中に入れた。
「何でかき氷フェアのこと知ってるの?」
「え?清夜くんが教えてくれたから」
「······おかしいな」
めぐみは眉を顰めながら、険しい顔になる。
そんな表情にあてられて、希咲は箸を置く。傍から見たら、めぐみが希咲に説教をしているような図だ。
「おかしいってどういうこと?めぐちゃん」
「そのかき氷フェアの予定、私とお父さんとお母さんしか知らないんだよ」
「え?アルバイトさん達も知らないってこと?」
「うん。まだ1ヶ月先だし、お父さん本決まりしてから言うって言ってたから、まだ言ってないと思う。何で計屋くん知ってたんだろう」
「確かに······」
めぐみが言ったことが本当なら、清夜はまだ公表されていない、未来の予定を知っていたということになる。
希咲は少し考え込む。しかし、反対側にいるめぐみが心配しそうな表情をしたので、慌てて笑顔を取り繕った。
「もしかしたら別のお店の情報を間違えて言ったのかもね。時期的に全然有り得るよ」
「そうだね」
めぐみの特に気にした風でもない相槌に希咲は安心する。
けれどお腹の中には相変わらずモヤモヤが疼いていた。

今更ながら清夜には不可解な言動が多い気がした。危機管理能力が異常に高く、更に時間にもうるさい。
そして希咲が最も気になるのは、清夜が待ち合わせを時計台の前にしている事だ。別にこれといって不満はないのだが、何故そこにしているのか、疑問のいえば疑問だ。
そう思いながら、希咲は帰宅の電車の中で目を閉じる。そして、どうしてかあの日ー清夜と初めて喋った日の清出来事が脳裏に浮かんだ。

それは去年の体育祭のことだった。
希咲は(短距離に限るが)足が速いので、体育祭ではリレーの選手として選出されていた。
しかし当日、希咲は妙な重だるさを感じていた。睡眠もしっかり取り、これまで水分補給も欠かさなかったのに、どんどん身体はだるくなっていく。
他にも競技に出たので、それによる疲れかと思って体調不良を隠し、希咲は何とかリレーに出た。誰にも代わってもらおうとは思わなかったのは、リレーはどのクラスでもワースト1位の所謂「できるだけやりたくない競技」だったからである。
リレー終了後、希咲は御手洗と言い訳をして、校舎の裏に行った。校舎の影になっていて、涼しいからだ。
壁にもたれ掛かるように座り込む。汗を拭きながら水分を補給しても、ずっと身体が重かった。
涼しいという理由で来てしまったが、ここで倒れたり力尽きても、見つからない可能性があるな、と思いながら、それでも動こうとは思わなかった。
暫くぼんやりしていると、足音が聞こえた。時間が経っても戻ってこないからめぐみが心配してきたのかな、と思ったが、足音の主はは思いもよらない人物だった。
「時田さん?」
「計屋くん······」
どうしたの?という言葉は続かなかった。それぐらい体調が悪いと希咲も自覚していた。
「大丈夫?何かすごい顔色悪いけど」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけだから」
そう言って立ち上がろうとしたら、身体がぐらりと傾いた。
顔から転ぶ、と思って目を瞑るが、衝撃や痛みはこなかった。何故なら清夜が希咲を抱きとめてくれたからだ。
「全然大丈夫じゃないじゃん」
「······」
呆れたようにそう言った清夜に、希咲は何も言わなかった。いや、言えなかった。もう体力の限界だった。
清夜はそのまま希咲を後ろにおんぶして、歩く。
「ごめんね計屋くん。重いでしょ?」
「別に謝る必要ないよ。ていうか軽いし。まぁ時田さん背小さいもんね」
最後は余計だと思って、希咲は清夜の首に回している腕にぎゅっと力を込める。首を絞めているような状態になる。
「ちょっ、力強いよ時田さん······」
清夜は苦しそうな声で、でも笑いながらそう言った。
清夜が笑った顔を希咲は1度も見た事なかった。一体どんな顔で笑っているのだろう、そう思ったのが、清夜を気になりだしたきっかけだった。

それから希咲は助けてくれたお礼と言って、清夜とよく話をするようになった。
希咲には清夜の"穏やかで物静かだが、決して面倒臭がりではなく、やるべきことはしっかりやれるところ"がとても好意的に思えた。
そして希咲から清夜に告白をし、清夜がそれを受け入れた為、2人は恋人になったのである。
それが希咲と清夜の馴れ初めだ。

若干てきとうで端折られている回想を終えた希咲は目を開ける。
傍から聞いていたら、別にそんなに変なところはないだろう。
けれどブラック·ストーンでの出来事があると見え方が変わってくる。
あの日ー去年の体育祭で、何故清夜は校舎裏というお祭り騒ぎの中では誰も行かないような場所にやってきたのか、その理由だけは希咲がいくら聞いても清夜は真面目に答えてくれなかった。いつも、「さぁ」とか「たまたまだよ」と言うだけ。
危機管理能力に至っては、車のクラクションが鳴っただけで、 心配そうに駆けつけてくる。この前のがいい例だ。
付き合っても相変わらず希咲は清夜のことがよく分からない。もちろんわかることもあるが、分からないことの方が多い。
それを考える度、希咲の胸にはモヤモヤがすぐって、何とか消そうともがくのだった。

第4章 清夜の秘密
希咲は扉のドアノブに手をかけながら、深呼吸をする。
緊張しているという事実に自分でも気づいていた。けれど、自覚したところでどうにもできないのが緊張というものである。
希咲は今日、清夜に疑問に思っていることを全て聞くことに決めた。
そう決心したのは、やはり今までの不可解な言動にモヤモヤし、それをそのままにするのは良くないと思ったからだ。
今まで聞いても清夜が答えてくれなかったのは、希咲も真剣に質問していなかったからだ。真剣に質問して、答えてくれれば回答がどんなものであれモヤモヤは少しは消えるだろうし、答えたくないと言われれば、それほど言いたくないことなんだと諦めがつく。
どちらにしたって、希咲には利点があるのだ。だからこそちゃんと聞こうと決心できた。

希咲が駅から学校までの並木道を歩いていると、前方に歩いている清夜を見つけた。
「清夜くん!」
希咲が大きな声で呼ぶと、清夜は少し驚いたように振り向く。
「おはよう、希咲。どうしたの、そんな大きい声出して」
「おはよう。今日はちょっと清夜くんに聞きたいことがあるの」
「何?もしかして今日の英単語テストの範囲?」
希咲は首を横に振る。清夜は相変わらず飄々としていて、何か気づいているようにも見えるし、何も気づいていないように見える。
けれど今の希咲にはそんなことはどうでもいい。
「私、ずっと不思議に思っていることがいくつかあるの」
「不思議に思ってること?」
「清夜くん、どうして去年の体育祭で校舎裏に来たの?」
「······」
「他にもある。何で関係者しか知らないブラック·ストーンの来月の予定を知っていたの?何で異常な程に危機管理能力が高いの?何でいつも時計台を待ち合わせにするの?」
「······」
一気に質問した希咲に、清夜は俯くばかりで、何も言わない。
やはり言いたくないのだろうか。けれどもしそうならそう言って欲しい、というのが希咲の本音だ。
それともそう言ったら希咲が怒ると思って何も言わないのだろうか。希咲が清夜のことがよく分からないように、清夜も希咲のことをよく分かっていない可能性は大いにある。
しかし付き合っていく上でそれは良くないだろう。
「もし、清夜くんが言いたくないならそれでいい。ただ私は、疑問に思って、それを聞けずにモヤモヤするのは良くないと思っただけだから」
希咲は真剣に、けれど威圧的でない言い方を心がける。
清夜はその言葉を聞いて、顔を上げた。その顔になんとも言い難い、複雑な表情を浮かべて。
「······まぁ確かに、色々と変ではあったよな。待ち合わせが時計台とか」
「清夜くん?」
「わかった、全部話す。希咲が知りたいこと、全部話す」
希咲の緊張は更に高まる。
そんな表情を清夜はしていた。

「ここで話そう」
清夜が目の前の公園指す。誰もいない、遊具も少ない寂れた小さな公園だ。
希咲は本当はすぐにでも話を聞きたかったが、清夜曰く、話し始めると始業に間に合わないとの事で、放課後までお預けを食らった。
そして待ちに待った放課後、希咲と清夜はお互い神妙な面持ちで学校を出たのだった。
(清夜くんは一体どんな話をするんだろ。あの表情からするに、何か悪い話?それとも暗い内容?)
朝から何度も思っていることがら希咲の頭を駆け巡る。
「こんな所でごめん。やっぱりファストフード店とかの方が良かった?」
「ううん、大丈夫。そんなに暑くないし」
そう言いながら、希咲は沈む太陽の方を見る。呑気で羨ましい限りだ。
希咲の前に冷たいカフェオレが置かれる。清夜は清涼飲料水の蓋を開けて飲んでいた。どちらもこの公園の斜め前にあるコンビニで買ったものだ。
清夜とは対照的に希咲はどうにもカフェオレを飲む気になれない。けれど買ったからには飲まないと勿体ないので、何とか口にする。
「それで、あの清夜くん、話って?」
希咲が少し気を使いながら清夜に尋ねると、彼はペットボトルから手を離して、真っ直ぐに希咲の方を見た。
「俺、今から信じられない話をする。それを信じるも信じないも希咲次第だ。別に信じなくてもいい。何訳分からないこと言ってるんだ、って見放したって構わない」
「私はそんな事しなー」
「もちろん分かってる。でも俺は希咲に不快な思いはして欲しくない。もし不快な思いをしたなら、即刻忘れてくれ」
「······」
断言する清夜に希咲は何も言えず、押し黙る。
「希咲」
清夜の声が妙にゆっくり聞こえる。同時に、風が強く吹いて、木々の葉が揺れる。
けれど清夜の瞳はしっかりと希咲の方を捉えていた。
「俺は予知夢を見ることが出来るんだ」
清夜の声は、嫌という程希咲の耳に届いた。

第5章 予知夢
「予、知夢······?」
希咲は反芻するように、今しがた清夜が言った言葉を呟く。
予知夢ー未来で実際に起こる出来事が映し出される夢。
存在もどういうものかも知っている。けれどそれは、テレパシーとか、瞬間移動などと同じ類の所謂"現実には存在しない不思議な能力"だ。実際は分からないが、少なくとも希咲はそう思って生きてきた。
そんなものが見れると清夜ははっきりと言った。
「混乱させてごめん。でも最後まで聞いて欲しい」
その言葉に希咲は我に返る。自分から聞いておいてぼーっとしてはいけない。
背筋を伸ばし、真剣に聞く体勢になった希咲を見て、清夜は再び口を開く。
「俺は物心ついた時から予知夢の能力を持っていた」
初めはたまたまだと思っていた。けれど毎回では無いが、夢に見た出来事が現実に現れるようになった。
現実的で、記憶にしっかりこびりついて離れない夢は大抵予知夢だった。予知夢を見た日はやけに寝覚めが良かった。
清夜は少し目線下げながら語る。その表情はどこか悲しげだった。
「予知夢で見たことは、見たその日に起こることもあれば、1週間とか下手すれば何ヶ月も先に起こることもあった」
それほど先に起こることでも、起こらなければずっと鮮明に記憶の中にあって、やけに気持ち悪い、と言いながら清夜は辟易したような顔をした。
「希咲は朝、何でブラック·ストーンの来月の予定を知ってたの、って聞いただろ?」
希咲は頷く。けれどさっきまでの会話で、その理由はもう分かってしまった。
「それも予知夢に出てきたから知ってたんだ。さっき言ったように予知夢はとにかく鮮明に記憶の中に入り込む。それこそ、俺さえも現実だと思ってしまうほどに。だから現実と夢の境が分からなくなってあの日、うっかり言ってしまったんだ」
なるほど、そういうことか、と希咲は納得する。これで疑問に思っていたことが1つ分かった。
「体育祭の日のことも、前日に予知夢で見た。だから本当はあの日、希咲には無理して欲しくなかったけど、全然喋ったこともない男子からそんなこと言われたら不審がられると思って、あとから助けることしか出来なかった。ごめん」
突然の謝罪に希咲は慌てて首を振る。
別に事前に助けて欲しかったとか、そんな厚かましいことを言うつもりなど希咲には一切ない。そもそもあの日は朝から体調が悪かったので、清夜にはどうしようもなかったばずだ。
「でも時計台は······?」
清夜が予知夢を見れるとということは分かった。彼のことだから、こんな時に嘘はつかないだろう。
けれど時計台と予知夢はどうにも結びつかない。
希咲が時計台、という言葉を口にした瞬間、清夜は一瞬顔を歪めた。どうしてそんな表情をしたのか希咲には分からない。
「これだけは詳しく話せない。でも、あの時計台である出来事が起こることを、俺は3月に予知夢で見た」
「3月······」
それは希咲と清夜が付き合い始める少し前のことだ。
希咲と清夜が付き合うことになったのは、4月の、新学期が始まってすぐのことだった。
「俺はどうしてもそれを回避したい。だから希咲に毎回時計台で待ち合わせをしてもらうことにした。危険性もあったけど、毎回俺が先に時計台にいれば何とかなる。希咲に時間を守ってって言えば、遅れて何か起こる可能性は少なくなるし、遅れたとしてもちゃんと知らせが来て安否がわかりやすい」
清夜は真剣な表情で長々しく語ってくれる。
対して希咲は清夜の話を聞いて、どす黒い感情が自分の中に渦巻いていることに気づいた。
ーまるで、回避のために今まで一緒にいたかのように聞こえたからだ。
「清夜くんが何かを回避したいことは分かったよ。でも、清夜くんはどうしてそれをそんなに回避したいの?」
黒い感情をどうにか無くしたくて、希咲は清夜に問う。
「それは······」
清夜は気まずそうに口ごもる。けれど希咲の異変に気づいたのか、意を決したように口を開いた。
「それが俺にとっての使命だと思ったから。きっとそれを果たせなかったら、俺は一生自分を許せない。だからー」
「だから私と恋人になってくれたの?」
希咲の言葉に、清夜はハッとしたような顔になる。
けれど希咲はそれに気付かないふりをした。
「恋人になったら物理的に距離が近くなって、連絡も取りやすくなる。そうすれば清夜くんの言う"使命"をはたしやすくなるもんね?清夜くんにとって私との恋人関係は使命を果たすのに都合が良い手段だったんだね?」
希咲は下を向きながら、一気に言う。
涙が出ないように噛んでいる唇が少し痛い。もう少しで血が出てきそうだ、なんてどうでもいいことを思う。
清夜は希咲の言葉に目を見開いて驚く。
「希咲、それはちがー」
「違くないでしょ!!」
希咲の金切声が静寂を破るように響く。
こんな声を出したのは生まれて初めてだった。こんな声を、初めて出した相手が大好きな彼氏だなんて、随分と酷い話だ。
「清夜くんはいつもそうだよね。私が何しても、基本飄々としてて掴めないし、私がドキドキすることはあっても、清夜くんがそんな反応してるところなんて1度も見た事なかった。そりゃそうだよね。だって清夜くんが見てたのは『私』じゃなくて、『私の身に起きる出来事』だったんだから」
投げやりな言葉が口から出てきて止まらない。
「清夜くんが好きなのは私じゃない。そんな人とは一緒にはいられない」
清夜に向けたその言葉は、希咲自身も傷つける言葉だった。
別れに言葉に等しい言葉をかけたのは、これ以上酷いことを言ってしまう前に何もかも終わらせてしまおうという気持ちの表れだった。その判断ができただけ、自分は偉いと思った。
けれど良い気持ちなんて全くなくて、あるのは目から滴り落ちる涙だけだった。

第6章 向き合うこと
カーテンを開けると、朝日に輝く空がある。
そんな当たり前だが、美しい景色を見ても、希咲の心は全く晴れない。
昨日、清夜と喧嘩した後、夕飯も食べずに部屋に籠った希咲を見て、両親は何か思ったに違いない。無駄に心配をかけてしまったと反省する。
「おはよう······」
「希咲おはようって酷い顔してるけど大丈夫?」
母の言葉に希咲は肯定とも否定とも言える曖昧な返事を返した。
希咲は制服に着替えながらぼんやりと物思いにふける。
正直学校に行きたくなかった。理由は、もちろん清夜と顔を合わせなければいけないからだ。
恋人が同じクラスにいる、というのは、幸せな事だ。しかしそれは、お付き合いが上手くいっている、という条件付きである。
そしてその条件にはずれ、なおかつ、喧嘩したり、別れたりした日には、それはいとも簡単に不幸なことに塗り変わる。
希咲は後者の気持ちを痛いほど味わっていた。
重い気持ちを引きずりながら、希咲は玄関の扉を開ける。何故かいつも以上に重く感じた。

「希咲、最近ずっと元気ないけど大丈夫?何かあったなら話聞こうか?」
相変わらず窓際でお弁当をつつきながら、めぐみが心配そうに尋ねてきた。
清夜と喧嘩したあの日から丁度1週間が経った。言うまでもなく、希咲はこの一週間、清夜と一言も話していない。たまにじっとこちらを見ているような気がするが、気付かないふりをしている。
「実はちょっとした事で清夜くんと喧嘩しちゃって······」
めぐみの問いに、希咲は端的に答える。
正直誰かに全て話してしまえばかなり心は軽くなると思うが、清夜の予知夢の能力のことは、軽々しく話せる内容ではない。というか八割がた信じてもらえないだろう。
「計屋くんと希咲が喧嘩!?え、それまじで言ってんの?」
希咲の答えにめぐみはかなり驚いていた。
「めぐちゃん驚きすぎだよ」
「だって2人ともめっちゃ気があって仲良い感じだったから、信じられなくて······」
確かにそうだよな、と希咲は思う。
清夜が希咲の彼氏になってくれた理由はともかく、2人は仲は良かった。それだけは本当のことだ。
けれど仲がいい事と、恋愛的な意味での好きかどうかは全くの別物だ。仲が良いだけでは基本的には友達の域を出ない、というのが一般的な考えではないかと希咲は思う。
「······ねぇ、めぐちゃんには私と清夜くん、ちゃんと恋人に見えてた?」
希咲は自己満足に過ぎないつまらない質問をめぐみにする。
めぐみは優しいからきっと気を使って希咲が望む答えをくれるだろう。それが真実ではないにしても。
けれどめぐみが言ったのは、希咲が思いもよらないことだった。
「恋人がいたことない私がどうこう言うのもおかしいと思うけど、希咲のその問いに答えられるのは、希咲と計屋くんだけだよ」
「私と清夜くん、だけ?」
「そうだよ」とめぐみは迷いなく言う。
「例えばだけど、希咲は誰かに『希咲と計屋くんって恋人っぽくないよね』って言われたら別れるの?」
「それは······」
「もしそれで別れるなら、私は希咲と計屋くんは別れた方がいいと思う。だってそれって自分たちの気持ちよりも、周りの目を気にしてるってことだから。そんなんで付き合っても、どこまで続くかなんてたかが知れてると思うし」
「······」
「さっきの希咲の質問に戻ると、私は何も言わないよ。だから私が恋人っぽいって言っても、言わなくても、それを判断基準にしちゃだめだよ。計屋くんとどうなりたいか。それを決められるのは希咲だけなんだから」
めぐみは優しくもはっきりした口調でそう言いきった。
その瞬間、希咲の目から涙が溢れる。
めぐみは驚いたような、表情をしてポケットから出したハンカチで希咲の頬を拭ってくれた。
希咲は清夜が自分のことを恋愛感情で好いてくれていなかった、という事実にショックを受けた。そしてそればかりに目を向け、清夜の意見を全く聞かなかった。あの時、清夜は何か言いかけていたのに。
自分がいかに清夜と向き合えていなかったのか、そしてこれからどうすべきなのか、希咲は必死にその答えを探した。

第7章 待ち合わせ
希咲は無我夢中で廊下を走っていた。途中、生活指導の先生とすれ違って、何か言われた気がしたが、無視した。
それよりも早く清夜に会いたかった。会って、伝えたいことがあった。
希咲は自分の中で芽生えた"どうするべきか"という問いの答えを一晩考え続けた。そして、答えが出た為それを伝えようと思い、放課後、清夜と待ち合わせをしたのだ。
終業の鐘がなった瞬間、飛び出すように廊下に出た希咲を見て、めぐみは呆れたように笑っていた。

自分から呼び寄せたからには清夜よりも早くに待ち合わせ場所にいたかった。その為、希咲は廊下を爆走し、駅に向かっていた。
待ち合わせ場所はブラック·ストーンだ。めぐみから水曜日の今日は空いているだろう、と確認をとっている。
電車を降りて改札を通る。
階段を下ると、清夜がいつも寄りかかっていたあの時計台が目に入った。
また清夜とあそこで待ち合わせをしたい。だから希咲は今から2人の間にできてしまったわだかまりを溶かしに行くのだ。
「危ない!!」
誰かの大声が聞こえたのは、時計台の前を通った瞬間だった。
希咲の視界に映るのは、容赦なくこちらに向かってくるワンボックスカーだった。
轢かれる、そう思って為す術もなく目をつぶった瞬間、誰かに全身を抱かれ、希咲と彼女を抱いている人間は地面を転がる。
3回転ぐらいした頃、ガシャン!というけたたましい音が響いた。
横たわりながら頑張って目線だけ向けると、ワンボックスカーが時計台に突っ込んでいた。
誰かに抱かれて転がらなければ、車に轢かれていただろう。そう思って希咲は背筋が凍る。
「······っう」
そんなことを考えていたら、下から呻き声のようなものが聞こえた。
目線を向けると、声の主は清夜だった。
「清夜くん!?え、何で······」
「希咲、大丈夫?怪我は?」
清夜は掠れ声で希咲の頬に手を添える。希咲が上に乗っているので、どちらかと言うと清夜の方が痛いだろう。
「人の心配してる場合じゃないよ······!どこか痛い?今救急車呼ぶから!」
希咲が身体を起こして鞄からスマホを取り出すと、清夜はそれを手で制した。
「大丈夫。転がった時にちょっと打撲したくらいだから」
そう言うと清夜はすぐに起き上がった。口が切れて血が出ていたり、地面の泥が顔に着いているせいで重症に見えるが本人はケロッとしている。
泣き顔の希咲の手を清夜は優しく掴む。
温かいその手に、希咲は安心する。するとたかが外れたように涙がボロボロと流れてきた。
事故の影響で集まってきた野次馬のせいで現場は騒然としている。でも、希咲は清夜の温かい手に兎にも角にも安心した。一生、放したくないと思うほどに。

第8章 告白
あの駅前での事故の後、希咲と清夜は一応病院に行き、精密検査を受けた。幸い、2人とも特に問題なしと判断された。
そして今、あの時の待ち合わせの仕切り直しということで、2人は公園の東屋にいる。
希咲はブラック·ストーンで話そう、と言ったが、事故に合いそうになった現場に行くのは気が引けるという清夜の意見により、希咲の近所の公園で会うことになった。
木のベンチに座りながら、希咲は目の前に座る清夜を真っ直ぐに見る。
「そんな真っ直ぐ見られたらちょっと恥ずかしいんだけど······」
「へ?」
清夜の思わぬ反応に希咲は変な声を出してしまう。
「清夜くんもしかして照れてる?」
「······そうだけど?」
半ギレ気味に清夜は希咲に返す。
そんな反応をされたのは初めてなので、希咲は驚きと共に噴き出してしまう。
「何で笑うの?」
「だって、清夜くんも照れたりするだなーと思って」
「そりゃ照れるよ」
その返答にまた希咲は笑う。
けれどこのままでは話が進まないと思って希咲は1つ咳払いをする。
先程までとは打って変わって背筋を伸ばした希咲を見て、清夜も真剣な表情になる。
「あのね清夜くん。私は今日、謝りたくて来てもらったの」
「謝る?」
「この前は、怒って決めつけたようなこと言ってごめんなさい」
希咲は立ち上がって深く頭を下げる。
それからどのくらい経っただろうか。清夜が椅子から立ち上がった音が希咲の耳に入ってくる。そして希咲の前で止まった。
「希咲、頭上げて」
清夜の言葉通り、希咲は顔を上げる。そこには、優しい笑みを浮かべた清夜がいた。
清夜は希咲の手を握って、口を開く。
「希咲が謝る必要なんてどこにもない。むしろ謝らなきゃいけないのは俺の方だ」
「何で?」
「希咲が俺に言ったこと、図星だったから。希咲との恋人関係が使命を果たすのに都合が良いって」
希咲はあの時と同じように、少し唇を噛む。けれどすぐに元の表情に戻った。
そういう可能性も視野に入れて、今日希咲はここに来たのだから。
「でも」
何とか黒い感情が蠢くのを抑える希咲の耳に、清夜の優しい声が降る。
「それでも俺は、希咲が好きだ。俺にとって希咲はずっと大切で大事な存在だよ。だからー」
その言葉に、希咲は目を見開く。
清夜は希咲の手を掴む力を強めた。
「もう一度、俺と付き合ってくれませんか?」
希咲の目からとめどなく涙が溢れてくる。
どうして好きな人の手や、言葉はこんなにも温かいのだろう。そう思いながらも、希咲はまだ喜びと半信半疑の気持ちがないまぜになっていた。
「ほ、本当に私の事好き?」
「うん。納得できないなら何回も言う。俺はー」
「も、もういいよ!」
希咲の頬は恥ずかしさで真っ赤になる。これ以上赤くなったら、頭から湯気が出てきそうだ。
「そ、それはともかく、私清夜くんに聞きたいことがあるの」
「何?」
希咲は一瞬躊躇う。けれど清夜の瞳を真っ直ぐに見ると、意を決したように口を開いた。
「清夜くんが言ってた『時計台で起こる出来事』って何なの?」
「それは······」
清夜は前回と同様、言葉を濁した。
そんな清夜の拳を希咲は優しく握る。
「言いにくいことなのは分かるよ。でも、話して欲しい。私はどんな内容でも受け入れてみせるから」
希咲の言葉に清夜は驚いたように目を見開いた。けれどすぐに目尻を下げて笑顔になる。
「······希咲は強いなぁ」
そう言う清夜の目からは、1粒涙が零れているように見えた。しかし清夜が隠すように俯いたので、希咲は何も言わなかった。
「希咲が俺の事信じてくれたように、俺も希咲の事信じるよ。だからちゃんと話す。俺が見た、残酷な夢を」
清夜はどこか悲しそうな表情でそう言った。

第9章 悲しい夢
「俺が3月に見た夢は、あの時計台の前で事故が起こるという内容だった」
「時計台の前で、事故が?」
「うん」
清夜に助けてもらったあの日と、あまりに条件が似ていて希咲は身震いする。
そんな希咲を安心させるように、清夜は柔らかい表情を作った。しかし依然としてどこか緊迫した雰囲気を纏っていた。
「その事故で、たまたま時計台の前を通っていた女子高生がハンドル操作を誤った自動車に轢かれて亡くなった」
"亡くなった"という言葉に、希咲の恐怖はさらに募る。
けれど希咲以上に辛そうな顔をしている清夜を見て、希咲はただただ黙って聞く。
「その亡くなった女子高生が希咲だった」
「私·····?」
清夜が頷く。
誰かの悲鳴と風で舞う花びらと共に、血と言うなの赤い液体がどんどん地面を侵食する。その光景はあまりに生々しく、兎にも角にも恐ろしかった、と清夜は言った。
「俺がこの前希咲に聞かれてもこの内容を話さなかったのは、絶対に希咲に知られたくなかったからだ。こんなの聞かされたら誰だって平常心ではいられない。俺は絶対に何も知らない状態で希咲を助けたかった。それが穏便で、1番幸せなことだと思ったから」
「そんな······」
希咲は口元に手を添える。
清夜は希咲に何も打ち明けなかった。けれどそれは同時に、清夜が一人で惨い(むごい)運命を抱え込まなければいけないことを意味している。
目の前で人が死ぬ夢を見るなんて、そしてそれがいつか確実に現実に起こると分かっているなんて、考えるだけで心身への負荷が大きそうだ。
なのに清夜と喧嘩をしたあの日、希咲は酷いことを沢山言った。あまりにも自分本位な発言を思い出して希咲は自分で自分を殴りたい気分になった。
希咲のその反応を清夜は怯えと勘違いしたのか、またまた柔らかい表情を作った。今度のには緊迫感の代わりに、安堵や達成感も含まれていた。
「でも安心して希咲」
「え?」
「俺が夢で見た未来は、この前回避したから」
「え、え!?この前ってあのこの前?」
希咲の反応に清夜は可笑しそうに笑う。しかし希咲はそれどころでは無い。
「この前が清夜くんがさっき言った『時計台で起こる出来事』なのは何となく分かってた。でも今更だけどそんなことしちゃっていいの?だって、私本当はあの時死んでたんでしょ?」
口から出てきたのは自分でもかなり重い内容だと希咲は思っていた。けれど今はそれ以上に動揺が勝つ。
「もちろん俺も初めは未来を変えるなんて良くないことだって思ってた。人の生死なんて尚更。でも親戚にも俺と同じような人がいたんだ」
「清夜くんと同じく予知夢を見れる人ってこと?」
「そう。そしてその人に予知夢で見た出来事を変えるのは駄目なのかって」
そんなことを聞いたのは、その時、友人が亡くなる夢を見たかららしい。何とか回避したいと思いつつ、決まった運命を変えるのはルール違反に思えた。
「でも親戚はこう言ってくれた。予知夢に現れる出来事は、回避すべき出来事だって。予知夢は未来を正しく明るい方向に導くためにあるんだって」
「正しい方向······?」
「だから俺は修正したかった。希咲が死ぬのは正しい未来じゃないから」
その言葉に希咲は複雑な気持ちになる。
清夜の言っていることの意味はわかるし、彼が間違ったことをしているとは思わない。けれどその言葉の裏には、やはりそのために希咲と一緒にいたという事実が影を見せているようだった。
「······って最初は思って希咲と一緒にいたし、そう思っていた方がいいと思ってた。でもその気持ちはだんだん変わっていった。俺は未来を修正するために希咲と一緒にいたんじゃない。希咲が好きだから、好きな人に生きていて欲しいから未来を回避することにしたんだ」
清夜の言葉に希咲は涙が出そうになるのを必死に堪えた。
「希咲?」
心配そうに覗き込んでくる清夜に希咲は思わず抱きついた。
「好きな人に好きって言ってもらえるのも、生きていて欲しいって思ってもらえるのもこんなに嬉しいんことなんだね」
とうとう溢れ出した涙なんて全く気にせず、希咲は清夜と目を合わせる。
清夜は希咲の言葉に驚いた顔をしつつ、それでも優しい笑顔で笑っていた。
「ありがとう清夜くん。生まれてきてくれて、出会ってくれて、私の事救ってくれて、好きって言ってくれて」
清夜の手を握りながら、希咲はそう伝えた。
伝えたいことは他にもある。それでも今1番言いたいことはこれだった。

第10章 時計台
ゴーンという時計台の音が頭上で鳴る。
その音をこんなにも平穏な気持ちで聞いたのは初めてだと清夜は思った。
この時計台とこの場所と、そして予知夢で見たあの夢が兎にも角にも憎かった。あの時は、ここに来る度に希咲が亡くなる夢を思い出して、何度も心が潰れそうになった。
でも今はそんな思い、1ミリたりともしなかった。
「清夜くん!ごめん、待った?」
「俺も今来たとこ、希咲」
良かった、と汗ばみながら笑う希咲を見て、清夜は安堵感や愛しさを感じた。
清夜は1度、希咲を傷つけた。予知夢の為に希咲と恋人関係を結んだことがバレてしまったからだ。
確かにそれは事実だ。あの時希咲が言っていたことは全て図星だ。
初めはただ知っているのに見て見ぬふりをしたくなくて、希咲の死を回避しようとした。恋人関係がその為の手段としてちょうど良かった。
でも恋人関係になったことがきっかけて清夜はどんどん希咲に惹かれていった。
純粋に笑う笑顔も、優しい心も何もかも。
そうやって清夜が希咲と一緒にいる理由はどんどん変わっていった。
そして何もかも打ち明けても希咲は最終的には清夜と一緒にいるという選択をしてくれた。
きっと希咲は知らないだろう。その事がどれだけ清夜を喜ばせたか。
ずっと予知夢なんてなければいいと思っていた。惨い光景が出てきて、そういうものに限って生々しい。そして誰かに言っても嘘だと思われて、ただただ嘲笑われるだけの厄介なもの。
でもそのおかげで希咲を救えた。今でも一緒にいれる。
それでも清夜には時々思うことがあった。
もしもまた、運命がねじ曲がって希咲が死ぬことになったら。そしてそれを回避できなかったらー。
「あの店だよ清夜くん!外装オシャレだねー」
悶々と暗いことを考えていると、希咲の笑顔と声が清夜の脳内に入ってきた。
「あ、本当だ。屋根とか可愛いね」
「······」
「希咲?」
何故か希咲は清夜の方をじっと見てくる。
「清夜くん、今めっちゃ重いこと考えてるでしょ?」
「え?」
「しらばっくれても無駄。清夜くんの表情見れば丸わかりだから」
そう言って希咲は清夜の表情を真似るように、もとい誇張するように眉をひそめた顔をした。
その表情が変顔のようで、清夜はつい笑ってしまった。
「良かった。清夜くん笑ってくれた」
「え?」
「清夜くん。私は清夜くんが何を考えて生きているかなんて分からないし、何を考えていてもそれを止める資格なんてない。でも私は清夜くんにいつも笑っていて欲しい」
そう言って希咲はしかめっ面から今度はにっこりとしたスマイル顔になった。
「笑ってたらね、自然と気持ちも明るくなるんだよ。だから嘘でもいいから笑って。そしたら私がその笑みを本物の笑みにするから」
「······本物の笑み」
「私、これでも変顔とか得意な方だから!」
なんなら今やろうか?と言って顔に手を当てて何かをしている希咲を清夜は優しく抱きしめた。
希咲の「え、え、え?」という混乱した声を聞きながら、それでも清夜は希咲を抱く力を強めた。
「そうだね。暗い気持ちなったら希咲に笑わせてもらう。逆に俺は希咲に降りかかること、全部跳ね返してみせる。それがどんなに過酷でも、絶対に変えてみせる」
清夜は抱く力を弱めて、希咲を真正面から見た。
清夜が何を言わんとしているのか分かったのか、希咲は少し硬い表情になった。
「そしたら今度は俺が希咲を笑顔にする。そうやってお互いを笑顔にし合えばいい」
清夜の言葉に希咲は意表をつかれたような表情になった。そしてすぐにふはっと吹き出して破顔した。
「どうしたの、清夜くん。珍しくポジティブじゃん」
「珍しくは余計だ」
希咲は相変わらず笑っている。
その幸せそうな笑顔を、清夜はずっと側で守りたいと思った。

誰かの笑い声、風で空を舞う花びら。
足元には赤い液体が伝うこともなく、ただただ人の足だけが忙しそうに、またはゆっくり動いている。
そして隣では大切な人が笑っている。
当たり前だけど夢のようで、でも夢じゃない幸福な光景が、いつまでも続いてくれると、続くように生きていこうと清夜は切実に思った。本物の笑みを浮かべてー。