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ドライヤーで髪を乾かして、スズッキーさんとベッドの上で缶チューハイをあけて乾杯した。
「おつかれさまぁ」
「あつかれぇー」
口いっぱいに大阪限定のレモンチューハイの味が広がる。
「ハネちゃん」
「ん?」
「実は言ってなかったんだけど、ってか言いたくなかったんだけど、もう白状するね」
スズッキーさんが外していたメガネをかけて私に微笑んだ。
「あたしね、今はもう歯科技工士やってないんだ」
「マジで?」
「茨城の地元の歯科医院で歯科助手やっててたまに技工物の修理とかもするから資格手当も出るし、完全週休二日制で、日曜は午後休みだし、残業なんてあっても十五分ぐらい」
「そうだったんだ。え、最近の話?」
「いやー……学校通ってた時に決まった就職先には二カ月しかいなかったんだよね。だって、残業とか仕事量とか考えて日給計算したら十四時間拘束で日給六千五百円くらいで、時給計算したら四百六十円だよ?しかもね、退職したいって言ったら『じゃああと半年くらい働いていって』って言われてマジで謎すぎて法律的に退職したいって言ってから二週間で辞めても法的にその月の給料保証されるってネットで調べたら載ってたから、二週間後に自分の道具まとめてバックレたんだよね」
「凄い行動力」
「いや、普通に逃げるでしょだってさぁ、あたしが使った後だったからって理由で超音波洗浄機を壊したって罪を着せられたんだよね」
「え」
「二十五年も使ってたのに『鈴木が壊した』ってみんなに思われて嫌み言われて、挙句の果て弁償しろだよ?そりゃ逃げるって」
「私だったら弁償しちゃってたかも」
「でも二十五年も使ってたんだよ?あたしたちより年上の機械だよ?冗談じゃないよ」
「まぁ、古い機械の方が丈夫なことってあるもんね。特に専門器具だし」
「ほんとそれ。機械も社員も酷使しすぎ」
「私は、入院してる間に退職させられちゃったから」
「カレシくんが退職代行頼んでくれたんでしょ?よかったじゃん」
「まぁ、そうなんだけど」
退職代行業者についていくつか文哉に質問するメッセージを送ったら、その正体が『神崎』と偽名を名乗って声優の水戸錬太が会社に電話をしたと教えてくれた。
バレたら犯罪だけど、多分詮索されないだろうと思っていたら、本当にスムーズに私は退職させられていた。
源泉徴収票も離職票も届き、保険証を着払いで送り付け、私は新潟のハローワークで失業手続きをしたら、半年の失業手当を受給できることがわかった。ありがたかったのは会社都合で辞められたので、三カ月の待機期間なしですぐに受給することが出来たことだ。
まだあと四カ月、失業手当はもらえるけど、仕事もちゃんとしていた。
試しに一番実家から近い新潟の技工所の見学に行った。前の技工所と違って広かったけど、ボロかった。机が木だったし床が剥がれてコンクリートが剝き出しになっている個所も多くて、機械の何もかもが時代遅れというか、年季を感じるものばかりだった。女性は一人もいなくて、平均年齢五十歳といったとこか、話が合いそうな人もいなかった。
人手不足だからなのか、若い女だからか、わからないけど歓迎してくれそうな雰囲気だったけど、私もいくつか質問をした。
休憩時間は何分あるのか。完全週休二日制じゃないのならいつ休みを取れるのか。タイムカードはあるのか。残業代は出るのか。そもそも残業は月に何時間くらいあるのか。
どれも今度は失敗したくないからきちんとした答えが欲しかった。でも、案内してくれた初老男性の社長は「うちはアットホームだからその都度適当にやってるよ!」と笑顔で言われた。
適当。私の一番大っ嫌いな言葉だ。
私は笑顔を崩さなかったけど、全身全霊で逃げなきゃ。と思った。
「やっぱり技工所に再就職したい?」
「そのつもりだったけど、確かに時給計算したら私も最低賃金下回ってるし、歯科助手もいいかなって、今のスズッキーさん見てるといいなって思っちゃう。けど、私、入れ歯作ること自体は嫌じゃなかったなって」
「確かに。作るのは楽しいよね。私も子供の頃から工作とか大好きだったからなんとなくわかる。でも、倒れるまでやる価値ある?」
「わかんない。でも、二年学校に通って、就職して二年すら働けなかった自分が不甲斐なくて。それにせっかく国家資格取ったのになぁっていうのと、傍で文哉が生活のこと全般支えてくれててくれたのに、文哉に何もしてあげられなくなっていく自分を見捨てないでいてくれることに、ちょっとずつ違和感を感じてたの」
スズッキーさんは二本目のチューハイをあけた。私はまだ五口ぐらいしか飲んでいないい。お酒はゆっくり飲むのが好きだ。新潟にはいい酒がいっぱいある。二十歳を過ぎてからは新潟の酒瓶を文哉も私も馬鹿みたいにたくさん買って東京に帰ってゆっくり飲んでた。
最後に一緒に飲んだのはいつだったか、もう思い出せない。
「オタク目線で話してもいい?」
スズッキーさんはそう言ってゆっくりあたりめを嚥下した。
「なに?」
「初めて知った時は、ハネちゃんなら人気声優と付き合ってっても不思議じゃないって思ったんだ。可愛いと美人の美味しいとこどりした見た目と、真面目で勉強もできるのに鼻にかけないし『良い人』って思ったんだよね。だから人気声優千代文哉にカノジョがハネちゃんだって知った時、ぶっちゃけ『だよね!』ってなった」
「なんで?普通は『ショックで死にそう』とかじゃないの?」
「そういう人もいるだろうけど、イケメンで愛され癒し系ヘタレキャラで人気の声優が一生独身でいてほしいとか、一部の人の幻想だよ。好きな人と結婚も出来ない推しを望むなら、その人はファンの資格ないと思う。ってか黙れてろって思うね!」
帰国子女だからなのか、元からの性格なのかスズッキーさんは時々、過激になる。日本人が裏垢でしか呟けないようなことも平気で言う。だけど、毎回凄くいい笑顔で言うので、感心してしまう。
「あたしがもし、魔法使いだったら、もれなく悪口影口誹謗中傷してくる奴は杖振り回して『アバダケダブラ』って言うよ」
「禁断の魔法だよ?」
「でも、銃で撃ち殺したり、日本刀で切り裂くより、魔法の杖で殺っちゃったら罪悪感あんまりないかも」
スズッキーさんは時々とても攻撃的だけど、悪気なく清々しい程に爽やかで、私もそれくらい強気な考えを持ってもいいのかな、なんて思ったりする。
例えば、米田アイコをSNSの裏垢を作って「出身校が一緒なだけでろくに話したこともないのに大人気声優の千代文哉のカノジョであると匂わせるアイドル米田アイコ」とかちょっと呟いてみたい。気もする。
私とスズッキーさんは職場で冷遇された時の話をつまみに、チューハイを飲み、あたりめとビーフジャーキーを食べ、関西限定のカップ麺を食べて、チェックアウトギリギリまで眠り、次の日とその次の日も大阪の街と京都の町を観光した。
でも、旅行最後の夜、スズッキーさんは言った。
「もしも、もしもだよ?千代くんが他の女の人と付き合ったり結婚したりしたらネットニュースになるでしょ?その時、そのハネちゃんは心から祝福できる?」と私を優しく見つめてそう言葉を残して旅行最後の夜、眠りについた。
即答できなかった。本当に、心から、私じゃない人と結ばれた文哉を知った時、私はどう思うのだろう。
文哉のことは好きだ。だけど、私はパートナーとしては出来が悪すぎる。そう自覚してしまっている。だから、文哉が私以上の人を見つけられたとなれば、嫌でも祝福しなくちゃいけない。それが、自分から別れを切り出し、会うのさえも拒んだ罰だと受け入れるしかないんじゃないかって考えたけど、本当に心の底から我儘を言っていいなら、私をまた選んでほしい。選んでもらえるように、選んで後悔させないような女に、なれるのならなりたかった。
本当は心底文哉のことが大好きなのだ。けど、自分が文哉に相応しい女性じゃないような気がして、今日も逃げ回っている。
本当に『プロカノジョ』って言葉を作った奴に殺意が湧くほど、私はプレッシャーを背負っていた。
過労で倒れてから、自分からメッセージを送るのを避けていたけど、スズッキーさんと一緒にホグワーツ特急列車の前で撮ってもらった写真を一枚だけ文哉に送ってから眠りについた。
明日、新潟に帰る。帰る場所はまだ文哉のところではない。それだけが私の中の決定事項だった。
