四人と真二郎が館に戻り、中に入るが、向かった先は狛犬たちの部屋ではなかった。道場のような部屋の奥に大きな神棚がある。その前に白髪が目立つ男が正座をしていた。

 四人は部屋の中心に来ると、男を向かってダイヤ型に立った。先頭に北風、左側に西風、右側に東風、後方に南風、ぞれぞれの間隔は二メートルくらいだろうか。

「始めよ」

 低く響くような声で男が言うと、四人はその場に正座し、両手を合わせて胸の位置に固定した。目を閉じ、集中する。

「高めよ」

 声と同時に四人の体から煙のようなものが立ち昇り始める。正面の北風からは黒、西風からは緑、東風からは青、南風からは赤。それぞれの煙がオーロラのようにたなびきながら昇っていく。

 天井に到達すると、這うようにして四方に流れていく。

(すごい。めちゃくちゃ綺麗だ)

 真二郎は不思議な現象、だがとても美しい様子を、息をのんで凝視した。

「巻け」

 四色の煙が大きくゆっくり時計と反対方向に流れて渦を作り始める。

(ソフトクリームみたいだ)

 ぼんやりとそんなことを思う。

「北風、西風、重ねよ」

 北風と西風が左手を大きくまっすぐ横に開いた。すると黒と緑、二種類の煙が交わりながら上昇し、天井まで届く壁を作った。

「北風、東風、重ねよ」

 今度は北風と東風が右腕を大きく横に開く。同じように黒と青の煙が交わりながら上昇して壁を作る。

「南風、重ねよ」

 南風が両腕を大きく横に開く。彼女から発生する煙は西風と東風を後ろから追うように広がり、壁を作った。これによりダイヤ型の空間が生まれる。

(そうか、あのダイヤ型の中に豊湧さんが入って、で、豊湧さんを守るんだ。あれは狛犬たちの作る神力のバリアなんだ!)

 それから男はなにも言わず、四人を見ている。するとオーロラの壁が揺らぎ始めた。

「揺れておるぞ、背筋を伸ばし、集中せよ」

 四人は目を閉じたまま背筋を伸ばした。
 またしばらく沈黙が続く。するとまた壁が揺らぎ始める。

「まだだ。保て。集中!」

 四人それぞれであるが、頭や肩、手がぷるぷる震えているように見える。

「まだだ!」

 またしても四人がピンと背筋を伸ばす。
 そして間もなく、

「止めよ」

 煙がみるみる消えていき、四人はガクリと弛緩した。

「緩めてよいとは言っておらん。背筋を伸ばせ」

 四人の体がピンと跳ねる。

「礼」

 四人は正座のまま手を合わせ、腰から折って深く礼をした。

「よろしい。これにて終了」

 言葉と同時に四人の体がぐにゃりと歪み、子犬の姿になった。男が部屋から出ていったので、真二郎はそろりと一番近い南風に近づいた。

 目を閉じている。ピクリとも動かないが、腹部が上下しているので生きていることは間違いない。

(寝ちゃってる)

 狛犬としての神力を使い果たして眠ってしまったのだろう。

「南風」

 声をかけても起きる気配はまったくなかった。それは南風だけではなかった。東風も西風も北風も、みな同じだ。

(どうしよう。このままここで寝かせておくの?)

 きょろきょろしても誰も来そうにない。とはいえ、運ぶにしたって、どこに運べばいいのかわからない。真二郎には、この道場のような部屋が館のどこに位置しているのかもわからないのだから。

 誰かいないか、そう思って廊下に出たら、ちょうどいいところに中年の巫女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

「すみません」
「おや、豊湧様がお連れなさった人間ですね。どうかしましたか?」
「あの部屋に狛犬がいて、眠ってしまったんです。どうしたらいいのかと思って」

 すると巫女はコロコロと笑った。

「そのままでようございます。干伊《かんい》殿の修行は容赦がないので、力を使い果たしたまでのこと。眠れば元に戻りますゆえ」

 あの厳しい男は干伊という名らしい。だが今はそんなことはどうでもいい。狛犬たちをなんとかしてやりたい。

「でも、ベッドに寝かせてあげたいし」
「ベッド? 寝台のことでございますね? よいのです。どこででも眠れるようになるのも修行ですから」

 中年の巫女は手を口にやって大きく笑うと、真二郎を置いて行ってしまった。

(そんなもんなの?)

 再び部屋に戻り、眠っている子犬の姿の狛犬たちをぼんやり眺める。

(そういえば、修業は嫌いだけど、やらないといけないって言ってたっけ。自分たちの役目だからって。嫌でも、やらないといけないと決められたことは、やらないといけないのか。嫌ならやめちゃえばいいのに。他人に強要されるのって嫌じゃないのかな。だって狛犬に生まれたのは偶然で、自分で選んだわけじゃないんだから。俺だって、自分で選んで弁当屋の子になったわけじゃない)

 そう思いながらも、彼らが修行をしなければいけない理由は理解している。自分たちの神である豊湧を守るために、力をつけないといけないのだ。

(……こっちに来たら遊べるんだと思ったのに)

 小学生の真二郎は学校へ行って勉強しなければならない。だが、行きたくなかった。学校は居心地が悪かった。理由はわかっている。

(俺が、可哀相な境遇だって思われてるからだ。本気で同情してるヤツも、口だけで本当は可哀相なんて思っていないヤツも、嫌いだ。先生だって)

 血のつながらない父と実の母を事故で失い、血のつながらない兄と二人で暮らしている可哀相な子、それが真二郎だ。当の真二郎はこれっぽっちも自分のことを可哀相だなんて思っていないのに。