1
「あれ見ろよ。綾小路櫻子だ……」
「ああ確か、無能だと見下してた姉君が本当は癒しの聖女で……とかいう。それでその姉君は【白】と婚約だと」
「なんだそれは。何処の落窪姫だ? 笑ってしまうな」
「綾小路少将閣下が妹ばかり贔屓しているって話は微妙に有名だったからなあ。取り澄ました顔して歩いているが、どんな気分なのだろうな」
「自分の方が無能なお嬢様だと皆に知られたのだから、そりゃあ惨めなお気持ちに違いない」
――姉と【白】の婚約発表から十日ほど。
詰所や兵舎を歩いているだけでひそひそと噂が交わされるようになった。
帝都やその周辺の街では相も変わらず夜毎に妖魔の襲撃が増加し、護士たちは心身が疲弊している。だからこそ、ここぞとばかりに心の負担の捌け口になる噂で気を紛らわしているのだろう。わかってはいるがほとほと嫌気が差す。
(今のところ、兵藤公爵家が綾小路家を潰すために積極的に動いているということはなさそうだけれど)
こうも噂になれば、兵藤公爵家が動かずとも綾小路家は社交界で孤立してしまうのではないか。生憎、根も葉もある噂なので否定もできない。
「……大丈夫なの? 櫻子さん」
「お気遣いありがとうございます、璃々子さま」
とはいえ一応気にかけてくれている人もいる。
兵舎の朝の清掃で璃々子さまは声を掛けてくれた。小隊長も、訓練中に気を遣ってくれている素振りがあった。日々の任務での実績をを評価してくれている人々もいるので、特に嫌がらせなどはない。
恐らく『幻』の中の自分のようにのんべんだらりと『腰掛け』生活をしていたならば、得られなかった助力であろうので、それだけでも意識的に行動を変えてよかったと思えた。例えそれが、お姉様や【白】への対抗心から生まれたものだったとしても。
「たしか清掃の後は、中隊長殿から直々に中隊全体へ伝達事項があるという話だったわね」
「ええ、そうですね……」
特別部隊が編成され、それがほとんど敗退といった形で戻ってきた日以来、小隊長格以上の気の張り方はこちらまで息が詰まるほどである。
あの日、中隊長が派遣された別地域での作戦でも、捗ばかしい成果は得られず、結局【紅】の樋宮大佐が出張ることになったらしい。悠真さまの参加した特別部隊が取り逃した雷の【大妖】級の群れの残りも、結局【白】が倒したので、第五に限らず帝都の防衛力の低さが浮き彫りになった形だ。
(きっと、小隊長たちには既に知らされていることもあるんだわ)
何にせよ、伝達事項とやらが、希望に満ちたものでないということだけは間違いないだろう。
憂鬱な気持ちで清掃道具を片付け、集合場所へ急ぐ。
*
第一訓練場に集められた第五中隊の前に、白衣を纏った中隊長が立つ。傍に控えるのは彼の副官である中尉だ。
「中隊各位。諸君らも肌で感じているだろうが、ここのところの妖魔の襲撃の増加は帝國史上でも稀に見る事態だ。つい先日も【大妖】級の群れが複数箇所で同時に発生し、対抗のため特別部隊が編成されたが、成果を出せないまま撤退。多くの護士たちを喪った」
中隊長は淡々と話しているが、顔色は若干宜しくない。
元帥直属の白帝隊と紅鏡隊の力を借りたことから、中央軍の面子が潰れたと上層部が現場に対して怒りを呈していると、お父様から聞いている。恐らく彼も上と下とに挟まれて心労が祟っているのだろう。
「何故、このような事態が引き起こされているのか。散々議論が交わされていたようだが、先日ようやく上の結論が出た。
――恐らく、【災害】級以上の妖魔が、裏で糸を引いている」
途端。
ざわ、とどよめきがさざ波のように中隊全員に広まる。
すぐに副官が「静粛に」と厳しい声を飛ばしたので皆口を噤んだが、表に表れた動揺は消せない。
(【災害】級――)
東西南北の前線でも、なかなか現れないという大物。逃せば一夜にして小さな街を壊滅させるという、まさしく災害級の化け物だ。
こちらも強さはピンからキリまでというが――たとえそれが階級の中では弱い個体であっても、【五色の雄】ですら単騎討伐は難しいと耳にしたことがある。
「上級の妖魔の中には、人を多く喰っているがために、人間に匹敵する知性を持つものもある。また魔力を秘匿し、姿を組み変え、有象無象の妖魔の中に隠れて人の目や探知機をやり過ごすこともある。
今回の【大妖】級の群れの同時発生は、同階級の妖魔にしては統率が取れすぎていた。それゆえ知能が高く、強力な妖魔に従わされていた可能性が高いというのが上の見立てだ」
帝都を守る中央軍には強い妖魔と戦った経験が少ない。東西南北の方面軍の役目が、弱い妖魔を取り零してしまってでも強い妖魔を抑えることであるように、帝都に現れる弱い妖魔を確実に祓うのが中央軍の役目だ。
そんなところに突然【災害】級が現れたらどうなるか。
(帝都の民も軍人も阿鼻叫喚ね……)
想像したくもない。
「中隊長殿、質問をよろしいでしょうか」
「許可しよう」
「その強力な妖魔は、東方戦線で姿を消し、【紅】の御方と【白】の御方の包囲をすり抜けたと言われている【災害】級と何か関係があるのでしょうか」
中隊長が目を細める。そして一度瞬きをしたのち、「可能性はある」と言った。
やはり、同一個体であるかもしれないのか。【紅】と【白】がわざわざ直属部隊と共に帝都に来ていることも、その可能性を補強する。
「だが確定ではない。妖魔共を操っていると思われる【災害】級の目的も定かではなく、断定はできない」
「では」次に手を挙げたのは、列の前方に並んでいた三条小隊長だった。「【白】と【紅】の方々が討伐せんとしていた【災害】級の特徴はご教示いただけるのでしょうか」
「ごく平凡な蟲型の妖魔として生まれたものが、共食いと人喰いを経て成長したものだと言われている」
「共食い……」
「偶にあることだ。蟲型の、より強く硬い個体を食い、大きく硬い外殻を備えたことで、斬撃や衝撃に恐ろしく強くなったとのこと。【紅】の樋宮大佐殿と【白】の兵藤少佐殿が対応に当たったのはそのためだ」
つまり、外殻を壊せないのならば、外から炙るか凍らせるかで、中身ごと殺してしまおうということだったらしい。
しかし、時に英雄が二人がかりでも、その【災害】級を倒し遂せることはできなかった。吹雪や炎を切り裂くように、鋭い雷撃を放ってきたというのである。
そのさまは、まさに天罰の雷のようだったという。
「そんな。そんな化け物が襲撃増加の裏にいるなら、どうやって対処すればいいと言うんだ」
「【紅】と【白】の二人が揃っていながら」
「帝都の民を喰らおうという腹か。帝都の人口はそのへんの小都市などとは比べ物にならんぞ……」
「静粛に」
今度は副官でなく、中隊長の声だった。
どこか胡散臭さはありつつも、基本的に穏やかな中隊長の声に珍しく苛立ちが滲んでいる。軍人らしくはないが、軍医としての包容力から尊敬を集めている彼のらしくない表情に、隊員は揃って押し黙る。
「こういった流れを受け、訓練の形を変えていく。巡回任務を白帝隊、紅鏡隊にも請け負っていただけるとのことなので、その時間を訓練に充て、妖魔の襲撃に備える。中隊の垣根を越えて連携できるよう、合同訓練も開始するので予定を把握しておくように。勿論、私も訓練に参加する」
中隊同士の連携。 合同訓練。
他隊のことは知らないが、『お飾り』であった第五中隊には縁のなかったものだ。特別部隊に組み込まれた隊員たちの動きが鈍かったために、提案された訓練のかたちなのかもしれない。
中隊長が姿勢を正す。
「護士軍を上げての、厳戒態勢だ。我らにあってももはやお飾りだの、お荷物だのと笑われている場合ではない。帝國護士としての誇りを示すぞ!」
「――ハッ!」
中隊長の檄に、中隊隊員揃っての敬礼。
わたしも顔を引き締め、腹の底から声を出した。
2
合同訓練は、やはりと言おうか、第五中隊の面々は他隊の足を引っ張る結果になることがほとんどだった。
兵舎に帰ってきた璃々子さますら、怪我だらけで、泣き腫らした悔しげな顔をしていた日もあった。第五のお嬢様だかと、散々侮られたのだという。
お嬢様だのお坊ちゃまだのと侮ってくる相手が、英雄の直下で真に実力ある白帝隊や紅鏡隊ではなく、同じ中央軍の隊員たちであるという点が、尚更救いようがない。第五であるというだけで下に見ようとする中央軍の護士たちの質が低いのか、あるいはそんな器の小さい護士たちにすら見下されるわたしたちの練度がそれほどに低いのか。
「よし」
夕食後の自由時間、訓練場の使用許可を得たわたしは、運んできたブリキの水桶を見下ろした。中に入っているのは水溜まりから汲んできた泥水である。
「……」
水桶を自分の手で運ぶなど、いつぶりだろう。
母と娘の二人暮しには広かった妾宅の掃除を一手に担っていたあの頃以来だろうか。あの頃は水仕事のせいで手が荒れていたが、今は治りかけのマメと出来かけのマメで手のひらはぼこぼこだった。
(醜い手。今もお姉様の手は、きっと美しいのでしょうね)
これでは悠真さまが、お姉様とヨリを戻したいと考えるのも当然かしら。まあどうでもいいことだけれど。
わたしはひとつ息をつくと、バケツの泥水を、異能を使って一気に空中に浮かせる。大きな泥水の塊だったものを、二つの球にし、さらに四つ、八つと増やしていく。回転させる、思うように飛ばして用意した的に当てるなど、それこそ大道芸じみた動きをさせる。
「自由時間くらい、休んだらどうかな」
「! 中隊長殿」
声を掛けられて集中力が切れ、泥水が地面に落ちる。ばしゃ、という音と共に派手に飛び散った汚れた水が、いつの間にか近くに来ていた中隊長殿の白衣に跳ねた。
「あっ……申し訳ありません」
「いいよ。突然話しかけた僕が悪いからね。……それにしても、まさか、泥水を操っていたのかい。水の異能で」
「はい。霊力操作のいい訓練になるのです」
樋宮大佐に言われて初めて気づいたことではあったが、不純物を多く含む「水」ほど操りにくいのである。これに慣れたら、水の異能を発動する速度も、術の精度も上がると考えたのだ。
「……君は元気だな」
「疲労困憊ですよ。訓練も厳しくなったことですし」
「君以外の准尉たちは夕食も食べられないほどに疲弊していたようだけれど」
確かに、わたしはそこまで疲れていない。
けれども合同訓練でいつもよりも疲労しているのは事実だ。『聖女の妹』の噂は他隊にも届いているらしく――つまり精神的な疲労ではあるが。
一度本音をぶちまけてしまったこともあり、自然と拗ねた声が出てしまう。「わたしにも疲れはありますよ。中隊長殿のお耳にも、当家の醜聞は届いているのでしょう」
「生憎、僕は下らない巷説をいちいち傾聴しているほど暇じゃあなくてね」
ただ、と呟いた中隊長殿に手を取られる。
ぎょっとするわたしをよそに、彼はわたしのでこぼことした――醜い手のひらをじっと見つめた。
そして言う。
「君が『無能なお嬢様』という言説には賛成しかねる」
「!」
「僕も初めは、正直なところ君たちを侮っていた。けれども、今の第一小隊の活躍と実績は、上官である僕がよく知っている。君は、君たちは立派な護士だ。他隊に対して恥じるところなど何もない。……この手も、」
――努力の痕が見える美しい手だ。
乾いた大地にひとつぶ落ちる、甘露のような声で、中隊長がそう言った。
さっと、頬に血が上る。慌てて手を引っ込めた。
(……何、今の)
心臓が飛び上がった気がした。殿方の手に触れたことがない、などという深窓の令嬢ではまったくないのに。
密かに慌てるわたしを見て中隊長は何度か瞬きをした。そして肩を竦めると「それから」と口を開く。
「くだんの噂に関する精神的疲労は自業自得でもあるだろう。その件で絡まれるのが嫌ならさっさと姉君に謝ってくるんだね」
「……『傾聴』、していらっしゃるではありませんか」
「君のぶっちゃけ話を聞いていたからそう思うだけさ。僕の予想だと、君さえ折れれば和解はわりとすぐに叶うと思うよ」
「そうでしょうね。お姉様は慈悲深い聖女様ですから」
「わかっているなら」
「死んでも嫌です。お姉様のお慈悲によって許されるくらいなら、拳で殴られた方がまだましだわ」
「はあァ」
わたしは凸凹とした手のひらを見詰める。
これを美しい手だと、彼は言った。まだ何も変えられていない無力な手を、美しいと。
結果を出せなければ、自分の価値を証明できなければ、努力など無意味だ。わかっているのに、どうしてわたしは彼の言葉を『嬉しい』と、そう思ったのだろう。
「……中隊長殿は、どうしてここにいらしたのですか」
「少し息抜きにね。散歩だよ」
「訓練場にですか」
中隊長はやや困ったように笑った。整った顔立ちは変わらないが、彼の目の下には濃い隈があり、心身の疲労を物語っている。
「……僕も少し鍛錬をしようと思ってね。他の異能がそうなのだから、治癒の異能も霊力操作を極めればもっと成長できるはずだ」
「そういうもの、なのですか」
「可能性はあるよ。何せ、君の姉君は異能で呪毒すら清めてみせた」
自嘲するような声音に、息を呑む。
……そうか。この方は、お姉様と同じ治癒異能の使い手。それも長らく優秀とされてきた軍医。
(中隊長もそういう意味では突然お姉様に、『頭上を飛び越えられた』人なんだわ――)
「僕らは、治癒異能では妖魔の呪いを消せないと思い込んできた。それを、あっさりと覆されてしまった。……これほど医者として不甲斐ないことはない」
「中隊長殿」
「異能は、霊力とそれを操作する技術、術を形にするために必要な想像力から発動する。綾小路菫子の霊力は強力というほどではない。つまり――僕ら軍医は自分の凝り固まった考えのせいで、治せたかもしれない呪毒を長らく放置していたのかもしれないということだ」
もちろん、そもそも使い手の標本が少ないので、治癒異能とひとくちに言ったところで、同じことができるのかどうかはわからない。綾小路菫子と晴仁大尉の異能は、似ているようで全く違うものなのかもしれない。
しかし、彼の持つような『普通』の治癒異能でも、呪いを治せた可能性はあった。それにお姉様の登場まで気がつけなかったことを、彼は悔いているのだ。
「彼女と僕の持つ異能の種類が違えば、あまり意味のない努力なのかもしれないけれどね。それでも、僕にも可能性があるなら、力を磨かないわけにはいかないだろう」
――僕もまた、帝國を守る護士なのだから。
万感を込めてそう呟く彼の青い瞳は、どこまでも澄んでいた。深く青く、吸い込まれそうになるほどに美しく。
わたしは地面を見つめた。……大地に飛び散った泥水が、まるで自分のようだと思った。
「中隊長殿は、晴仁大尉殿は、凄いですね」
「ん?」
「わたしは……わたしが力を求めるのは、全て自分のためだわ」
かつて彼の前で、民を守れるようになるために強くなりたいのだと言ったのは、建前だ――彼もそれはわかっていただろうが。人のためになどと、考えていない。
わたしはどこまでも矮小だ。だからこそお姉様もわたしを相手にしないのだろうか。
(樋宮大佐……)
どうすればわたしは、視野を広げることができるのだろうか。そもそも視野を広げて自分を見詰め直すとはどういうことなのか。
「綾小路准尉、」
俯いたわたしに、中隊長が何か声をかけようとしたらしいその時だった。
「中隊長殿!」「晴仁大尉殿」
慌ただしい足音と気配が近づいてきた。
わたしたちは揃って音の方向を見る。
近づいてきた足音は二つ。うちの副官と、見覚えのない将校のものだ。
将校は、おそらく参謀本部からの伝令かと思われた。二人とも急いでここに来たらしく、息が上がっている。
「こちらにおられましたか」
「ああ。中央からの伝令殿と揃って何事かな」
中隊長が伝令らしき将校と副官を交互に見て、低い声で問う。緊張の滲む声に、わたしも思わず身を固くした。
「そのことですが、すぐに参謀本部までお越しください。既に他中隊にも同様に伝令が行っているはずです」
「……緊急事態か」
上からの命令が記された紙らしきものを見せられた中隊長が、きつく眉間に皺を寄せる。
「わかった。すぐに用意する。副官、車の手配を」
「承知いたしました」
「綾小路准尉、貴官も鍛錬は中断してさっさと休みなさい。休養もまた護士の仕事だ。何より――」
そこから先は彼も言葉を濁したが、言いたいことは察せられた。
――何より、これから確実に何かが起こる。
疲弊した身ではそれこそ何も成せないよ、と、中隊長は言おうとしたのだ。
*
中隊長殿が本部に招集されて間もなくして、わたしたちのような末端――護士軍には下士官がいないので、准尉など下っ端も下っ端である――にも事態が伝わった。
「【大妖】を中心とした妖魔たちの軍勢が迫ってきている……!?」
「それも帝都周辺の重要拠点の近辺に同時に現れた。同時多発攻撃という訳だな」
急ぎで軍備を整える小隊長が、銃の点検をしながら説明する。
確認された妖魔の軍勢は全部で四つ。狙われているのであろう拠点の名は、確かに帝都近辺の護士軍基地の中でも重要なものだった。
紅鏡隊と白帝隊は引き続き帝都守護。【災害】級が出たという報告が上がった時点で、【紅】と【白】のみ前線に出張るという形らしい。
(ということは、お姉様は帝都にいるのね。白帝隊に守られるのだわ、お姫様みたいに)
姉の異能は唯一無二のもの。
であれば、いちいち危ないところには行かせないだろう。それこそ英雄が危篤に当たるなどということさえなければ――。
「我々第五中隊第一小隊は、我らが中隊長殿の指揮する第二十四特別編成部隊に配属される。向かう先は隣県最大の基地である汐濱だ。本作戦には陸海軍の支援もある」
「異能の使い手である中隊長、晴仁大尉殿が指揮……ということは我々に与えられた任務は他隊支援なのですね」
「名目の上ではな。今回ばかりはどうなるかわからん」
小隊長が、銃の点検をしている悠真さまと璃々子さまを一瞥する。
悠真さまの顔色は真っ青で、璃々子さまの顔からは疲労が取れていない。特に悠真さまの手は小刻みに震えている。特別部隊に配属されて敗退した記憶を思い出したためか。
わたしは悠真さまに声をかけようとして――やめ、小隊長に装備点検を終えたことを報告した。
「中隊長殿、いえ、特別編成部隊長殿! 第五中隊第一小隊揃いました」
「ご苦労。確か三条少尉、貴官の隊は二宮少尉の小隊とは合同訓練で一緒になったことがあるな?」
「ございます」
「では二隊は連帯し、所定の地点で防衛及び他部隊の支援に務めよ」
「ハッ!」
――さて。
汐濱に到着してすぐに中隊長――晴仁大尉から言い渡されたのは、二隊合同での任務だった。内容は、迫ってきている妖魔の軍勢を正面から切り崩していくという、作戦も何もないもの。
しかも嬉しくないことに、いつぞやの夜で散々こちらをお嬢様だと馬鹿にしてくれた二宮少尉の部隊と来た。
悠真さまの顔はずっと浮かない上、璃々子さまも不満を露わにしている。
「第五の坊ちゃん共か」
「使い物になるのか? 内勤ばかりでまともに戦ったことのないようなお嬢様たちが」
「精々、足手まといになってくれるなよ」
合同訓練で同じような侮蔑の言葉を何度も聞かされているので、最早耳にたこだ。
まともに取り合うだけ愚かなので受け流しているのだが、何かにつけて嫌味を飛ばしてくる彼らと、時折自分の姿が重なる。
『無能なお姉様。綾小路家の足を引っ張るばかりの恥晒し』
『せめて家のためになる縁談を取ってきたら? それが例え年の離れた男の後妻だとしても』
お姉様にはきっと、わたしが彼らのように見えていたのだろう。
(……成程、醜悪だわ)
しかもわたしの場合、醜悪だとわかっていても変わることができないのだから、尚更。
*
汐濱はその名から受ける印象そのままに、海沿いの都市である。港湾都市として発展した街であり人口もかなり多い筈だが、市街地は夜であるのを差し引いてもしんと静まり返っていた。
「既に避難が済んでいるからだろう。それでも、人の匂いの残滓を嗅ぎつけた妖魔たちがうじゃうじゃと集まってきているという訳だ」
「なるほど」
「二宮、いや隊長」三条少尉が、合同部隊の部隊長に任じられた二宮少尉を見遣る。「探知機の様子はどうだ」
「……いるな。確認できるだけでも【大妖】級が二体、それに準ずる強さのが五、六体。雑魚の数は、このボロじゃあ正確には探知できない。そもそも今日はあまり探知機の調子が良くないようだ。すぐ画面に砂嵐がかかる」
「それでも、【大妖】級が二体もいるのですか!?」
二宮少尉の小隊に所属する准尉が頓狂な声を上げる。
「それにそこそこの強さのが五体以上もって……有り得ませんよ。それを俺らで討伐するですって? 無茶にも程があります」
「声を絞れ、村松准尉」
「しかし少尉殿、【大妖】級は、中央軍にとっては小隊四人がかりで討伐できるかどうかの大物ですよ。確かにここには八人いますが、この面子では、一人一人が一人分の仕事が出来るかどうかさえ定かじゃない」
(はっきり言ってくれるものだわ)
「その状態で他に五体も……探知機から確か、救難信号は送れましたよね。近くの部隊に救援を求めるべきと具申します」
確かに探知機には簡易な信号を送る機能がついている。探知機そのものから霊力を発し、それを友軍の探知機で探知させることができるのだ。
しかし、部隊長である二宮少尉は具申をあっさり撥ね付けた。「それは無理だな」
「何故です」
「探知範囲を広げたが、最も近くの部隊も同じような状況だ。十人に満たない数で複数の【大妖】級を相手にしている。そも、助けを頼んでも間に合わないだろうな」
「そんな。……大勢死ぬことになりますよ」
「命令だ。命令ならばやるしかない」
村松准尉、と呼ばれた男が言葉に詰まって押し黙る。
……好き勝手言ってくれるものだ。だが、厳しい状況であることには変わりはなく、自分たちがお荷物ではないとも言い切れない。
「【大妖】級に準ずる個体は全部で六体です」
と、その時。
些か棘のある声で、璃々子さま――真宮寺准尉が言った。
「なんだ、急に……」
「そして雑魚は八体です。小官は感知が得意ですのでわかります。間違いありません」
二宮少尉が目を丸くし、三条少尉に視線を遣る。三条少尉がゆっくりと頷いてみせた。
真宮寺准尉が、村松准尉以下、二宮少尉の部下たち四名を順に見ていく。強い光を宿した緑の瞳で。
「確かに我々第五中隊は他隊に比べ経験が浅い。それは事実です。訓練でも足を引っ張ることもあったでしょう。その点につきましてはお詫びいたします。それでも――」
真宮寺准尉の周りを緑色の淡い光が囲み、微風が吹く。彼女の豊富な風の霊力が、僅かに漏れたことで生まれた風だった。
「我々も帝國護士の一人です。お荷物になるかどうかは、実戦での働きを見てからにしてくださいませんか」
「……」
なんと応えるべきかと、村松准尉らが顔を見合わせる。
どこか不穏な空気が流れかけたところで、取りなすように三条少尉が「まあ、そういうことだ」と言って手を軽く叩いた。
「俺の部下を使えないと切り捨てるのは早すぎるぞ、隊長殿」
「三条……」
「少なくとも真宮寺准尉の感知能力は本物だ。数は信用していい。その上で、どうする? この厳しい状況をどう切り抜ける?」
二宮少尉は僅かに考える素振りを見せたあと「よし」と低く呟いた。
「作戦を説明する。まず【大妖】級の対処だが――」
(なるほど。小隊長格二人が陽動に出て【大妖】級の異能と特性を確かめるのね)
わたしは小銃から放った水の弾丸で雑魚妖魔を蹴散らしながら、【大妖】級目掛けて攻撃を仕掛けにいった二宮少尉と三条少尉の方に目を向ける。
そして【大妖】級とは言えど、初任務で出会った巨鳥に比べれば弱いようだ。二体二で十分に翻弄できている。
(それで、わたしたち下っ端は露払い。露払いを終えたら、まとめて【大妖】級を叩きにかかる)
であればやるべきことをやらなくてはいけない。
わたしは【大妖】級に準ずる、と言われた六体のうちの一体に対峙し、銃を構えた。こちらの殺気を察したのだろう、目の前の狼のような形の妖魔が耳障りな鳴き声を発する。
「《溢れよ 水精の煌めきよ》」
狼型の妖魔に水の弾丸を連射しながら、作り出した水の矢を次々妖魔に浴びせかける。水の弾丸が狼の眉間を捉え、また矢も次々と突き刺さり、獣は青い血を撒き散らしながら霧散する。
「綾小路、狼型倒しました」
「こちらもあと少しです!」
真宮寺准尉が、巻き起こした風で宙に浮かせた巨大な猫のような形の妖魔を、勢いよく地面に叩きつけて滅する。そして叫んだ。「――終わりました!」
「よ、よし。こちらもあと一体だ、手の空いている者から少尉殿たちの援護に回れ!」
「おう!」
持ち場の雑魚を蹴散らしたわたしは『手が空いている』ので、早速【大妖】級との戦闘に務めている小隊長格二人の方へと駆けていく。真宮寺准尉も同じようにして援護に走っていくのが見えた。
火の魔法を使う妖魔――二足歩行の虎のような形をしている――を相手にしているのが、土の異能を使う二宮少尉だ。火の魔法に相性がいいのは水の異能ということで、わたしは二宮少尉が相手をする妖魔の方へ近づいていった。
(……何故かしら)
虎が吐き出した炎が舞い、二宮少尉が生み出した土壁がそれを防ぐ。土の礫が発射され、炎がそれを焼き尽くす。
一進一退の攻防だった。決め手に欠けることを自覚しているのか、二宮少尉の顔には焦りが浮かんでいる。
わたしは黙って銃を構えた。
霊力操作によって極力気配を消し、息を潜めて、建物の間から、銃弾が届く範囲に妖魔が入るのを待つ。
(【大妖】級を前にしても、緊張がないわ)
かつて敗北を喫したあの巨鳥よりも弱いからだろうか。
わたし自身が強くなったからか。
あるいは、あの妖魔よりも恐れるものがあるからか。
「なっ!? う、うわっ!」
魔法と異能では決着がつかないと思ったのか、急に虎が炎を吹くのをやめ、突如、二宮少尉めがけて跳躍した。
虎型妖魔の跳躍の速度は炎の勢いを凌いだ。土壁による防御は間に合わない。
虎が呪毒を纏った爪を、少尉に向かって振り上げ、
「今ね」
――その刹那、わたしは引鉄を引いた。
タン、という銃声ともに、水の弾丸が虎型の頭を貫く。
「え……」
虎は地面に倒れる前に黒い霧となって消え去った。
わたしは小銃を下ろすと、「ご無事ですか」 と二宮少尉に近づいていった。二宮少尉は呆然としてこちらを見上げる。
「これは……まさか貴官が? 綾小路准尉」
「はい」
距離が少しあったのでわからなかったが、少尉は顔の前に手を翳すような格好で尻餅をついていた。
あまりまじまじと見られたい様ではなかろうと顔を背けると、少尉は慌てたように立ち上がる。
「その、助かった。しかし、信じられないな。まさかたったの一撃で【大妖】級を」
「少尉題が注意を引きつけてくださっていたので、仕留めるのも楽でした。はっきりとした形を持つ妖魔は、急所がわかりやすくてよいですね」
「ああ。しかし、まさか――」
二宮少尉はそこで口を噤んだが、何が言いたかったのかは想像がつく。
おおかた足手まといにしかならないはずのお嬢様がなぜ……といったところだろう。おまけにわたしには最近 生まれた「醜聞」もあるのだ。まあ無理もない。
「綾小路准尉、部隊長殿!」
「真宮寺准尉」
呼ばれたので振り返れば、真宮寺准尉がこちらに向かって駆けてくるところだった。 よく見れば、すぐ後ろには小隊長――三条少尉がいる。
二人とも多少の負傷はしているようだが、無事のようだ。また、ここにいるということは、三条少尉は真宮寺准尉の援護によって、もう一体の【大妖】級の方も倒したということなのだろう。
「怪我はなさそうね。綾小路准尉」
「真宮寺准尉、三条少尉殿もご無事で何よりです」
「素晴らしい援護だった、真宮寺准尉。貴官が風で砂を巻き上げて妖魔の目眩ましをしてくれていなければ、殺されていたのは俺だったろう」
「いえ、なんとか作った隙を逃さず、妖魔に止めを刺して下さった三条少尉殿のお手柄です」
こちらと同じようなやりとりをした二人は、どちらも満足そうに頷き合う。
……よく考えれば、同じ【大妖】級相手に逃げ惑っていたころを思い出せば、わたしも真宮寺准尉も成長しているのだろう。ようやっと実感がわいてくる。
「部隊長殿! ……あ、あれ?」
少し遅れて、他の護士たちが集まってくる。
どうやら【大妖】級相手の戦闘になると勇んでやってきたらしい彼らは、既に全て事が終わっていることに驚愕した様子だった。
「部隊長殿、三条少尉殿、【大妖】級はいずこに……まさかお一人で一体ずつ」
「いいや、俺のことは真宮寺准尉が、二宮少尉なのとは綾小路准尉が援護して、それぞれ二人で討伐した。見事なものだったぞ。なあ二宮」
「はっ? そんな」
村松准尉らが目を見開いて、彼らの直属の上官である二宮少尉を見遣る。戸惑った様子ながらも彼が頷いたことを確認し、第三中隊第十五小隊のほか三名は唖然とした表情で視線を交わした。
「申し上げましたでしょ」と、すました顔で真宮寺准尉が言う。「お荷物になるかどうかは戦いでの働きを見てからにしてくださいなと」
「それは……いや、その通りだ。どうやら我々は認識を改めなければならないようだな」
「おわかりいただけて、よかったです」
満足そうな真宮寺准尉の後ろで、小隊長もどこか誇らしげにしている。
(……汚名返上、というところかしら)
わたしは少し笑った。
第一小隊の中で、小隊長だけは辺境で鍛えられた経験のある士官だ。だというのに高官の子女の『お守り』をさせられ、そのせいで彼が他の士官から侮られてしまっていたのには、わたしも苦い思いをしていた。部下が成長を示せたことで彼の名誉も回復できたのなら、何よりなことである。
「ここ最近の激務で、我々も成長せざるを得ませんでしたから」
「ええ。……でも綾小路准尉、それだけじゃないわよ」
真宮寺准尉が茶目っ気を滲ませて笑う。王子様と呼ばれるような涼やかな美少女の悪戯っぽい笑みに、思わず目を丸くした。
「多忙になって、内勤ばかりのわたしたちも実戦に駆り出されるようになったから強くなれたのは確かにその通り。でもそれだけじゃあない。あなたが我武者羅だったから、負けていられないと思ったのよ」
「え」
「毎日毎日飽きもせずに鍛錬と勉強を繰り返して。初めは一歩引いて見ていたけれど、そのうち影響されるようになって……最近ではわたしも密かに追加の修行をしたりしていたの」
「そうなのですか?」
全く知らなかった。しかしどうやら三条少尉は知っていたようで、愉快そうな目をしている。
「わたしだけではないわよ。きっと今まで『お坊ちゃま』扱いされてきた多くの若手の「お荷物」が、あなたに影響されて足掻いたわ。少しでも先達に追いつけるようにとね」
「……」
「あなたが何に必死で強くなろうとしているのかは知らないけれど。あなたが強さに至るまでの『過程』にも、意味があったということね」
(そう、なのかしら)
わたしはまだ弱い。理想とする強さに、地位に届いていない。けれども、わたしが泥臭く足掻く姿が、誰かのためになっていたということなのだろうか。
『役立たずに価値はない』
役に立つ、ということは、結果を出すことだ。
それならば、今のわたしは――。
「なんであれ素晴らしいことだ」ぱち、ぱちと二宮少尉が二度手を叩く。「死者はなし、重傷者もいない。快挙と言っていい戦果だ。三条少尉と真宮寺少尉の怪我も、基地に戻り大尉殿に診ていただければすぐに治るだろう」
「同意だ部隊長殿。目標の妖魔を倒したため一度基地に戻ってよいか、信号を送ろう」
「よし。では探知機で周囲に妖魔がいないかを確認してから……、ん?」
懐から探知機を取り出した二宮少尉が眉間に皺を寄せる。そして呟いた――「探知機の様子がおかしい」
「おかしい? どのようにだ」
「見てくれ」
二宮少尉を取り囲むように七人で探知機を覗き込む。
探知機は懐中時計ほどの大きさで、それこそ四角い時計盤のような風情の盤面には、周辺の地図が映し出されていた。
(まじまじと見たことがなかったけれど、こんな感じになっていたのね)
地図が映し出されるのはかつて帝國にいた念写の異能の持ち主の力が組み込まれているからとのことだが――それはともかく、常ならばこの地図上に様々な色の小さな光が点るらしい。盤上の光が霊力や魔力を意味するものであり、それによって妖魔や味方の位置を探ることができるのだという。
しかし、盤上には光など一つも点っていない。
むしろ、地図全体がぼんやりと光っているような――。
「盤上に我々の霊力反応がない。地図はここを中心として映し出されているのにだ」
「確かに」
探知機に映らないほど霊力を抑えることは、確かに可能ではある。しかしこの場にいる八人全員が、そんなことはしていない。
ぞっと、背中に悪寒が走った。
「これも昔の異能者の遺した骨董品だからな。流石にガタが来たか。しかしこんな時に」
「……だとしたら」
「何? 今なんと言った、綾小路准尉」
「これが妖魔の策略だとしたらどうでしょう。今回の同時多発攻撃の裏にいるのは、英雄すら凌駕する力を持つ【災害】級なのでしょう? であれば、自身の魔力を広範囲に薄く広げることで、探知を妨害することも可能なのではないですか」
少尉二人が青ざめた顔を見合わせる。
「有り得る」
「地図全体が薄ぼんやりと光っているのは、そういうことか!」
光が、霊力や魔力を表すのなら。
地図を覆う、この淡い光はやはり。
「くそ、すぐに基地に戻って報告を――」
「駄目です部隊長殿」
焦って立ち上がった二宮少尉を、さらに焦りの滲んだ声が止めた。真宮寺准尉の声だった。
「基地への退路を絶たれました」
「……なんだと?」
「どうやら魔力を抑えた潜んでいた【大妖】級が近くに他にもいたのでしょう」
真宮寺准尉の、璃々子さまの声は震えている。
「その妖魔どもが、ここから基地への道を塞いでいるのです」
莫迦な、と二宮少尉が呟く。
「ならば、どうすれば。このまま孤立するのを黙って待つしかないのか」
わたしは後ろを振り向く。すっかり人気のなくなった街並みには、潮の匂いをまとった風が吹くのみ。
霊力量が平均の域を出ないわたしにはわからないが、真宮寺准尉によれば、後ろには妖魔どもが陣取っているのだという。まっすぐ基地には戻れず、しかし基地に戻らなければいずれ孤立し妖魔に取り囲まれる。
ならば。
「前に行きましょう」
「……なんだって?」
「後ろが無理ならば、前に脱出するしかないではありませんか」
勿論、前に進めば進むほど、汐濱を狙う軍勢の本隊に近づいてしまうことはわかっている。
だが妖魔たちは全てが一点に固まっている訳ではない。それならば。
「前進することで脱出し、迂回して戻るのです。ここには探知機要らずの真宮寺准尉もいらっしゃる――上手くすれば、戦闘を避けて基地に帰ることができるかもしれません」
