「そんなこと、言える立場?」
結衣がぐっと気圧されたのを確認して、陽菜は続ける。
「これ、結衣が行きたい企業とか、結婚したい相手とか、これから先、いつでも送りつけられます。警察沙汰にしたくないなら、今ここで誓約書にサインしたほうがいいと思いますよ。あなたの人生のほうをぐちゃぐちゃにすること、私、できるんです」
陽菜の声は震えている。でも、目に迷いはなかった。
道花は、この状況が頭では理解できても、まだ、心がついてきていなかった。高校の時、みんな敵だと思っていた。今でもまだ、完全に許せたとは言えない。
でも、陽菜はそれを後悔して、少しでも何かできないかと思って、データを残して、それをずっと抱えて、今まで――……。
「なんなのこれぇ! わ、私、こんなの、脅迫じゃん! ママもなんとか言ってよ!」
「あなたがしたことです。受け止めなさい」
結衣はべそをかいていた。娘に助けを求められながらも、震える声で首を振る母親。
その光景を見ていると、苦しくなる。
「例えば……弁護士を通すというなら、それでもかまいません。でも、対面での話し合いの場はこれっきりになります。警察にはすぐに届けを出しますし、このあと陽菜さんがどう動かれるかは、我々には止められません」
結衣の顔からさぁっと血の気が引いていく。
初めて、結衣は黙った。唖然とした顔で部屋中を見て、最後にその視線が道花で止まる。
ぐしゃりと顔が歪んだ。
「サインすればいいんでしょ! ほんと卑怯! こんな大人数で!」
結衣の頬を涙が何度も伝っていく。結衣の母は、サインをし始めた結衣の隣で、目をぎゅっと閉じていた。
「なんなのよ、子どもの関係にマジになりすぎて、みんなキモい!」
「いつまで子どものつもりでいるんだ」
サインを終えた誓約書を投げつけるようにした結衣に、低い声で言ったのは父だった。
聞いたことのない、冷たい声。産まれてから知っている中で一番激しく、父が怒っている。
「拾いなさい」
結衣の身体がまた大きく震えた。
「今までそれで通用したとしても、君はもう大人だ。君がしたことは、君自身にしっかり返ってくると覚えておいてくれ」
結衣は下唇を噛むと、悔しそうに紙を拾い、机に置いた。
「本日は、ありがとうございました」
本庄監督が朗らかに言い、その笑顔の底知れなさを少し怖く感じながら、道花も左右に倣い立ち上がる。
結衣の母親がぺこりと頭を下げ、隣の結衣にも同じようにさせた。結衣は泣きながら部屋を出て行く。
その姿を、ただ眺めていた。
これで、終わり。
きっともう、会うことはない。
「陽菜、待って」
道花は、解散するやいなや、こちらに背を向けて去ろうとする陽菜を呼び止めた。振り返った顔は気まずそうで、目が合ったと思うやいなや、すぐに伏せられてしまう。
(あの時も、そんな顔してたね)
そんな陽菜に、苛立ちを感じたことも覚えている。申し訳ないと思っているアピールで、許されようとしているように見えた。どちらも敵に回さずにいようとしている姿が、一番卑怯だと思った。
撤回しないといけない。そんなふうに思ったことを。
「ご、ごめん、余計なことだって、分かってるんだけど」
「ううん」
「許してほしいとか、そんなつもりじゃないんだ。ただ私がしたくてしたことで……もし、これで何か問題が起きたら、いつでも連絡ください」
敬語になった語尾が、少し寂しかった。でもそれが、誇張のない今の道花と陽菜の距離だ。
いいんだよ、全然気にしてない。
もう終わったことだから。
この場を綺麗に終わらせるために、そう言うのは簡単だけれど。
「陽菜、来てくれたこと、嬉しかった」
道花は、心から嘘じゃないと言える言葉だけ、伝えることにした。
陽菜の目が潤み、こくんと頷く。もう一度背を向けた陽菜のことは、もう引き留めなかった。
あの頃のことを忘れられるわけじゃない。でも、もし次に陽菜を思い出すことがあるなら、それは今日の姿だろう。
結衣がぐっと気圧されたのを確認して、陽菜は続ける。
「これ、結衣が行きたい企業とか、結婚したい相手とか、これから先、いつでも送りつけられます。警察沙汰にしたくないなら、今ここで誓約書にサインしたほうがいいと思いますよ。あなたの人生のほうをぐちゃぐちゃにすること、私、できるんです」
陽菜の声は震えている。でも、目に迷いはなかった。
道花は、この状況が頭では理解できても、まだ、心がついてきていなかった。高校の時、みんな敵だと思っていた。今でもまだ、完全に許せたとは言えない。
でも、陽菜はそれを後悔して、少しでも何かできないかと思って、データを残して、それをずっと抱えて、今まで――……。
「なんなのこれぇ! わ、私、こんなの、脅迫じゃん! ママもなんとか言ってよ!」
「あなたがしたことです。受け止めなさい」
結衣はべそをかいていた。娘に助けを求められながらも、震える声で首を振る母親。
その光景を見ていると、苦しくなる。
「例えば……弁護士を通すというなら、それでもかまいません。でも、対面での話し合いの場はこれっきりになります。警察にはすぐに届けを出しますし、このあと陽菜さんがどう動かれるかは、我々には止められません」
結衣の顔からさぁっと血の気が引いていく。
初めて、結衣は黙った。唖然とした顔で部屋中を見て、最後にその視線が道花で止まる。
ぐしゃりと顔が歪んだ。
「サインすればいいんでしょ! ほんと卑怯! こんな大人数で!」
結衣の頬を涙が何度も伝っていく。結衣の母は、サインをし始めた結衣の隣で、目をぎゅっと閉じていた。
「なんなのよ、子どもの関係にマジになりすぎて、みんなキモい!」
「いつまで子どものつもりでいるんだ」
サインを終えた誓約書を投げつけるようにした結衣に、低い声で言ったのは父だった。
聞いたことのない、冷たい声。産まれてから知っている中で一番激しく、父が怒っている。
「拾いなさい」
結衣の身体がまた大きく震えた。
「今までそれで通用したとしても、君はもう大人だ。君がしたことは、君自身にしっかり返ってくると覚えておいてくれ」
結衣は下唇を噛むと、悔しそうに紙を拾い、机に置いた。
「本日は、ありがとうございました」
本庄監督が朗らかに言い、その笑顔の底知れなさを少し怖く感じながら、道花も左右に倣い立ち上がる。
結衣の母親がぺこりと頭を下げ、隣の結衣にも同じようにさせた。結衣は泣きながら部屋を出て行く。
その姿を、ただ眺めていた。
これで、終わり。
きっともう、会うことはない。
「陽菜、待って」
道花は、解散するやいなや、こちらに背を向けて去ろうとする陽菜を呼び止めた。振り返った顔は気まずそうで、目が合ったと思うやいなや、すぐに伏せられてしまう。
(あの時も、そんな顔してたね)
そんな陽菜に、苛立ちを感じたことも覚えている。申し訳ないと思っているアピールで、許されようとしているように見えた。どちらも敵に回さずにいようとしている姿が、一番卑怯だと思った。
撤回しないといけない。そんなふうに思ったことを。
「ご、ごめん、余計なことだって、分かってるんだけど」
「ううん」
「許してほしいとか、そんなつもりじゃないんだ。ただ私がしたくてしたことで……もし、これで何か問題が起きたら、いつでも連絡ください」
敬語になった語尾が、少し寂しかった。でもそれが、誇張のない今の道花と陽菜の距離だ。
いいんだよ、全然気にしてない。
もう終わったことだから。
この場を綺麗に終わらせるために、そう言うのは簡単だけれど。
「陽菜、来てくれたこと、嬉しかった」
道花は、心から嘘じゃないと言える言葉だけ、伝えることにした。
陽菜の目が潤み、こくんと頷く。もう一度背を向けた陽菜のことは、もう引き留めなかった。
あの頃のことを忘れられるわけじゃない。でも、もし次に陽菜を思い出すことがあるなら、それは今日の姿だろう。
