結衣は立ち上がって、今この場で、最も温厚そうな本庄監督に縋るように身を乗り出した。

「ほんとぉー」

 本庄監督は、にっこりと笑みを浮かべた。結衣はほっと表情を緩めたが、気を抜くのは間違っている。表情に反して、監督の雰囲気がぴりりと張り詰めたからだ。

「残念ながら、すでに君のお母さんに、君のSNSやメールの送信履歴を確認してもらってるんだよね」
「はぁ!?」

 結衣は、ぶんと音が鳴りそうな勢いで母親のほうを向いた。母親は結衣を見ず、唇を噛み、深く頭を下げた。

「間違いありません、結衣がやりました」
「ちょっと!」
「本当に、申し訳ありませんでした」

 彼女は、耳を塞ぎたくなるような結衣の甲高い声に被せるように、はっきりと謝罪した。覚悟を決めた声。

「お母さんからの謝罪はまず受け取るとして……」

 監督は、目の前の修羅場が見えていないかのように、目を細めたまま続ける。

「結衣さんは、これ以上否定したり、慌てて投稿や履歴を消したりするのもおすすめしないね。すでに証拠は残しているし、そういうことをすれば、反省の気持ちがないとされて、いろいろ罪が重くなるかも」
「……っ」

 冗談めかした言い方で恐ろしいことを言われ、結衣が息を呑む。
 監督はにっこり笑って続けた。

「結論としては、こうだね。今後、水上舷と、広瀬道花さんや、その所属する組織に対してなんの接触もしないこと。もちろん、バスケを見に来ることも禁止させてもらう」
「な、なんで!」
「それが難しい場合、警察へのストーカー被害の届出をさせてもらう」
「はぁっ!? ひどい!」
「結衣!」

 結衣が立ち上がり、ばん、と机を叩く。母親が厳しい顔で名前を呼び、結衣がびくりと肩を跳ねさせた。

「それだけで、警察に届けずにいてくださるの! これからの人生めちゃくちゃにしたいの!?」
「な、なんで……」

 結衣の目に涙が浮かんだ。拳をぎゅっと握り締め、そこに、ピンクに彩られた爪がぐっと食い込んでいる。

「こんなの……舷くんも、そんなふうに思ってるなんて一度も言ってなかったじゃん!」
「迷惑だと何度も伝えてる」
「……っ」

 温度のない舷の声色に、結衣が息を呑む。その目が、再び道花を向いた。

「てか、これあんたの差し金だよね!? みんなこの子の言うこと信じてるの? おかしいよ! 高校の時だって、ひどい扱いされたのは私のほうなのに!」
「何、言ってるの……」

 わぁっと泣き崩れる結衣を前に、呆然とした声しか出せなかった。心構えはしていたけれど、襲ってくる予想以上の非常識さに、怒りで頭が爆発しそうだ。
 何か言わなくちゃ。でも、きっとまた前みたいに言い合いになるだけだ。それだと、この話し合いを終わりにできない。どうしたらいいの?
 追い詰められているのは、結衣のはずだ。なのに、道花は怒りと焦りで、呼吸ができなくなりそうだった。
 その時。

「じゃあ、その事実を証明できる人に来てもらおう」
「は」

 舷が、落ち着いた声で言った。
 結衣の母親の許可を得るようにぺこりと頭を下げ、スマホを耳に当てる。

「もしもし」

 向こうから、誰かが答えた。男の子の声?

「彼女、やっぱり連れてきてもらえますか。お伝えしてた、事務センター二階のA会議室です」

 何が起こっているのか分からなくて、狼狽えるしかない。りょーかい、と電話の向こうからした声が、気のせいか、聞いたことのある声のような気がする。
 しばらくすると、ノックの音がした。

「失礼しまぁ~す」

 聞き慣れた関西弁? そう思った瞬間、ちらりと覗いた顔にぎょっとなった。

「にっ」

(西宮くん!?)

 なんでここに。
 直後、そういえば西宮くんは文城大学だったっけ、と思う。でも、それとこれが繋がらない。
 西宮はしー、という仕草で口に指を当てた。そして、後ろの誰かに向かって手招きする。
 現れたのは、想像もしていなかった相手だった。

「陽菜……」
「はぁ!?」

 俯いて、ためらいがちに部屋に入ってきたのは、陽菜。高校の時のチームメイトだ。

「道花、ごめんね、私……」
「謝罪はあとだ。出してくれ」

 舷が、陽菜の言葉を止める。
 陽菜は覚悟を決めたように頷いた。

「私、全部残してます」

 何を?
 ここにいる、おそらく舷以外の全員がそう疑問符を浮かべただろう。
 陽菜は、机の上に何かを並べ始めた。スクショを印刷したもの、メッセ―ジ、それから、何かの音声データ?

「結衣がみんなに送っていたメッセージのスクリーンショット、道花に言った言葉と、道花がいない時に部室で言ってた内容の録音。これ以上結衣が粘るなら、私、全部の証拠をどこにでも出せます」
「はぁ!? なんなのあんた、きっも!」
「結衣!」

 結衣の甲高い声に陽菜は一瞬怯んだが、きっと結衣を睨む。