「おはようございまーす」
「あ、広瀬さんやん」
バイト先は、家と大学の中間くらいにあるイタリアンのお店だ。何度か家族で食事をしにきたことがあり、脱サラしたというご夫婦の雰囲気がとても素敵で、バイト募集の張り紙を見つけて飛びついた。
休憩室の小さなテーブルと椅子には、近くの文城大学の学生の二年生、西宮が椅子から半分ずり落ちた姿勢で座っていた。道花がノックをして入ると、彼がぱぁっと笑顔になる。
「あれ?シフト今日違ったんちゃうかった?」
「うん、渡辺くんに頼まれて代わった」
「ラッキー」
軟派な返しに曖昧に笑って返す。西宮はよくこういうことをさらりと言うが、それを不快に思わせないキャラだ。誰に対してもこの態度を変えないところに好感が持てる。
「大学で進路の話になってさ。もう何も分からないなって話をしてて」
今日は予約も入っておらず、少しお客さんが途切れる時間があった。シルバーを磨きながら隣の西宮に話しかける。
「わかるわ~。でも俺は経済学部やから、どう転んでも営業やわ」
「西宮くん営業向いてそう」
「よ~く言われる~~」
すごく嫌そうな顔で言うから笑ってしまう。
「嫌なの?」
首を傾げてそう聞くと、西宮もうーん、と考えている。
「いや~、嫌ではないけど。多分ほんまに向いてるし。でもなんか嫌ちゃう? 自分のことで、周りは完全に意見が一致してるやつ」
「ああ、それは……分かるな」
昼間の、莉央と紬とのやり取りを思い出して苦笑する。
「たぶん、それが外から見た自分で、自分の認識よりも合ってるんだろうけどね」
「そうそう、でも自分がこうありたいっていう姿とは違うわけやん?それを受け止めたくないみたいな~」
「分かる」
こくこくと何度も頷いた。
「西宮くんの理想はどんななの?」
「俺はアレ、どちらかというとクールなやり手感出していきたい。見るからに頭いい感じの」
「そうだったの!?」
つい吹き出してしまい、あっと口を塞いだ。西宮がじとっとした目でこちらを見ている。
「広瀬さんが俺をどんな目で見てるかよーくわかりましたぁ~」
「いやいや、今のはちょっと狙ってやったでしょ!?」
二人でくすくすと笑う。その時、窓の外にお客さんの気配がした。出迎えに扉のほうに行く今のタイミングなら、と思ってさりげなく聞く。
「私は何に向いてるんだろうな」
「んー?」
視線がこちらに向いたけれど、おしぼりの準備にかこつけて目を逸らす。本当は、それを真正面から受け止められないなと思ったからだ。
「広瀬さんは……好き嫌いがはっきりしてそうやからな。冷たいっていう意味ちゃうで。あんまり周りに流されんでも、結局は自分の考えは決まってるんかなって感じするなぁ」
「そっか……いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
前の看板のメニューを見ていたお客さんが入ってきて、扉がカランカラン、と音を立てる。カウンターから出て、人数の確認と席へ案内。それから、今日の日替わりメニューの説明をする。そうしながら、内心はさっきの西宮の言葉を反芻していた。
お水の用意のために戻ってきて、ぼそりと聞く。
「ねぇさっきの、頑固ってこと?」
「否定はしませんねぇ」
「え~?」
冗談めかした言い方のおかげで、はっきり答えをもらっているのに嫌な気持ちにならずに楽しく会話ができる。このスキルはさすがだといつも思う。
「西宮くんは、人と関わる仕事ってのははっきりしてるよね」
「範囲広っ」
西宮の突っ込みに笑ったが、その時お客さんが手を上げたので、テーブルに素早く歩み寄った。
「帰りは電車やんな?」
閉店は夜の九時。そこから閉店業務をして、十時前には店を出る。エプロンを外して鞄を肩にかけた西宮にそう尋ねられ、うん、と答える。
「送ろか?」
「大丈夫、駅まで人通り多いし」
「おっけー、気ぃつけるんやで~」
母親のような声かけに微笑んで、車に乗り込む西宮に手を振った。
西宮が片手を上げ、窓を閉めて車を発進させ去っていく。運転をする姿は、同い年のはずなのにめちゃめちゃ大人っぽく見える。
「いいな、車……」
免許。合宿に行くか、教習所に通って取るか。合宿にするならやっぱり夏休みだろうか。誰かと一緒にいかないとさすがに心細い。四年になると、卒論や就活で忙しくなるだろうから、行くなら今年か来年か。
考えることは多い。
でも、何かを考えている状態に安心して大事なことを横に置いたままでいると、どこかで壁にぶつかりそうな気がしていた。
だからといって、何をどうしていいかは分からないけれど。
