「えっと、そこでさ、……結衣に会ったんだ。尾澤結衣、分かるかな」
どこか緩慢な仕草でこちらを向いた舷の目が、徐々に見開かれた。
「実は高校の時、私が辞めるってなった原因というか……いや、原因っていうと他責すぎるか。ぶつかった相手で、こないだも、もう、すっごい小学生みたいなみっともない言い合いになっちゃって」
「どこで」
返ってきた舷の声は堅い。ああこれは怒られるなと思ったけれど、なんだかいつもより気は楽だった。何を話しているかあまり自分でもよく分からない。
「ほんとにごめん、試合会場の、立誠大学の観覧席」
舷の眉が寄る。険しい表情から逃げるように俯いて、ぼそりと言った。
「ごめん、迷惑だった。もう見に行かないようにす……」
「それだけは、絶対やめろ」
低く這うような声だった。はっと顔を上げると、こちらを睨むような鋭い視線がそこにある。
怒っている。その厳しい表情に、あの、高校の時を思い出して、背筋が冷たくなっていく。
「違う」
だが、その瞬間だった。
「違う、待て、そうじゃないんだ、俺は……」
舷は自分に言い聞かせるように言って、首を横に振る。
道花は、震えそうになる声を抑えながら尋ねた。
「違うって、なに」
「お前が何かを諦めたり、やめる必要はないんだ。それだけはやめてほしい」
切なそうに潤んだ目がこちらに訴えかけてくる。
「私が揉めたのが結衣だって知ってたんだ?」
舷はこくりと頷いた。
「お前が辞めるまで……気づいてなかった。あのあと、鈴原とか、女バスのほかのメンバーに聞いて」
「そんなことしてたんだ」
「ごめん」
自分よりはるかに身長も高いのに、なんだか舷が小さくなっていくみたいな錯覚を覚える。
「謝らないで」
あの時、舷を拒絶したのは道花のほうだ。その間に舷が誰に話を聞いたとしても、仕方ない。
「あのあと、女バスがどうなったかは、どこまで?」
「いや、知らない。もう全部見ないようにしてたから……特に発表がなかったから、勝ち抜けなかったのかな、とは思ってたけど」
「そうか」
そう言うと、舷は俯く。
「俺は、馬鹿だった」
俯いて掠れた声を出す目が水面のように揺れている。
ちょっと待って。
道花はびくりとなった。まさか。
「後悔しても、しきれない、ずっと……」
「舷、ま、待って、ちょいまち」
そう言って、舷に立ち上がるよう促す。さすがにここではまずい。
「あ、なんか気分悪いみたいで!」
周囲にそう言って、隠せているかは分からないけど舷との間の壁になる。
そのまま、外に引きずり出した。
店に来た時はまだ明るかったけれど、外はすっかり夜だ。
後ろを振り返ると、舷は鼻を啜りながら立ちすくんでいた。
泣いてる。あの舷が、泣いている。
「ほら、タオル……っていうかおしぼり」
「これ、誰か使ったやつ?」
「分かんないけど、いいでしょ」
すんすんと鼻を啜る舷の顔に、ぐいぐいそれを押し付ける。舷は少し抵抗を見せたけれど、諦めて大人しく涙を拭いた。
「ちょっと待って、お酒弱いの?」
「知らん、はじめてだから、わからん」
鼻を鳴らしながらぶすっと言う姿に、とうとう道花は我慢できなくなった。
「笑うなよ」
「いや、だって……」
舷の顔は、道花の顔を見て、切なく歪む。
「バスケを、続けてほしかった、お前がキラキラした目でバスケをしてるのが、好きだった」
「え」
掠れた声で伝えられた内容に、心臓が大きく跳ねる。舷は熱に浮かされたように続ける。
「あの時、かける言葉を間違えなければ……」
こちらを見ているけれど、なんだか、どこか別のところを見ているみたいだ。そこで言葉を止めて俯く舷に、きっぱりと言った。
「舷、申し訳ないけど、それはない」
顔を上げた舷の目が潤んでいる。やっぱり大型犬みたいだ、と場違いなことを思った。
「舷があの時どういう態度をとったとしても、私を助けてくれようとしたとしても、結局あの時の選択は変わってないよ」
舷が眉を寄せる。そんなことないはずだ、と顔に書いてある。
「あの時の私にできたのは、あれが限界だった。きっと、遅かれ早かれ、やめてた」
舷は首を振った。もう涙は止まっているみたいだ。
「お前が弱かったからじゃない。あんな状況で続けられるわけがなかった」
その言葉に、道花の心に、少し意地悪な気持ちが沸いた。
「大人になったね……高校の時の舷は、そうは言わないんじゃないかな」
「そうだな、あの時俺は、なんていうか……傲慢だった」
舷がどこか遠くを見るみたいに言う。もう取り戻せないものを、憂いているような。
「それがかわいくもあったけどね」
今この現実に戻ってきてほしくて、冗談めかして言う。舷の眉がぴくりと動いた。
「そんなふうに思ってたのか」
「不満そう」
「当たり前だろ」
くすりと笑いを落とすと、眉を寄せた、面白くなさそうな顔がこちらを向いていた。
懐かしい。変わっていない、あの頃のままの舷だ。なんだか、久しぶりに会った気がする。
そのまま見つめ合った、どちらからも言葉が出せなくて、胸は切ないのに、温かい。
そんなふうに感じた瞬間。
「お二人大丈夫そう~? あっ」
「あ、大丈夫、ありがとう」
店から顔を出した西宮がぎょっとなり、なんだか慌てている。
「えーっと、なんかみんな帰り支度はじめてはって……」
なぜか言い訳のように言いながら、目を泳がせている。舷が西宮に小さく頭を下げて中に入ったあと、西宮は道花に向けてぱちんと手を合わせた。
「すまん! ごめん! めっちゃ邪魔したっ」
「なにが? え? 何も邪魔してないよ」
きょとんとして言うと、今度は愕然としている。
「天然と……天然ってこと?」
西宮は眉を寄せて首を傾げている。よく分からなかったが、とりあえず舷に続いて店の中に戻った。
どこか緩慢な仕草でこちらを向いた舷の目が、徐々に見開かれた。
「実は高校の時、私が辞めるってなった原因というか……いや、原因っていうと他責すぎるか。ぶつかった相手で、こないだも、もう、すっごい小学生みたいなみっともない言い合いになっちゃって」
「どこで」
返ってきた舷の声は堅い。ああこれは怒られるなと思ったけれど、なんだかいつもより気は楽だった。何を話しているかあまり自分でもよく分からない。
「ほんとにごめん、試合会場の、立誠大学の観覧席」
舷の眉が寄る。険しい表情から逃げるように俯いて、ぼそりと言った。
「ごめん、迷惑だった。もう見に行かないようにす……」
「それだけは、絶対やめろ」
低く這うような声だった。はっと顔を上げると、こちらを睨むような鋭い視線がそこにある。
怒っている。その厳しい表情に、あの、高校の時を思い出して、背筋が冷たくなっていく。
「違う」
だが、その瞬間だった。
「違う、待て、そうじゃないんだ、俺は……」
舷は自分に言い聞かせるように言って、首を横に振る。
道花は、震えそうになる声を抑えながら尋ねた。
「違うって、なに」
「お前が何かを諦めたり、やめる必要はないんだ。それだけはやめてほしい」
切なそうに潤んだ目がこちらに訴えかけてくる。
「私が揉めたのが結衣だって知ってたんだ?」
舷はこくりと頷いた。
「お前が辞めるまで……気づいてなかった。あのあと、鈴原とか、女バスのほかのメンバーに聞いて」
「そんなことしてたんだ」
「ごめん」
自分よりはるかに身長も高いのに、なんだか舷が小さくなっていくみたいな錯覚を覚える。
「謝らないで」
あの時、舷を拒絶したのは道花のほうだ。その間に舷が誰に話を聞いたとしても、仕方ない。
「あのあと、女バスがどうなったかは、どこまで?」
「いや、知らない。もう全部見ないようにしてたから……特に発表がなかったから、勝ち抜けなかったのかな、とは思ってたけど」
「そうか」
そう言うと、舷は俯く。
「俺は、馬鹿だった」
俯いて掠れた声を出す目が水面のように揺れている。
ちょっと待って。
道花はびくりとなった。まさか。
「後悔しても、しきれない、ずっと……」
「舷、ま、待って、ちょいまち」
そう言って、舷に立ち上がるよう促す。さすがにここではまずい。
「あ、なんか気分悪いみたいで!」
周囲にそう言って、隠せているかは分からないけど舷との間の壁になる。
そのまま、外に引きずり出した。
店に来た時はまだ明るかったけれど、外はすっかり夜だ。
後ろを振り返ると、舷は鼻を啜りながら立ちすくんでいた。
泣いてる。あの舷が、泣いている。
「ほら、タオル……っていうかおしぼり」
「これ、誰か使ったやつ?」
「分かんないけど、いいでしょ」
すんすんと鼻を啜る舷の顔に、ぐいぐいそれを押し付ける。舷は少し抵抗を見せたけれど、諦めて大人しく涙を拭いた。
「ちょっと待って、お酒弱いの?」
「知らん、はじめてだから、わからん」
鼻を鳴らしながらぶすっと言う姿に、とうとう道花は我慢できなくなった。
「笑うなよ」
「いや、だって……」
舷の顔は、道花の顔を見て、切なく歪む。
「バスケを、続けてほしかった、お前がキラキラした目でバスケをしてるのが、好きだった」
「え」
掠れた声で伝えられた内容に、心臓が大きく跳ねる。舷は熱に浮かされたように続ける。
「あの時、かける言葉を間違えなければ……」
こちらを見ているけれど、なんだか、どこか別のところを見ているみたいだ。そこで言葉を止めて俯く舷に、きっぱりと言った。
「舷、申し訳ないけど、それはない」
顔を上げた舷の目が潤んでいる。やっぱり大型犬みたいだ、と場違いなことを思った。
「舷があの時どういう態度をとったとしても、私を助けてくれようとしたとしても、結局あの時の選択は変わってないよ」
舷が眉を寄せる。そんなことないはずだ、と顔に書いてある。
「あの時の私にできたのは、あれが限界だった。きっと、遅かれ早かれ、やめてた」
舷は首を振った。もう涙は止まっているみたいだ。
「お前が弱かったからじゃない。あんな状況で続けられるわけがなかった」
その言葉に、道花の心に、少し意地悪な気持ちが沸いた。
「大人になったね……高校の時の舷は、そうは言わないんじゃないかな」
「そうだな、あの時俺は、なんていうか……傲慢だった」
舷がどこか遠くを見るみたいに言う。もう取り戻せないものを、憂いているような。
「それがかわいくもあったけどね」
今この現実に戻ってきてほしくて、冗談めかして言う。舷の眉がぴくりと動いた。
「そんなふうに思ってたのか」
「不満そう」
「当たり前だろ」
くすりと笑いを落とすと、眉を寄せた、面白くなさそうな顔がこちらを向いていた。
懐かしい。変わっていない、あの頃のままの舷だ。なんだか、久しぶりに会った気がする。
そのまま見つめ合った、どちらからも言葉が出せなくて、胸は切ないのに、温かい。
そんなふうに感じた瞬間。
「お二人大丈夫そう~? あっ」
「あ、大丈夫、ありがとう」
店から顔を出した西宮がぎょっとなり、なんだか慌てている。
「えーっと、なんかみんな帰り支度はじめてはって……」
なぜか言い訳のように言いながら、目を泳がせている。舷が西宮に小さく頭を下げて中に入ったあと、西宮は道花に向けてぱちんと手を合わせた。
「すまん! ごめん! めっちゃ邪魔したっ」
「なにが? え? 何も邪魔してないよ」
きょとんとして言うと、今度は愕然としている。
「天然と……天然ってこと?」
西宮は眉を寄せて首を傾げている。よく分からなかったが、とりあえず舷に続いて店の中に戻った。
