子どもたちに、男女合同の練習を行うこと、普段男子のほうをみている舷にも指導をしてもらうことを伝えた。すると、はっきり声に出す子はいなかったが、明らかにみんなの瞳が輝き、その顔に「やった~!」と書いてあるのが少し面白かった。共同の練習は山口の判断で一旦止めていて、実施が半年ぶりということもあるのだろう。
 道花は少しだけ高校時代の頃を思い出して、警戒というか、ある程度子どもたちが浮足立つことを覚悟していたが、杞憂だった。イケメン大学生に浮かれる気持ちはあっても、それよりも、プロになるかもしれない選手から学びたいという気持ちのほうがずっと大きいようだった。はしゃぎたい気持ちを抑え、自分の目的を見失わない姿に感心させられる。
 それまでは男子バスケのほうをあまり見ないようにしていたから、舷が子どもたちに指導をしている姿は新鮮だった。高校の時のツンとした姿からはあまり想像できない。子どもたちが質問しやすいように表情を柔らかくして、目線を合わせてうんうんと頷いて。

(大人になったんだなぁ……)

 またそう思って、しみじみするような、置いてかれて寂しいような気持ちになる。
 練習は、その後も問題なく進んだ。休憩時間も一緒にとったほうがいいのか分からず様子を見ていたが、子どもたちのほうが先に、自然と男子と女子に分かれていった。少し気恥ずかしいのかもしれない。

「道花さんは、大学ではバスケしてないんですか?」
「えっ」

 最近は、子どもたちとの会話もだいぶつっかえなくなって、こうして話しかけてくれることも増えた。でも、時々やけに鋭い質問が飛んでくるので心臓に悪い。

「うん、やってない、よ」
「なんでですか?」

 当然返ってくる質問にぐっと詰まる。予想していなかった質問ではないけれど、どう答えるべきか。プロを目指すには実力が足りなかった……彼らの夢を壊したくない。部活の人間関係が上手くいかなくて続けられませんでした……絶対ない。自分のプライドもあるけれど、そんな悲しい未来を想像させたくない。

「えっとね……ずっとバスケに関わっていきたいっていう気持ちはあるんだけど、将来の仕事のことを考えると、アスリートとしてじゃなくて、こうやって今してるみたいに、スポーツをやる人をサポートするほうが自分に向いてるんじゃないかって思ったんだ」

 ふーん、と、いいとも悪いともいえないリアクションが返ってくる。
 それだけだと伝わらないよね、と考える。きっと、もう少し深いところにある答えじゃないと。

「プレーヤーとして上手くなっていくのも嫌いじゃない。でもどちらかというと、ただ勝ち抜くことよりも、チームメイトがそれぞれの力を活かして、いい試合ができるほうが好きだった。それは悪いことじゃないけど、アスリートとしてバスケをするにしては、甘い」
「甘い……だめってことですか?」
「うーん、だめっていうのとはちょっと違うかもしれない。もっと自分らしく楽しめるのは、それじゃない、みたいな……」

 子どもたちの顔には、どう違うの? という疑問が浮かんでいる。きっと、それは逃げじゃないの? と思う子だっているだろう。

「バスケが好きっていう言葉一つでも、たぶん、一人一人ちょっとずつ違う。無理やりそれを見つけようとしなくてもいいんだけど、ああ、自分はバスケをしている時の、特にこういうことが楽しいんだなっていうのが分かると、そっちに向かって進んでいけばいいんだと思う」

 上手く説明できてはいないと思う。でも話しながら、だんだん自分の輪郭がくっきりしてくる感覚があった。

「道花さん、楽しそうですもんね」
「そうだね。今、すごく楽しい」

 心からそう言えて、自分でもそう思っていることにやっと気づいた。こちらを向くのは、納得してくれた顔ばかりではない。よく分からないなと思っている子もいるだろうけれど、ここから先どこかで、道花の言葉が彼らの助けになれたらいい。

「ねーねー、道花さんって晴翔高校だったんですよね?」
「うん、そうだよ」
「舷くんのことって前から知ってたんですか?」

 突如飛び出した名前に、肩が跳ねた。その声がやけに体育館に大きく響いた気がして、そっと舷のほうを探る。よし、こっちに背中を向けている。

「前から知ってたよ。同級生なんだ」
「へー……」

 なんだか、変な反応だ。首を傾げていると、その子は声を潜めて言った。

「あんまり、仲よくないですか?」
「んっ?」

 予想していなかった質問に、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔になってしまった。
 周りの子たちは、ちょっと心配そうな顔でこちらを見ている。こんな小さな子たちにまで心配させてしまうなんて……恥ずかしい。

「仲、たぶん、悪くは、ないんだけど」

 そうかな? 自分の中でも自問自答する。そして、開き直るみたいに言い切った。

「高校の男女の距離感って、こんな感じなんだよね!」
「へぇ~……」

 胸に手を当てて堂々としてみたけれど、反応は微妙だ。だがその時、小さな爆弾が落とされた。

「でもさ、舷くんはよく道花さん見てるよね」
「えっ」

 ごふっ、と何かを吹き出すような音がした。
 後ろを振り返ると、舷がお茶を飲もうとして咳き込んだみたいだ。今の会話は聞こえてないよね、まさか。

「そ、そんなことはないんじゃない?」
「や~、ある、いや、やっぱないかも、です」
「どっち」

 その子が道花の後ろをちらちらみながら不自然に意見を変える。また振り返ると、舷が休憩終わりの合図をしているところだった。男子が「早っ」と文句を言っている。

「まぁいいや。さ、こっちもやろうか」
「はぁ~い」

 道花が言うと、少し不満そうな返事だったけれど、みんな素直に立ち上がった。



「それで、舷とバスケのコーチをすることになって」
「まじで? 急展開じゃん」

 莉央が前のめりになる。だが、その隣にいる紬は反応しない。ぶすっとふてくされている。

「紬~、いい加減機嫌直しなよ」
「いや、こういうのは友情関係に差し支えるからはっきり言わせてもらう」

 紬は道花と莉央の顔を見てから、大きな声で言った。

「私も! 行きたかった!」
「はいはい」

 両手の拳を握りしめてぶんぶん振る紬を、莉央がたしなめている。

「球技興味ないでしょ? 無理に誘ってもって思うじゃん」
「ないよ。興味ない。でも今回は話が違う!」
「面白い場面にいられなかったのを悔しがってるだけ?」
「ん? 面白い?」

 莉央の言葉が引っかかってそちらを見ると、わざとらしく目を逸らされた。今、本音を零したな。

「じゃあ、今度また一緒に行こうよ、バスケ」
「え、じゃあその舷くんって子が出るやつがいい」

 慰めるつもりで言ったら、顔を上げた紬が、ちゃっかりそう言った。

「えぇ~?」
「いいじゃん。もう別に嫌じゃないんでしょ?」
「いや、そうだけど……どうだろ」

 もうバスケの試合を見に行くことにも、そこに舷がいることにも抵抗感はない。でも気になるのは、山口の言っていた話だった。クラブの指導に来てもらっていた女の子が、舷とお近づきになりたくてやり過ぎてしまった話。
 試合を見に行くのは、そうは取られないだろうか。舷からすれば嫌かもしれない。

「あ、見て見て! 今度は十六日に試合するっぽいじゃん。関東大会? これ一般の人も行けるでしょ?」
「いけるいける、指定席って書いてる」
「ちょっと待って、一回待って」

 二人がスマホを覗き込んで盛り上がっているから、慌ててそれを止める。

「一回、舷に聞いてみるよ、見に行っていいかどうか」
「聞かれても困るくない? 面と向かって迷惑とは言えないし」
「まぁそうだけど……なんとなく反応で分かると思う」

 そう言い切ると、莉央の目が細くなった。なんだか生暖かい視線に身構える。

「……なに」
「舷のことはよく分かってる、ってか」
「ちーがーいーまーす」

 歯をむき出して否定する。二人が笑ったあと、まだ少しからかう空気はあるけれど、莉央がからりと言った。

「いやー、なんていうか、よかったよね」
「何が?」
「決別した相手と、そのまま会わないこともきっと多いじゃん? 道花はちゃんと会えて、なんか誤解みたいなのも解けてよかったなぁと思って」
「たしかに……そうだね」

 莉央の言葉を飲み込むように、ゆっくり頷いた。
 舷とはあの時のことをはっきり話し合ったわけではないけれど、再会してから高校の時のことをあまり思い出さなくなった。
 どちらかというと今思い浮かぶのは、道花と話すときにいつもどこか緊張して、こちらの一挙一動に怯えるような姿。

(あんなふうになってほしいわけじゃないんだけど……)

 謝ってほしいわけじゃない。分かり合いたいわけでもない。
 あの時にできた溝を、いつか埋めることはできるのだろうか。

*

「舷、今いい?」
「ああ」
「あ、ごめん、練習とかとは全然関係ない話だけど」
「いい」

 体育館にやってきた舷は、言葉少なではあるけれど、すぐに道花の後ろをついてきてくれた。キャップを取りイヤホンを外す姿は道花の知らない大学生という感じで、少しどきりとする。

「今度さ、その、大学で仲良い子二人と、関東大会見に行くことになって」

 舷が黙って頷く。

「それでその……こないだ一緒に行った、あの、サインもらった子とは別の子が、できれば舷の出る試合を見たいって言ってて」

 あ、友だちのせいにして、すごく嫌な感じになってしまった。そう思ったが、舷は意外そうに少しだけ眉を動かす。

「俺の?」
「うん」

 その顔色には、特に嫌そうな感じはない。

「その……行ってもいいかな?」

 上目遣いでおそるおそる聞くと、舷がぱちりと瞬いた。

「別に……いや、俺にいちいち聞かなくてもいいだろ」

 舷が我に返ったように言ったのがなんだかおかしかった。言葉だけだと突き放されたように聞こえるが、舷がそういうつもりじゃないのは分かっている。道花が確認したいことはできたので、満足して頷いた。

「そうだよね。わかった」
「いや、待て。なんの確認だった?」

 戸惑っている舷がなんだかかわいくて、少し微笑んだ。そりゃそうなるよね。どうしようかな。山口から聞いたと分からない程度にぼかして……。

「なんかこう……バスケを口実に、舷とお近づきになりたいからって見に行くわけじゃないから、安心してねってこと」

 あまりぼやかせなかった気がする。でも、私なりに上手く言えたほうだろう。そう開き直っていると、舷が一瞬目を丸くして、それから、ふはっと笑った。

「分かってるよ、そんなことは」
「……っ」

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。
 舷の笑顔を見たのは初めてじゃない。高校の時には何度だって。でも、あまりに久しぶりだ。
 攻撃力の高い少年のような笑顔に心臓が大きく跳ねて、そこからバクバク鳴って止まらない。

「じゃ、じゃあ、それだけなんで」

 変な敬語まじりにそう言って、道花は逃げるように立ち去った。