「最悪だよ!」

 道花の話を最後まで聞いた莉央は、音が鳴るほど強く机を叩いた。

「止めるひといなかったわけ? みんな同罪だよそんなの!」
「落ち着いて」
「落ち着けるかァ!」

 お店のほかのお客さんが振り返るほどの声に、道花のほうが慌ててしまう。
 いつも生き生きした莉央の顔が、般若みたいになっている。

「超ガキ。そんなん小学校で終わらせとけっつーの」

 低く唸るような声で言う莉央に、道花はあの頃を思い出し、苦々しい笑みを浮かべた。

「私も、もっと上手くやれたらよかったんだけど」
「反省する必要全くナシ。全員性格悪い」

 腕組みして言いきる莉央が心強い。

「道花、辞めてよかったよ。そこは、頑張るとこじゃない」

 一緒に怒ってくれることに、情けないと怒られなかったことにほっとした。どこかでずっと後悔がある。それでよかった、と言ってもらえるだけでほっとする。

「水上舷~っ、あいつ~」

 莉央は今度は天井を仰いで言った。

「最悪だよ、トドメ刺してるじゃん、完全に」
「いやぁ……今思えば、八つ当たりされてかわいそうだったけどね」

 遠い日を思い返すようだった。自分で思っていたよりもずっと、あの時のことを話せるようになっていることに安心した。

「それに、そういう強さ……というか鈍感さとか、傲慢さとか、そういうのがあるから、あんだけ上に登っていけるんだと思うけど。人の細かい気持ちなんて拾ってたらキリないし」
「まあそうだけど……」

 納得いかない、という顔をしたまま莉央がジュースを飲み、それからまたもの言いたげに道花の顔を見る。

「さっきの顔見た感じだと、後悔してそうな気はしたけどね」
「後悔?」

 正直、全く見ていなかった。見るのが怖かったし。早く逃げたかったし。

「舷くんとはそれっきり? さっき会うまで」
「い、や……?」

 お店の天井のくるくる回るファンを見ながら、思い出す。

「三日後くらい、かな? 誰から聞いたか分かんないけど、めちゃめちゃ怖い顔して私のクラスに来て」
「えっ、こわっ」
「怖いでしょ」
「で、どうしたの?」

 莉央が前のめりになる。そんな面白い話じゃないけど、と前置きして続けた。

 道花呼んでるよ、とクラスメートに教えられて、教室の入り口にいる舷に気づいた道花は、すぐに立ち上がり、反対側の扉から逃げた。
 舷はすぐ追いかけてきて、人気のない中庭で向かい合った。
 その時の舷の顔は、よく覚えていない。

「たぶん、その日先生から聞いてはじめて知ったんだと思う。どういうつもりだって絶対怒られると思って、舷が何か言う前にもう、『何が言いたいかはわかってる、でももう聞きたくない、話すことはない、幻滅したままでいい、私は舷みたいに強くない。私は舷の期待するような人間じゃない!』って捲し立てて」
「ふふ。しゃべる隙ないくらい?」
「そう」

 自分でも思い出してみるとちょっとおかしくて、くすくす笑う。

「舷は何も言わなかった、気がする。詩織……あ、仲良かった友だちが追いかけてきてくれて、道花はもう行きなって言ってくれて、代わりに舷と話してくれた、気がする」
「その子いい子だよね。友達になりたい」
「めちゃめちゃ仲良くなれると思うよ」

 笑いながらそう返す。あの時は、とにかく、自分の心を守るので精一杯だった。舷の表情を覚えていないのは、多分、意識的に見ないようにしていたからだと思う。

「そのあとも、謝ってくる気配とかはなかったってこと?」
「何回か話したそうな気配? 視線? は感じたけど、バスケに戻れとか言われても嫌だし……完全に無視してた、かな……」
「それなのにさっき、サインくれたんだ」
「……たしかに」

 怒って幻滅している可能性しか考えていなかったけれど、たしかに、それにしては優しかった。というか。

「なんか、大人になったの、かな……?」
「どの目線?」
「分かんない」

 また莉央と笑い合う。
 サインをしてくれた舷の心境は、やっぱり、顔をよく見ていなかったから分からない。

「めちゃめちゃ後悔してる可能性は?」
「うーん? そういうタイプじゃないんじゃないかな。ついてこれない人間はわりとズバッと斬り捨てるタイプだと思うよ」
「ふぅん?」

 莉央は何か言いだげだったが、そこで言葉が途切れる。少しの沈黙。

「大変だったね」

 莉央の出した声はすごく優しくて、道花はその言葉も受け止めて、自然に微笑むことができた。

「そう、だから自分の中でいろいろ解決できてなくて、スポーツ科学部に入ったのもよかったのか悪かったのか……って」
「そこで避けないのが、道花らしい気はする」
「そう?」

 くすくすと笑うと、莉央が優しい目をしていった。

「なんていうの……負けたくなかったんでしょ、自分の後悔に」

 その言葉は、不思議なくらい心にすっと入ってきた。

「そう、だね。負けたくなかった」

 そうだ。完全に蓋をして、逃げることはしたくなかった。
 その選択に悔いはない。
 だったら、私はこれからどうするべきなんだろうか?