大会の予選通過を目指して、一丸となる時期――のはずだった。
無視されていることは道花にとっては明らかだが、それは、早森には気づかれないよう、姑息に慎重に行われていた。
表面上は特に問題は起きていない。道花さえ我慢すれば。
実際は、早森がいない時、結衣を中心としたメンバーが、勝手に別の練習メニューを始めていることもあった。特に後輩たちの戸惑いは大きくて、いったい誰の指示に従っていいか分からず、混乱しているのが伝わってきた。
せっかく希望を抱いてこの高校に入学して、入部してくれたのに。
自分のせいでそうなってしまった。申し訳なさと怒り、それから、チームをまとめられていない恥ずかしさで胸がぐちゃぐちゃになる。
道花たち三年生の代の、メッセージグループがあった。
道花が送った連絡事項は、「そっかー、了解(笑)」という結衣のコメントで終わっている。道花のメッセージではなく、結衣の吹き出しに多くのリアクションがついていた。誰がリアクションをつけたのかが見られる仕様なんてなかったらいいのに。自分でも見なければいいのにと思いながら、スマホをタップする。
ああ、この子も、この子も。結衣側につくって決めたんだ。
味方は、いない。
あの様子だと、きっと、道花以外の部員のメッセージグループがあるのだろう。そこではきっと、道花の挙動が面白おかしくからかわれている。毎日。
俯いて一人、帰り道を歩いていると、陽菜が駆け寄ってきた。
「道花ちゃん」
「……陽菜」
「その、みんなの前で言えなくてごめん、私、ほんとによくないと思ってる。道花ちゃんは何も間違ってない……」
じゃあ、それをみんなの前で言ってよ。
「ありがとう」
そう吐き捨てたいのを我慢して、お礼を絞り出した。
そんなこと、私にだけ言われてもどうしようもない。自分だけ罪悪感から解放されて、気持ちよくなろうとしないで。
そんなドロドロした気持ちを抱えて力なく微笑むだけの道花に、陽菜は悲しそうな顔をして俯いた。
それでも。まだ道花は、完全には折れていなかった。このまま我慢していれば、いつかは相手も飽きる。
みんなそれぞれ、この部活に入った理由があるはず。それを思い出してくれさえすれば。
そう願っていた。
「一度、話し合いをしてみたらどうだ」
「話し合い……?」
ある日、早森がそう言った。寝耳に水で驚いたし、あまりにも見当違いの提案に胸がもやっとした。常々相談はしていたけれど、こんなふうにちゃんと早森の口から提案をされるのは初めてだった。なのに、それ? 話し合い?
話し合って、どうにかなるものだろうか?
「ほら、結局、忌憚なく意見をぶつけ合う場がないからこうなってるんじゃないか?」
「いや……」
そんなわけない。表に出したらどんなことになるのか、分からないのだろうか。
「俺も立ち会うから、一回そういう場を作ってみたらいい」
早森の中では、もう決まっているようだった。
きっと誰かに、何か言われたのかもしれない。そう思ったが、もう、抵抗する気力もなかった。
そうして迎えた、話し合い当日。道花にとって忘れられない、地獄の日になる。
「そもそも、広瀬さんがキャプテンっていうのがなぁ」
今の女子バスケットボール部の運営について、何か意見はあるか。早森が最初にそう問いかけて、手を上げたのは結衣だった。周囲の、くすくす笑う声が重なる。
「キャプテンってのがなんだ、具体的に言え」
(やめて……!)
早森はこの雰囲気に気づいていないのか、そう投げかける。
結衣はぴたりと止まったあと、意地悪く笑った。
「えー? なんていうか、メンバーへのメニューの落とし込みもなくてぇ」
「それはお前だけじゃなくてみんな思ってるのか? 同じように思うやつ、手を上げてみろ」
布が擦れるような音がいくつもして、見なくても、ほぼ全員が手を上げていることが分かった。陽菜を含め、慕ってくれていると思っていた後輩までも。
心が、死んでいく。
「広瀬先輩は、あんまりこう、試合でも貢献されてなくて、キャプテンとして指示が弱すぎるというか……」
「アドバイスはありがたかったですけど、常にそういう目で見られてると思うと、ちょっと……」
道花は辛うじて俯いてはいなかったが、もう自分でも、どこを見ているのか分からなかった。
怒りと悲しみと、何だろう。
泣きたい。
でもわずかに残った道花のプライドが、それだけはするまいと決めていた。
早森が、ちらちらとこちらを見る気配をする。少しはまずいと思っていたのかもしれないが、道花が表情を変えないことをどう受け取ったのか、溜め息をついて言った。
「お前ももうちょっと、歩み寄る態度を見せたらどうだ」
返事はしなかった。
声を出したら、泣いてしまいそうだった。
ここにいる全員が敵だった。
倒れ込むように部室で横になって、泣いた。最近上手くいってないことは母親にも気づかれていて、だから、家で泣いて心配させたくなかった。
ああ、もう無理かもしれない。
せっかくここまで頑張ってきたのに。悔しい。
でも、もう無理だ。
泣き疲れた顔で部室から出たら、そこで、舷と鉢合わせた。
「どうした」
ぎょっとした顔が、なんだか間抜けに見えた。
「別に……あ、そうだ。私、キャプテンやめようと思って」
これ以上みじめにならないようにと、笑いを浮かべて、できるだけ軽く。
でも、それが良くなかった。返ってきたのは険しい声だった。
「何言ってんだ。降りる必要ないだろ」
「いや、頑張ったけど、人間関係難しすぎる」
「道花」
舷の声には、どこか必死さがあった。
「やりたかったのは部員の力を伸ばすことっつってただろ。諦めんのか?」
諦める? 私を裏切ったのはあの子たちのほうなのに?
ぷちん、と張り詰めていた糸が切れた。
「ここまで頑張ったの! 簡単に言わないで!」
金切声みたいな声が出たけれど、もう抑えられなかった。
「どうしたんだよ……」
舷は一瞬目を丸くしたが、苛々した様子で溜め息をつく。
「お前は舐められすぎなんだ。もっと、だめなことははっきりだめだって」
「うるさい!」
泣きながら首を振った。
舷の顔はこちらを見て歪んでいた。ドン引き。そりゃそうだろう。
でも、こっちだって引いてる。何も知らないくせに。
「私は、舷とは違う」
涙が溢れ出て、頬を伝っていっているのが分かる。
「あっそ」
吐き捨てるようにそう言われて、道花はくるりと背を向けた。
舷が追ってくる気配はなかったし、それでよかった。
*
「キャプテンのことは分かった、でも、何も部活までやめることはないんじゃないか、この時期に」
早森の焦りを隠せない顔が目の前にあるが、何を今さら、としか思えなかった。
せっかく頑張ってたんじゃないか、お前がいないと、チームもダメになるかもしれない。先輩が作ってきたチーム晴翔がめちゃくちゃになってもいいのか。
どんな言葉も耳を滑っていく。
冷めた目で、「気持ちは変わりません」とだけ言い続けた。
私がいないほうが、全てが上手く回る。
ただ、早森が最後に言った言葉は、認めたくはないが、道花の心にぐさりと傷をつけた。
「逃げたことは、お前の一生に残るぞ」
歯を噛み締めて、怒りと悔しさに耐えた。この面談が終わるのを、詩織も待ってくれている。終わったら詩織に抱きついて泣けばいい。
みんな、敵ばっかり。
道花の心を最後に押したのは、もうこれ以上バスケを嫌いになりたくない、という気持ちだ。
いくら反対されても、もう気持ちは変わらなかった。
道花はそうして、部活を辞めた。
無視されていることは道花にとっては明らかだが、それは、早森には気づかれないよう、姑息に慎重に行われていた。
表面上は特に問題は起きていない。道花さえ我慢すれば。
実際は、早森がいない時、結衣を中心としたメンバーが、勝手に別の練習メニューを始めていることもあった。特に後輩たちの戸惑いは大きくて、いったい誰の指示に従っていいか分からず、混乱しているのが伝わってきた。
せっかく希望を抱いてこの高校に入学して、入部してくれたのに。
自分のせいでそうなってしまった。申し訳なさと怒り、それから、チームをまとめられていない恥ずかしさで胸がぐちゃぐちゃになる。
道花たち三年生の代の、メッセージグループがあった。
道花が送った連絡事項は、「そっかー、了解(笑)」という結衣のコメントで終わっている。道花のメッセージではなく、結衣の吹き出しに多くのリアクションがついていた。誰がリアクションをつけたのかが見られる仕様なんてなかったらいいのに。自分でも見なければいいのにと思いながら、スマホをタップする。
ああ、この子も、この子も。結衣側につくって決めたんだ。
味方は、いない。
あの様子だと、きっと、道花以外の部員のメッセージグループがあるのだろう。そこではきっと、道花の挙動が面白おかしくからかわれている。毎日。
俯いて一人、帰り道を歩いていると、陽菜が駆け寄ってきた。
「道花ちゃん」
「……陽菜」
「その、みんなの前で言えなくてごめん、私、ほんとによくないと思ってる。道花ちゃんは何も間違ってない……」
じゃあ、それをみんなの前で言ってよ。
「ありがとう」
そう吐き捨てたいのを我慢して、お礼を絞り出した。
そんなこと、私にだけ言われてもどうしようもない。自分だけ罪悪感から解放されて、気持ちよくなろうとしないで。
そんなドロドロした気持ちを抱えて力なく微笑むだけの道花に、陽菜は悲しそうな顔をして俯いた。
それでも。まだ道花は、完全には折れていなかった。このまま我慢していれば、いつかは相手も飽きる。
みんなそれぞれ、この部活に入った理由があるはず。それを思い出してくれさえすれば。
そう願っていた。
「一度、話し合いをしてみたらどうだ」
「話し合い……?」
ある日、早森がそう言った。寝耳に水で驚いたし、あまりにも見当違いの提案に胸がもやっとした。常々相談はしていたけれど、こんなふうにちゃんと早森の口から提案をされるのは初めてだった。なのに、それ? 話し合い?
話し合って、どうにかなるものだろうか?
「ほら、結局、忌憚なく意見をぶつけ合う場がないからこうなってるんじゃないか?」
「いや……」
そんなわけない。表に出したらどんなことになるのか、分からないのだろうか。
「俺も立ち会うから、一回そういう場を作ってみたらいい」
早森の中では、もう決まっているようだった。
きっと誰かに、何か言われたのかもしれない。そう思ったが、もう、抵抗する気力もなかった。
そうして迎えた、話し合い当日。道花にとって忘れられない、地獄の日になる。
「そもそも、広瀬さんがキャプテンっていうのがなぁ」
今の女子バスケットボール部の運営について、何か意見はあるか。早森が最初にそう問いかけて、手を上げたのは結衣だった。周囲の、くすくす笑う声が重なる。
「キャプテンってのがなんだ、具体的に言え」
(やめて……!)
早森はこの雰囲気に気づいていないのか、そう投げかける。
結衣はぴたりと止まったあと、意地悪く笑った。
「えー? なんていうか、メンバーへのメニューの落とし込みもなくてぇ」
「それはお前だけじゃなくてみんな思ってるのか? 同じように思うやつ、手を上げてみろ」
布が擦れるような音がいくつもして、見なくても、ほぼ全員が手を上げていることが分かった。陽菜を含め、慕ってくれていると思っていた後輩までも。
心が、死んでいく。
「広瀬先輩は、あんまりこう、試合でも貢献されてなくて、キャプテンとして指示が弱すぎるというか……」
「アドバイスはありがたかったですけど、常にそういう目で見られてると思うと、ちょっと……」
道花は辛うじて俯いてはいなかったが、もう自分でも、どこを見ているのか分からなかった。
怒りと悲しみと、何だろう。
泣きたい。
でもわずかに残った道花のプライドが、それだけはするまいと決めていた。
早森が、ちらちらとこちらを見る気配をする。少しはまずいと思っていたのかもしれないが、道花が表情を変えないことをどう受け取ったのか、溜め息をついて言った。
「お前ももうちょっと、歩み寄る態度を見せたらどうだ」
返事はしなかった。
声を出したら、泣いてしまいそうだった。
ここにいる全員が敵だった。
倒れ込むように部室で横になって、泣いた。最近上手くいってないことは母親にも気づかれていて、だから、家で泣いて心配させたくなかった。
ああ、もう無理かもしれない。
せっかくここまで頑張ってきたのに。悔しい。
でも、もう無理だ。
泣き疲れた顔で部室から出たら、そこで、舷と鉢合わせた。
「どうした」
ぎょっとした顔が、なんだか間抜けに見えた。
「別に……あ、そうだ。私、キャプテンやめようと思って」
これ以上みじめにならないようにと、笑いを浮かべて、できるだけ軽く。
でも、それが良くなかった。返ってきたのは険しい声だった。
「何言ってんだ。降りる必要ないだろ」
「いや、頑張ったけど、人間関係難しすぎる」
「道花」
舷の声には、どこか必死さがあった。
「やりたかったのは部員の力を伸ばすことっつってただろ。諦めんのか?」
諦める? 私を裏切ったのはあの子たちのほうなのに?
ぷちん、と張り詰めていた糸が切れた。
「ここまで頑張ったの! 簡単に言わないで!」
金切声みたいな声が出たけれど、もう抑えられなかった。
「どうしたんだよ……」
舷は一瞬目を丸くしたが、苛々した様子で溜め息をつく。
「お前は舐められすぎなんだ。もっと、だめなことははっきりだめだって」
「うるさい!」
泣きながら首を振った。
舷の顔はこちらを見て歪んでいた。ドン引き。そりゃそうだろう。
でも、こっちだって引いてる。何も知らないくせに。
「私は、舷とは違う」
涙が溢れ出て、頬を伝っていっているのが分かる。
「あっそ」
吐き捨てるようにそう言われて、道花はくるりと背を向けた。
舷が追ってくる気配はなかったし、それでよかった。
*
「キャプテンのことは分かった、でも、何も部活までやめることはないんじゃないか、この時期に」
早森の焦りを隠せない顔が目の前にあるが、何を今さら、としか思えなかった。
せっかく頑張ってたんじゃないか、お前がいないと、チームもダメになるかもしれない。先輩が作ってきたチーム晴翔がめちゃくちゃになってもいいのか。
どんな言葉も耳を滑っていく。
冷めた目で、「気持ちは変わりません」とだけ言い続けた。
私がいないほうが、全てが上手く回る。
ただ、早森が最後に言った言葉は、認めたくはないが、道花の心にぐさりと傷をつけた。
「逃げたことは、お前の一生に残るぞ」
歯を噛み締めて、怒りと悔しさに耐えた。この面談が終わるのを、詩織も待ってくれている。終わったら詩織に抱きついて泣けばいい。
みんな、敵ばっかり。
道花の心を最後に押したのは、もうこれ以上バスケを嫌いになりたくない、という気持ちだ。
いくら反対されても、もう気持ちは変わらなかった。
道花はそうして、部活を辞めた。
