新体制になって、結衣は、懸念していたより普通だった。
ほかのメンバーと話す時より、道花に対しては形式的で目も合わない気はしたけれど、事前に想像していたよりは、胃をキリキリさせるようなことはなさそうだと思った。
最初は。
「道花、次からこのメニューいれようよ」
「え?」
ある日突然そう言われて、きょとんとなった。練習メニューは、顧問の早森とも相談して決まっていることだ。思いつきでころころ変えられるわけではない。
「早森先生とも相談してみよっか」
事前に、もし即答に困ることがあればそういう話にしようと早森と相談していた。一緒に話をしに行って顧問に説得させられた体にすれば、角は立たない。
だが、そう答えると、結衣は突然興味を失ってしまったようだった。
「あ~。んー、いいや。道花から相談してみてよ」
丸投げかよ、と少しイラっとする。でも、ここで感情的にぶつかれば、崩壊一方だ。
「分かった。また報告するね」
そう言って、早森にはちゃんと相談をし、回答を持ち帰った。
「こないだの結衣の提案なんだけど、今はまだチームとして基礎練が大事な時期だから、六月まではこの内容にして、それから結衣の言ってくれたメニューを入れようと思うんだけど、どうかな」
「あー、あれ? 分かった」
(なんでそんな面倒くさそうなの)
そんなこととっくに忘れていた、という態度に、もやもやとしたものが溜まっていく。でも、今のところ、たまに出るようになったこういう相談以外は特に道花を悩ませるものはなく、バスケをする上で障害になっているわけではない。
このまま耐えれば、何かが表面化することなく、終わるはず。
そんなある日、最後に一人で部室を出ると、舷が待っていた。
「おい」
ぺこ、と他人行儀に頭を下げて通り過ぎようとした道花を、ぞんざいな声が止める。
「なに」
声をかけられてまで無視するのは、舷に対してあまりに申し訳ない。そう思って返事をすると、舷が視線を伏せて言った。
「お前、俺のこと避けてる?」
「えー……」
離れていく人間をわざわざ追うタイプではないと思っていたから、こんな直球で聞いてくるのは想定していなかった。
そうだよ。避けてる。結衣をこれ以上刺激して、面倒くさいことになるのが嫌だから。
でも、そこまではっきり答えてしまうと、また別の問題が起きそうだ。
「何かしたか、俺」
迷っているうちにぼそりと落とされた声は、あまりにも寂しそうだった。
「なにもしてないよ。ほら、キャプテンになって、いろいろ面倒くさいからさ」
「面倒くさい? 何が」
慌てて返すと、舷が怪訝そうに首を傾げる。
舷自身も、男子バスケのキャプテンになったと聞いていた。だからこそ、よく分からないのだろう。案の定引く様子がないので、道花は少し迷ったが、ある程度事実を伝えることにした。
「舷、人気だからさ。男子に媚びてるって思われたり、いろいろあるんだよ」
「なんだそれ。媚びてねぇだろ」
「それはそうだけど……」
舷には分からないだろうなぁ、と苦笑する。道花が困っているのを察したのか、また舷がぼそりと言った。
「……迷惑だったら、分かった」
理解はできなくても、飲み込んでくれたことに、少しほっとした。
しゅんとした姿はかわいそうだけれど、距離をとってくれたほうが助かる。
「舷はさ、その態度でみんなと上手くやれてるの?」
ふと、そう聞いてみたくなった。斜め上からの質問に、舷がぴくりと眉を動かす。
「なんで」
じろりとした目がこちらを見下げるけれど、全く怖いとは思わない。結衣の目に比べれば全然だ。
「そんな圧かけてビビらそうとしても意味ないよ」
「してねぇよ」
そう言って目を逸らす。自分でも無意識だったのだろう。きまりが悪そうな姿がかわいく見える。
「……礼儀はちゃんとしてるし、掃除もボール出しもなんでもしてる。別にキャプテンだからって偉そぶってはない。実力差に関しては、申し訳なく思う必要はない。どう受け止めるかは相手の問題だ」
「そっか」
同意も否定もせずに、微笑みながら小さく溜め息をついた。
舷は正しい。でも、正しさだけではどうしようもないこともある。
舷は決してそうは言わなかったが、実力がないことはそれ自体が罪、とでも言いそうな傲慢さが根底にあるのが伝わってくる。
でも、そんなメンタルがあるから、彼はプレーヤーとしても、キャプテンとしてもやっていける。
*
菜々美が正式に、部員からマネージャーになった。
「悔しいけど、こればっかりは仕方ないって思ってる。どうしてもらったら嬉しいか分かってる分、頑張ってサポートするよ!」
菜々美は立派だった。でも、以前のなんの陰りもない表情とはやっぱり違って、自分を奮い立たせて笑顔を作っているように見えてしまう。
本当は、助けてほしい、と言いたかった。でも、そんなことを言える状況じゃない。はっきり意見を言って、結衣のことも上手く嗜めてくれていた菜々美。彼女がプレーヤーじゃなくなったことが、どう影響を与えるだろう。
黒い雲が立ち込めるように、道花を心細さと不安が襲う。
『そんな態度で上手くやれてるの?』
そう道花が舷に尋ねたのは、本気で舷を心配したからではない。
道花自身が、迷子になっていたからだ。
案の定、その直後から、はっきり問題が起き始めた。
「なんかさぁ、キャプテンの独断多すぎない?」
ある日、結衣がそう言い、部室はしーん、となった。菜々美はいない。名指しされたからには答えるしかない。
「独断って?」
「メニューも、道花がどんどん決めちゃってるし。先輩の代はもっとうまいことやってたと思うけどな」
煽るような言葉にむっとなった。
ほかのメンバーと話す時より、道花に対しては形式的で目も合わない気はしたけれど、事前に想像していたよりは、胃をキリキリさせるようなことはなさそうだと思った。
最初は。
「道花、次からこのメニューいれようよ」
「え?」
ある日突然そう言われて、きょとんとなった。練習メニューは、顧問の早森とも相談して決まっていることだ。思いつきでころころ変えられるわけではない。
「早森先生とも相談してみよっか」
事前に、もし即答に困ることがあればそういう話にしようと早森と相談していた。一緒に話をしに行って顧問に説得させられた体にすれば、角は立たない。
だが、そう答えると、結衣は突然興味を失ってしまったようだった。
「あ~。んー、いいや。道花から相談してみてよ」
丸投げかよ、と少しイラっとする。でも、ここで感情的にぶつかれば、崩壊一方だ。
「分かった。また報告するね」
そう言って、早森にはちゃんと相談をし、回答を持ち帰った。
「こないだの結衣の提案なんだけど、今はまだチームとして基礎練が大事な時期だから、六月まではこの内容にして、それから結衣の言ってくれたメニューを入れようと思うんだけど、どうかな」
「あー、あれ? 分かった」
(なんでそんな面倒くさそうなの)
そんなこととっくに忘れていた、という態度に、もやもやとしたものが溜まっていく。でも、今のところ、たまに出るようになったこういう相談以外は特に道花を悩ませるものはなく、バスケをする上で障害になっているわけではない。
このまま耐えれば、何かが表面化することなく、終わるはず。
そんなある日、最後に一人で部室を出ると、舷が待っていた。
「おい」
ぺこ、と他人行儀に頭を下げて通り過ぎようとした道花を、ぞんざいな声が止める。
「なに」
声をかけられてまで無視するのは、舷に対してあまりに申し訳ない。そう思って返事をすると、舷が視線を伏せて言った。
「お前、俺のこと避けてる?」
「えー……」
離れていく人間をわざわざ追うタイプではないと思っていたから、こんな直球で聞いてくるのは想定していなかった。
そうだよ。避けてる。結衣をこれ以上刺激して、面倒くさいことになるのが嫌だから。
でも、そこまではっきり答えてしまうと、また別の問題が起きそうだ。
「何かしたか、俺」
迷っているうちにぼそりと落とされた声は、あまりにも寂しそうだった。
「なにもしてないよ。ほら、キャプテンになって、いろいろ面倒くさいからさ」
「面倒くさい? 何が」
慌てて返すと、舷が怪訝そうに首を傾げる。
舷自身も、男子バスケのキャプテンになったと聞いていた。だからこそ、よく分からないのだろう。案の定引く様子がないので、道花は少し迷ったが、ある程度事実を伝えることにした。
「舷、人気だからさ。男子に媚びてるって思われたり、いろいろあるんだよ」
「なんだそれ。媚びてねぇだろ」
「それはそうだけど……」
舷には分からないだろうなぁ、と苦笑する。道花が困っているのを察したのか、また舷がぼそりと言った。
「……迷惑だったら、分かった」
理解はできなくても、飲み込んでくれたことに、少しほっとした。
しゅんとした姿はかわいそうだけれど、距離をとってくれたほうが助かる。
「舷はさ、その態度でみんなと上手くやれてるの?」
ふと、そう聞いてみたくなった。斜め上からの質問に、舷がぴくりと眉を動かす。
「なんで」
じろりとした目がこちらを見下げるけれど、全く怖いとは思わない。結衣の目に比べれば全然だ。
「そんな圧かけてビビらそうとしても意味ないよ」
「してねぇよ」
そう言って目を逸らす。自分でも無意識だったのだろう。きまりが悪そうな姿がかわいく見える。
「……礼儀はちゃんとしてるし、掃除もボール出しもなんでもしてる。別にキャプテンだからって偉そぶってはない。実力差に関しては、申し訳なく思う必要はない。どう受け止めるかは相手の問題だ」
「そっか」
同意も否定もせずに、微笑みながら小さく溜め息をついた。
舷は正しい。でも、正しさだけではどうしようもないこともある。
舷は決してそうは言わなかったが、実力がないことはそれ自体が罪、とでも言いそうな傲慢さが根底にあるのが伝わってくる。
でも、そんなメンタルがあるから、彼はプレーヤーとしても、キャプテンとしてもやっていける。
*
菜々美が正式に、部員からマネージャーになった。
「悔しいけど、こればっかりは仕方ないって思ってる。どうしてもらったら嬉しいか分かってる分、頑張ってサポートするよ!」
菜々美は立派だった。でも、以前のなんの陰りもない表情とはやっぱり違って、自分を奮い立たせて笑顔を作っているように見えてしまう。
本当は、助けてほしい、と言いたかった。でも、そんなことを言える状況じゃない。はっきり意見を言って、結衣のことも上手く嗜めてくれていた菜々美。彼女がプレーヤーじゃなくなったことが、どう影響を与えるだろう。
黒い雲が立ち込めるように、道花を心細さと不安が襲う。
『そんな態度で上手くやれてるの?』
そう道花が舷に尋ねたのは、本気で舷を心配したからではない。
道花自身が、迷子になっていたからだ。
案の定、その直後から、はっきり問題が起き始めた。
「なんかさぁ、キャプテンの独断多すぎない?」
ある日、結衣がそう言い、部室はしーん、となった。菜々美はいない。名指しされたからには答えるしかない。
「独断って?」
「メニューも、道花がどんどん決めちゃってるし。先輩の代はもっとうまいことやってたと思うけどな」
煽るような言葉にむっとなった。
